『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1286】『愛せよ 自分を愛し、人を愛せよ』

2008-01-31 05:18:03 | 思索
先日いただいた「新年の指針」です。
いつもは、家内の分もいただくのですが、毎年渡しそびれてしまうので、
今年は、祈りを込めて1枚いただきました。

そして、開けてみますと、私が今年のテーマにしようと思っていたことが、
「ズバリと書いてあった」ので、笑えてしまいました。(^^;ゞ

ハラダさんに「きびしい内容ですね」(笑)と言われてしまいましたが、
ことしは、この『愛せよ 自分を愛し、人を愛せよ』に、意識を集中したいと思います。(^^;ゞ

もちろん、「人」とは、「すべての人」という意味ですが、
具体的には、『目の前にいる人に対して、誠をつくし、愛情深く接する!』(笑)ということです。

「資本主義社会での人間観」では、人と人は対立しがちですが、
共に愛し合い、支えあう関係の人間社会が、アセンション(次元上昇)後の社会なので、
それに乗り遅れないような自分を造りましょう。(*^_^*)

「自分を愛し」という言葉が、「人を愛せよ」のまえに書かれているように、
まず、『自分自身を、力一杯に愛する』ことからはじめましょう。(*^_^*)

【1285】『世界平和の祈り新聞』の配布活動について

2008-01-30 22:02:04 | 思索
10万人の神人を成就するために、今年から、
『世界平和の祈り新聞』の配布活動を促進するのだそうです。

私も近所に配ろうと思って、少したくさんもらって帰ったのですが、
昨年のビラ配り(6000枚)のときに、一緒に配ればよかったかもしれないと、
多少悔やみました。(^^;ゞ

私のした「アリスのビラ配り」と、「祈り新聞」の配布には、
なにか関係(守護霊さんの意図)があるのでしょうか(^^;ゞ

ビラ配りの経験を生かして、『世界平和の祈り新聞』を、再度配りなさいという、
守護霊さんからのメッセージなのかも知れません。

要領を得ているので、朝の開いた時間や休日を利用すれば、かなりの量が配れます。

それに、今回は、「商圏」を気にする必要がないので、思う存分に配れるというメリットつきです。(^^;ゞ

ただ、『アリスのチラシ』にも、「世界人類が平和でありますように!」という言葉と、
『知足日記』の案内がありますので、チラシを手にした人の守護霊さんがその気になって、
パソコンでアクセスしてもらえれば、「白光の教え」にたどりつけます。

ですから、パソコンを持っていて、「神人になるべき人」には、
メッセージが伝わっているとも思うのです。(^^;ゞ

実際に、昨年の暮れから、『知足日記』へのアクセス数が多少増えているので、
効果があったのかも知れません。(^^;ゞ

お店にくるお客さん全員に、「祈り新聞」を渡すことも、物理的には可能(笑)なのですが、
それには、多少勇気がいります。(^^;ゞ

「変な店」とは、思われたくないのかも知れません。(^^;ゞ
いったい、「神人の候補さん」は、どこにいるのでしょうか(^。^?

それと、『祈り新聞』が、神人発掘のためのものだとすると、
その他の人たちにとっては、『祈り新聞』はあまり必要がないものなのでしょうか?

このあたりのことは、どのように考えればよいのか(^。^?

10万人の神人の発掘が、急務ならば、全国一斉に、
『祈り新聞』を、新聞のオリコミに入れることも出来ると思うのです。(^^;ゞ

「人類が滅びるか否かの瀬戸際」なのですから、あらゆる手立てが必要なのかもしません。
「悠長なことを言っている暇」はないのです。(*^_^*)
…………………………………………………………………………
新聞を配るのは、「神人」を発掘するためならば、
「ターゲットを決めて、配ること」も良いと思うのです。
なんとなく、この辺に居そうだ(笑)という感じが、少しあります。(^^;ゞ

【1284】人類の意識を目覚めさせるために印を組む維持会員

2008-01-29 05:12:52 | 思索
ことしに入ってから、【1283】まで、色々と書いてきたのですが、
厳密に考えると『何が、人生なのか?』がわからなくなってきました。(^^;ゞ

というか、「人生とは、なにか?」の「哲学的、論理的な答えはない」と思うのです。

「人生とは、なにか?」とは、つまり、「行動とは、なにか?」なのですが、(^^;ゞ
人は、なんのために行動をするのでしょうか(^。^?

