『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2580】「存在」について知ることが、自分の心を落ち着かせる!(^^;ゞ

2010-04-30 00:40:18 | 思索
「存在」について真に知ると、「自分の心」が落ち着きます。

「存在」について真に知ることは、『「存在」も「無」も言葉でしかない(存在も無も同一)』ということです。(^^;ゞ


★「存在」や「人生」を、言葉で語ることは出来ないのです。

「言葉で語ることが出来ない」のですから、「語られた言葉」に把らわれる必要はないのです。(*^_^*)


★言葉は、「分別」をして、限定するのが役目です。

「真理」は、限定できない無限なるものなので、「言葉」では語れないのです。(^^;ゞ

「言葉」で語って、その「言葉」を捨てたところに「真理の面影」(笑)があるのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

①「存在」とは、内面意識の「感じ」でしかありません。

 「統一(思考停止)」の中で、「存在」を感じれば良いだけのことです。(^^;ゞ


②人間の価値は、「存在」です。

白光誌5月号にも『生きていることそのものが尊い』という文章がありましたが、

人間は、だた「存在する」だけで良いです。「存在」が、価値なのです。


けれどもそれは、「生存(寿命)の長さ」が、価値ということではありません。

「今、存在している。生きている。いのちしている」ことが、尊いのです。(*^_^*)


③存在すること、ただ在ることが、「創造主(神)であること」です。 「消えてゆく姿」を行じていることです。

 「過去の思い」を摑まなければ、スムーズに生きられます。(*^_^*)


④病気や怪我や食べすぎ等で体が不調な時に、「この体を、止めたい。どうにかしたい!」(笑)と思うことがあります。(^^;ゞ

体調が悪い時は、「自分の体」を意識するので、「自分の体」があるように感じられますが、

体調が良ければ、「自分の体」を意識することがありません。 

「体」は、意識されたり、意識されなかったりします。


★「自分の体」とは、「自分の体」という「思い」です。 「意識」です。 唯識なのですから、意識(思い・心)だけがあるのです。

「自分の体」を意識すれば、「自分の体」を感じるのです。 「在る」と感じるのです。


「思った時」に、「在る」のです。(*^_^*)


★「自分の体」という「思い(意識・心)」は、灯ったり消えたりしているのです。

寝ている時には、「自分の体」という「思い」がないので、「痛み」が無いのです。

「痛み」も、あったり無かったりしているのです。(^^;ゞ


眠っている間、「私の意識」は、どこに行っているのでしょうか?

「自分の体」という「思い」から離れていることは確かです。(^^;ゞ

私の「思い」は、夢の世界(あの世?・幽界・霊界)のリアルさを「存在」と感じて、
「消えてゆく姿」を行じているのかも知れません。


★肉体と意識は、物(被写体)と写真機(写体)の関係です。

「自分の肉体」は、「心(意識)」にとって「外界」です。

「思い」が、肉体を意識するから、「肉体」があるのです。


映しているのは、「自分の心」です。 中心は、「自分の心」です。

すべては、「自分の心」に映っている姿なのです。

「思っている姿」が、「消えてゆく」のです。


★「自他を分ける意識」が消えれば、
「他人の肉体」と「自分の肉体」という区別が消えるのかも知れません。(^^;ゞ

【2579】「人間は食べるために生まれてきたのではない」・「食べること」と「存在の神秘」について

2010-04-29 05:51:14 | 思索
白光誌5月号の「日々の指針」に
■人生の目的は、「何をするか」ではなく、「自分が一体何者なのか」を探求しつづけることである。

■人生とは、どれだけたくさんのことをしてきたかではなく、
 どれだけ人のための愛を真と赦しの言動行為を尽くしてきたかである。

という言葉があるのですが、それをなんとなく覚えていたこともあって、

スーパーに買い物に行く人たちを見ていて、
「人間は食べるために、生きているのではない」(笑)という言葉が浮かびました。(^^;ゞ

★それでは、人間はなんのために生きているのかというと、(^^;ゞ
 上のように、「愛と真と赦しを実践するため」なのですが、

その「愛と真を赦しを実践すること」の中に、美味しいものを作って他人に提供をすることや、
「美味しいものを他人と分かち合う」が入っているので、
「食」を全否定することが出来ず(笑)、ちょっとややこしいのです。(^^;ゞ


★「愛と真を赦しを実践するため」と言っても、それもやはり言葉なのです。(^^;ゞ

 本当の愛は、「他人に美味しい物を提供すること」でも、「共に食べこと」でもないのです。

「本当の愛」とは、何なのでしょうか(^。^?

