『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1353】「自分を愛し、自分を赦す」が、「白光の教え」(*^_^*)

2008-03-31 04:49:29 | 思索
昨日は、砂子さんの講話会を聴かせて頂きました。
特に座談会では、「認識」や「次元」について、かなり詳しく説明をして下さいました。
いずれ、大阪支部HPに載ると思いますので、楽しみにお待ちください。(^^;ゞ

私なりにも、砂子さんの講話を聴いて、気づいたことや考えたことなどを、書きたいと思いますので、
宜しくお願いします。(^^)

まずは、私が一番のポイントだと思ったところを、私の言葉で書きますと、(^^;ゞ

★『「我即神也」という真理の言葉(意識)を使って、
「自分」に働きかけることにより、「いのちの働きとして自分」を
心置きなく、表現してゆく』というのが、「白光の教え」。

このことにも関連するのですが、ハラダさんによりますと、
「自分を愛しなさい。自分を赦しなさい」と説く宗教団体は、白光真宏会以外には無いそうです。(^^;ゞ

たとえば、キリスト教では、「汝の隣人を愛せよ」です。(^^;ゞ

「自分を愛せない人は、他人を愛せない」とよく言われます。
なぜかというと、「他人」とは、「自分」の見ている「他人」ですから、
「自分」という鏡が嫌いであったら、それに映る「他人」が曇って見えるのは、
あたりまえなのです。

曇っている他人が、「美しい人」であることはありませんから、
「好きになれない」。だから、「愛せない」というわけです。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★今回の支部集会。講話会の前には、15分間の「統一」、終わってからは、6分間の「統一」。
 そして、最後には、3分間の「統一」をしました。(^^;ゞ

これだけの長い時間「統一」をしますと、「思い」が沈んで、とても気持ちがいいです。(*^_^*)

一晩寝て起きた今でも、「思い」が立ち上がってこないので、「心が平安」です。

もし、世界中の人々が一斉に、「統一」(瞑想)をしましたら、
その瞬間、「世界は平和(個人も人類も)!」であるのです。(*^_^*)

それが、5月12日(日)に、富士聖地で行われるSOPPです。
どなたでも無料で参加できますので、おいでください。

参加して、「ご自分の守護霊さん」を喜ばせてあげてください。
気持ちがスッキリします。(^^;ゞ


砂子ゼミ

【1352】本当は、「良きことのみが、起こっている。この世は、楽園」

2008-03-30 05:13:59 | 思索
「神人には、良きことのみが起こる」という表現に対して、
「『良きことのみが起こる』ことはあり得ない。事故も病気も起こるではないか」という反論は、当然です。(^^;ゞ

けれどもこれは、状況をポジティブに捉えるのか、ネガティブに捉えるのかの違いです。
事実をみれば、本当は、「起こるべきことが、起こっている」だけであって、
「良きことのみが、起こっている」というのも、観念なのでしょうが、
意識のレベルがあがった神人(?)に関しては、「消えてゆく姿」が受け入れやすい形で起こるという意味で、
「神人には、良きことのみが起こる」と表現されるのだと思うのです。

個々人の意識のレベルが上がり、『すべての経験は必要があって、起こっている。
「消えてゆく姿」として起こっている』と、受け入れられれば、この世は楽園です。(^^;ゞ

「良きことのみが、起こっている」と思えるかどうかは、本人次第です。
『一人一宇宙』なのですから。(^^;ゞ

この法則は、「現代の世界の状況」にも当てはまります。
「環境汚染、飢餓、戦争、民族紛争、宗教対立・・・」は、「世界平和の祈り」に気づくためのプロセスとして、
「消えてゆく姿」として、起こっていることであって「良きこと」なのです。(^^;ゞ

けれども、これを反対から言いますと、
「現代の世界の状況」を良きことだとするためには、
「世界平和の祈り」をしなければならないことにもなります。(^^;ゞ

【1351】「平和」を思っていると、「平和」な世界が訪れる。

2008-03-29 05:13:13 | 思索
「世界」を平和にする方法が、「世界平和の祈り」なのです。

「世界平和の祈り」は、
『「平和」を思っていると、「平和」な世界が訪れる。』という原理を応用しています。(^^;ゞ

非常に具体的な話(笑)として、
「世界平和の祈り」をしていると、周りが整ってくるので、「周りの人たち」が平和になる。
つまり、「周りの人たち」に不調和(不幸)が起きないのです。