単純に、「肉体の維持のため」だけではなくて、
ずいぶんと、不必要なことが多い(笑)と思うのです。(^^;ゞ

『行動とは、各自の「業(または、想い)」の解消のための「消えてゆく姿」』
この答えしかないように思うのです。(^^;ゞ

そのように考えていた私が、27日に支部の講話会に行き、
尼崎のハラダさんと話をしていて、『5次元世界は、こうなる』という本のことを教えてもらったのです。

ハラダさんは、その内容を座談会でも話されていましたが、
私も、それを聞かせてもらい、自分が「神人」であり、
「白光の維持会員」であることの意味を、改めて確認しました。

自分ひとりで、祈っていますと、「自分の祈り心」だけを、大事に思ってしまって、
肝心の「人類」に、心が向いていなかったのです。(^^;ゞ

アセンション(次元上昇)という時流のなかでの、自分の役割を忘れていました。(^^;ゞ
「呼吸法の印」を組み続けることが大切だったのです。(^^;ゞ

「白光の維持会員」には、
人類の意識を目覚めさせる使命があるという認識を新たにしたのです。(^^;ゞ
(忘れていたのではないのですが、自分のこと(売り上げのこと)で、頭がいっぱいでした。(^^;ゞ

★『まもなく世界は5次元へ移行します』(徳間書店)という本もあるようです。

【1283】「他人」とは、何か?

2008-01-28 04:43:20 | 思索
『「他人」とは、自分の色メガネ(笑)で見ている「他人のイメージ』である』ということは、
確認できていると思うのです。(^^;ゞ

ですから根本的には、「他人が、どうであろうと、自分には関係がない」のですが、
「他人」が、どのような思いで生きているのかには、とても興味があります。(^^;ゞ

それでも、「他人」とは、自分にとって何なのでしょうか?
客観であるのか、共同主観であるのかと、問い詰めて考えると、わからなくなってきます。(^^;ゞ

ひとりの人が、「生きている」というのは、本当に不思議なことでして、
しかも、なにを求めて、人は行動をするのでしょうか?
人間は、いったい、何のために生きているのでしょうか?

歌手、役者、サラ―リーマン、ボクサーなどなど、
いろいろな職種の仕事をしている人がいて、それで、世界が成り立っています。

しかも、その「成り立ち」が、人類の意識が目覚めるためのプロセスだという
壮大なドラマを私たちは、生きているようです。(^^;ゞ

これが、「白光の教え」であり、
維持会員は、「人類の意識を目覚めさせるために、
10万人の神人を開拓する使命をもっている」ということに、
昨日、支部の講和会に出て、再度、気づきました。(^^;ゞ

しばらく、支部の講和会に参加していなかったので、
「縁のある方々を通じて、人類の意識を目覚めさせる使命があること」を、
忘れていました。(^^;ゞ

★『5次元世界は、こうなる』(620円)という本が良いそうです。

【1282】「言葉」以外では、自分を問えない

2008-01-27 06:55:39 | 思索
「本質的な問い」の答えは、「心境(納得)」という形でやってきます。
「心境」を得たあとに、言葉で表現されることはありますが、
「本質的な問いの答え」は、言葉を超えた形でやってきます。(^^;ゞ

たとえば、『私は、ここに、こうしている者である』という答えです。(^^;ゞ

言葉は、外界を問うための道具ですが、
その言葉によって、自分を客体化することが出来るので、
外界を問うための言葉が、「自分」を問い返すことになるのです。

よく、言葉の暴力といわれますが、(^^;ゞ
「言葉」は、自分を問い詰めることも出来て、「暴力」にもなり、
自死に至ることさえあります。

言葉がなければ、人は、自分を追い込むことがありません。

けれども、言葉で問う以外の方法で、「人間が、自分に問いかけること」はできません。
言葉は、「外界の分析」であると同時に、自己分析でもあるのです。(^^;ゞ

このようなことを考えていましたら、
『「他人から、どのように見られているか」と思うことが、
「自分をどう見ているのか」である。』という言葉が浮かびました。

これは、
『人間は、一人で生きているのではなくて、
周りの人々を含めた環境の中で生きいて、
それ以外の自分はなくて、
「それがすべてである」』という意味です。(^^;ゞ

