『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2541】勝手に「足らない病」を患っていた自分

2010-03-31 05:33:04 | 思索
以下は、昨年の11月の竹内康益さん(五井氏の運転手さん)の講話テープを、
大阪支部で聴いていて、頭に浮かんだことです。(^^;ゞ
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★「売り上げの減少」は、「消えてゆく姿」。

「売り上げの増大」も「消えてゆく姿」。

「売り上げ」自体が、「消えてゆく姿」。(^^;ゞ

そうなのでした。(^^;ゞ

★私たちは、不都合(不幸)な出来事が、「消えてゆく姿」だと思い勝ちですが、(^^;ゞ
そうではなくて、「売り上げ」全体が、「消えてゆく姿」なのでした。

そう考えると、「観の転換」が出来るのです。

「売り上げ」全体が、「消えてゆく姿」と考えることで、
「売れる」ことは良くことで、「売れない」ことは悪いことという観念から、
離れることが出来るのです。(^^;ゞ

自分の人生に起きていること(体験)という視点に立てば、
「売ること」・「売れること」全体が、「消えてゆく姿」なのでした。(^^;ゞ

私は過去世の因縁で、「売って生計を立てる」という人生(「消えてゆく姿」)を、
いまの時点でしているのです。(^^;ゞ

いま、その遣り繰りが、「一時的にちょっとしんどい」(笑)ということなのです。(^^;ゞ

★私は、売り上げという「3次元の問答」に意識を向けて、勝手に「足らない病」を患っていたのです。(^^;ゞ

【2540】「消えてゆく姿」が、「お浄め」になっている(*^_^*)

2010-03-30 05:38:51 | 思索
26日は、田中園子さんの講話を聴きました。
私にとって印象的だった言葉を箇条書きにします。
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★自分が、「我即神也」を顕すことによって、人類の意識を変える。

★「消えてゆく姿(不都合)」を経験することが、お浄めになっている。
 すべての経験は、守護霊さんが、「消えてゆく姿」として現わしくれている。

★祈ることによって、自分が浄まる。

★「自分が大好き!」=心が解放された状態=現在の自分の肯定=過去の肯定=明るい未来=「光明思想」

★ひとりぼっちで部屋にいた私は、「周りの物に支えられている」という事実に気付いた。

 周りにある物が、愛しくて仕方のない気持ちになり、「コップさん、ありがとう!」と言った。
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■「消えてゆく姿」自体が、「浄め」であるとは、考えていなかったので、
 これは、大いなる救い(笑)だと思いました。

確かに、私たちは、「消えてゆく姿」(経験)によって、浄められています。(*^_^*)

ただ、問題は、その「消えてゆく姿」に執着して、つかまないことです。

「消えてゆく姿」(経験)をつかんでしまうと、「消えてゆく姿」に出来ませんので、
再度、同じような「消えてゆく姿」を経験させられることになります。(^^;ゞ

・・・・・・と、いままでは、こういう論理だったのですが、(^^;ゞ

「再度、経験させらる」という話は、要らないのではないかと、ふっと思いました。

この話は、不都合な「消えてゆく姿」を嫌がることが、前提になっていると思うのです。

 この「嫌がること」というのは、「消えてゆく姿」をつかんでいることなので、

不都合な「消えてゆく姿」が、「再度、起きても良い」、「何回、起きても良い」、「どんどん起これ」ぐらいの気持ちで、
「消えてゆく姿」(経験)に、対処するのが、真に悟ったあり方(笑)だと思いました。(^^;ゞ

つまり、「消えてゆく姿」とさえ思わないで、淡々と生きるほうが、より高級な生き方(笑)だと思うのです。

「一瞬、思えば良い話」のようです。(^^;ゞ

【2539】『生命の意思(主観)が、時間の流れ(時間の矢)を考える』

2010-03-29 05:17:48 | 思索
『果因説の時間は、未来→現在→過去と流れる』(富田興次氏)の中に、
『時間はなぜ、取り戻せないのか』(橋元純一郎著・PHP新書)からの引用で、
『生命の主体的な意思(主観)が、時間の流れ(時間の矢)を生んでいる』という文章があります。

