OSHOの言葉は、なんと、力強い言葉なのでしょうか!(*^_^*)
以下のように続きます。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
しかし、人は神性を成就できる
それは、あらゆる人間の生得権だ
そのワークにおいて、限りなく創造的でありなさい
成長のために、あらゆる可能性を試みなさい
人の属性を超え、またさらなる成長を遂げ、神となるようにー―
というのも、それこそは私たちの真の実体(リアリティー)なのだから
人間は見たほど、ちっぽけな存在ではない
人は広大だ、途方もなく広大だ
人間の広大さは、神の存在を示す唯一の証明だ
神とは、人間の広大さを表すもうひとつの呼び名だ
私たちは、肉体に閉じ込められたものでも
またマインドに閉じ込められたものでもない
私たちは両者を超えている
サニヤスの全過程(プロセス)とは、玉ねぎの皮をむくようなものだ
そこには幾重にもなる自己証明が層をなしている
それでも私たちは、ゆっくりゆっくりと
すべての層を落としていかなければならない
そして、最後に残るものは無だ――その無こそがあなただ
唯一無のみが、広大になり得る
何かには限りがある、無だけが無限だ
それゆえ、神とは究極の無だ
神とは存在ではない、神とは究極の非在だ
神とは何者でもない、完全に誰でもない者だ
ただただ臨在であり、無限なる境界なきものだ
そしてまた私たちも
私たちは、神と異なるものではない
私たちは、その無限性の一部だ
神とは存在ではない、神とは究極の非在だ
神とは何者でもない、完全に誰でもない者だ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★『人間は見たほど、ちっぽけな存在ではない。
人は広大だ、途方もなく広大だ。
人間の広大さは、神の存在を示す唯一の証明だ』と、
私も思っていて、それを意識して、他人と接するようにしています。(*^_^*)
それで今、「白光」で示されている神示が、
『言葉を発する前に、次のことを一瞬意識する。
「我即神也の私が、人類即神也の相手に語る」』という、
まさに、そのものズバリの行なのです。(*^_^*)
以下のように続きます。
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しかし、人は神性を成就できる
それは、あらゆる人間の生得権だ
そのワークにおいて、限りなく創造的でありなさい
成長のために、あらゆる可能性を試みなさい
人の属性を超え、またさらなる成長を遂げ、神となるようにー―
というのも、それこそは私たちの真の実体(リアリティー)なのだから
人間は見たほど、ちっぽけな存在ではない
人は広大だ、途方もなく広大だ
人間の広大さは、神の存在を示す唯一の証明だ
神とは、人間の広大さを表すもうひとつの呼び名だ
私たちは、肉体に閉じ込められたものでも
またマインドに閉じ込められたものでもない
私たちは両者を超えている
サニヤスの全過程(プロセス)とは、玉ねぎの皮をむくようなものだ
そこには幾重にもなる自己証明が層をなしている
それでも私たちは、ゆっくりゆっくりと
すべての層を落としていかなければならない
そして、最後に残るものは無だ――その無こそがあなただ
唯一無のみが、広大になり得る
何かには限りがある、無だけが無限だ
それゆえ、神とは究極の無だ
神とは存在ではない、神とは究極の非在だ
神とは何者でもない、完全に誰でもない者だ
ただただ臨在であり、無限なる境界なきものだ
そしてまた私たちも
私たちは、神と異なるものではない
私たちは、その無限性の一部だ
神とは存在ではない、神とは究極の非在だ
神とは何者でもない、完全に誰でもない者だ
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★『人間は見たほど、ちっぽけな存在ではない。
人は広大だ、途方もなく広大だ。
人間の広大さは、神の存在を示す唯一の証明だ』と、
私も思っていて、それを意識して、他人と接するようにしています。(*^_^*)
それで今、「白光」で示されている神示が、
『言葉を発する前に、次のことを一瞬意識する。
「我即神也の私が、人類即神也の相手に語る」』という、
まさに、そのものズバリの行なのです。(*^_^*)