そのようにして、一人一人の心が、「平和」になっていって、「世界」が平和になるのです。
そのことが拡がっていって、「世界の平和」が訪れるのです。
これが、「世界」を平和にする方法の『王道』です。

そういう意味で、一人一人の神人は、「世界平和」の中核です。

この原理で、世界を平和にするために10万人の神人が必要なのです。

★明日の大阪支部講話会の講師は、砂子さんです。
 よろしければ、参加ください。(*^_^*)


【1350】把われないと、把われない世界が生まれる(^^;ゞ

2008-03-28 05:14:51 | 思索
【1349】で、「把われないと、把われない世界が生まれる」と書きましたが、これはちょっと変な表現ですね。
「二元対立的思考を超えた話」だと思ってください。(^^;ゞ

息子に、砂子さんの『存在をめぐって』や『波動と意識』、『唯心的物理学の誕生』の話をしていて、
色々なことに気づきました。

そのなかの一つは、
「状況は常に中立であるけれども、状況をどのように捉えるのかによって、
その状況へのアポローチの仕方が変わり、「世界」は変化してゆく。
私たちは、そのような「世界(地球環境・この世)」に住んでいるという話です。

これは、物事をポジティブに捉えるのか、ネガティブに捉えるのかによって、
「創造される未来」が、良くも悪くもなるという話です。(^^;ゞ

砂子さんの文章や、『唯心的物理学の誕生』は、そのことを論理的に解き明かそうとしたものです。

その息子が、『5次元世界はこうなる』の表紙の下に、
「空間X時間Xai 5次元文庫」と書いてあることに気づきました。

「ai」とは、「愛」のことです。
ですからこれは、「5次元世界の到来(アセンション)」は、
「愛」によって乗り越えられるというメッセージです。

いうまでもないことですが、「ai」とは、「意識」の一種です。
「空間(3次元)+時間=4次元」であり、それに「意識」が加わった5次元世界に、
私たちはもうすでに生きているのです。

「意識」が、「現実」を造っているのです。
アセンション(次元上昇)とは、その「現実化の速度」が飛躍的に速くなることをいうのです。

【1349】神人には、良きことのみがおこる(^。^?

2008-03-27 05:18:15 | 思索
あれこれと、考え過ぎないで、常に「世界平和の祈り」をすることを心がけています。(^^;ゞ
いろいろな状況の中にあって、具体的な方法を、あれこれと考えるのは良いのですが、
思い煩う必要はないのです。その時々の直感に従ったほうが上手くいくのです。

この頃はますます、「世界平和の祈り」をしていると、
「把われなければ、把われない世界が、現われえてくる」と感じるようになりました。
そして、「自分の望む場面」を想像すると、それが実現するのです。(^^;ゞ

先日も、我が家に遊びにきていた四歳の孫が、トイレに行くことを急いだために、
階段の途中から落ちたのですが、泣きもせず、怪我もしませんでした。

周りの大人たちは、驚いたのですが、本人はあっけらかんとして(笑)、
でんぐり返しをみたいだったと、照れ笑いをしていました。

そして、別の日には、私があやまって階段の上から落としたスリッパが、
スローモーションのような弧を描いて、孫の頭の上をすり抜けていきました。(^^;ゞ

「世界平和の祈り」や印は、
「すべてが調和しますように、整いますように」という思いを込めてするのですが、
それが実現化しているようなのです。(^^;ゞ

以前にも書きましたが、「世界平和の祈り」は、恐るべき祈り(笑)、並大抵ではない祈り(笑)なのかも知れません。 (^^;ゞ

これを世間の言葉でありていにいいますと、「欲を出さなければ、うまくいく」です。
そしてこれが、このごろの私が、心がけている心境です。(^^;ゞ

【1348】「無限なる能力」が発揮される現場を見た!