つまり、『生命体が生きようとすることから、時間の流れが生まれる』のです。

これを、もう少し客観的に書くと、
『生きているから、「時間の流れ」を考える』のです。

★他には、①『空間と時間は関連しており、独立に考えることはできない』

②『空間と時間の違いは、数学的にいえば虚数と実数の違いである。
それ以上に空間と時間を区別するものはない』という文章が、『時間はなぜ、取り戻せないのか』の中にあります。
…………………………………………………………………………

★富田興次氏の文章は次のように続きます。

『ということは、私たちの意思(意識)があってこそ、時間の流れ(時間の矢)が生じる。

私たちが時間を意識するということは、私たちが生きている証であるということになります。

以上のことから、私が「時間は、未来→現在→過去と流れる」と考えることを否定し、妨げるものはなにもありません。

私自身は、「時間は、未来→現在→過去と流れる」と時間意識を転換することによって、
格段と果因説が行じやすくなりました。』(p53)

『時間の流れは、私たちの意思(意識)が生んでいるのであれば、

私たちの意識によって、いくらでも時間を短縮し、ゼロにすることも出来るはずです。

「今」自分がいる「ここ」が即、四次元の神界であると自覚するならば、この瞬間に大調和世界は実現していることになります。

なんと不思議な、また楽しい世界なのでしょう。

人類の輝かしい未来を確信する者は幸せです。

その人の現在もまた、輝かしいものとなるからです。』(p54・『輝かしい未来を信じれば現在が輝く』より)

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★明るい未来を思い描くことは、無料で(笑)、誰にでも、今すぐに出来ることです。(^^;ゞ

それでいて、思い描けば、いつかはそれが実現するのですから、(^^;ゞ

「時間は、未来から現在に流れるものだ」と思い描いて、

自分と人類の未来のために、自分の想念を使えば良いのです。(*^_^*)

「世界人類が平和でありますように」なのです。(^^;ゞ

【春の絵手紙展2010】

【2538】私は、『ただ、ここの今在る者』  『果因説』は想念か?  思考を停止する(*^_^*)

2010-03-28 06:13:15 | 思索
昨日届いた白光誌4月号に『果因説の時間は、未来→現在→過去と流れる』という文章が載っていたのですが、
それは、【2537】の内容を、説明するものなのか? 「夢(想念)」自体なのか?と考えました。

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★私たちは、【パラレルワールドの旅行者たち】なのでしょうか?

考えてみますと、【パラレルワールドの旅行者たち】と思うこと自体も、「夢」だといえます。(^^;ゞ


★基本の言葉は、『宇宙における唯一の法則とは、生命』です。

私たちは、「今という一瞬」を、「生命」という形で生存している「存在」です。

この「生命現象」の私たちの、「今の思い」が、物質を考え、時間を考え、過去を考え、
場所を考え、空間を考え、三次元を考え、因果を考えて、空想している(思いを巡らせている)のです。

その空想(想念)が、「夢」なのです。

「真理」や「善」や「正義」や「神」のことを思っても、「夢」なのです。

「空想(想念)」だから、「夢」なのです。

「空想(想念)」を止めれば、「消えてゆく姿」だけが、体験として流れていきます。

「流れゆく白雲の道」(タオ)です。


★そう考えた場合、白光誌の『時間は、未来→現在→過去と流れる』という話も、
想念の「夢」だと思うのです。(^^;ゞ

そして、果因説も、「夢」だと思うのです。

けれども、この「夢(想念)」は
自分の「夢(想念)」に気付き、打ち破って、自分を開放するための論理(想念・哲学的思考)だという気もします。

「言葉」に執着しないで、『時間は、未来→現在→過去と流れる』の真意を読み取りましょう。(*^_^*)


★以上のように考えますと、私たちは、【パラレルワールドの旅行者たち】でさえなくて、

【ただ、ここのある者】ということになります。

私たちの「想念」が、過去や未来や、空間を思い描いているのです。

思考を停止すると、このことがよく判ります。

思考を停止するとは、「夢」から覚めることなのです。(*^_^*)

【2537】私たちは、パラレルワールドの旅行者たち(*^_^*)

2010-03-27 05:01:56 | 思索
【2526】の『宇宙における唯一の法則とは、生命。 物理法則など存在しない。』は、
とても良い文章(イメージ・想念)です。 再度転写します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【プロローグ】 私と同じ〈パラレルワールドの旅行者たち〉が世界中にたくさんいる!