他人を、「目先で喜ばす」ことでしょうか?

他人には、美味しいものを提供し続けなければならない(笑)のでしょうか?

「他人が、真に救われること」とは、何なのでしょうか?

「他人が、真に救われること」は、その人が悟りを得て、光明の光に満たされることです。

他人のために、そのような努力をすることが、私たちの「本当の愛」だと思うのです。

でもそれは、とても困難な道(笑)です。

自分でさえ、迷いの中にいて、悟れていないのに、他人を悟りへと導くことなど出来るのでしょうか(^。^?


★それが、出来るのです。(^^;ゞ

 というか、悟るか悟らないのかは、本人の問題なので、
キッカケ(たとえば、このプログで、「自分の存在の神秘」を知る)を提供することは来るのです。

悟るのかどうか、その人の人生の必然なのです。

【2578】無意識に食べて、人生を過ごしている、 眠っている人々(^^;ゞ

2010-04-29 05:50:45 | 思索
★他人を見るたびに、その人体の中に、どのような「意識」が入っていて、
その「意識」が、肉体にどのような行動させているのかが気になります。(^^;ゞ

★私たちは、他人の表情や行動から、他人の意識を読み取ろうとする傾向がとても強いです。

人間は、他人の「意識」にとても興味を持つ存在です。

★他人の意識の中の関心事に、とても興味があり、
他人が、どのような精神の人であるのかを探ろうとします。

「何に興味を向けてる精神(意識)の人」なのかを探ろうとします。

★この「何に興味を向けるのか?」ということが、「自分の全宇宙を創造(想像)すること」です。

★自分の意識を、「この意識」と客体化して考えることが出来ますと、
自分の興味の対象を客観的にみて、コントロールすることができます。

自分の興味(関心事)に、のめり込むことなく、覚めていることができます。

★私たちの多くは、自分の関心事(興味の方向)に、あまりにも無意識だと思うのです。(^^;ゞ

無意識に食べて、人生を過ごしていると思うのです。(^^;ゞ

★それもプロセス(必要な経験)なので、決して悪いことではありませんが、(^^;ゞ

日々の時間を「祈り(瞑想)」で満たすと、「この意識」という客体化が出来ます。

自分の習慣性や自己規定を外して、自由に生きるためには、自分の意識を客体化する必要があります。(^^;ゞ

【2577】人類の一人一人が、全宇宙であり、無限なる者、無限なる存在

2010-04-29 05:10:29 | 思索
私たち一人一人が、「宇宙そのもの」であり、 「全宇宙」であると思うのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★今まで書いてきたことを、「一人一宇宙」という言葉だけでは、表現し切れない気がするのです。(^^;ゞ

それを一応、『人類の一人一人が、全宇宙であり、それが「今」に集約されている』と書いてみたのですが、
「集約」の意味が判然としない。(^^;ゞ

★「今に、集約されている」とは、
『時間的に、今ここで、自分の意識に映っている一回限りの宇宙を経験している』ということなのですが、
意味が通じますか? (^^;ゞ

★「一人一人が、全宇宙」ということは、一人一人は、「自分の宇宙の創造主」ということなのですから、「我即神也」なのです。

そして、人類の一人一人においても、「一人一人が、全宇宙」であり、「自分の宇宙の創造主」なのですから、「人類皆即神也」なのです。

そういうことなので、「我即神也」や「人類即神也」の神は、無限なる者という意味なのです。(^^;ゞ

私たち一人一人、人類一人一人は、無限なる者であり、無限なる存在なのです。(*^_^*)

【2576】「この意識」とは、宇宙自身の自己認識か、自慰行為か?

