『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【151】自律訓練法のよる「幽体離脱」?

2005-03-31 22:19:02 | 経験
2年半ほど前のお盆休みに、白馬山の雪渓を体験するバスツアーに、一人で参加しました。食事をした後、何もすることがなかったので、ヴィパサナ瞑想をしたあと、ベットの上で自律訓練法をしていましたら、肉体の感覚がなくなって、「意識だけがある」状態を経験しました。

この体験が特異なことなのどうかは、私には分かりませんが、
1時間以上自律訓練法をしていたら肉体感覚がなくて、「意識だけがある」という「離脱のような感覚」を体験しました。

この体験は、【150】の「肉体からの意識の分離」と似ています。
似たような感覚だったので、その時のことを思い出しました。

自律訓練法

【150】「意識」が肉体から離れた夢(幽体離脱)?

2005-03-30 21:46:01 | 経験
空を飛んでいる夢の多くは、「幽体離脱」をしている場合に見るそうです。
私も時折、おっかなビックリで浮遊している夢を見ます。(^^;ゞ

その幽体離脱の話なのですが、
26日の午前5時半頃、「統一行」をした後、ぼっとしていましたら、
階下から、賑やかな話声が聞えるのです。こんな時間に変だとは思ったのですが、確かにはっきりと聞えるのです。

その声に耳を澄まそうとした瞬間、私の意識が肉体を置いたまま浮かび上がったように感じました。意識と体が離れた感じがしたのです。具体的には、金縛りのときのように、体が動かせなくなり、「意識」が天井を抜けて上昇しはじめました。

目を閉じたまま、上に登って行く感覚でした。目を閉じているので、何も見えませんし、移動したときの風も感じませんでした。

恐いと思いましたので、「世界人類が平和でありますように」と唱えましたが、
しばらくすると、「意識」は肉体に戻りました。

こんなことが2回繰り返されましたが、「夢」を見ていたのかも知れません。(^^;ゞ

五井氏は「意識は、寝ている間は霊界に行って、別の仕事をしているのですよ。」と言われます。もともと、この肉体と意識は別のものであるのかも知れませんね。

【149】私は何がしたいのか?(本心に聞いてみる)

2005-03-29 22:22:56 | 「白光」の教え
特に若い人は、「自分は、どのような人生を歩んだら良いのか?」という疑問を持っていると思うのですが、「自分が、どうしたいのか」は、自分の本心に聞いてみるのが良いと思うのです。

私もそうでしたが、若いときは業が深くて、心が安定しません。それでも、やりたいことを、真心を尽くして、色々とやってみるうちに、答えが見つかってくると思うのです。時には休憩をしながらでも、行動してみることが、「悩みなく過ごすコツ」だったりします。「案ずるより、生むがやすし」なわけです。(*^_^*)

生きていくことは、具体的なことなのですから、そして、「人生」は、守護霊さんがちゃんと用意してくれているのですから、自分の業想念に負けずに、本心を表すように行動していけば、「自分の人生」を完とうしていけると思うのです。

「これは、自分のいのちを輝かせられることだ」と思ったら、「あきらめず、本気でぶつかってゆけば、得られるものは、必ず何かある」と信じて、やってみて欲しいのです。

自分のいのちを、輝かせられているかどうかは、
「わくわくする」かどうかがポイントです。(^^;ゞ

私も、興味のあることを色々とやってきました。「白光」とのつながりも、
いま考えてみると不思議なのですが、「何人かで、祈ることをしたい」というイメージが、以前からありました。このごろ、「白光」の集会に行くようになりまして、「前からやりたかったことをしている」という感じなのです。

でも、こういうことの実現は、たぶん「縁」の問題ですので、あせる必要はないと思うのです。

具体的には、自分の内なる魂の声に耳を傾けて、自分が「わくわく」する決定を、積み重ねていけばよいのだと思うのです。

これが、『私たちの天命を、完とうする』方法だと思うのです。(*^_^*)

輝かしい未来を創造するセミナー

2005-03-28 21:53:33 | 講演会のお知らせ
私が以前にレポートしたのと同じ「セミナー」の案内です。(参加費無料)

4月2日(土)サンデックホール(習志野)4階会議室【13時45分~17時半】

4月3日(日)アクアベール(栄町会館)3階 扇の間(釧路市)【13時半~17時】

4月23日(土)豊川市文化会館 大会議室 【13時半~17時】

4月24日(日)名古屋市民会館 第一会議室 【13時15分~17時】

5月1日(日)いせ市民活動センター北館(いせシティープラザ)2階多目的ホール【13時20分~17時】

5月8日(日)大田区産業プラザPIO4階コンベンションホール【13時15分~17時】

     問い合わせ先 0544―29―5210

【148】他人は、「私」です

2005-03-28 21:19:35 | Weblog
この『知足日記』のテーマとなっていることを、
Rahiriさんの掲示版に、書き込みましたので再録します。

