『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1108】隠された「保険証書」事件(^^;ゞ

2007-08-31 21:34:47 | 思索
生活費が足りないので、郵便局の簡易保険で借りようと思って、
保険証書を探したのですが、見つからないのです。(^^;ゞ
これがないと、来月の生活費が渡せません。(^^;ゞ

結果的には出てきたのですが、探している間は、
「お金がなければ、参加しなくてもいいよ」という守護霊さんの意図かな(笑)と思っていました。(^^;ゞ

★この「隠された証書」事件で、私は色々なことを考えることができました。(*^_^*)

まずは、「私の守護霊の意図」と、「白光の行事」は、どちらの比重(?)が重いのかということです。
同じ比重であり、常に同じ意志なのでしょうか(^。^?

私の守護霊さんは、私を地球黎明祭に参加させようとしているのでしょうか?
そんな疑問がありました。(^^;ゞ

「売上げ(結果)」は神様(守護霊さん)の仕事なのですから、
参加できるように、金銭を与えてもらわなければ行けません。(^^;ゞ

私の未熟な予知能力(笑)では、何か用事が出来て、物理的に行けなくなると思っていたのですが、
案の定、京都まで娘と孫を車で送っていく用事が出来ました。(^^;ゞ

【1107】「売れない」というカルマがあった(^^;ゞ

2007-08-30 21:38:11 | 思索
私の今年の「新年の指針」は、
『あなたの日頃の「世界平和の祈り」は、天に届き、溢れるばかりの徳となって、
今年から、あなたのもとに帰ってくる筈である』でした。(^^;ゞ

そういう事情(笑)もあって、(^^;ゞ
「これだけ祈っているのに、なぜ毎日、ドンドンと売れないのか!」と思っている私でした。(^^;ゞ
時々「恐ろしいほど売れる日」があるのですが、売れない日が続くと嫌になってくるのです。(^^;ゞ

そのときにふっと思ったのは、『アリス』には、「売れない日が続く」というカルマがあるということです。
そして、「売れない日というカルマ」があると気付いた瞬間、「受け入れるより仕方がない」(笑)と思ったのです。

商売をしているのだから、売れない日があるのは、しかたがないこと、当たり前のことだったのです。
商売とはそういうものなのに、「お金が足りない」と騒いでいる自分は「大人気ない」と思いました。(^^;ゞ

私は、「アリスは、売れて当たり前!」という思いに把われていたのです。
“ドンドン売れる”というイメージしかなかったのです。

これだけ一生懸命にやっても、「アリス」の収入で生活できないのだとしたら、
次の新しい仕事を探すチャンスかも知れないとも思えてきました。

そう考えていたら、次の日には、そこそこ売れたのですが、
ただこの調子では、金銭的に9月の地球黎明祭には参加できないかも知れません。(^^;ゞ
車の保険料も払わなければならないのです。(^^;ゞ

ただこれも、ここまで書いてわかったことですが、
私には、「行事に参加すべきだ」という思い込みがあったようです。

「把われのない、大調和的世界観」(笑)に立てば、
行事には、行ってもよし、行かなくてよしというのが、「中立的」だと思うのです。

守護霊さんは、金銭(売上げ)を減らす(封じる)ことによって、
私の「行事への把われ」を指摘してくれたのかも知れません。(^^;ゞ

【1106】私たちは、何が起きてもOK(^。^?

2007-08-29 21:43:32 | 思索
いままで探索してきた「白光の教え」が、簡単な言葉になって浮かんできました。(^^;ゞ

①私たちには、何が起きてもOK。すべては、「消えてゆく姿」。
②「世界平和の祈り」をしていれば、小さく消されるから、大事(おおごと)にはならない。
③我即神也とは、守護霊と相談して、何でもできるということ。

★上の文章を書いたのは、1週間ぐらい前でした。そのときは、結構、納得して書いたのですが、
 実際に、「お金が足りない」などの「不都合な消えてゆく姿」(笑)が生じてきますと、
右往左往してしまう私です。(^^;ゞ

