『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【3104】「生きて存在していることが、そのままで、天命を完とうしていること!!」なのです。(*^_^*)

2011-07-31 21:17:22 | 思索

結局のところ、

人間(人類)の一人一人は、どんなことをしていても、自分の魂の計画(天命)を完とうしている存在です。

 

それに対して自分や他人が、「ああだ、こうだ」とヤキモキすることは、

「思い」の取り越し苦労であり、「思い」の要らないお世話なのです。

 

 

人類の一人一人とは、『自分一人あるのみ』を生きている存在(神)なのです!!

 

★家族や職場での「他者の意識」は、その「思い」が自分に向けられることが多いので、(^^;

 受け流す(笑)という対処が、咄嗟にできないこともあります。

 

 その場合は、相手への慈悲心(愛念)を抱いて「世界平和の祈り」をし、

 

相手の「一時的な思い」を摘まないようにしましょう。(*^_^*

 

「思い」を掴んで、発言すると火に油を注ぐことになり「混乱」が増します。(^^;

 

自分の「思い」(エゴ)を消して沈黙していれば、「思い」の「消えてゆく姿」に引きづられません。(*^_^*

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

■とにかく、

他人に対して、

「申し訳ない」と思えると、

物事は、うまくいくと思うのです。(*^_^*

 

これは、理屈ではないのです。(^^;

 

「ありがとう。ごめんね。ゆるしてね。愛しているよ」という知足の心で、

生きてゆければ最高だと思うのです。


【3103】存在は愛である。存在は神である。(意識の変容と覚醒)

2011-07-31 20:03:03 | 思索

『知足日記』とは別に、

一応、下記のような新しいブログをつくりました。(^^;

投稿もできるようになりました。

 

論理的には説明しないで、

心に浮かんできた言葉を書こうと思いますので、よろしくお願いします。(*^_^*

 

ロゴス(言葉)で追求しないでくださいね。(^^;

 

私の感じた言葉(真理の言葉?)をシェアしてもらえると嬉しいです。(*^_^*

 

「大空といつも見ていなさい。

そうすれば、心がひろく明るくなる」という気持ちでご覧ください。(*^_^*

 

『存在は愛である。存在は神である。(意識の変容と覚醒)』

http://blog.goo.ne.jp/hennyou


【3102】「自分の意識」の変容と覚醒について

2011-07-31 14:42:49 | 思索

★自分の意識が変容したという感じがするのです。(^^;

 

欲望が消えた感じがするのです。(^^;

自分(という思い)が消えた感じがするのです。(^^;

このことと「不食」は関係があると思うのです。

 

人間が霊波動で生きるようになると、透明人間になると言われています(笑?)が、

 

透明人間になるのは、自分ではなくて周りの人たちなのではないでしょうか(^。^?

 

周りの人たちの意識の波動は荒い(=物質中心)ので、

私の意識に触れてこないので、「透明」(=感じない)のです。

 

★自分のこの意識は、過去のことや未来のことを考えることが出来なくて、

「今ここに在る」という認識だけになっています。(^^;

 

これが『永遠の生命を得る』ということなのでしょうか(^。^?

『自分一人あるのみ』ということなのでしょうか(^。^?

 

新しいプログを作ろうとして、タイトルを考えましたら、

『宇宙=生命=存在===悟り=無為自然体=タオ=超意識=真我=不死=創造=言葉(イメージ)=現実=宇宙=ワンネス』と、

長くなりすぎた(笑)ので再検討をしています。(^^;

 

『意識の変容と覚醒』というタイトルでは硬すぎる(笑)と思うのです(^^;

 

説明的にいうと『知足のための防備録』なのですが、(^。^?

