『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1138】「世界平和の祈り」と神性政治

2007-09-30 05:34:04 | 思索
頭の中で、常に「世界平和の祈り」が鳴り響いている人は、
「常に、天(神)とつながっている自分」・「常に、天(神)と共にいる自分」を、意識できている人です。

そういう人は、「真の自分」が何をしたいのかを、知っている人なので、
他人の言動に引っ掛かって、暴言を吐いたり、暴力を振るったりするようなことはありません。(*^_^*)
これは確かなことだと思うのです。

そして、もう少し話を進めたいのは、上の文章を、
「天(神)とつなっがっている人が、「真の自分」を取り戻して、政治をしていてば、
他国の言動に引っ掛かって、戦争をしかけたりするようなことはありません」ということです。

こういう政治が、「神性政治」です。人類の意識が高次元になると実現すると思うのです。

【1137】「他人や物への感謝」は、自分のため(^^;ゞ

2007-09-29 21:55:35 | 経験
早朝に「統一」をすると、とても気持ちが良いので、習慣化してしまいましたが、
日曜日などは案外、「統一」や印を組まないことがあります。(^^;ゞ

というのは、このブログ日記の記事を書くことに集中できる一番良い時間だからです。(^^;ゞ

それでも、私の頭のなかでは、いつも、「世界平和の祈り」が鳴っています。
あまり、空腹を感じないのも、この「鳴り響き」が原因だと思うのです。

このごろは、お腹に食べ物がない方が、体の調子が良いので、あまり食物を食べなくなりました。(^^;ゞ
体が、そういう状態を望んでいるようです。(^^;ゞ

目の前に、美味しそうな物を出されても、
それを食べた後の「胃腸の苦しさ」を思い浮かべると、たくさんは食べられないのです。(^^;ゞ

「統一」をしたり、「印」を組んだりしていますと、「頭の力み」がすっと抜けて、
丹田に氣が集中して、付和雷同せず、気持ちが良いのです。

ひょっとすると、「人生の目的は、丹田に氣を集めること」かも知れません。(^^;ゞ

「統一」というのは、「意識が、天とつながっていること」なので、
つねに「統一」状態で、日常を暮らしてゆけば、それで良いと思うのです。

世界中の人が、今すぐに、「統一」状態になれば、この瞬間に世界が平和になると思います。(*^_^*)

そして、時間があれば、「呼吸法の印」でも「統一」でもしていれば、
「業(欲)」を出すことありませんから、最小限の「消えてゆく姿」しか起こらないし、
「カルマ」は、小さく消されていくと思うのです。(^^;ゞ

正直な話、「面倒だなあ」と思うこともありますが(^^;ゞ
「感謝行」も「光明思想徹底行」も、自分のためなのです。

「他人や物への感謝」は、自分のためなのです。(^^;ゞ

すべての人は、自分の蒔いた「業の結果」を受け取っているのですから、
「業」を出さなければ、「大調和の光」の中で暮らせるのです。(^^;ゞ

「統一」とは、「天の意志につながること」です。
天の意志につながれば、足るも足らないもないのです。
「足らなくて、ありがとう」という世界が待っています。

つまり、「自分中心の考え」は要らないのです。
常に、「世界平和の祈り」のなかに居れば、良いのです。
死んでも、良い世界に行けるそうです。(^^;ゞ

特に、『印による世界各国の平和の祈り』をしたあとは、いつでも必ず、
自分の「意識」を感じながらも、s思考の停止が起こり、とても心地良いです。

【1136】子育ては、「大変な仕事」か(^。^?

2007-09-28 21:53:50 | 経験
「娘の子育て」を見ていて、家内と「子育ては、大変だなあ」という話をよくします。
そして、「自分たちは、よくも3人も育てたなあ。」という話になります。(^^;ゞ

しかも当時は、紙おむつがなかったので、全部洗濯機で洗って干さなければならず、
家内の手は、いつも赤くひび割れていてカサカサでした。

それに、私たちの母親の世代には、洗濯機も無いし、昔は子供が沢山いたのですから、
世の母親の子育ては、本当に「大変な仕事」だったと思うのです。

けれども、不思議なのですが、その当時の私たちは、子育てが「大変だ」とは思っていなかったのです。
娘に聞いても、「大変」とは思わないそうです。
それで、なぜ、当事者は「大変」と思わないのかという話になりました。(^。^?