『人間は、自分の環境のなかで、答えを出して、生きていけば良い』という存在のようです。

そのときの指針となる言葉が、『いま、生きている』という真理です。

朝、眠くて、布団から出にくいときでも、『いま、生きている』と思うと嬉しくなって、
『今しかないから、起きてブログを書こう』と思い、起きられるのです。(^^;ゞ

「私」とは、『環境を含めた自分』のことです。

『自分の意志』には、色々ありますが、(^^;ゞ
『自分の意志』とは、周りの環境によって作り出された『自分の意志』なのだということを
分かっていなければいけません。

業にまみれた『自分の意志』を、そんなに後生大事にする必要はないのです。(^^;ゞ

『自分』とは、環境の結晶であり、しかも、「環境の中で、独りの存在」なのです。

【1281】自分に「本質的な問い」をしましょう (^^;ゞ

2008-01-26 05:25:44 | 思索
なぜ、私はこの「個人」であり、この「顔」であり、この「姿かたち」であるのか?

この「私」は、だれなのか? 何をするために、ここにいるのか?

何のために、この時空に存在するのか?

これらは、もっとも「本質的な問い」です。(^^;ゞ

「自分(人間)の本質」に気づくための「問い」です。(^^;ゞ

「白光の教え」を学ぶと、この問いに、各自が答えられるようになります。(^^;ゞ

その場合、「神」や「守護霊」という概念(言葉)が出てきます。

これを認めることができるか否かが、
「白光の教え」を納得できるかどうかの分岐点(笑)ですが、
この「答え」以外にはないと思うのです。

「神がいる(全体性はある)」は、「私は、誰なのか?」という哲学的な問いの、宗教的な答えです。

ここには、「神(守護霊)」の存在を認めるという分岐点があります。

「哲学的な問いを、超えている」とも言えますし、
「哲学的な問いから、逃げている」(笑)ということもできます。

私の言い方では、『宗教的な答え』を自分の意志で選んでいるということになるのですが、(^^;ゞ
日々のなかで、どれだけ「神」を信じ、「自分」を任せられるかが、
私の心の、『最大の安定要素』です。(^^;ゞ

■「神(全体性・時空・宇宙)」を信じるとは、
 『すべては、神がしていること』という認識を持ち、
「自分」と、「自分に起こるすべてのこと」を受け入れるということ。

人間と真実の生き方


★戸田さんの作品です

【1280】「私」は、宇宙全体の一部分ではない

2008-01-25 03:32:00 | 思索
「宇宙の全体性」には、二つの側面があって、
時間的な全体性と、空間的な全体性ですが、
宇宙のなかにある「私」が、「一部分」であることは確かです。
けれども、「部品」ではないのです。

「一部分」ではあるのですが、『「私」が欠けると宇宙全体がなりたたない』とも言えます。
これは、『宇宙に部分はない』という意味でもあります。

別の言い方をしますと、『宇宙は、私がいないと存在しない』のです。

私たち一人一人は、「宇宙の一部」でありながら、「全体」を形作るっているのですから、
「私」がいないと、「宇宙」は成り立たないのです。

問題は、その場合の「私」とは何かということです。
「私」とは、肉体(物質)ではないのです。意識なのです。生命なのです。思いなのです。
つまり、「私」は、「固定した何か」ではないのです。

そのように考えると、肉体が滅んだ後に、「意識(思い)」が残る可能性は多いにあります。(^^;ゞ

つまり、「魂(意識)」が存続すれば、「宇宙」は消えないのです。

「個(魂)」と「宇宙全体」は、表裏一体です。「一即多」なのです。

私(私たち)は、「個」であると同時に、「宇宙全体」なのです。
ですから、「私(私たち)」が「世界平和の祈り」をすれば、
その「思い(波動)」は、宇宙全体に、鳴り響くのです。(^^;ゞ

【1279】私は、なぜ、「この人生(経験)」なのか(^。^?

2008-01-24 05:30:27 | 思索
「私は、なぜ、この人生なのか?」という問いが、ふっと、頭に浮かびました。(^^;ゞ

「自分の人生」を全体として眺めると、「何」なのでしょうか(^。^?
何が、「テーマ」なのでしょうか(^。^?
どのような特色の「自分の人生」であり、何を「消えてゆく姿」にしている人生なのでしょうか?

テレビのニュース番組などを見ていて、よく思うことは、
戦争を体験した方々に比べると、「私の人生」には、たいした苦労もなくて(笑)、
「ちょろこい人生」(笑)だということです。(^^;ゞ

原爆の後遺症を背負っているわけでもなく、
戦争で肉親を失ったわけでもなく、
事故や災害や犯罪の被害で、取り返しのつかない事態になったわけでもない、私の人生!