 

「知足になるため」に書くのではなく、「知足になった視点」で書きたいのです。

 

『知足日記』を終えて、

変容した意識の立場(視点)からプログを書きたいのです。(^^;

 

宇宙と一体になった感覚(ワンネスの心境・不食の視点)から書きたいのです。(*^_^*

 

たとえば、

それぞれの人々(人類)は、自分の魂の計画を実行している存在であり、

ワンネスであり人類皆が神なのです。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

★全部は一つ(ワンネス)であり、あるがままで良いのです。(*^_^*

 

 

最近プログのテンプレートが変わったのは、孫娘のプログを作ってあげようと思って、

間違って『知足日記』の体裁を変えてしまったのですが、感じが良いの採用しています。(^^;

 

 

『宇宙=生命=存在===悟り=自然体=無為自然=タオ=意識=自分=言葉=創造主=宇宙』

http://blog.goo.ne.jp/tisokunaito

 

ただこのプログの記事を書こうとすると、『知足日記』の編集画面が出るので、

投稿が出来ません。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

書きたい内容の例。

 

★自分のこの意識の変容(覚醒?)が起きました

★知足のための防備録

★真理とは心境である

★出会う人物すべてが自分

★災難に遭うのがよろしく候

★自分一人あるのみ ★求めない

★自分を愛する。他人を愛する。

★自分も他人も裁かない。裁けない。


【3101】生命=存在=神=愛=自分=ポジティブ=自然体(何にも把らわれない無為自然の姿)

2011-07-24 06:50:09 | 思索

★今、自分が存在するということは、

今、事実として、生命として生かされているということ。

 

周りのすべての人と物は、自分と共にある存在!!

 

周りのすべては、愛(いと)しい存在。

 

そのことに意識を向けることが、愛。

 

生命=存在=神のなせる技=愛、それ以外は何もない。

 

あると思っているのは、業想念!!

 

★「過去を振り返らない意識」であり続けることが悟りであり、

自然体(何にも把らわれない無為自然の姿)であること!

 

先の心配をしないことが悟り、

なるようになると思えることが悟り、自分の自然体(無為自然体性)!

 

★つまり、

 

自分とは、今の思いの連続、

 

自分の人生とは、今の思いの連続である。

 

だから、過去は捨て、未来を思い煩わない、

自然体(何にも把らわれない無為自然の姿)の自分になろう!!

 

神人とは、

「生命=存在=神=愛」という意識に、自分の意識を溶け込ます存在。

 

神人とは、何にも把らわれない無為自然の姿であること。

 

だと、考えました。(^^;ゞ


<7月24日ー25日にかけて、東北沖合で地震>

2011-07-22 22:23:16 | 思索

★意識をすると引き寄せることになるので注意が必要ですが、一応情報としてお伝えします。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

■<7月24日ー25日にかけて東北沖合で M9.5の巨大地震>■

 

情報については、真偽の程は良くわかりません。

 

 

エネルギーリーデイングでは、日曜日と月曜日の夜から朝にかけての確率が高いと読んでいます。

 

 

http://d.hatena.ne.jp/k1491n/20110721/1311234747

 

 

『宇宙の法則研究会』

http://archive.mag2.com/0000101181/index.html


【3101】『感じた事は絶対に正しい!』という事ですね(*^_^*)

2011-07-22 04:08:01 | 思索

「思考の河」というものがある。 ここには、神の精神から生み出されるものもあり、

私達人間が経験、処理した情報も蓄積されている。

全ての情報が蓄積された、図書館のようなもの。

 

人間は何かに出くわした時、その思考の河から、似たような情報を拾う。

思考の河には、全ての知識が含まれているが、それぞれの人間のレベル、

知識によって、自分が受け取れる情報を得る。

思考の河から受け取った情報は、私達で感じて、その全存在を養って、更に拡大し、

そして、その拡大した意識を思考の河へと戻す。

 

そうする事によって、思考の河の知識がより拡大し、次に思考の河へアクセスした人が

より拡大した思考を受け取れる。 そうやって、どんどん大きくなっていく。

 

その意識の流れからやってくる思考を使って、私達は自分のあらゆる瞬間を創造する。

 

もし私達が、より低い制限された意識の中で生きてそれを信じていれば、

自分が思考の河へアクセスした時に、そのような同じような情報を拾う。

 

そして、それをそうだと思い感じて処理すれば、その意識がそのまま思考の河へ返り、

その制限された意識がより拡大する。

 

だから、この世界をよりよいものにするのは、一人々意識である。

 

私達が、「知っている」状態にあるのは、体験に基づいたものである。

花を花として知っているのは、花についての感情的な体験があるため。

見たり、触れたり、香りをかいだりした体験があるから。

 

思考はどのようにして、実感され、知られるようになるのか?