★「他人は、実在しているようでもあるし、実在していないようでもある」と思っています。

それは、他人とは「私の意識の中にある他人」ということでもありますし、
同時に、他人が実在しなければ、「私の意識の中にある他人」も形成されないという意味です。

「他人とは、私の意識の中にある他人」なのですから、他人のために生きること(愛)が私のために生きること(私の中に愛を実現すること)にもなるわけです。

「他人の喜びをわが喜びとせよ」というのは、そういう「自他一体の境地」からの発言だと思うのです。

それで「感情や意志を持つ他人」というのも、「自分の意識の中にある他人の姿」だと思うのです。

特に「感情や意志を持つ他人」が身近な人であった場合は、自分の感情や意志の反映が、その人に現われることが多いと思うのです。そしてそれも、
「自分の意識の中にある他人の姿」だと思うのです。

そして「他人とは、私の意識の中にある他人の姿」だと納得できれば、
自分の中の「他人の姿(イメージ)」を変えて、他人に接することもできると思うのです。

「他人を変えたかったら、自分がまず変わりなさい」とよく言われるのは、
こういう理屈によるのだと思うのです。(^^;ゞ

他人を誉め、愛を持って接すれば、相手も私を誉め、愛を返してくれるそうです。これは、「法則」だそうです。

Rahiriさんの掲示版

【147】天変地変による人類の浄め

2005-03-27 21:15:17 | 「白光」の教え
私たちの霊性の向上と天変地変は関係があるのです。
「白光」では、地球霊王ということが言われます。物質的な地球を表しているその奥に「地球霊王」という意識体があるのです。それは、人間が霊体(いのち)という意識体に支えられて存在しているのと、同じ構造なのです。ですから、
地球は、単なる物質のかたまりではないのです。

私たちの行為が、地球にいろいろな影響を与えるのですから、
私たちの存在の霊性と地球の霊性は、関わりあっているのです。

地震などの災害が起こるのは、人間の業が地球を傷つけていることに対しての、
地球の意識体からの反応なのです。災害を起すことによって、人類を浄めているのだそうです。

ただ、天変地変は悲惨なことではありますが、「人間のいのちは永遠」なのであり、「肉体の死」は、人間にとって一時的な現象なのですから、私たちは罪の意識に苛まれる必要はなく、ただ淡々と自分の霊性を高めてゆけば良いのです。

ですが、これを「天変地変は悲惨なことではない」と受け取ってしまいますと、
傲慢になり、誤った考えになってしまいますので注意が必要です。

天変地変はあくまでも、私たちの悪しき業想念が形となって表れたものであり、
災害に遭われた方々は、私たちの身代わりになって、天変地変を受けてくださったのですから、そのことに心を向け、感謝する必要があります。

【146】一度だけ、「宇宙究極の光を降ろす行事」に参加しました

2005-03-26 22:28:56 | 白光真宏会
昨年の2月に、大阪支部での「宇宙究極の光を降ろす行事」に参加しました。
「宇宙究極の光」が降りてくる時にあわせて願い事をすると、その願い事が叶うと聞いていましたので、「娘が、結婚する様子」を出来るだけ具体的に、こころの中に想い描きました。

その願いは、年内に実現しましたが、それが「宇宙究極の光」の効果によるものかどうかは、確認できません。(^^;ゞ

でももう一つ、昨年の息子に起こった奇跡的な出来事は、ちょっと信じられないものです。(^^;ゞ

「宇宙究極の光」をネットで調べますと、色々な用法などが出てきますが、私が考えるには、「想いを現実化させる力」のようなものだと思うのです。

それで、「富士聖地が3,95次元になった」というのも、「想ったことが直ぐに、現実化するレベルに富士聖地が近づいている」ということではないでしょうか。(*^_^*)

【145】富士聖地が、3,95次元になったそうです(^^;ゞ

2005-03-25 21:57:49 | 白光真宏会
五井昌久氏の「祈り以外にこの世を救う方法はありません」が前提なのですが、
富士聖地は、「祈りの力」の結集により3,95次元になったそうです。そして、3月6日の「宇宙究極の光を降ろす行事」で、今までは宇宙究極の光を受けるだけだった私たちが、この日以来、こちらから光を出して宇宙神に継がれる存在になったそうです。3月6日は、「天と地が継がった日」なのだそうです。

「白光」でいう平和というのは、現象界の平和ではなくて、
いのちの世界において世界平和を実現させることだそうです。

安永さんのサイトでは、そのことが詳しく述べられています。
21世紀に私たちはどう生きたらよいか

★だだ、今の私には、「3,95次元」や、「宇宙究極の光」がどのような概念なのかが定義出来ませんので、伝聞ということにさせてください。(^。^?