夏のこの時期は、売り上げも営業日数も減るので、毎日、そこそこは売れているのですが、
2世帯分の生活費を工面しなければならず大変なのです。(^^;ゞ

 それで「統一」をして、守護霊(本当の自分)に訊いてみますと、
 「損も得もしていない」という答えが、返ってきました。(*^_^*)

 これはつまり、私は貯金を取り崩して、お金の工面をしているので、
 「自分が損をしている気持ち」になっていますが、
 お金を使う人は、必要があって、必要な分を使っているのですから、「私の損」ではないという意味なのです。
「必要なお金が使われている」のですから、問題はないのです。私が、憂えることではないのです。
(といって、「工面しなくてもよい」ということではありませんが。(^^;ゞ)

私は、「生活費を工面できない自分の面子(めんつ)」に、こだわりがあったのです。
足らなければ、足らないと言えばよいのです。(^^;ゞ

自分だけが苦労をしていると思うから、苦しいのであって、
実際には、必要ものを必要な人のところに届けているだけなのです。(^^;ゞ

そして、最終的に気付いたことは、
「金銭」に把われている自分は、モノや金といった物質からの自立ができていないということです。(^^;ゞ

【1105】人類を目覚めさせる、個人の「偉大さ」(^^;ゞ

2007-08-28 21:57:04 | 経験
【1104】が本当だとすると、私たち会員は「大変に偉大なこと」(笑)をしていることになります。(^^;ゞ

昌美氏もよく、維持会員に対して、
「あなたたちは、自分では気付かないけれども、とても偉大なことをしているのよ。
もっと、誇りを持っていいのよ(笑)」と言われるのですが、
霊的にみると、私たち会員が富士聖地で行う、「世界平和の祈り」を中心にした行事は、
地球と人類の業を浄めているようです。(^^;ゞ

一人一人の力は小さいですが、数千人が集まれば、相乗作用で「祈りのエネルギー」が増幅されるそうです。

個人の「祈り」としては、微弱であっても、結集されたときに、
「人類全体の意識」をも変える力になるのであり、そういう意味で「偉大」(笑)なのです。

21世紀の今は、一人の偉大な聖人が出現することによって、人類全体が救済される状況ではないのです。

21世紀の人類は、一人一人が目覚めることによって、個人も人類全体も救済される時代なのです。

【1104】「世界平和の祈り」の効果 (^。^?

2007-08-27 21:44:49 | 経験
那覇空港での、旅客機の炎上事故の影像をテレビで見て驚きました。
全員が非難し終えた1分後の爆発炎上であり、パイロットの人は、
爆発とほぼ同時に操縦室の窓から脱出している影像が映っていました。

その時に、思い出したのは、昌美氏の
『私たちの「祈り」には、世界中で起こる事故や災難を、小さくする力がある。
大難を小難にしていている』という言葉です。(^^;ゞ

このように書きますと、傲慢に聞えるかも知れませんが、
新潟県中越沖地震での死者が、地震の規模を考えると少ないことなどを考えますと、
「祈りのエネルギー」が、大難を小難にしていているかも知れません。(^^;ゞ

実際、災害を受けた方々が、その苦難の中から真理を学ばなければ、
「災難に遭遇した意味」がないことになる。

だから、災難に遭われた方々は、生き続けることによって、
真理に気付くことができ、自分の霊性を磨けるのだと思うのです。


それにしても、「祈りのエネルギー」によって、「他人」の災難が小さく消されるのだとしたら、
すごいことだと思うのです。

【1088】の『「嫉妬」は、人の幸福を認めない感情』のなかの、
『「ああ、よかったじゃないか」と心から感じる。』が実感できました。(^^;ゞ

何事も、「不幸中の幸い」だと思えたらいいですね。(*^_^*)


「7月行事」では、このような大きな災害が、最小限になるように、
維持会員が参加して、「印」を組み、祈っているのです。

【1103】「印による世界各国の平和の祈り」で、生きる

2007-08-26 00:46:29 | 思索
私的には(笑)、「印による世界各国の平和の祈り」を22分間して、人類印を組みますと、
心身ともにリラックスして恍惚感(笑)があり、時間の止まりかけているその心理状態が、
ほぼ一日続くので、これからは、この方法を中心にして、生きていこうと思っています。(^^;ゞ