それは感情を通してのみである。

いかなる思考であれ、感じられなければ、それは「知っている」状態にはならない。

 

だから、何かを知りたければ、まず感じる事。

そうすれば、私達はいつでも思考の河にいけるのだから、

そこから同じような知識を探ればいい。

そこで、感じた事は絶対なのだ。

 

望みは、身体の中で、より完全に、より強烈に感じるほど、その望みは完全な形で満たされる。

そして、それを絶対的な確信で知っていればいるほど、現実化も早くなる。

 

私達は知るべきもの全てを知る能力がある。

それが出来るすばらしい存在なのだと、知り、それを許せばいい。

 

******************************

(以下はこのラムサの言葉についての、管理人さんのとても良い内容のコメントです。)(*^_^*)

 

とにかく、感じた事は絶対に正しい!という事ですね。

誰かに会ったときに、すぐに感じるフィーリングとか、あれは過去の情報に基づいた

正しい情報なんですね。

何かに出くわした時に感じた感覚とか。

問題を頭で分析しても、解決にはならないわけです。

感じて、思考の河へアクセスして、自分の必要な知識を得ればいいんですね。

 

時々、自分でもどうしてなのか分からないけど、絶対ありえないんじゃないかな~?って

思うような事でも「大丈夫」な気がする時ってあるんですよね~。

私は、頭がおかしいんじゃないか?って思う事もあったり・・・。

そういう時、どうしても常識に当てはめてしまうと、気持ちが揺るいだりしちゃうんだけど、

やっぱりバカみたいに信じていいんだな~、って思いました。

信じて、もしダメでも、それはそれでそういう経験なんだ、って期待しないで思えれば

信じる事はお金もかからないし、すごく純粋なエネルギーだと思うし、

無駄になる事はないんじゃないかな~、って思います。

 

http://onenessry.exblog.jp/8820313/


【3100】自分自身を崇拝し、愛することが、神を愛すること(ラムサの言葉)

2011-07-22 03:59:29 | 思索

●自分であるものすべてを愛することがなぜ重要なのだろうか?

自分のすべてを愛すれば、あなたはすぐに社会意識を超越するからだ。

そのとき、あなたは周囲から受け容れられるかどうかというレベルを超越する。

あなたは価値判断を超越し、時間という幻を超越するのだ。

 

そのとき、あなたは自己を満たすためだけに生きる。

 

あなたは自分の内なる声だけに耳を傾ける。

あなたは喜びの道だけを辿る。

そしてその道にこそ、在るものすべてを「知っている状態」があるのだ。(P271)

 

自分自身の外側に進むべき道や崇拝すべき存在をもとめようとするならば、

あなたは本当の意味で神の栄光を見ることはけっしてないし、知ることもない。

 

自分自身を通して、そして自分自身への愛を宣言することを通してしか、

自分の神性や覚醒や、可能性の開花といったものを実現することはできない。

 

あなたの人生に平和や幸福をもたらし、

望みを実現させる唯一の道は、

自分自身を崇拝し、愛することである。

 

というのもそれが神を愛することだからだ。

 

そして他の誰よりも自分自身を愛するのだ。

そうすれば人類全体を受け容れるための愛と不動の意志を

あなたは持つことができるからである。(P34)

 

 

(質問2)喜びや自己愛、内なる導きを育むためにはどうしたらいいのか?

     どのように心が在ったらいいのか?