【144】「今に生きる」という言葉に把われないように(*^_^*)

2005-03-24 05:45:07 | 思索
先日、波さんのコメントにお応えする形で書いたことなのですが、
「今に生きる」というのは、言葉ではなくて、実際に対象と一つに成って、事を為すことなのです。

「今に生きる」を言葉で捉えている時は、「今に生きていない」のです。
なぜなら、「今に生きよう」と意識しているので、「今」と一つに成り切れていないのです。

「今に生きる」状態は、後になって分かることなのです。

ですが、意識が高まってきますと、「今」に集中しようとして、「今」に集中できるようになります。そして、集中している間は、『今に生きている』のです。

「今に生きる」というのは、「どんな苦しみの中にあっても、それもまた楽しみであるという安心立命」の中にいるという心境なのだと思うのです。

講演会のお知らせ

2005-03-23 05:34:58 | 講演会のお知らせ
「白光真宏会」の公式サイトには載っていないのですが、「白光誌」に載っている講演会(無料)がありますのでご紹介します。

★3月26日(13時~15時)江東区ティアラこうとう小ホール
★3月27日(13時~15時半)高知電気ビル8F
★3月27日(13時~17時)北海道河東郡木野福祉会館大ホール
★4月17日(13時~15時)大阪市中央公会堂大ホール
★4月24日(13時~15時半)盛岡市・プラザおでっこ3F

事前に、各会館に問い合わせてくださいね。(*^_^*)

【143】「絶対、大丈夫。必ず、良くなる」

2005-03-23 05:30:39 | 「白光」の教え
「白光」の教えの中心は、「消えてゆく姿」。
そして、「消えてゆく姿」が出た後は、「絶対、大丈夫。必ず、良くなる」という方向に行くということです。

「想いが世界を創っている」のですから、「絶対、大丈夫。必ず、良くなる」と思えれば、良い方向に物事が進み、心配をして暗い気持ちになると、良くない結果が表れてくるという「教え」なのです。

ですがこれは、「確かめようがない」のも事実です。(^^;ゞ
事象ごとに条件が違うのですから、純粋な客観的視点で比べることは出来ないのです。

それで、結果として「絶対、大丈夫。必ず、良くなる」かどうかを、「信じられるか、信じられないか」ということになります。(^^;ゞ

ですが、全く純粋に、「信じられるか、信じられないか」の選択かといいますと、そんなことはなくて、「事象をどのように受け取るか」で、先々の結果が変わってくることは、よくある話ですし、未来はやはり、自分の意志で良い方向に変えて行きたいものです。

ヴィパサナの先生も言われていましたが、「私たちは因果法則(カルマの法則)の中に生きていて、日々修行をし、陰徳を積んでいるのですから、良い結果が表れわれないはずはない(笑)」ということなのです。

私たちには見えませんが、日々修行をし、陰徳を積んでいれば、守護霊さんが、カルマを軽減してくれて、最後には、ちゃんと良いようにしてくれているという「教え」なのです。(^^;ゞ

【142】「消えてゆく姿」と永遠のいのち(虚と実)

2005-03-22 05:32:58 | 「白光」の教え
「虚(想い)」は消えてゆく姿だということなのです。

「想うこと」によって、悪いこと、不幸なことと判断されることは「虚」なので、「悪いこと、不幸なこと」は、実在の姿ではないのです。

ですから「想うこと」は、消えてゆく姿(プロセス)なのです。

それで、何が消えてゆかない姿かと言うと、「虚」(プロセス)と知ることが「実の姿」なのです。人間によって表わされた「真・善・美」は、消えてゆかない姿なのです。

真・善・美は「実の姿」であり、消えてゆかないのです。

この世が「仮の世」と言われるのは、人生のすべての経験はプロセスであり、それは「永遠のいのち」(真・善・美)を輝かせるための手段(トレーニングの場)だからです。

先日瞑想をしていましたら、
『本心は善、本心は愛、本心は神。』という言葉が浮かびました。(^^;ゞ

人間が人生を通じて、「本心」を表わそうとするなら、この「善・愛・神」を表すことが、「永遠のいのち」を輝かせることだと思うのです。