2010-04-28 05:47:10 | 思索
「自分」・「今」・「宇宙」という言葉を厳密に定義することは不可能ですが、
それぞれの言葉には、それなりの意味がありますので、
ご自分の理解される言葉の意味(笑)で、解釈してみて欲しいのです。(^^;ゞ

【2575】の言葉は、本当は、以下のような意味です。(^^;ゞ
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★自分とは、「今の宇宙(現宇宙)」そのもののこと

★自分の「この意識」は、「現宇宙」を映している唯一の意識

★「この意識」は、「現宇宙」に存在する「唯一の意識」

★今の自分の「この意識」に、「今の宇宙」のすべてが映っている

 しかも、「この意識」を生み出したのは、「宇宙」。

「この意識」は、宇宙の一部。

そう考えると、
宇宙の全歴史が「この意識」を創り出し、「この意識」に自分自身(宇宙)を映していることになる。(^。^?

映っているのは何で?・・・・、映しているのは何か?

それとも、どちらも「宇宙」の一部なのだから、何事も起きていないのか?

「この意識」とは何か、宇宙による宇宙の自己認識か?

それとも、宇宙自身による自慰行為か?(^^;ゞ

案外、自分で自分を慰安するという意味で、「この意識」は、母なる宇宙のことを想起して、
自分を癒すために、自慰行為をしているのかも知れない。(^^;ゞ

本来は、「自分」や「宇宙」について考える必要などないのかも知れない。

それでも考えてしまうのは、(^^;ゞ
自分が、母なる宇宙の一部であることを思い出したいからなのだと思う!(^^;ゞ

【2575】自分とは、宇宙そのもの

2010-04-27 05:38:34 | 思索
このプログを書いていて気付いたことなどをまとめて、
本にするとしたら、そのタイトルは何にしようかと考えてみました。(^^;ゞ

できるだか平易な言葉で、
人間の一人一人は、宇宙に存在する「唯一の意識」であると言いたいのです。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
【本のタイトル候補】

★自分とは、宇宙そのもの

★自分は、宇宙に存在する唯一の人間

★自分は、宇宙に存在する「唯一の意識」

★自分は、宇宙を映し出している「唯一の意識」

★自分の意識に、宇宙のすべてが映っている。

【2574】自分の「思い(意識)」が、未来を創るのです

2010-04-26 03:39:00 | 思索
やはりまだちょっと、スッキリと論理を展開できていない気がしますが、(^^;ゞ
果因説とは、以下のようなことだと思うのです。
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■自分の「思い(意識)」が、未来を創るのです。
イメージすれば、時期を得て、自分の「思い」が現実化するのです。

富士聖地が、四次元になったというのは、
「思い」の世界と、「現れの世界」が真近になって、
「思い」がすぐに現実化をする状況になったということです。(^^;ゞ

思えば、すぐに実現するようになったのです。

★上のように書いたのですが、
果因説の性質上、果因説の概念を信じれば信じるほど、
自分の思い描く未来が、より確実に実現するようです。(^^;ゞ

★自分の人生を、自分で思い描いて変えてゆくというは、人生の醍醐味だともいえます。

【2573】「時間」は、想念です。 「時間が流れる」は、思い(観念・概念)です。

2010-04-25 08:22:30 | 思索
「真理を生きる」とは、宇宙意識を持って、宇宙神に繋がった意識で生きることです。

肉体人間としての経験の好都合や不都合は、「消えてゆく姿」として、守護霊さまに任せれば良いのです。(^^;ゞ
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★過去のすべては、記憶という経験(イメージ)。 時間は一瞬のことであり、想念。
 「時間の経過があるように」思っているだけ。(【2572】)というのも真実です。