2008-03-26 04:55:19 | 思索
先日、スポーツ経験のまったくない、速読インストラクターの女性が、バッチングセンターで、
150キロのボールを打ち返えすというという番組(『探偵ナイトスクープ』)を見ました。

彼女は、
「速読をすると、脳の回転が速くなって、脳の伝達速度があがり、
脳が活性化するので、動いているボールが止まって見える。
それで、150キロのボールも止まって見えるので、
ボールを打つことが出来る」と、平然と言うのです。(^^;ゞ

以前、別のテレビ番組で、
「相当の野球経験がある人でも、150キロのボールには、
バットを当てることさえできない」という場面を見ましたので、
私は、彼女が150キロの速度に驚いて、バットを振ることさえ出来ないと思いました。

ところが彼女は、いとも簡単に、ボールを打ち返したのです。(^^;ゞ
それは、まぐれ当たりではなく連打であり、ヒット性の当たりもあるのです。

彼女が、公言した通りだったのです。(*^_^*)

なんらかの訓練によって、遺伝子がONになると、
「人間の無限なる能力」が発揮されて、想像もできないことが出来るのだと、
この番組を見て思いました。

野球関係のみなさん、強打者になるために、速読術の練習をしてみませんか。(^^;ゞ

そう言いながらも、私は、(^^;ゞ
日々の「統一」によって、脳を活性化しないことを習慣化させようとしているのですが(^^;ゞ

【1347】『愛』と『恋愛』の違い(^^;ゞ

2008-03-25 23:25:54 | 思索
私たちは、「愛」という言葉で、「男女間の愛(恋愛)」をイメージしがちですが、
「恋愛」と「愛」はまったく違うという話を、三輪さんが『オーラの泉』でされていました。

『愛』は、「相手のためを思って、純粋に献身的に奉仕すること」であり、
『恋愛』は、「自分の気持ち」を大切にしがちです。「自分の気持ち」に執着しがちです。
 
『愛』に、「恐れはない」のに対して、
『恋愛』には、「自分の思い(愛?)」を失う恐さがあります。
『恋愛』は、「自分の愛」を守ろうとする行動に陥りがちなのです。

『恋愛』は、自分中心の行為だということが、
自分の心の中をのぞいてみるとわかるのです。(^^;ゞ

「愛」は、与えるだけのものです。見返りを求めないものです。(*^_^*)

表現が適切でないかも知れませんが、(^^;ゞ
『愛の行為』で癒されるのは相手です。つまり、『愛』の主体(出発点)は、いつでも、「自分」です。
すべての『愛』は、自分発なのです。

それに対して、『恋愛』は、たとえば、「好感」というような見返り(笑)を求め勝ちです。

【1346】「世界平和の祈り」と「心の平安」

2008-03-24 00:08:37 | 思索
【1343】の【すべての出来事は、「世界平和の祈り」を知るための「プロセス」か?】についてですが、
「世界平和の祈り」をしているときに、心は静寂で平安な状態になります。(*^_^*)

『「心」に映っているものが、すべて』なのですから、
心が静寂で平安であれば、「世界」も静寂で平安になります。

この「自分の心を静寂・平安にして、隣人を愛せよ」というのが、「白光の教え」です。(^^;ゞ

【1345】「心」=「気づき」=「目的」=「真理」

2008-03-23 06:00:49 | 思索
【「心」=「気づき」=「目的」=「真理」】は、分かりにくい表現ですが、
私的には、かなりイケている解析(笑)だと思うのです。(^^;ゞ

言葉でうまく説明できるかどうか分からないのですが、挑戦してみます。(^^;ゞ

★まず、「心」とは、「言葉による気づき」という作業を、「宇宙」から与えられえているところです。
 それで、その「気づき」の内容というのは、「真理」です。

ここまでで、【「心」=「気づき」=「真理」】です。(^^;ゞ

そしてそれは、「宇宙」によって、人間が知るように計画された「真理」であり、
それを知ることが、「宇宙」によって与えられた「人生の目的」だというわけです。

■わりと簡単に、言葉で解説できましたね。(^^;ゞ

【1344】『心だけがある』=(唯心・唯識)

2008-03-22 23:45:23 | 思索
【1343】の『すべては、プロセスだと気づく』=『すべては、自分の内面の見ている夢』について、
もうすこし詳しく考えたいと思います。(^^;ゞ

端的に言って、『すべて(事象)は、プロセス』だということは、
『すべて(事象)は、目的ではない』ということです。(^^;ゞ

それで、「すべての事象」の目的は何かというと、
自分が「我即神也」であり、人類が「人類即神也」であることと気づくことです。

つまり、「自分の心」が「我即神也」「人類即神也」に気づくことが、
「すべての事象」の目的なのです。

「世界(事象)」はプロセスであり、「心の気づき」が目的なのです。

なぜ、『「心」が目的になるのか?』というと、
この世には、「心」しかないからです。(唯心・唯識)

この世(物質界)とあの世(心の世界)は、つながっているのです。
『すべては、自分の内面の見ている夢』なのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★「心」=「気づき」=「目的」=「真理」なのだと、
気づきました。(^^;ゞ

【1343】すべては、「世界平和の祈り」を知るための「プロセス」か?