「子育て」は過去のことなので、忘れてしまっていて、実感がないこともありますが、
「子育てをしている当事者」は、すべてが始めての体験なので、そんなものだと思っていて、
「比較しないからだ」という分析(笑)になりました。

それに反して、親の世代は、自分の記憶のなかの「子育て」のイメージを、
「娘の子育て」に置き換えて比較をするので、「大変だなあ」と思うのです。

つまり、「大変」とは、単なる言葉であり、印象であり、感慨なのです。(^^;ゞ

今は、レトルトの離乳食もたくさん販売されていますし、洗濯機は全自動で乾燥までしてくれますし、
宅配でなんでも届くのですから、私たちの時代の子育てに比べれば、超楽です。(*^_^*)

【1135】解決のために口論をする二つの魂(^^;ゞ

2007-09-27 22:44:03 | 経験
昨日も、家内との、金銭問題(笑)を含めた、将来の生活設計についての「話し合いバトル」が続きました。(^^;ゞ
私の中では、「彼女しだい!」ということで、終わっていたのですが、
家内は、それ以後も色々と考えていたようです。

クレープ屋がしたとか、コロッケ屋はどうだろうかとか、掃除の仕事はどうだとか、(^^;ゞ
「なんで、私が働かなければならないの!」(笑)とかについて話し合いました。(^^;ゞ

結局、彼女も小説を読んでいるだけの人生では、物足りないというか、
「幸せ」を感じられないというか、社会参加をしたいという思いがあったようです。

そんな「思い」のなかで、興味を持ったのが、ヘルパーの仕事でして、
登録制の事業所に勤めれば、時間的にもゆうずがきくという理由などで、
ヘルパー養成講座の説明会を聞きに行くことになりました。(たぶん、受講すると思います)(^^;ゞ

ヘルパーの仕事なら需要がありますし、
「自分の食べる分は、自分で稼ぐ」という自立性を養う意味でも、良い選択だと思うのです。

つまり、今回の「生活費不足の問題」は、しっかりと、アセンション(次元上昇)のプロセスになったのです。(^^;ゞ
右往左往をしながらも、次なる動きが出てきて、調和のとれた方向に進みはじめたのです。(*^_^*)

彼女のなかにあった、「自分の天命が完とうされていないという気持ち」が、
問題が起きたことによって、解決の方向に向かったのです。

私たちは、かなり激しく口論しましたが、(^^;ゞ
私はずっと、「聖なる魂同志が、話し合いをしている」と思っていました。(^^;ゞ
その口論のなかの判断(指針)に、「白光の教え」が使えることが、嬉しくて仕方ありませんでした。

そして、口論の相手である家内と夫婦であることが、嬉しくてしかたありませんでした。
まさに、こういう口論をするために、夫婦になった魂同志なのです。(^^;ゞ

問題提起と議論が、アセンション(次元上昇)につながるのだという確信が私にはありましたので、
口論はしていても、常に冷静でいられました。(^^;ゞ

それは、「すべて」は、かならず良くなるために、起こっていると思ってたからです。(^^;ゞ
出るべきものは、みんな出て来いという心持ちだったのです。(^^;ゞ

アセンション(次元上昇)とは

【1134】生活費とは、何か(^。^?

2007-09-26 22:03:00 | 思索
【1106】で、「生活費が足りない」と書いたのですが、「生活費」というものは本当にあるのでしょうか?

「生活費」は言葉に過ぎないし、観念(イメージ)だと思うのです。(^^;ゞ

私の場合の「生活費」とは、家内に毎月渡しているお金のことです。
世間並みということで、それなりの金銭を渡していますが、
はっきり言ってしまいますと、(^^;ゞ
私は家で食事はしませんから食費要りませんし、
家のローンも終わっているので、生活するのにそんなに多額の金銭は必要ないのです。(^^;ゞ

それで、その内訳を聞きますと、がん保険や共済組合の保険や簡易保険や払い込み保険に入っていて、
毎月、かなりの金額を払っています。まるで、病気になるのを待っているみたいなのです。(^^;ゞ

まさか、病気になるために働いているのではないと思うのですが、
なんのために一生懸命に働いているのかが、疑問です。(^^;ゞ

でも、そうしないと、家内は「安心できない」のです。(^^;ゞ

「安心」を金銭で得ようとするから、こういう本末転倒が起こるのですが、
彼女は、「金銭によって安心立命を得られる」と思っているので、
彼女の選択を受け入れざるを得ないのです。(^^;ゞ