そして、この心理状態だと、心が落ち着いて、丹田に意識が集中するので、
以前に書いた「むなしさ」が起きないという利点もあるのです。

考えてみますと、4年まえに初めて、F市の「印による世界各国の平和の祈り集会」に参加したときにも、
この心理状態を、強烈に経験しましたので、はじめから道は示されていたのでした。(*^_^*)

「印による世界各国の平和の祈り」は、強制的に「業の思いをとめる」のだと思うのです。

【1102】その時、その時の「いま」を、注意深く生きる

2007-08-25 23:58:37 | 思索
「世界平和の祈り」をしたり、印を組むと、実際に心が落ち着いて
過去や未来への思い煩いが減り、「こだわり」や「把われ」が消える気がするのです。(^^;ゞ

そして、「『その時、その時のいま』を、注意深く生きればいいのだ」という気持ちになります。

個人のアセンション(次元上昇)とは、一人一人がそのような心境になることだと思うのです。
つまり、一人一人の「内なる時間」が止まって、「いま」への集中が起こり、
自分の感情想念から自由になることが、「自分の意識の次元上昇」だと思うのです。

そして、それは「すべての調和を思う心」であり、その思いをもつ存在が、「神人」だと思うのです。

ですから、ちょっと、傲慢な言い方で恐縮なのですが、(^^;ゞ
個人のレベルの話としては、地球のアセンション(次元上昇・四次元化)によって、
地球が物理的に滅びても、滅ばなくてもどちらでも良いとは思うのです。(^^;ゞ

私自身は、自分の魂の「内なる時間」をとめて、一瞬一瞬に起きていることを、
見聞する以外に道はないのだと思うのです。

「世界平和の祈り」という仕事をするだけなのです。(^^;ゞ

【1101】我即神也の『即』とは、(^。^?

2007-08-24 22:00:56 | 思索
吉川氏のお話によりますと、
我即神也の『即』とは、どういう意味なのかといいますと、
過去のことは、すべて「消えてゆく姿」なのだから、
我即神也の『即』とは、印を組んだその瞬間の思いで、
未来を創造してゆくことができるという意味なのだそうです。

これに続けて、私の体験をもとに考えたのは、
我即神也の印を組んだその時には、一瞬にして即、
「神なる思い」が降りているということなのです。
つまり、印を組んでいるときには、実際に「我即神也」になっているのです。

これは、「呼吸法の印」の場合にも当てはまりまして、
「呼吸」を意識していると、自分の思いが浮かびませんから、
「無我(我を滅する)」になれて、神(全体・調和)からの直感が降りてくるのだと思うのです。

私が、印を組むたびに経験することは、
自分の過去の思い出に関して、
「ああ、あれはプロセスだったのだな」という思いが、湧くことです。
これは、過去の自分を発見していることだと思うのです。

「世界平和の祈り」や印を組んでいると、思い当たることや気付くことが沢山出てきます。

過去の、いろいろな自分の行動の意味を発見できるのは、とても楽しいことです。
そして、明るい未来を想像するもの、楽しいことです。(*^_^*)

「印」を組むと、無分別智が降りてくるので、
自分の苦痛や怒りや悲しみや把われの意味が分かるのです。

そして、「そういうことだったのか」という納得(理解)に至るのです。
印を組むと、この「そういうことだったのか」が、いつでもやってくるのです。

これは、「呼吸法の唱名」の「必ずよくなる」の効用と同じだと思いました。

話がそれましたが、「印」を組みますと、即、瞬時にして、
神(全体)の目から見たときの自分自身の姿をイメージできるのだと思うのです。(^^;ゞ

【1100】「一瞬」という時間は、存在するのか?