2008-03-21 00:54:12 | 思索
①すべての出来事は、「世界平和の祈り」を知るための「プロセス」か?

②すべての出来事は、『自分』を知るための「プロセス」か?
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【1342】の『すべては、自分の内面の見ている夢である』という視点(真理?)から、
「物事」を考え直して、新たな世界観を構築する必要(笑)があると思うのです。(^^;ゞ

『すべては、自分の内面の見ている夢である』という視点に立った場合、
「世界中の出来事」とは、何なのか?

「世界中のすべての出来事」は、「自分の内面の見ている夢」なのか?

「唯心論物理学」や、「白光の教え」、西田哲学(純粋経験・禅)・「唯識論」の立場は、これを肯定するものです。(^^;ゞ

これは、「地球上に生じる転変地変、環境汚染 飢餓、病気、・・・や、
世界中で繰り返される戦争、民族紛争、宗教対立・・・・」を含めたすべての出来事は、
「自分の内面の見ている夢」ということです。

「すべては、自分の内面の見ている夢」は、言い方がキツイ(笑)ですか(^。^?

これを言い換えますと、『外界の状況』はつねに中立であるのに、
自分の『思い』が、それを『不幸な出来事』だと思っているという意味です。

そしてさらに、「白光の教え」では、、それらの『不幸な出来事』は、
『「世界平和の祈り」を知るためのプロセスである』となります。(*^_^*)

この「『不幸な出来事』と思う」から、
『「世界平和の祈り」が真理であることを知るためのプロセスである』へのジャンプ(笑)は、
論理の飛躍があって、分かりにくいですね。(^^;ゞ

簡単に書きますと、『すべては、プロセスだと気づく』=『すべては、自分の内面の見ている夢』なのです。(^^;ゞ
次回に説明します。

この原理(?)を利用して、『内面の見ている夢』を「世界平和の祈り」に置き換えれば、
『「不幸な出来事」という思い』が、消えるのです。(^^;ゞ

「外界の状況」はつねに中立なのですから、
「心を空っぽ」にすれば、「外界の状況」は、ただ過ぎてゆくだけ(「消えてゆく姿」)なのです。

この「心を空っぽにする方法」が、「世界平和の祈り」です。(*^_^*)

以上のことから、①の文章が肯定できます。(^^;ゞ

そして、②の【すべての出来事は、『自分』を知るための「プロセス」か?】とは、
「すべての出来事」は、「世界平和の祈り」によって「空っぽになった自分の心」が、
「ほんとうの『自分』の心(本心)」だと気づくための「プロセス」だという意味です。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★「世界」とは、「自分の心以外にはない」のです。
外界の状況は、「あるようにあるだけ」です。(^^;ゞ

そのなかで、『「私」はひとり』です。(*^_^*)

『すべては、自分の内面の見ている夢』です。(*^_^*)

★今日は時間がありましたので、大阪府の橋下知事に詰問した女性職員への、
ネット上の意見や考察を、とても興味深かく読みました。

【1342】すべては、自分の内面の見ている「夢」である

2008-03-20 11:13:08 | 思索
弟と話をしていまして、
『すべては、自分の内面の見ている夢である』という結論に達しました。(^^;ゞ

それは、先日に紹介した『唯心論物理学の誕生』(中込照明著)の話をすることから始まりました。

『内面』も『外界』も、結局は、心(内面)の見ている「夢」なのです。
「宇宙」といっても、「自分が『宇宙』だと思っていること」にしか過ぎないのです。

もっと言いますと、自分の「内面」というのは、「内面」ですらなくて、
自分の「内面」という「思い」であり、その自分の「思い」だけがあるのです。

その「思い」そのものが、「全宇宙」だと言っても、過言ではないのです。(^^;ゞ

「白光の教え」によりますと、(^^;ゞ
そういう色々な「思い」のすべてを、「世界平和の祈り」に置き換えて、
ただ生活することができれば、それが「悟り」(?)なのです。(^^;ゞ