「時間」も「時間が流れる」も、「思い(観念)」です。

一瞬一瞬の「今」があるだけです。

そのことに、もっと気付こうと思うのです。(^^;ゞ

★果因説とは、『事実として、結果と原因はない。因果はない。プロセスとしての刻々があるだけである。
起きていることが起きているだけ』ということなのです。

事実として、一瞬一瞬の「今」があるだけであって「過去」はなく、
「前後裁断」なのです。 因果関係とは、「思い(観念)」なのです。(^^;ゞ

果因説とは、唯識(ただ、識がある)のであり、因果は「思い(観念・概念)」であるということなのです。

そして、結果としての「今の状態」は、思いの描いた結果だというのが、果因説(思い描いた世界が現れる)なのです。


★事象(消えてゆく姿)は、「思い」にとって、必要と必然があって起こるのです。


★「過去」が「未来」を創るのではなくて、一瞬一瞬の変化(消えてゆく姿)があるだけです。

事象(消えてゆく姿)は、必要があって必然的に起こるというのが、果因説だと思うのです。

・・・・・・・・・と書いたのですが、・・・・・・・・・・・
(まだ、ちょっと、スッキリと論理を展開できていない気がします)(^^;ゞ

【2572】宇宙意識を持つことが、宇宙神と繋がること

2010-04-24 05:12:45 | 思索
★宇宙意識を、『自分の意識は、宇宙に存在する「唯一の意識」と知ること』と定義しますと、

宇宙意識を持つことが、宇宙神と繋がることだと思うのです。(^^;ゞ

宇宙意識を持って生きることが、宇宙神につながった意識を生きることだと思うのです。

★そしてそれは、自分の「消えてゆく姿」を淡々と(笑)経験することでして、
「自分の思い」に執着しないで、過去に流してゆくことだと思うのです。

それが、どんなに「不都合な経験」であっても!!、肉体人間として経験をすれば良いだけなのです。

自分に起こる「すべての事象」を、有難く受け取れば良いだけなのです。(^^;ゞ

それが「白光の教え」です。(^^;ゞ


★自分の意識を「宇宙意識(宇宙神)」に繋げる方法が、「世界平和の祈り」(「統一」)です。

宇宙神(宇宙意識)と繋がりますと、色々なイメージや、インスピレーションが降りてきますから、
それに従って行動をすれば、すべてが上手くいくのです。(^^;ゞ

「絶対に、大丈夫」(笑)なのです。

私たちは、経験をしなければならないコトを、経験させてもらっているだけなのです。(^^;ゞ

肉体人間として、色々な経験をさせて頂いて、死ぬときになったら死ねば良いのです。(^^;ゞ

いや、「死」はないのでした。(^^;ゞ

「今だけが、ある」、「今の意識だけが、ある」のでした。

「今、唯一の意識だけがある」のです。(^^;ゞ  すべては、「自分の思い」なのです。

★それで、私が最近の『知足日記』で果たしたこと(笑)は、「我即神也」を哲学的に証明したことだと思うのですが、(^^;ゞ
判断はお任せします。(^^;ゞ

「我即神也」という驚きと、自分は「唯一の意識」という驚きは、同質の真理(笑)だとは思うのですが、

『自分の意識は、宇宙に存在する「唯一の意識」(唯識)』(真理)という驚きの方が、私には新鮮です。(^^;ゞ

【2571】「唯一の意識を持つ自分が、全宇宙」とは何か?(我即神也=宇宙意識=主客合一)

2010-04-23 04:25:54 | 思索
それで、「唯一の意識を持つ自分が、全宇宙である」という真理と、「白光の教え」の整合性を考えてみようとしましたら、

「宇宙意識」と「我即神也」と「主客合一」いう言葉が浮びました。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★「宇宙意識」という言葉を安易に使うつもりはないのですが、(^^;ゞ

全部がひとつであり、しかも、全部は、「自分の意識」であるというような意味だと思ってください。(^^;ゞ

『「唯一の意識」である自分が、宇宙そのものである』という認識を持った意識のことです。


★これが、「我即神也」という概念と同じだと思えたのです。(^^;ゞ

つまり、「宇宙意識をもつこと」=「我即神也」なのです。


★自分が「唯一の意識」だと気付いていることは、「主客合一(主観と客観は一つ)」(西田哲学)であると気付いていることであり、

「すべては一体。物質も精神も一体」と気付いていることであり、

そのとき、「自分の意識」は宇宙意識になっているのです。


★「我即神也」というのも、「万物は一体であること」に気付き、「主客合一(自分と他はひとつ=慈愛=愛)」に気付き、

自分が「唯一の意識」であることに気付くことだと思うのです。


★自分は、宇宙に存在する「唯一の意識」であると気付くことが、「自分が、神である」と気づくことだと思うのです。


まだ整理できはいないのですが、 以下は、昨日浮かんだ言葉です。
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★自分のこの意識は、宇宙そのもの。「宇宙の意識」そのもの。