・・・・・・千年、いや、一万年が過ぎ去ったのかもしれない。
存在の全て、全生涯が、
数時間のうちに費やされたのだ・・・・・・・。


『宇宙における唯一の法則とは、生命。 
物理法則など存在しない。

万物を調整し、調和と共存に導く符号があるだけだ。

時は存在せず、この世のまやかしでしかない。
空間でさえ、そうだ。

私たちの認識する空間は、現実ではない。

私たちが空間と解釈するものには、地点の特定が欠かせないが、
実際には、無限大である空間を限定することなど叶わない。

空間は、限りないからだ。

私たちが空間と呼んでいるものは、プラズマの渦によって生み出されたバーチャルな世界の幻想に過ぎない。

私たちが、時と呼んでいるものは、ドレープをえがく夢のベールでしかない。

時は、物質的な夢によって歪曲された概念である。

私たちは、その夢の中に浸りきり、いまだ覚醒できないでいるのだ。

いったい、いつ私たちは眠りに落ちたのだろうか?   (中略)

そして、彼らは悟ったのです。

無知と欺瞞に満ちた三次元的思考を捨て去り、異次元の存在を認めなければならないと。

だからこそ、答えを求めて、自らの魂の領域に足を踏み入れたのでした。』
…………………………………………………………………………

★私たち一人一人は、同じ客観的な世界に住んでいると思っていますが、
実は違っていて、一人一人は、自分の心の中に住んでいる。

誰ひとりとして、「自分の心」から出た人はいない!

「時間」も、「物理法則」も、実は「思い」なのであって、
私たちの「思い(想念)」は、同時に、いくつかの世界に存在している。

上のことは、そのような意味だと思うのです。(^^;ゞ

「パラレルワールドは実在するか」

【2536】「世界平和の祈り」だけで良いと思えるのは当然!(^^;ゞ

2010-03-26 05:23:57 | 思索
■おりがみさんとの議論のなかにもあったのですが、
「世界平和の祈り」だけで良いと思えるのは当然だと思うのです。

なぜなら、「世界平和の祈り」(「統一」)をしている時(終わった瞬間)には、
自分と世界がひとつになっているからです。

(考え始めると、自分と世界(外界)が、別れてしまいます)(^^;ゞ

■「統一」(瞑想)とはそういうものなのです。(^^;ゞ

自分の心が「統一」されることによって、その時、世界は完璧に整っているのです。(*^_^*)

(何に「統一」されるのかというと、『瞬間の時空』にです)(^^;ゞ

他の瞑想法についても、同じことが言えるます。

■「世界平和の祈り」だけで良いからと言って、「印を組む必要がない」ということではないのです。

印は、自分と世界(外界)を調和させて、世界を調和(平安)へと導く方法なのです。

■「世界人類が平和でありますように」という祈りには、

『すべては神(非人格神=宇宙神=空=守護霊)がしている』という意味が含まれています。

■ということは、・・・・・・・。
 「世界平和の祈り」は、神(守護霊)がしているということか!!・・・・・・・なるほど!!・・・と思いました。

神(守護霊)がすることは、二つです。

「消えてゆく姿」と「世界平和の祈り」です。
「業の現れ」と「真理(祈り)」です。

だから、「白光の教え」は、「消えてゆく姿」で「世界平和の祈り」だったのです。(^^;ゞ

人間が『業の浄化装置』だと言われるのは、こういうことだったのです。(^^;ゞ

■「自分の思い」を手放して、とにもかくにも、「統一」をしていようと思いました。(^^;ゞ

【2535】「新ピラミッド内での体験」について

2010-03-25 04:19:10 | 思索
以前のピラミッド神事は、数時間でしたが、新ピラミッド神事は2時間程です。

「光が強い」と言われていて、業が浄められていないと、「消えてゆく姿」が大きな形で出やすいので、
ピラミッドに入る前には、自分の想念(業)を浄める課題をクリアーする必要があるのです。(^^;ゞ