実際には、「生活費」などというものはなくて、使えるお金と、
手元にないので使えないお金があるだけです。

必要以上に求めなければ、それなりに生きてゆく方法はあると思うのです。
それが、『知足の生活態度』(笑)だと思うのです。(^^;ゞ

【1133】「売り上げ」と光明思想と「私の無責任」(^^;ゞ

2007-09-25 21:51:18 | 経験
考えてみますと、「売り上げ」を増やす努力をあまりしてこなかったのです。
「なるように、なるでしょう」という、投げやりな気持ち(笑)があったのです。(^^;ゞ

それというのも、あまりに忙し過ぎると、従業員のおばちゃんの機嫌が悪くなって、
「トゲトゲした気持ち(怒り)」をぶつけられるのが、嫌だったのです。(^^;ゞ

それで、「そこそこ売れれば良い」ぐらいに考えていました。(^^;ゞ

ところが、先々月より、10年以上毎日お弁当を配達していたお得意さんの給食が終了したので、
収支のやり繰りが苦しくなってきたのです。(^^;ゞ

それで、「和風の惣菜を配達するチラシ」を、このパソコンで作って配ることにしました。

病気や高齢で、思うように外出できず、食べ物を調達できないと不安なので、
私が配達することによって、「安心してもらえる」と思ったのです。(^^;ゞ
(実際に、週に一度、惣菜を届けているお客さんがお二人います。)

今回思いついたのは、商売を続けていこうと思うのならば、
自分の体を使って、遠方のお宅にでも配達してあげれば、
お役に立てるのだし、それで商売を続けていけるという方法です。

どんなに遠くであろうと配達すればよいのであって、「面倒」などと、
自分中心に考えるから、「売り上げ」が増えないのだと思ったのです。(^^;ゞ

店の近所の事務所からの電話では、弁当一個でも配達しているのですから、
もっと早くから、「ボランティア精神」(笑)を発揮すれば良かったのです。

収支が厳しくなったお陰で、「自分の枠」を外すことができました。(*^_^*)

和風惣菜を作るのが、従業員さんの仕事なら、それをしっかりと売ることによって、
給料を払い、永続的に経営してゆくのが私の仕事なのですから、「私は無責任」だったのです。(^^;ゞ

「光明思想(無限なる繁栄・無限なる売り上げ)」で、売れるようになるまで、
どんどんとチラシを配って、配達し続ければよいのです。(^^;ゞ

この方法が、多くの人に喜んでもらえて、自分も潤う、「個人人類同時成道」(笑)だったのです。

【1132】すべての関係は、利用価値である(夫婦関係について)

2007-09-24 09:04:55 | 思索
以前に、EO師の『虚無宇宙からの伝言』というサイトがあり、
徹頭徹尾論理的に語られたサイトで、私は好きだったのですが、
そのなかに『すべての価値(関係)は、利用価値である。』というようなことが書いてあり、
なるほどと思ったことがあります。(^^;ゞ

世の中のことは、真理の探求も含めて、どのような人間関係でも、物の関係でも
自分の利に適うと思うから、接触して利用するのであることを、しっかりと認めておくべきだと思うのです。

特に、「不都合な事柄」の場合は、相手に利用されたのではないのかと、疑心暗鬼に陥りがちですが、
振り返ってみますと、自分も相手と関わることで、利を得ようとしていた。
つまりは「自分も、相手を利用していた」と見定めるべきなのです。(^^;ゞ

私の場合も、家内に「ないがしろにされている。必要とされていない」という被害者意識があったのですが、
私なりの打算(「自立したい」など)があって結婚したわけでして、打算(利用価値)は、「お互いさま」なのです。(^^;ゞ

結局は、私も家内も、「自分の都合」で結婚を選んだだけだったのです。(^^;ゞ
相手を真に愛し、思いやっての結婚ではなかったことが、露呈したのです。(^^;ゞ

そのように見抜いてしまいますと、気持ちが楽です。(^^;ゞ

それにまた、「離婚」が、魂にとって必ずしも悪いことではないのです。
「本心開発」という成長のためのプロセスになることはあるのです。

私の場合も、離婚しても、それはそれで、お互いの「道」があったと思うのですが、いまはまだ、
「馬が合わなくても(笑)、生活を共にしろ」という、お互いの守護霊さんの談合(笑)があるようです。(^^;ゞ

【1131】すべての経験はプロセスであり、守護霊による計画!