2007-08-23 22:06:55 | 思索
【1099】に書いた『「一瞬」という時間は、何を意味するのか?』という問いは、
成り立たないと思うのです。何も意味しないと思うのです。(^^;ゞ

というのは、「一瞬」とは、過去や未来という「経過する時間」ではなくて、名づけようのない「瞬間」のことだからです。
「一瞬」とは、起こったその時のことなのです。

10万人の「神人」が成就した。その時に、地球は、時間、空間を越えて癒され、
「美しい地球へと蘇る」ということなのです。

つまり、そのような方向にシフトするということなのです。(*^_^*)

それはちょうど、
ガンを患って、「いのちの大切さ」がわかるように、
汚染された地球を経験して、「調和の大切さ」を知ることなのです。

 10万人の「神人」が誕生すると、加速度的に「調和した社会」に移行するのです。

SOPPによって、すべては整い準備されたので、安心してよいのですが、
現段階の環境汚染の状況を考えると、2012年のタイムリミットは、
ぎりぎりの状況(笑)なのかも知れません。(^^;ゞ

★このことについてなど、なにかご意見がありましたら、お寄せください。

【1099】「10万人の神人」が誕生すると、どうなるのか?

2007-08-22 21:54:17 | 思索
「10万人の神人」が、今生に誕生すると、どうなるのでしょうか?」という質問に対して、
昌美氏が答えられた文章があるそうです。それによりますと、

★ 「地球は、時間、空間を越えて、一瞬の間に癒される。
 そして、地球は破壊から救われ、また美しい姿へと蘇る」のだそうです。(文責・知足)

ただ、この「一瞬の間」という、言葉の意味と時間の概念が難解でして、
実際にどのようなことが起きるのかを、言い表すのは難しいのです。(^^;ゞ

 禅の「いま・ここ」の意味する『時間』とか、
「我即神也」の「即」は、どのような『時間』なのかを問うことに通じる難解さがあります。(^^;ゞ

そしてそれは、「言葉」だけで、答えられるものではないし、
「言葉」で正解が理解できても、真に理解したことにはならないのです。

『「一瞬」という時間は、何を意味するのか?』という問いは、
「『時間』は概念でない」という真理を踏まえて議論をしないと、
答えがでないように思うのです。(^^;ゞ
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原文は、
「10万人の神人が、今生に誕生したとき、地球は、時間、空間を越えて、一瞬の間に癒されるのである。
破壊から救われ、また美しい地球へと蘇るのである。真実はかくも在りなん。」だと思います。

【1098】10万人の「神人」は、もうすでに準備されている(^。^?

2007-08-21 21:45:18 | 思索
『超シャンバラ 空洞地球/光の地底都市テロスからのメッセージ』という本を検索していましたら、
以下のような投稿文を見つけました。参考になりそうなので載せます。

★空洞地球(シャンバラ)内の人類からのメッセージでは、
 アセンション後の地球はまさに『ヒマラヤ聖者の生活探求』で語られている大師達の生活そのものです。 
 必要な物は無限に与えられ良い思いは即座に現実化する。我々は2012年までに 、
 このまま三次元に留まるか、五次元へ地球と共にアセンションするかを選択しなければならないようです。
 船井幸雄さんも 「『みろくの世』は、ここに書いてある」とおしゃっていました。 
 長い間その存在を隠されていた空洞地球の都市テロスの住民は、既に沢山地上を訪れているようです。
                           (投稿日:2007年1月26日20:07:45)
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19日に大阪支部で、白光職員の吉川譲さんの講話を聴きました。
私は、「10万人の神人」の成就は難事業だというイメージを持っていたのですが、(^^;ゞ
今年のSOPPの後、富士聖地を見学に来られる方が増え、
聖地の雰囲気が気に入って、その場で入会されることもあるそうです。

そのほかにも、アセンション(次元上昇)への準備が整い、
場(状況)が、変化してきたと思えることが多々あるそうです。

大阪支部への問い合わせも増えたそうで、
今まで、精神世界にまったく興味が無かったような人たちも、
「祈り」に興味を持ち始めているそうです。

 「10万人の神人」が成就する土壌は、SOPPの成功によって出来上がったので、
 「10万人の神人」が誕生するのは、時間の問題であり、当然の結果なのです。(^^;ゞ
 あとは、縁のある方々を、順番にお誘いするだけなのです。

傲慢な意味ではなくて、 客観的事実として、いよいよ、
「白光の会員さん」が、人類を導くリーダーになる時が来たのです。(^^;ゞ

2012年の地球のアセンション(次元上昇)に向けて、
「世界平和の祈り」と「呼吸法の印」という方法が提示され、
それによって、人類の意識が、救済される時が来たのです。(*^_^*)

【1097】私の使命と任務は、何か(^。^?