ということは、今の時点での、私の「人生のテーマ」は、そのような「経験(消えてゆく姿)」を通じて、
「真理」を見出さすということではないのです。

そのように考えても、考えなくても、
私は、「自分の人生」を、「世界平和の祈り」をしなかがら生きてゆくのであり、
その「真理」は、誰においても同じです。

そしてそれが、哲学的には、「生きる価値(善いこと)」なのです。(^^;ゞ

私の人生での「具体的なテーマ」は、飲食店を営んで人々に喜んでもらうことと、
描いた絵を見てもらって喜んでもらうこと、
絵手紙の生徒さんたちが、ご自分の絵を描くお手伝いをすること、
このブログを描くことなどです。 (^^;ゞ

具体的には、そのような「目に見える仕事」なのですが、
それらの仕事をする「思い」としては、(これが「真理」なのですが)(^^;ゞ
「世界平和の祈り」の思いで行うということが、もっとも大切です。

★「なぞの絵手紙館」に、阿倍野教室の生徒さんの作品を載せました。
 ユニークな作家さんたちが多くて、ツワモノ揃い(笑)です。(^^;ゞ

 「それぞれの絵が、輝いている」と思うのです。
誰にでも、このような「自分のいのちが輝いた絵」が描けるというのが、私の持論です。

絵手紙教室では、その方法をお教えしているのです。(^^;ゞ

★八橋さんの作品

【1278】「世界同時株安」と「白光の教え」(^^;ゞ

2008-01-23 05:33:49 | 思索
「人生には、どのような意味があるのか?」と考えがちな私が、
「白光の教え」で答えを得たことは、評価できる(笑)のですが、
その「教え」で、「他人の人生」を批評することがあったのも事実です。(^^;ゞ

ですが、最近は、「白光の教え」がより深く(笑)理解できるようになったので、
「他人の人生」は、プロセスなのだから、批評する対象ではないとわかってきました。(^^;ゞ

「人生には、どのような意味があるのか?」の答えは、
「自分の人生」に限定して考えれ、実行すれば良いのです。(^^;ゞ

「他人の人生」を評価するのは、お節介なのです。(^^;ゞ

ですから、私が、
「世の中の人々は、食べることや着る物、姿かたちに、多くの時間を使い過ぎる。」と言いますと
家内に、「ほっといたり~や!」と言われのです。

「自他の姿かたちや顔」の良し悪しは、「消えてゆく姿」であり、
「真実は、見えない世界にある」ことは、判っているのですが、
ついつい、目に見える姿かたちや顔の美醜に、目を奪われ、
把われてしまう私です。(^^;ゞ

それでも、私は、「白光の教え」を知っていますから、
できるだけ、「自他の姿やかたち」に把われないで、
「人間(人類)の真実の姿」を見ていこうと思っています。

現在起こっている「世界同時株安」も、
資本主義という「人類の業の表し方」が、不調和であったために、起こった現象です。(^^;ゞ

「世界同時株安」という事象に、目を奪われることなく、
「自分たちの意識が、業で動いている」ことに気づいて、
それを止めることが大切です。

不調和は、かならず「不都合な結果(経験)」としてあらわれますから、
「世界は、気づきにあふれている」ということもできます。
ありがたい事です。

そのような姿勢で、「人生」を過ごしていきましょう。(^^;ゞ

★私のこれらの絵たちも「消えてゆく姿」なのですが、(^^;ゞ
「世の中に、現れたがっている」という気がするのです。(^^;ゞ

【1277】なぜ、その人は、その姿と顔なのか(^。^?

2008-01-22 05:43:10 | 思索
また、「なぜ、その人がその姿と顔なのか?」と考えることも、
よくあるのですが、これも、不思議なことですよね。(^^;ゞ

「存在」の側から語れば、「それはそれ」としか言えないのですが、
「なぜ、人間があるのか?」という問いと同様で、
「不思議」としか言いようがない!(^^;ゞ

そして、その「不思議さ」のなかに、「人生の真実らしきこと」(笑)がある。(^^;ゞ

人々は、「正義」や「公平」という言葉を口にすると同時に、
多くの時間を、「食べること」や「顔やスタイル」に費やす。

それでいて、偉大な仕事を成し遂げる人もいれば、
私のように、日々、同じようなことを繰り返して、生活をしている人もいる。

そういう、それぞれの人生の中で、
「何が価値なのか?」を特定することは、困難である。
それなのに、私たちは、「人生の意味と価値」を問い勝ちである。(^^;ゞ

それでいて、「人間の頭脳」で、「その解答」を得られるという保証もない!(^^;ゞ

それで、ただひとつ言えることは、「人生は、プロセス」だということ。

なんのための「プロセス」なのかというと、「真理や真実に気づくためのプロセス」!