2007-09-23 04:53:09 | 思索
「家内が、私をないがしろにした」(笑)からといって、悪いわけではないのです。(^^;ゞ
それは、私たち夫婦の魂の計画なのです。

そういう「不都合な経験」を経て、お互いが学ぶように計画(プログラム)されているのです。
すべての経験は、プロセスなのです。

ですが、そこで私が気になるのは、要らないお世話ではあるのですが、家内のことなのです。(^^;ゞ
「不都合な経験を、プロセスだと考えられない家内」のことなのです。(^^;ゞ

「経験とは、プロセスである」と考えられないと、「不都合な経験」に執着し続けることになると思うのです。(^^;ゞ

これが、家内に起っていることですが、いまはまだ、彼女はそのことに気付かなので、
「自立できていない」・「大人になれていない」のです。(^^;ゞ

私は、自分の周りの人に、そういう真理を宏める仕事をしながら、
家内にも手を差し伸べて、見守る役目の人のようです。(^^;ゞ

先日、5時間話し合って、私の心が決まりました。老子の話は、まだ早すぎました。
彼女のレベルにあった話をしなければならないことに気付いたのです。(^^;ゞ

これもまた、『「気付き」の幸せ』ですね。(*^_^*)
つまり、「気付けた人は、幸せな人生を送れる」という真理です。(*^_^*)

★この30年まえの「不都合な経験」のあとに生まれたのが、私にとっての孫を産んだ娘なのでして、
そのことによって歴史が繰り返され、「思い」が繰り返えされて、
「不都合な経験」がプロセスであったと気付けて、「人生のなぞ」が解けたわけです。(^^;ゞ

守護霊さんの世代をまたいだ「ご計画」だったのです。(^^;ゞ

そのほかにも、孫を持って始めてわかったことや、私たち夫婦の両親の気持ちをたくさん推測することができ、
私たちのなかで、両方の両親の気持ちがわかったという経験を一杯しました。

いままでの私たちは、ほんとうに何もわかっていませんでした。(^^;ゞ
ありがたいことです。「経験」は、宝ですね。

【1130】「ないがしろ」にされて、ヤマギシ会に参画(^^;ゞ

2007-09-22 21:43:00 | 経験
昨年、娘に赤ちゃんが生まれて、おじいちゃんになったのですが、(^^;ゞ
同時に、その当時、父親であった私の「ないがしろにされた気持ち」を思い出すことになりました。(^^;ゞ
(これもまた、「誰が悪い」ということではなくて、私たち夫婦の魂の計画です。念のため。)(^^;ゞ

そして、その「ないがしろにされた気持ち」に背中を押されて、
自分がヤマギシに参画した部分もあったという記憶が甦ったのです。(^^;ゞ
そのことを簡単に書きたいと思います。
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娘の子供が、1歳3ヶ月になりました。(^^;ゞ
動きまわるので、世話をするのが大変なのですが、
30年前の我が家では、その時期に、次男を出産する準備をしていたのですから、
私たち夫婦は、「頑張っていた」(笑)と思うのです。(^^;ゞ

ただ、次男を出産して10ヶ月後に、私はサラリーマンを勝手にやめてしまい、
モロゾフの喫茶部に就職したり、その後は、ヤマギシに参画してしまうのですから、
「頑張っていた」ことにはならないのかも知れません。(^^;ゞ

そして、娘が孫を出産した後の色々な人間関係や感情を経験して、
当時の自分が抱いていた「みたされない気持ち」や「ないがしろにされた気持ち」を思い出したのです。(^^;ゞ

母娘は、脳密な血縁関係なので、知らず知らずのうちに、
「娘の夫の存在」がないがしろにされてしまうことに気づいたのです。
夫(父親)というのは、父権社会のなかで作り出された概念的な存在なので、
「存在の根拠が薄い」のです。(^^;ゞ

家内の父親は、それなりに気を使ってくれたとは思うのですが、
家内と母親のペースで、勝手に話を進められることもあり、「自分に相談がない」という思いがありました。
ちょっとした被害妄想ですね。(^^;ゞ

「ねぎらいの言葉」をかけてもらったこともなく(笑)、
「亭主は、給料の運び屋で留守がよい。」(笑)という言動を感じて、限界がきて、
私の「ヤマギシでやってみたいという思い」の背中が押され、
「自分も勝手にさせてもらうわ。ヤマギシに行くわ」となったのです。(^^;ゞ

父親は社会的な存在ですから、妻からの「尊敬の言葉」や「ねぎらいの言葉」がないと、
「自分は、ただのお金を稼ぐ道具なのか」と卑下しかねない存在なのです。(^^;ゞ

ご主人を敬愛しているのなら、感謝の言葉と、感謝の態度を示したほうが良いです。(^^;ゞ

世界人類が平和でありますように!