『唯心論物理学の誕生』で説かれているのは、「主客合一の世界観」です。

見るものと見られるものがあって、「世界」は「存在」するのです。
そういう意味では、内面も外界もないのです。

私は常々、海外旅行がしたいと思っているのですが、
それもまた、「内面の旅」なのです。(^^;ゞ

【1341】白光真宏会は、「世界平和運動」のコンダクター

2008-03-19 04:28:44 | 思索
『神さまといつも二人』は、いままでに白光出版から発行されている本とは趣が違っています。
白光真宏会の最新の教えである「呼吸法の印」と、それに到った歴史的な経緯が書かれています。

私は、他の宗教団体(?)のことはまったく知らないのですが、白光真宏会のように、
会員に行を与えて、会員の霊性のレベルを高め、次々と高度な「印」が降ろして、
それを授けているところはないと思うのです。(^^;ゞ

そしてそういう、白光真宏会のこの15年間の経緯が、
「人類のアセンション(次元上昇)」に対応していることも興味深いことです。

『神さまといつも二人』を読んでいて思ったのは、
白光真宏会というのは、いわゆる宗教団体ではなくて、
世界中の宗教組織や教団、スピリチュアルな人々全員のエネルギーを統合して、
コンダクトする役目をもつ組織だということです。

その中心にあるのが、「世界平和の祈り」だったのです。(^^;ゞ

いま考えてみますと、スピリテュアル(精神世界)のことが好きだった私が、
白光真宏会に惹かれたのは、ある意味必然だったように思えます。(^^;ゞ

それでも、自分がスピリテュルなことに興味があることが、
「人類全体の意識の救済」に結び尽いているとは思っていませんでした。(^^;ゞ

★この本によりますと、
印を組むときは、出来るだけゆっくりと組んだほうが、効果があるそうです。

【1340】だれでもが、「神なる存在(無限なる者)」です(*^_^*)

2008-03-18 05:31:42 | 思索
よく店にくるお客さんに、「我即神也」の『宇宙神マンダラ』の説明をしたときに、
『「○○(私の名前)大明神」なのね』(笑)と、ちょっと冷やかされまして、(^^;ゞ
そのとき咄嗟に、『だれでもが、「神(無限なる者)」なのですよ』という言葉がでました。

それで、我即神也と人類即神也は、一つのことなのだと思いました。

つまり、「自分が神だ」ということは、同時に、
「人類の一人一人も神」であって、それぞれの人は、自分の天命を完とうするために、
この世界に生きているのですから、他人を評価したり、批評したりすることはできないのです。

店先に、「人類即神也」の『宇宙神マンダラ』も一緒に掛ければ、
「白光の教え」の全体が説明しやすいと思いました。(^^;ゞ

ということなので(笑)、皆さんも、ご自分の「無限なる可能性」を顕してくださいね。(*^_^*)

そのための方法が、「世界平和の祈り」であり、印であり、マンダラです。

その「無限なる可能性」は、どのような時に発揮させるのかといいますと、
自分が、「無限なる愛、叡智、感謝、エネルギー、パワー」などを顕したときです。

これが、起きたときに行う『我、言葉、想念、行為に、○○即神也を顕現する』という宣言と行です。

すべての人は「無限なる可能性」を持っています。
それを顕していきましょうというのが「白光の教え」です。

★先日、「スピリチュアルTV」というサイトを見ました。
上の内容とよく似たことが語られていました。

「スピリチュアルTV」

【1339】「10万人の神人」が、人類を救う!

2008-03-17 04:08:48 | 思索
今年の初めに、店先に「我即神也」の『宇宙神マンダラ』を展示してから2ヶ月になります。
そして、色々な人たちに、『宇宙神マンダラ』の簡単な説明をしました。

『宇宙神マンダラ』の文字の細かさには、すべての人が驚かれますので、
私は「我即神也」の意味を説明することになります。(^^;ゞ

『「危ない」と思われないか?』(笑)と躊躇しながらも、
その方の守護霊さんが、望んでおられることだと思って、「我即神也」の意味を説明します。
「世界平和の祈り新聞」をお渡しします。

たとえば、「我即神也」とは、
「自分のなかには、無限なる可能性がある。」という意味で、
それを自分に言いきかせ、引き出すために、この『宇宙神マンダラ』を書いたという具合です。(^^;ゞ

実は、白光では、10万人の神人つくりが、急務だと言われています。
なぜなら、神人が10万人に達しないと、人類が滅びるからです。(^^;ゞ

ですから、私たち会員の働きの一つは、「神人になるべき人」を見つけ出すだすことでもあるのです。
10万人の神人の達成が、人類を救う「手立て」なのです。