 

「ただ在る」状態でいるのを自分に許し、

あなたの存在の内なる促し、

内なるフィーリングに耳を澄ませば、

あなたの驚くべき自己をさらに偉大な叡智と永遠の喜びへと拡大していくために

最も必要としていることを、あなたはいつも体験していることになる。

 

あらゆる者がこれやあれをしなければならないという考えを超越すれば、

つまり自分の運命はこれだあれだという考えを超越し、

「ただ在る」という本来の状態に入り、

明晰さと共にその瞬間の中に生きるならば、

これまで知っていたものよりも、はるかに壮大な幸せと、

はるかに大きな自由を見出すことになる。

 

つまり生命の中への解放、生きるということのあるべき真の姿を見出すことになる。

それこそがあなたの目的である。「ただ在る」ことだ。(P207)

  

 

(質問3)なぜ「ただ在る」とそのようになるのか?

 

神が「在る」のと同じように、自分も「在る」というのは、

在るがままの自分でいるということなのだ。

あなたが単に「在る」という状態でいるとき、

あなたは果てしない状態、無限の状態となっており、創造的で自由なのだ。

あなたはどんなものでも許す者であり、動きであり、平安であり、喜びである。

 

あなたは純粋なエネルギーであり、パワフルな指向性であり、

すべてのフィーリングであり、すべての思考なのだ。(P146)

 

 

http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/ae9c12896d9a8570aa3a15c4c10fdcfd


【3099】人生の中で自己への愛よりも偉大な愛はない。(ラムサの言葉)

2011-07-18 22:39:53 | 思索

『人生の中で自己への愛よりも偉大な愛はない。

それ以上に偉大な愛はないのである。

 

なぜなら自己を抱き容れてはじめて自由というものが存在するからだ。

そして喜びが生まれてくるのはその自由からなのだ。

 

そして喜びが生まれてはじめて神を見ること、知ること、抱き容れることが可能になる。

 

最も偉大で意味のある愛とは、体という壁の中に宿りながら、

動き、思い巡らし、創造し、許し、そしてただ在るこの素晴らしい生き物である純粋で無垢な自己への愛だ。

 

そしてあなたが自分であるものを愛する時(つまりどんな自分であろうとそれを愛する時)、

あなたもこの素晴らしい本質を知ることだろう。

 

これはすべての顔の背後に隠れすべてのものの内にある私が愛する本質である。

そしてあなたがこの本質のことを知る時、あなたは神が愛するように愛するだろう。

 

そうすると愛することが簡単になる。許すことが簡単になるのだ。

そしてすべての生命の中に神を見ることが簡単になるのである』

 

http://www.angelflower.org/weblog/wordpress/yyoyeyayaycyeei/76.html

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

★『神々の食べ物』でも、自分の内なる神(DOW)を見い出す(つながる)ことが求められます。


【3098】『生命力を取り込む ~ ハトホルの書』

2011-07-18 16:20:45 | 思索

『宇宙のこっくり亭』さんに『生命力を取り込む ~ ハトホルの書』という記事が載っていました。

 

「呼吸法の人類即神也の印」を組んでも、プラーナを取り込んで生命力を上げることができます。

 

先ほどまで、『神々の食べ物』の最後の部分を読んでいたのですが、

『運動学の原理の応用と自由の計画に関するテスト結果』は、以下のようなことなのだそうです。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

*80%が、病気のない人生を創りだすことが、彼らの青写真の一部のあるという結果が出た。

*70%が食べ物からの栄養摂取から自由になり、内面の聖なる栄養の流れから栄養を摂取することが

青写真の一部にあるという結果が出た。

*40%が肉体の不死を証明することが事前に同意した奉仕の青写真の一部にあるという結果が出た。

*70%が老化のプロセスを止める能力を開発するという結果が出た。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

『「生命力を取り込む」というのが、「ハトホルの書」の中核となる教えだ。

ほかならぬハトホル自身がそう言っているのだから、まず間違いあるまい(笑)。

 