【1129】ただ、家内の天命を祈るのみ

2007-09-21 21:12:33 | 思索
家内の魂(人生)の計画は、彼女にまかせるしかないのです。
転機が、いつ来るのかは、彼女の守護霊さんの計画なのです。

他人である私は、「奥様即神也の印」を組んで、彼女の守護霊さんが働き易いように、
光を送ってあげることができるばかりです。(^^;ゞ

「あきらめ(諦め)」ではなくて、「あきらかにみる」の「あきらめ」が起り、
私と家内の人生の全体像(計画性)が理解できたので、スッキリしました。
私は家内に対して、「お節介で不要な心配」をしていたようです。(^^;ゞ

もっと早く、「家内の心を変えることは、絶対にできない」と知るべきでした。(^^;ゞ

「彼女を神とみて、尊重すべきだ」と思ったこの日以後、
私は、あまり話さないようになりました。(^^;ゞ

【1128】「家内の心」を変えることは、絶対にできない

2007-09-20 21:30:17 | 思索
【1126】のつづきです。16日は、深淵な「霊的精神性の現状分析」(笑)ができたので、
議論の結果をまとめたいと思うのです。(^^;ゞ

家内は、自分の「ネガティブな考え方」を、変えようとは思わない。これが、今の彼女の心理状態です。
「ネガティブな考え方」が苦痛ではないのです。(^^;ゞ
それに、瞑想(「統一」)をしたいとも思わない。(^^;ゞ
ということは、神(サムシンググレート)や白光(唯識)につながることがない!(^^;ゞ

「つながることがない」と、私はあえて断定的に書いたのですが、
これは、22歳の夏に彼女と出会って、三十四年間付き合ってきた、私の実感(笑)なのです。(^^;ゞ
彼女が瞑想をしている姿は浮かびませんし、今後、「自分の否定的想念」に気付き、「変えたい」とは思わないようです。

先日も、『「気付き」の幸せ』(木村藤子著)と、『求めない』(加島祥造著)を読みたいと言うので、
「やっと、わかってくれる時がきた」と思い、勇んで渡した(笑)のですが、気に入らなかったようなのです。(^^;ゞ

『「気付き」の幸せ』は、後半の「気付きの体験」の章に、とても参考になる良い体験談が載っていまして、
その部分だけでも読んで欲しかったのですが、「体験談は、参考にならないし、物語がないから、読むのがキライ」なのだそうです。(^^;ゞ

『求めない』は、どの部分を読んでも、「心が開かれる」はずだと思い、
読んでもらえることを期待していたのですが、「こういう内容だとは、思わなかった」のだそうです。(^^;ゞ

『求めない』には、高次元の意識(高い心境)が語られているので、
それを説明したのですが、わかってもらえませんでした。(^^;ゞ
そんな「三十四年間」だったのです。(^^;ゞ

そして、お互いの「業」を消すための、「消えてゆく姿」の人間生活であると知りました。
それと同時に、「他人の心を変えることは、絶対にできない。その人自身の問題である」という真理を知りました。

夫婦であっても、「心」は別であり、「それぞれが神」なのでした。
「別のテーマの人生」を生きているのです。(^^;ゞ

「知足」という心境にも興味がないようです。(^^;ゞ

【1127】『唯臓論』(後藤仁敏著)

2007-09-19 21:35:13 | 読書
『唯臓論』(風人社)という本が、テレビで話題になっていると家内に聞いたので、図書館で借りました。

「唯臓論」という言葉から発想して、私が考えたことは、
「人間は肉体機能として、唯、存在する」というものでしたが、
著書の内容は、一つ一つの臓器に関して、その根源的な由来が述べられていて、
かなり専門的な本でした。

簡単に言ってしまえば、「自分の体に訊け」ということだと思うのですが、
このように事細かに洞察されると、自分の体への愛しさが増してきます。(^^;ゞ

「唯脳論」は、人間の特性を「脳」に特化していますが、
人間の臓器それぞれが示す方向性を意識しながら、生きようというのが、
「唯臓論」の趣旨だと考えられます。

『内臓の働きを大脳に支配させるのではなく、
内臓の働きに神経系の機能を従わせる生き方を思い返すことこそ、
今、私たちに必要なのではないだろうか。

本書は、「臓器に自然」を忘れてしまって、
「唯脳論」によって苦しんでいる現代人を救うために、
人間本来の生き方であった「唯臓論」的な観点で、
人間を見つめ直そうということを提唱した試みである。』(「はじめに」より)

【1126】否定的想念が強いと、「世界平和の祈り」が出来ない(^。^?