2007-08-20 21:59:29 | 思索
【1096】で紹介した『地下シャンバラの世界』によりますと、《地底王国人の使命・任務》は、

 ★地表面に達するアセンションの波<宇宙のクリエイティブフォース(創造力):全生命を高次の意識へ導く、
エネルギーの大きな波が間近に迫っているという吉報を地上人類に知らせること。

 ★自分たちの仲間である同胞たちを目覚めさせ、彼らを光へと導く情報をもたらすこと。

 ★あなた方の波動をより高いオクターブへと劇的に移し、<統合意識>へともたらし、私たちはあなた方と合流すること。
 
★コンピューターのスクリーン上で地球全体、個人を監視。重要なメッセージを知らせる。
  ⇒ あなた方は皆、インナーアースの存在たちと同じ霊的な潜在能力を持っている。

 ★地上の精神的向上を願い、進化したいと思う人を霊的に援助している。

 ★地上と地下の地球文明を再統合すること。

★90%準備は完了。あとは地上の人類の一定数以上の人が目覚め臨界点に達するかで時期が決まる。

■以上のようなことは「10万人の神人」を造ることによって成就すると思われます。(*^_^*)
もし私が、本当にサナート・クメラの霊的な末裔であり、上のような使命があるとしたなら、
 『本気』で立ち向かう必要がありそうです。(*^_^*)

シャンバラと鞍馬

【1096】私は、サナート・クメラの末裔(^。^?

2007-08-19 18:56:03 | 思索
【1093】で紹介したサイトに書かれている『地下シャンバラの世界』を読んだのですが、
白光会員を選んだ私は、【650万年前に金星からサナート・クメラが飛来し、シャンバラの王として地球を守護する一員】のようです。(^^;ゞ
 
そして、【6万年前、理想の地底王国シャンバラを築き、約2万5千年前のレムリアの壊滅から現在まで地上世界を監視・活動中】なのだそうです。そして、地底王国(アガルタ)は、地球の内部にある「霊的な存在」だそうです。
《地底王国(アガルタ)の歴史》より

それで「神人」の候補者を探すというのは、サナート・クメラの末裔の私たちが、人類を浄めてゆく方法のようです。

私はほんとうに、金星から飛来したサナート・クメラの霊的な末裔であり、
『地下シャンバラの世界』に関係する者なのでしょうか?

私の弟は、手渡した「統一CD」で、「世界平和の祈り」をしたそうです。
いずれは、「神人養成プロジェクト」のことも話そうと思っています。

2012年までに、隠されている10万人の「神人」に、「神人養成プロジェクト」を伝えことが、
サナート・クメラの霊的な末裔の天命のようです。

昨日も、よく買い物に来られるお客さんが、店先に置いてある『我即神也』を手にしておられたので、
「答えは、自分が知っている」という話などをしました。 そういう時代になったのですね。
10年前には、考えられないことです。(^^;ゞ

「地下シャンバラの世界」

【1095】私は、どこまで『本気』か?

2007-08-18 22:04:06 | 思索
以前に、『クローズアップ現代』(NHK)で、児童向けに書かれた『バッテリー』(あさのあつこ著)が、
取り上げられていました。著者の予想に反して、読者の多くが20代や30代の女性であり、
『自分の本気に向き合う』というテーマに共感して、たくさんのファンレターが寄せられたそうです。

昌美氏の著書の中に、『いじめに対して、自分の力を信じて、死ぬつもりで、本気で立ち向かえば、かならず解決できる』と
書かれていたことを思い出したのですが、
自分は、どのくらいの『本気』で、物事に対峙しているだろうかと考えました。(^^;ゞ
たとえば、「白光の教え」に対して、私はどれほど『本気』なのでしょうか(^。^?