ピラミッド神事は、自分の守護霊と対座して、守護霊の声を聴くというものでしたが、
新ピラミッド神事は、宇宙神(無限なる進化創造)の光を浴びるという内容らしいです。(文責・知足)


講師さんは、新ピラミッドに入って、7回、霊的な波動を感じたそうで、
それによって、体の細胞が変化するのを感じたそうです。

(ピラミッド内の体験は、個人差がとてもあって、まったく違うそうです。)

それぞれが、どのような体験をしたのかをお聴きしたのですが、場の話の流れで、
内容を訊くことができませんでした。(^^;ゞ

先入観を持たないほうが良いという意味では、聴かない方が良いのかも知れません。(^^;ゞ

当日、新ピラミッドに入られたのは7名で、そのお世話は、理事の方々がされるそうです。

【2534】「愛深い自分」を顕現する

2010-03-24 05:55:38 | 思索
一昨日は、星が丘平和集会にうかがいました。

講師さんは2月16日に、新ピラミッドに入られたので、その話と、
3月14日の富士聖地での講師練成会での出来事などについて聴きました。

【2531】に、『この頃また、「ライトボディー」になってきた気がします』と書いたのですが、(^^;ゞ

その原因は、聖地での講師練成会で、頭上のチャクラが開かれて、光(?)が入り
体の細胞が変化(?)したことと関係があるようです。(^^;ゞ

富士聖地で行なわれたことが、私にも飛び火している感じがするのです。(^^;ゞ

来年は、昌美氏が宇宙子科学の研究をされるために、富士聖地での活動が減るので、
今年は、「富士聖地での行事」が目白押しなのだそうです。

それらの行事によって、準備の整った者から順に、「神(神を顕現する存在)」になっていくのです。(*^_^*)

大切なことは、「自分(エゴの自分)」を明け渡して、「神」を顕すことに躊躇しないことです。(*^_^*)
(自分に言いきかせるつもりで、書いてます)(^^;ゞ

自分のなかの「神のイメージ」に執着しないで、
臨機応変に、「消えてゆく姿」に執着しないで、「神(愛深い自分)」を顕現してゆくようにすれば良いのです。
(自分に言いきかせるつもりで、書いてます)(^^;ゞ

【2533】『欲しいものは、何もない』という言葉(心境)に、執着しない!!

2010-03-23 05:26:37 | 思索
『欲しいものは、何もない』という言葉(心境)に執着しないことも大切です。

私が『欲しいものは、何もない』と言ったとしても、

私は、いつでもその気持ち(心境)ではないのです。(^^;ゞ

「世界平和の祈り」をしていたら、そういう心境になったという話なのです。(^^;ゞ

そして、「世界平和の祈り」をすると、そういう心境になるという事実が大切です。

【2532】『欲しいものは、何もない』は、究極の心境(^。^?

2010-03-22 07:14:02 | 思索
先日、「世界平和の祈り」をくり返えしていましたら、
『欲しいものは、何もない』(笑)という言葉が、浮かんできました。(^^;ゞ

これは、究極の心境(笑)なのかも知れません。(^^;ゞ

『欲しいものは、何もない』と思って、自分に把らわれないで、何かをする、相手を活かす。
他人を活かす。他人を助けるということが、自分を活かす道なのです。(^^;ゞ

(昨日は、絵手紙サークルのみなさんの作品を活かした飾りつけが出来ました。)

★瞑想(統一)をして心が充足し「平安」を得たので、そのような気持ち(心境)になったのです。(^^;ゞ

先日たまたま、1991年1月27日の「鹿児島特別統一会」での昌美氏の法話テープを聴いていましたら、
「他人にすること、思うことは、自分にすること、思うこと!」という話でして、上に書いたことと関連します。