2007-09-18 21:43:48 | 思索
16日は、藤井寺の「世界平和の祈り」集会に参加して帰宅したあと、
時間があったので、家内とゆっくりと、経済的なことも含めて、
今後のことや今までのことについて、5時間位話をしたのですが、これまで、
このブログ日記で探求してきたことの総集編、総復習の場となりました。(^^;ゞ

以下、具体的な内容を箇条書きにしたいと思います。
多少差し障りがあるかも知れませんが、(^^;ゞ
これらはあくまでも「現状の分析」と「確認」であって、
「家内への批判」(笑)ではありませんので、一般論として読んでください。
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★「うらやむ気持ち」が、悪口を言わせる。
「悪口」を言うと、一時的に、「うらやむ気持ち」が消えるのですっとする。

★「うらやむ気持ち」は、否定的な想念(不安とねたみ)によって生じる。
 「うらやむ気持ち」の底には、コンプレクスがある。

★他人に対して「うらやむ気持ち」を持つ人は、「自分に自信がない人」のである。

★「自分に自信がない人」とは、自分の「生き方(いのちの輝き具合)」に自信がない人であり、
 そういう人は、得てして、「物に依存して、安定を求めようとする。」

★否定的想念が、「ねたみの感情」を生み、「うらやむ気持ち」を抱かせる。
 そして、「ねたみ」や「うらやみ」の感情をもつことは、苦しいものである。
 つまり、自分の否定的想念で苦しんでいるのは、自分なのである。
 
★ 「ねたみの感情」(否定的想念)は、だれにでもあり、「自分の現状」に満足できない時に生じる。

たとえば、家内の場合は、
「自分は短大を出て、勤めていた数年間は、毎日が楽しい日々であり、他人と比べても、
恵まれている方だったので、「ねたみの感情(否定的想念?)」を抱いたことはなかった。

ところが、私と結婚したために、苦労が始まった。(^^;ゞ
もともと私は、家庭生活には、不向きな人間だと思う」のだそうです。(^^;ゞ

★「現状の満足感」には、二種類ある。
 他人の物質的な状況(収入や子どもなど)と、自分の状況を比較して満足感を得る場合(A)と、
自分の内面の充実感で、満足感を得る方法(B)である。

★否定的想念の強い人は、「自分が不幸なのは、他人のせい」だと思う。
 
★行動を制約されて、禁止されて育つと、否定的想念が強くなる。
(これは、私の分析であり、家内の同意は得られませんでした。)(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
五時間いろいろな話をしまして、そういう「否定的な想念」を止める方法として、
「静座」や「統一」を勧めたのですが、「絶対にしたくない。そんなことで幸せになるはずがない」と、
ここでも「否定的想念」が発揮され(笑)まして、拒絶されました。(^^;ゞ

そして、後で気が付いたのですが、家内は、否定的想念が強いので、「善悪」ではなくて、
「世界人類が平和でありますように」と言えない人だったのです。(^^;ゞ

というのも、以前、藤井寺の集会で、「世界人類が平和でありますように」と言えない会員さんがいたのです。
その方は、自分の中の別の想念が邪魔をして、「世界人類が平和でありますように」と言えない時期があったそうなのです。

『「世界人類が平和でありますように」って、いい言葉でしょ』という会話がキッカケで、
「白光の教え」を紹介したという話を白光誌で読んだことがあって、
「なるほど、正当な勧誘方法だなあ」(笑)と思っていました。

ところが、否定的な想念が強いと、「世界人類が平和でありますように」を良い言葉だとは思わないし、
口にもしたくないという人も居るのだと理解できたのです。(^^;ゞ

そういう現状も「消えてゆく姿」であり、プロセスではあるのですが、
『否定的想念が強いので、素直な気持ちになれない』というのは、かなり根深い問題だと思いました。(^^;ゞ