私たちはそのような、「プロセスとしての人生」を生きているようです。(^^;ゞ

★『知足美術館』に最近の絵を追加しました。(*^_^*)

【1276】「顔」って、何だろうか(^。^?

2008-01-21 04:58:19 | 思索
最近は、「顔の絵」をたくさん描いているのですが、
「顔って、何だろうか? なぜ、その人は、その顔なのか?」と考えることが、よくあります。(^^;ゞ

私たちは、「顔」にこだわり過ぎている気がするのですが、
それでも、「顔」はとても興味深いモチーフでありテーマです。(^^;ゞ

「顔」とは、「その人そのもの」なのでしょうか?

私たちは、他人のことを思うときに、「顔」を思い浮かべますから、
「他人」とは、「顔」のことだと思いがちですが、
それは、「目に見える造形」に過ぎず、
私の見ている「他人」とは、あくまでも、「私の描いているイメージ」であり、
「人」とは、あくまでも、「思い」と「行い」の塊(集合体)なのです。

『人の本質は、思いと行い』なのですから、「顔」は付属物なのです。

それでも、人が「顔」にこだわるのは、「顔」に、
その人の性格や人生が反映されていて、
自分は、それを読み取れているという「思い込み」があるからです。(^^;ゞ

そして、その「思い込みという枠」のなかで、「人」は生きているのですが、
そのことに気づかないと、「人生の本質」にも気づけないのです。

私たちは、「顔」を見て、「その人は、どのような人なのか」を判断しようとします。

そのことも、結局は、「自分の思い」の反映なのですが、
「顔」には、その時々の表情やニュアンスがあり、それはそれで、
「消えてゆく姿」としては、「真実」なのです。

「顔」は謎であると同時に、「読み取れるもの」、「理解可能」なものなので、
実に面白く、興味深いテーマです。(^^;ゞ

【1275】フュージョンを聴きながら絵が描ける幸せ(^^;ゞ

2008-01-20 08:51:18 | 思索
数年まえの高槻ジャズフェスティバルで、
「メチャいけている演奏」(笑)をしている3人編成のバンドがありまして、
パンフレットをみましたら、それが「フュージョンのバンド」でした。

そして、昨年のNHKの放送で、遅まきながら(笑)、
マイルス・デイビスの演奏を聞き、「フュージョン」に目覚めたわけです。(^^;ゞ

私の場合、「音楽」というのは、映像で見るほうが感じる(笑)のですが、
先日買ったマイルス・デイビスの『ベルリンン・ジャズフェスティバル1985』は、
ワクワさせられる演奏(笑)でした。そのなかのギタリストの演奏が、
「高槻」で聴いたフレージングだったのです。

それで私は、フュージョン音楽を意識しはじめました。(^^;ゞ

あと、『絵』は、「描こう」という気持ちが沸いてきまして、
いまは、「顔の絵」を思いつくままに描いています。(^^;ゞ
「ハガキサイズの絵」で、アリスの壁を一杯にしてやろう(笑)と思っています。(^^;ゞ

西洋占星術の先生には、「あなたの絵は、『言葉メッセージとともに』」と言われたのですが、
印を組んだことで、そういう「カルマ」が落ちたのか、(^^;ゞ
そのような「魂の計画」を無視する(笑)ように、
今までとはまったく違った「絵」が、あふれ始めています。(^^;ゞ

自分の中では、「いままでの絵の活動の集大成」という思いがとても強くて、
これは、2012年に向けての「私の使命」と関係があるのかも知れません。

私が、東京や海外で、個展をするとしたらこの「楽しい絵たちの発表」かも知れないと
思っています。(^^;ゞ

この「楽しい絵たち」を描くのには、時間が必要なので、
アリスでお客さんを待つために、
たっぷり時間のある今の私の環境には、ぴったりです。(^^;ゞ

★「フュージョン」については、ネットで検索しても、音が聴けないので、なかなかよくわかりません。(^^;ゞ
どなたか、「フュージョン音楽の良いDVD」(アップテンポのもの)がありましたら、
教えてもらえると嬉しいです。(^^;ゞ