かなり「本気」だとは思うのですが、富士聖地の行事に、毎月は参加してはいないので、
「熱心」ではないのかも知れません。(^^;ゞ

考えてみますと、ヤマギシ会に参画したときは、かなり『本気』でした。(^^;ゞ
「これ(ヤマギシズムと実顕地)で、やっていくのだ」という決心がありました。(^^;ゞ

もう一度書きますと、(^^;ゞ
今の自分は、「白光の教え」については、かなり『本気』になって実践しているつもりですが、(^^;ゞ
富士聖地の行事については、私の理解を超えている部分があって、
参加するためには、「信じるという意志」が必要です。(^^;ゞ

「これで、やっていくのだ」と、飛び込めない部分があります。(^^;ゞ

先日の『視点・論点』(NHK)で、大澤真幸氏が、
現代の日本の若者のナショナリズムは、プチナショナリズムであって、本気ではなくて趣味の域を出ない。
これは、現代の日本人の宗教(信仰)にも当てはまると語っておられました。

大澤氏によれば、
【趣味としての信仰というのは、信じていないということではないでしょうか。
何かを信仰するということは、それを真理と見なすことだからです。

しかし、真理への信仰は、多文化主義の観点からは許容できません。
真理は、本来唯一のものであり、他のアイデアを排除するからです。

多文化主義が許容できるのは、だから趣味としての信仰です。
もう少していねいに言えば、「本気になって信じてはいけないが、
信じているふりをすることならかまわない」ということです。』なのだそうです。

私はどこまで『本気』で、人生(自分)に立ち向かおうとしているのでしょうか?
『決意』が必要のようです。(^^;ゞ

シリーズ戦後 『若者のナショナリズム』(視点・論点)

【1094】宇宙神と信仰心

2007-08-17 22:19:06 | 思索
【1084】で取上げた「庶民(?)の信仰心や宗教心」について、もうすこし深く考えてみたいと思います。
日本人にとっての信仰心は、一般的には「先祖を敬う気持ち」だと思うのです。

先日も『生中継・京都五山送り火』(NHK)という番組を見たのですが、
62年まえに戦死したご主人の御霊が、お盆に帰ってくることを信じて、
三日分の供養の食事を作って仏壇に供え、ご主人との語らいのときを持ち、
遺された家族の平安を祈っている女性(82歳)が紹介されていました。
日本人の生死観に触れた気がしました。

でも、霊的真理からみると、どうなのでしょうか(^。^?
千の風になって、世界中を吹き渡っているのかも知れませんね。(^^;ゞ

私の家には仏壇がないので、私には、このような信仰感が、正直いってあまりないのです。(^^;ゞ
葬儀のあと、お坊さんに、満中陰志や月命日や新盆の迎え方などを訊き、
それを日常のなかで実行しているうちに、自然と亡き人(先祖)を敬うようになったと思うのです。

こういう環境は良いことで、 自分の良心と対話をすることが出来ると思うのです。

「仏壇のある環境」でなかったことが、原因ではないのしょうが、
自分を振り返ってみると、私はつくづく「ワガママな性格」だと思うのです。

亡くなった父親や先祖を敬うことよりは、
「自分が救われること」を、求めていたようです。(^^;ゞ

西洋占星術の先生が言われるには、私は母親との絆が強いそうなので、
母が移行したときには、かなり取り乱すかも知れません。(^^;ゞ

話がそれました。「私は、何を敬っているのか?」と考えたのですが、
それは、「自分を存在させている力」です。

仏教では、存在させている力を「空」というのですが、白光では、「宇宙神」といいます。

白光でいう「宇宙神」は人格神だそうで、人格神だからこそ、昌美氏は交流(交信)できるのですが、
そして、「宇宙神に」繋がる存在として、守護神や守護霊がいて、私たちを守ってくれているというのが、
「白光の教え」です。

守護神や守護霊からのメッセージは、「統一」をしたり、印を組んでいるときに受け取り易いです。
江原さんは、日本に「守護神の存在を知らすためのメッセンジャー」です。

そして、「人格神」といっても、「一神教的な神」ではないので、「裁きの神」ではありません。
「良心に訴えかけてくる愛の存在」です。 「内面の声」です。(^^;ゞ

そして、「宇宙神」のメッセージは、いつも、「すべてが、調和しますように」・「世界人類が平和でありますように」なのです。