「否定的な想念」が強い人にこそ、「白光の教え(統一)」が役に立つと思うのですが、
そういう人に限って、「否定的な想念が強い自分」に向き合うことを避けようとして、
「世界平和の祈り」をしたくないと思うようなのです。

★ここまで「現状の分析」が進めば、あとは瞑想(「世界平和の祈り」)という実践をするだけなのですが、(^^;ゞ
私に出来ることは、彼女の心が開かれ、「天命が完うされること」を、宇宙神に祈る(想像する)だけです。

【1125】「過去」は、宇宙に内在されている

2007-09-17 06:00:32 | 思索
『爆笑問題のニッポンの教養』の「タイムマシンは、宇宙の扉を開く」を見たのですが、
いくつか興味深い話がありました。(東大宇宙物理学教授・佐藤勝彦氏との対談)

① 乗り物(新幹線でも三輪車でも)に乗っていると、
時間の流れが遅くなるそうで、新幹線で、東京から博多についた場合も、
計算上は、10億分の1秒先の未来に到着しているのだそうです。(ウラシマ理論)

時間とは何なのか? 「未来に到着する」とはどういうことなのか?
ということが問題だとは思うのですが、そういう話でした。(^^;ゞ

②『江戸時代(過去)の景色』は、宇宙のどこかにある望遠鏡でみることが出来る。

 私たちが、天文台の望遠鏡で見ている星は、その星が、何万年前に発した光(姿)です。
(私たちは、1秒前の月を見ています。)

そのことを逆に考えれば、『江戸時代の景色』も含めて、私たちの過去のあらゆる場面は、
「光」となって進んでいるので、宇宙のかなたの望遠鏡で見ることが、原理的には可能なのです。

つまり、「過去」の放った光(姿)は消えないのです。「過去」は消えないで、残っているのです。

このような原理が考えられるなら、アカシックレコードが荒唐無稽な話ではないことになります。
「過去」の情報が、「宇宙に内在されている」ことは充分に考えられます。

③ 相対論では、タイムマシーンは可能であり、
「過去」に戻って、自分の母親を殺めるという「パラドクス的世界観」もありうるのだそうです。
それに対しては、時間順序保護仮説(ホーキング博士・量子論)があるそうですが、
相対性理論には、時空間に関するさまざまなパラドクスが含まれているそうです。

④ インフレーション宇宙論(膨張宇宙論)
「ビックバン以前とは、何か?」 「どのような爆発が起きたのか?」という問いへの
物理科学的な解答が、佐藤氏の論文に書いてあるそうで、それによりますと、

『ビックバンが起きた時、「宇宙」の大きさは、1円玉程度だった。 
その一円玉になるまでに、いまの宇宙全体の構造が決まった。
その構造のなかに、「時間」も含まれている。』のだそうです。

佐藤勝彦HP

【1124】私は普通の人間(^^;ゞ

2007-09-16 08:20:22 | 思索
【1123】で、「金銭を得るための商売」などと書きましたが、
半面、商売とは「人助け」だとも思うのです。(^^;ゞ

最近は「少食の時代」なので、当店のボリュームたっぷりのお弁当は、
時代の流れに逆行(笑)しているのかも知れません。(^^;ゞ

それで、当店を利用されているお客さんをリサーチしてみますと、
高齢者の女性が、遠方から手押し車で来られることが多いので、
「和風の惣菜」を配達したら、喜ばれると思いました。(*^_^*)

要するに、創業22年を経て、「自家製和風惣菜の配達店」に転換しようと決めたのです。
これも、アセンション(次元上昇)に即した変化だと思うのです。(^^;ゞ
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【1121】で、自分が「身勝手な人間」であると気付いたことを書きました。
それに自分は、「この世の何か」をとにかく一生懸命にやっている人間でもないのです。(^^;ゞ

私は集団に属して、何かを開発できるような優れた人間ではないし、
特に際立った才能があるわけでもなく、専門的な知識や技術を持ってもいないのです。(^^;ゞ

それでいて、「身勝手な人間」なのですから、「たちが悪い」のかも知れません。(^^;ゞ
要するに、私は「優れた人間でも、人格者でもない、普通の人間」なのです。

先日は「統一」をしていて、そんなことに気付きました。(^^;ゞ
でも、そのように「自分」を見切ってしまうことができて、
案外と気楽な道に、たどり着けた気がします。(*^_^*)