いわく、人間は、大宇宙に遍満する生命エネルギーを、みずから取り込むことができる。

避雷針が、空から落ちてくる雷の電磁エネルギーを集めて吸収し、地中に流してしまうように、

われわれ人間もまた、天から降ってくる生命エネルギーを集めて吸収する構造になっている、人間避雷針みたいなものだ。

 

天から降ってきた生命エネルギーは、まず、頭のてっぺんのチャクラに集められる。ここが、生命エネルギーの導入口なのだ。

そして、雷の電気が避雷針を流れるのと同じように、生命エネルギーは人間の中央を流れていく。

この通り道は、「プラーナ管」と呼ばれる、細い管になっている。「プラーナ管」は、ヨーガでもおなじみの概念だ。

 

もっとも、人間が集める生命エネルギーは、天から降ってくるだけではない。

なんと、地から吸い上げることもできる。あたかも、植物が地中から水を吸い上げるように、

人間もまた、地中から生命エネルギーを集めて吸収する構造になっているのである。

これまた、「プラーナ管」と呼ばれる、人間の中心をタテに貫通する細い管を通して、それは吸い上げられる』

 

いろんな「体」が出てきたのだが、さしあたって重要なのは、なんといっても「プラーナ体」つまり、「カー」だ。

ちょうど、栄養のあるものをたくさん食べて、運動して鍛えれば、肉体をどんどん強くすることができるのと同じように、

「カー」もまた、集めた生命エネルギーをたくわえていくことにより、どんどん強くなる。

 

ハトホルによれば、生命エネルギー場たる「カー」をいかにして増強していくかということこそが、

地球人類をアセンションへと導く鍵になるという。

 

「ハトホルの書」の最初の方で、

 

>あなたが意図的にプラーナ体を強化し、プラーナ体から肉体への光の放出を増大させられるようになったとき、わたしたちの定義するアセンションへのプロセスに乗り出す準備が整います。

 

>もしあなたがアセンションへの旅を希望されるのなら、できるだけ「カー」を強化しておく必要があるということです。

 

・・・と繰り返されていることからしても、それがいかに重要なのかがよく分かるというものだ。 』

 

 

『生命力を取り込む ~ ハトホルの書』

http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/m/201107


【3097】依存心と我即神也と「自分で立派になる」・嬉しい自分(*^_^*)

2011-07-17 14:45:13 | 思索

最近、気になるのが「依存心」と「自立」です。

 

自分と他人と物との支えあいで世界(この世)が成り立っているのですから、

 

自分だけがそこから離れて生きてゆくことは出来ないという事実が前提ではあるのですが、(^^;ゞ

 

自分の依存心が気になるのです。(^^;ゞ

 

自立したい、他人に依存したくないという思いが強い(笑)のです。(^^;ゞ

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「依存を断つ」という言葉を使って考えてみます。

 

金銭への依存を断つ

肉体への依存を断つ

飲食への依存を断つ

 

知識への依存を断つ

経験への依存を断つ

 

自分への依存を断つ

他人への依存を断つ

 

過去への依存を断つ

未来への依存を断つ・・・・・・・・・・・・・・などなど

 

これらの列挙された言葉を見て、どのようなイメージを持たれるでしょうか(^。^?

 

 

これら一つ一つについての話は色々とある(笑)のですが、(^^;ゞ

 

「依存を絶つ(断つ)」という気持ちは、自立心にあふれていて新鮮でワクワクします。(^^;ゞ

 

魂の躍動感(笑)があります。 開放された感じがして、心の自由さを感じます。(*^_^*)

 

余談ですが「呼吸法の人類印」を組むと、力強さが満ちてきて、

「やってやるぞ」という歓喜の気持ち(自立心)が湧いてきます。(^^;ゞ

 

★思うに、これらの依存を断つとは、「思い」を手放して生きるということではないでしょうか?