★「この意識=全宇宙」であるということは、「すべては、一体である」と知ること。 「主客合一」であるということ。

★「我即神也」=「我は、神そのもの」=「我」は、宇宙そのもの=我は「唯一の意識」=
我は、大いなる自分=我は、宇宙意識=我は、宇宙自身。

★今ここのある「唯一の意識」を、プロデュース出来るのは、「自分」という意味で、自分は「神」!。

★自分の中に、『宇宙意識(=「唯一の意識」という気付き)』があるこに目覚めていることが覚醒。

★自分が「宇宙意識」になることが、「唯一の意識」を生きること。行じること。

★「唯一の意識」に気付くことが、宇宙神と一体であること。 「主客合一(主観と客観は一つ)」が、宇宙の構造。

★「他人から、どう思われるのか?」という自意識も、「宇宙意識」?   主客合一であるから。(^。^?

★「我即神也」、「私は、宇宙そのもの」・「私は唯一の意識」「私は宇宙意識」と思って、印を組む。

★「我即神也」とは、「宇宙意識を持っている自分」ということ。

★宇宙意識(宇宙神)と一つになることが、主客合一ということ。

★過去のすべては、記憶という経験(イメージ)。 時間は一瞬のことであり、想念。
 
 「時間の経過があるように」思っているだけ。

【2570】一人一人が、それぞれの意識に、宇宙(現実)を映して生存している。

2010-04-22 05:09:31 | 思索
【2569】の文章は堅いので、自分の気持ちの側から書いてみました。(^^;ゞ
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『すべては、「自分の思い」である。

その「思い」を止めると、誰もいない。

「存在」と思う人がいない。

世界はすでに、平和である!!

欲しいものは、何もない。

一人一人が、それぞれの意識に、

宇宙(現実)を映して生存している。 いのちしている』

【2569】すべては、自分の心に映っている「消えてゆく姿」(現象・事象・他者)

2010-04-21 05:31:55 | 思索
真実(真理)が分かると、悟った気分(笑)になりますが、(^^;ゞ

「言葉での認識」が迷い始めますと、「悟り」が消えます。(^^;ゞ

それでつねに、この記事のタイトルのような言葉を、自分の中で繰り返しています。(^^;ゞ

以下に、最近認識した「真実(事実)」をまとめました。(^^;ゞ
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★自分とは、宇宙に存在する「唯一の意識」

★「自分=唯一の意識」だけが、「今ここ」にあり、それがすべて。

★すべては、自分の心に映っている他人、事象、現象。

★すべては、「この意識」における印象(イメージ)。

★「今のこの意識」が、ただ在り続けるだけという心境が悟り。

★私は、「私のことを誰も知らない世界」に、一人で住んでいる。 絶対孤独か?

★「唯一の意識、今、ここにあり、前後裁断なり」という意識が悟り。

★一人一人が「唯一の意識」で、「消えてゆく姿」を経験することが、
それぞれの天命を完とうすること。

★「この意識」を産むために、全宇宙がある。全宇宙が、この意識を産んだ。

★「この意識」=全宇宙である。

★「この意識」を存在させるために、全宇宙(物質世界)が協力して、この肉体を造った。

【2568】自分の「過去の経験」は、「瞬く間の出来事」だった感じがする(過去の経験=思い)

2010-04-20 04:37:19 | 思索
18日は、大阪支部での吉岡さんの講話を聴いたのですが、「なるほど」と思える、ちょっと不思議な話がありました。(^^;ゞ

それは、私たちは、自分の年齢だけの「人生の時間」を過ごして来たのですが、
誰もが、「自分の過去を振り返ってみると、一瞬だったような感じがする」という話です。(^^;ゞ

実際に自分には、「58年間の時間の流れ」があるのですが、
それは、「ほんの瞬間の出来事」であったように感じられます。

色々と思い出す事柄はあるのですが、確かに、「瞬く間の出来事」だった感じがします。(^^;ゞ

実際に、過去は、もう存在しなくて、過去のついてのイメージが、自分の脳に、
記憶されているだけなのですから、「過去」が一瞬と思えるのは、当然なのかも知れませんね。(^^;ゞ

★私たちは、どのような時間を生きているのでしょうか?