『欲しいものは、何もない』は、食べ物についても言えることです。

「好み」に把らわれなければ、ちょっとした空腹感を満たせれば良いのですから、
なんでも良いのです。(^^;ゞ

私が最近考えた、手間が掛からない食べ物の一つは、
大根をスライサーで薄く切った後に細く切り(キャベツでも可)、

それを水にさらしてからザルにあけて水気をきってボールに入れ、
小麦粉と水と卵を入れて塩胡椒をし、好みで、ソースやケチャップ、醤油などをなんでも入れて混ぜ、
フライパンで焼く(薄くて小さいサイズで)というお好み焼き風の食べ物です。(^^;ゞ

大根を使うと餅のようになって(大根餅)、美味しいです。

好みで、マヨネーズやソースやケチャップなどをかけて食べます。

残った食料があれば、なんでも細かく切ってその中に入れて作り、冷凍できます。

私(人間)は、「空腹」に嫌悪感があるので、それを認めて、対策をとったあとで(冷凍保存)、
安心して、「不食」や「微食」をするのが良いようです。(^^;ゞ

【2531】『精神的な利益』をモノサシにして、自分の行為の「事業仕分け」をする(*^_^*)

2010-03-21 03:46:12 | 思索
自分のやっていることの「事業仕分け」ができたら、良いと思うのです。

自分は今、これをやっているが、それはいったい、究極的に、何のためになるのか!?
最終的に、自分にどのような『精神的な利益』をもたらすのか!?

それは物質的な利益なのか? それとも、精神的な利益なのか? と考えてみるのです。(^^;ゞ

そうやって、厳密に、自分の行為の結果を洞察してみますと、

どうでも良いことに、血まなこ(笑)になっていたり、

目の前の小さな利益に、目が奪われて、踊らされていたりすることがよくあります。(^^;ゞ

★たとえば、「食べること」ですと、

目の前の食べ物を食べることが、自分に「精神的な利益」をもたらすのか?という事業仕分けをするのです。(^^;ゞ

ちょっと、過激な言い方(笑)で恐縮ですが、
そして、このブラックユーモアが、あんがい「人間の真実の姿」でもあると思うのですが、(^^;ゞ

食べたものは、最後には、脱糞される(笑)ですから、「快楽」と「栄養」を外せば、
脱糞するために、食べていることになります。(^^;ゞ

★なんか、この頃また、「世界平和の祈り」が原因(笑)で、「ライトボディー」になってきた気がします。(^^;ゞ
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■今日は、3月23日から26日までの【春の絵手紙展】(松原市役所ロビー)の飾りつけの日です。

昨日は、みんなで、その下準備をしたのですが、とても楽しかったです。(*^_^*)


【2530】私と「世界平和の祈り」の変な関係(^^;ゞ  

2010-03-20 05:37:02 | 思索
普通の日常生活をしている人と比較すると、(本当は、比較する必要はないのですが)(^^;ゞ
私は、ちょっと異常なのかも知れません。(^^;ゞ

一日に、10時間ほども「世界平和の祈り」をして、
自分の本心を磨き、聴く講師の方もいたので、
そういう方もおられるという前提で聞いてください。(^^;ゞ

そういえば、一日一食と公言されていた本部職員の方もおられましたね。

私も、だいたい、そのような生活なのです。(^^;ゞ

夜、寝るのは、10時から11時の間です。
寝る前には、15分の「世界平和の祈り」をします。

朝は、目が覚めたら起きます。午前3時から午前4時半の間ぐらいです。
洗顔をして、このプログの記事を書いてから、「印」、「光明思想徹底行」、「地球世界感謝行」をし、
「世界平和の祈り」を1時間ぐらいはするのですが、それがとても気持ちが良いのです。(^^;ゞ

店でも、配達の途中でも、できるだで「世界平和の祈り」をくり返しています。
「世界平和の祈り」をしている間は、思考が止まっています。(^^;ゞ

「世界平和の祈り」をしながら、状況に対応してゆくという生き方です。

★「世界平和の祈り」を徹底的に(笑)すれば、
誰でもが、このような「すこやかな生活」が送れる可能性があると思うのです。(^^;ゞ

このプログを読まれている方に、
「世界平和の祈り」を中心に据えた生活を強要する(笑)つもりはないのですが、
機会がありましたら、やってみてください。(*^_^*)

