『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【245】頭で考えるのを止めて、「根源」を考えるのです。

2005-06-25 21:54:54 | 「白光」の教え
一人ひとりが集まって、人類が出来ているのですから、「ひとり=人類」なのです。
それで、その一人ひとりの「いのち」は『どこから、来たのか?』ということは、考えてみてもわからないのです。

それに、どのようにしたら世界が「平和」になるのかも、人間の頭で考えてみても、答えは出ないのです。頭で考えるのを止めて、「根源」を考えるのです。

「いのち」とは、生命エネルギーであり、それを「神さまの力」と解釈しても良いのではないでしょうか。「神さまの力」が、「自分のいのち」であり、「自分のいのち」の力が、内臓を動かし、血液を循環させ、手足が動くようにしている。そのように考えると、「神さまの力」が全部を動かしているのだから、「私のいのち」は、「神さまの力」に任せるより、仕方がないのです。

神さまが「この世に、在れ」と言えばこの世に在り、神さまに「この世を、去れ」と言われたら、私たちは、この世を去るより仕方ないのです。そういう「根源の思い」を、「いのち」の中に入れてしまうのです。「いのち」と「根源の思い」を一緒にしてしまうのです。

「肉体の頭」で考えても、どうせ出来ないのですから、「いのち」の中に、「世界を平和にしたい」という「思い」を入れてしまうのです。『神さま、どうか、世界が平和でありますように』と、素朴な感情で「世界平和の祈り」をするのです。

「神さま(大調和)のこと」を思っていれば、神さまと同じ働きが出来て、「神のみ心(大調和)」を、肉体界(人間界)に表わすことが、出来るのです。全員が、そういう「思い」になることが大切なのです。ですから閣議の前には、全員で「世界平和の祈り」が出来るようにしたいと思うのです。

【五井先生講演会集第十三巻『世界情勢と宗教の使命』】