【1274】一番好きな言葉を探す(^^;ゞ

2008-01-19 04:46:36 | 思索
美術館で、絵を楽しむときに、
「一番好きなものを探す」という方法があります。

【1275】の「旧・日めくりカレンダー」のなかではどれが一番好きですか?
私の好みの順に並べてみました。(^^;ゞ

★神は、汝に必要なものを、汝以上に知っておられる。

★神は土壇場になって、かならず救ってくださる。

★平和な心が根底にあれば、すべての善悪は、崩れ去る。

★宇宙は、自分の住む家である。

★自分のつかんでいる悪だけ、相手の悪をつかんでいるのだ。

★平和を祈る者の前に、敵などというものがあるはずがない。

【1273】旧「白光カレンダー」(日めくり)

2008-01-18 04:54:23 | 思索
昨年のことなのですが、現在頒布されている「白光カレンダー」(日めくり)より以前のものが、
大阪支部に架かっていたので、書き写してきました。
その中のいくつかを紹介します。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★すべてをなし給う神は、大光明。私は大光明の中の一人である。

★透き通った青空のような心。それが人間の真実の心である。

★神が創ったものだから、神の体である。自分の体だと思うから、執着するのだ。

★常日頃の想念と行いが、その人の価値を決める。

★神は、汝に必要なものを、汝以上に知っておられる。

★自己の信念のもとに、人事を尽くしたとき、運命が開かれる。

★天地は、悠々にして無限。人も無限な命の表れである。

★神は、我がいのち。神なる我がいのち。

★平和な心が根底にあれば、すべての善悪は、崩れ去る。

★人はすべて、天地をもって、この世に生まれてきたのある。

★平和を祈る者の前に、敵などというものがあるはずがない。

★天地は無為無心で、自己が無い。だから天地は悠々なのである。

★汝の運命を、汝のうちにある神に任せるや。

★自分のつかんでいる悪だけ、相手の悪をつかんでいるのだ。

★一切の悲しみも苦しみも、やがて喜びに変わってゆくもの。

★現れてくることに恐れず、これで良くなると想え。

★神は土壇場になって、かならず救ってくださる。

★一番、切羽詰ったときは、幸福への門が開いている時だ。

★宇宙は、自分の住む家である。

★自己を高め、自己を救うものは、愛と誠心と勇気である。

■31の言葉の中で、私の感性(笑)に合うものを書き出してみました。
 どれもこれも、ズシリと思いコトバですね。(^^;ゞ

 どれか、お気に召したものはありましたか(^。^?

現「白光・日めくりカレンダー

【1272】金銭と消費と生活と(労働と所得を切り離す)

2008-01-17 05:44:04 | 思索
ベーシックインカムの、構想はいいですね。(*^_^*)
事業や就職だけが、金銭を得る方法であり、
それをしないと生活できないという社会構造は良くないですよね。(*^_^*)

『ベーシックインカム(Basic Income:BI)とは、「すべての個人に、無条件かつ普遍的に、生存を可能にする基本的必要を満たすと同時に生産=表現の自由を行使しうるだけの一定額の所得を給付する」所得保障の制度であり、社会構想である。』


『ベーシックインカムはまた、福祉(所得)と就労(労働)を切り離すことで、従来の福祉制度において不可避の問題であった、賃金水準の変化にともなう生活不安を払拭しうる。この点で所得と就労とが強く結びつけられたワークフェアの構想とは対極にある。』

『ベーシックインカムはあくまでも「労働と所得を切り離す」だけであり、「労働を否定する」ものではなく、したがって「ベーシックインカムをもらったら人は働かなくなるので良くない」という主張には説得力が無い。「働かずにお金をもらうなんて」という感覚に対しては、「われわれは、かりに賃労働に従事していなくてもあらゆる場面で労働している(例:出産、育児、家事等々、賃金を支払われない再生産労働など)」という反論が成り立つ。「タダ乗り反対」説に対しては、われわれが享受している財はすべてわれわれ自身の手によってのみ稼ぎ出されたものではなく、したがってすべての人間は何らかの財にタダ乗りをしているではないか、という反論が可能である』

★昨日は、6枚描きました。(^^;ゞ
 「ヘタで良い」と思えば、「それなりの絵」が描けるのです。(^^;ゞ
 「絵」に失敗はないのです。気が済むまで、書き足せばよいのです。