「流れる時間」などを、生きてはいないのかも知れません。(^。^?

すくなくとも、「時間」は言葉に過ぎません。(^^;ゞ

「流れる時間」は、言葉での認識です。観念です。


★「現実的な時間」の流れと、「思い出す時間(思いの中の時間)」は、別のものです。

「現実的な時間の流れ」の中にあって、「事象は、次々に、変化してゆく」という『瞬間の世界』に、

私たちは住んでいます。(^^;ゞ


★私たちの『思い』の中では、時間や空間の制約を受けることなく、『思い』が駆け巡っています。(^^;ゞ

【2567】アセンションとはブラックホールに地球が吸い込まれ、別宇宙(別次元)にワープすること

2010-04-19 03:37:15 | 思索
『2010年に起きること2』というタイトルのメルマガが届きました。

不穏な内容なのかも知れませんが、肯定的に捉えて、受け入れる心の準備をしておきまよう。(^^;ゞ
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*世界で経済的な困難が一層増大する方向に向かい、2010年7月8日にピークに達する。
*天候不順による穀物の世界的な不作。これにより世界的な規模で食料価格の高騰が発生する。

*2010年には、異常気象による自然災害の発生で金融システムならびに経済全体が大きな影響を受ける。経済の崩壊が(米)国民の最大の関心事となる。特にこれは11月にピークを迎える。

*ドルという通貨そのものが崩壊し、連邦政府はまったく機能を停止した状態になる。
*7月から11月にかけて、革命や反乱で社会的な混乱が深まる。

*2010年は記録的な自然災害が襲う年となる。2010年には7つの巨大地震が起こる。
チリで発生したマグニチュード8.8の地震はそうした7つの巨大地震の一つである。
(ハイチとチリで巨大地震が起こっているので、残り5つの巨大地震が今後起こる)

7月~8月の初旬に異常な太陽活動が発生する。これがきっかけで、巨大な地震が複数発生する。

*地震のみならず多くの自然災害は、この夏に集中して起こる。今年の夏は記録的な夏になる筈だ。
海流の多くが変化するか停止し、その影響で大気の流れに根本的な変化が生じる。

海洋の環境異変が原因で北半球の気候が大きく変化してしまう。
*こうした異常気象の影響で北半球の食糧生産が大きなダメージを受ける。

(日本に関して)
*7月以降、日本における「革命」は暴力的で激しいものとなる。
格差に耐えかねてフラストレーションがたまった人々が抗議行動を起こすのである。
抗議行動は政権を転覆させるだけの十分な力がある。
*2010年8月の終わりには、多くの日本人が2012年を恐怖し、突如準備を開始する。2012年への準備は日本における「革命」の伏線を形成する。

(2012年関連の予測)
*海から未知の物体が発見される。これは2012年問題の重要な要素である。
この物体の発見で、2012年に起こることが、推測ではなく、現実性があることがはっきりしてくる。

*春には2012年に関するある情報が漏れる。この情報の内容はあまりにも衝撃的で、全世界の30億人に深刻な影響を与える。

つまり2012年は一言でいうと、増大する天変地異、気象異変にともなう食糧不足、さらには世界的には経済危機の一層の深刻化が続き、世界的な「市民革命」が拡大するとWebBotプロジェクトは予測しているのです。

さらに、来るべき2012年に何が起こるのか....。

ハリウッド映画「2012」では太陽系の惑星直列が起こり、ニュートリノが急激に増加し地球内部のマグマの活動が活発化し、ついには地球規模のカタストロフィが起こるというストーリーでした。

筆者として注目している点は、惑星直列がもたらす影響の方です。

2012年12月21日午前11時11分(世界標準時)に太陽系は、銀河の中心核方向に惑星直列となります。
銀河の中心は巨大ブラックホール(1億5千万キロ)で、太陽系はこれまでになくそのブラックホールに大接近します。

最近、米科学雑誌ナショナル・ジオグラフィック日本語版サイトに米科学者の仮説として、”ブラックホールは別宇宙の扉”という記事が公開されました。
(http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100413002&expand)