「統一」(「世界平和の祈り」)のCDは、白光真宏会のサイトで購入できます。

【2529】自分本来の神の姿に立ちかえる。 肉身から霊身へと変身を遂げてゆく。

2010-03-19 04:02:22 | 思索
以下は、白光誌2月号の『ピラミッド神事』という詩の一部です。
これを読んだだけで、昌美氏の波動が伝わってきて、意識が広がり悟れそうです。(^^;ゞ
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『ピラミッド神事』

全身全霊を込めて祈りきる

その瞬間、
過去が消え 想念が消え 自我が落とされる

全き純粋無垢 汚れなき

自分本来の神の姿に立ちかえる

この祈れし自分 このいとおしき自分 この尊い自分

宇宙神の究極の呼吸を全く一つに解けあってゆく自分

肉身から霊身へと変身を遂げてゆく自分

この素晴らしき稀有なる一瞬を体現できる自分

この時、自らの内より響いてくる 真理の声な声

私は私であって、私ではない

私は肉体であって、肉体ではない

私は心であって、心ではない

私は意識であって、意識ではない

私は魂であって、魂ではない

そう、本来の私は、
光なのだ、真理なのだ、永遠の生命なのだ

即ち「我即神也」なのだ

ついに、真理の真髄「自らが変わればすべてが変わる」を体現し

自らが自らに課していた自己限定を解き放ち

初めから、すべては完成への道を貫いていたことに目覚め

歓喜し涙するのであった

ピラミッドを出た瞬間

ピラミッド神事の偉大さに改めて驚き
恐れ入り 心より感謝し

ピラミッドを後にするのである

我即神也

人類即神也 
                    (前半・略)

【2528】やり遂げて、自由を得た感じがし、今後起こることの準備が整う!

2010-03-18 02:23:45 | 思索
お母さんが亡くなった店の従業員の女性が3日間休んだので、
その間、家内と一緒に店に行き、煮炊きをして商品を作り、弁当の配達などをして、
無事に、3日間を乗り切りました。(^^;ゞ

ある程度はできると思っていたのですが、味加減などは相談しました。

家内に手伝ってもらったといっても、配達をしてもらった程度で、ほとんどすべては、私がしました。

問題は、お昼前後に一時的にお客さんが集中したときに、どうさばくのかが、問題なだけなのです。(^^;ゞ


★そういう3日間を終えて、「依存していた感じ」から、抜け出せたので、自由を得た感じがします。(^^;ゞ

ひとりで、店を切り盛りできたので、将来、なにが起きても、自分ひとりでもやっていける自信が着きました。(^^;ゞ

★そして上のことは、『これから起こることの準備が整った』という気が、とてもするのです。(^^;ゞ
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(追記)
いままで、従業員さんに「おかずを炊いてもらっている。作ってもらっている」という依存の気持ちがあったのですが、
自分で作って、売ることが出来たので、自信が着きました。(*^_^*)

「ひとりでも、店を続けていけることが出来る」と判ったのは、
私の精神の自立にとって、とても大きなことなのです。(^^;ゞ

【2527】私たちは、いたる所に存在し、過去にも未来にも生きています

2010-03-17 01:14:42 | 思索
以下も、『クラリオン星人は、知っていた』からの転記です。
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『私たちは、いたる所に存在し、過去にも未来にも生きています。

この世界のみならず、異次元の世界だって、そうです。

・・・・現在や過去、未来をも含めてです。

私たちは、ずべての場所にいて、あらゆる姿をしています。
私たちはただ、そのことを認識していないだけです。

自意識(エゴ)が影のように寄り添い、私たちの目をくらませているからです。

夢でたどり着ける場所もあります。

夢でのビジョンや暗示によって、「既に訪れた未来」が見渡せるわけです。

また、私たちの不在を嘆き、帰還を待ち望む場所だってあります』(p310)

【真の叡智は、パラレルワールドに⑧】より