これは前々から考えていたことですが、ひよっとしたらアセンションとはこのブラックホールに地球が吸い込まれ、別宇宙(別次元)にワープすることではないかということです。
(宇宙の法則研究会制作のDVDで詳しく解説しています)

WebBotの未来予測にありますように2010年は、「2012年の隠された秘密」がいよいよ明らかになる年になるようです。しかも日本人が世界に先駆けてその準備に入ると、WebBotプロジェクトは予測しています。

果たして、2012年はどのような年になるのか.。
おそらくあなたの運命を大きく変える年になるのは間違いないようです。


★来る2012年の地球と人類の変革の直前で、2010年は米国経済の崩壊や巨大地震の発生など地球規模の大異変が連続する可能性があります。

日本のマスコミはほとんど伝えていませんが、2010年4月米国は新ドルを発行します。

この新ドル発行によって全世界は未曾有の経済変動が起こることが予測されます。
一番可能性があるのは、米国によるデノミ施行です。米国によるデノミ(ドルの減額)によって、日本は国家存亡の危機に陥るのは間違いない現実と思われます。


http://archive.mag2.com/0000101181/index.html

【2566】先のことを心配して考え過ぎないで、今に集中して生きる

2010-04-19 01:50:26 | 思索
【2562】の『前後裁断』の文章の段落を、解り易く変えてみました。

『前後裁断』の不生不滅の話は、【2565】の「存在と無は同一」や「存在は存在しない」と
同じ内容の話です。(^^;ゞ

そして、それは果因説の前説(まえせつ)だと思うのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

『前後裁断』

薪が燃えて灰になるが、灰は薪の結果と思ってはならない。
薪には薪のその時々の形態があり、灰には灰のその時々の形態がある。

同じように生と死も同じで、生の後に死が来るのではない。
生には生の前後があり、死には死の前後がある。

従って、生がなくなるということもなければ、死もなくなるということもない。
よってそれを不生といい、不滅という。

冬が春になるのではなく、冬は冬なりの、春は春なりの形態がある。
それを人間は冬から連続して春に、そして夏になると思っているのが間違いである。

冬と春の間に、はさみを入れ、春と夏の間にはさみを入れて、初めて春の実相が見えてくるのである。

過去、現在、未来と時間の位相を定義されていますが、実は時間というものは過去と未来しかないのです。

空間は時間という一方通行のレールの上を走る汽車のようなものです。

たとえば、どこかの駅に停車した汽車の中から見る景色が現実の世界であり、
汽車が走り出したら、時間が動き出しますから、汽車の中から見る景色はどんどん先のものが見えてくるのです。
これは現実の世界ではありません。

今まで走っていた時の光景、これから走り出した時の光景を、完全に忘れて、
今の止まっている時の光景をよく、注意深く見れば、実に奥深いものがどんどん見えてきます。
それが実相であり、本当のものであります。

現在という時間はありません。現在というのは、動く時間を制止した、まったく別次元の世界であり、
その世界こそが、あなただけが存在する実在の世界なのであります。

その為に、過去と現在、未来と現在と繋いでいる幻想の糸を切らなければなりません。それが前後裁断であります。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★時空と自分との関係を端的に洞察した結論として、(^^;ゞ

上の『走っている汽車の窓から見える風景を、時間の経過を考慮しないで考える。

 その時その時の風景に自分を溶け込ませるという心象(心境)の繋がりとして生きる』という比喩は、
とても分かり易いです。(^^;ゞ

★いまの「私の精神状態(心境)」が、上のようでして、
 「将来は、必ず良くなる!」と思って、その時その時の直感(感覚)で、行動をしているだけの日々なのです。(^^;ゞ

その時々にやるべきことが、上から降りてくるようにして分かるので、「それをしているだけ」という精神状態なのです。(^^;ゞ

中ほどの、
『今の止まっている時の光景をよく、注意深く見れば、実に奥深いものがどんどん見えてきます。

それが実相であり、本当のものであります』というのは、本当にその通りでして、

人間(自分)は、先のことを心配して考え過ぎないで、
「今に集中して生きる」と、自分で決めれば、明るく生きられるのです。(^^;ゞ