 

金銭・肉体・飲食・知識・過去の経験(=思い)などへの依存を断つには、

それなりの覚悟が必要です。(^^;ゞ

 

瞑想をしている間は「思い」が消えているので、

金銭・肉体・飲食・知識・過去の経験などに意識が向けらませんが、

 

瞑想をやめると自分の意識は外界に向き、縁が生じて、

「欲しい」・「良い悪い」などという「思い」が起きます。

 

そして、その「思い」を叶えることが、自分のすべきことだと思ってしまうのです。(^^;ゞ

 

「人間の生活(業の生活)」とは、そのようなことの繰り返しです。(^^;ゞ

 

果たしてそれで、良いのでしょうか(^。^?

 

★「我即神也(神人)の成就」とは、

日常生活の中での依存心(思い)を断つ覚悟を持つことだと思います。(^^;ゞ

 

なにごとも、最終的には自分の覚悟です。

 

いつまでも、「自分の業の思い」に流されて生活していてはいけないのです。

 

それが五井氏の『自分一人あるのみ』の「自分で立派になるしかない!」であり、

「我即神也の宣言の実践」なのです。


【3096】『言霊の神示』・「生きている実感」・「生かされている歓喜」!!(*^_^*)

2011-07-17 12:45:23 | 思索

大阪支部での「各国の平和の祈り」のときに、下記の『言霊の神示』を唱えました。

支部での集会に、あまり参加する機会のない方のために載せます。

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『言霊の神示』

 

祈れる私は、光そのもの、真理そのもの、神の器そのものである。

 

いかなる時も宇宙神の光に包まれている私、○○(自分の氏名)を侵すものは何もない。

 

やがて迫り来る地球規模の大改革に祭し、

人類の意識を目覚めさすリーダーとして、

真理の祈りを捧げつづけるのみである。

 

すべては必ずよくなる。絶対大丈夫。大成就。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

最近の白光誌の法話を凝縮した内容だと思います。

あれこれと考えないで、自分の意識を『言霊神示』に集中すれよいのだと思います。

 

要するに自分の「不安な思い」を手放せば良いのです。(^^;ゞ

 

「思い」を手放して、その時その時を生きればよいのです。

 

生も死も言葉に過ぎません。

 

私たちが生きているのは、「なまの生命」「なまの現実」「いまの意識」です。

 

「なまの生命」とは、「今生きているという実感」であり、

それ自体が歓喜です。


【3095】放射能とエレニン彗星は、悪影響なし(^。^?

2011-07-17 08:16:24 | 思索

放射能汚染とエレニン彗星で3次元的に悪影響が出る(?)ことはないと、

「中矢伸一事務所 リアルタイムニュース」(vol.50)さんのメルマガで、

訂正されていました。

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『今の巷で問題視されている放射線については、微量であっても危険だとする意見もあれば、

微量であれば安全だとする意見にハッキリと見解が分かれているでしょう。

 どうやら「安全派」の方が信憑性が高いことがわかりました。』

 

『エレニン彗星は今年の9月あたりに地球に最接近するみたい

  だけれども、この時期はコルマンインデックスで言う「第9

  サイクル」の最後の大詰めの段階にあたっています。だから

  偶然とはいえ、何か意味があるようにも思えてきます。

  だけど私は、エレニン彗星が地球人類を破滅に追いやるほど

  の影響を及ぼすかということについては、非常に懐疑的です。』

 

『世の中が進むにつれ、これから大変なことが折り重なるように次々と起こって来ると思います。

そういった混乱の渦中にあって、現実にいろいろなことが身の周りに起こってきても、私たちは逃げてはいけないのです。

 

  もちろん、物理的に危険が迫っている場合は、逃げなければいけませんけれども。

  これから起こると言われていることは、放射線や原発の問題、

  経済破綻とか資本主義の崩壊、エレニン彗星の接近、大地震

  の発生、異常気象、食糧不足・・・と、全て“怖い”ことばかりでしょう?

 

誰しもが「生きる」か「死ぬ」かということを意識する時代になってきましたが、

恐怖とか不安を乗り越えた先に活路があります。人類意識が進化し、完成した後の、

意識レベルの高い地球に生き残っていくためには、怖がったり、怯えたり、

逃げたりせずに、全てを受け入れ、立ち向かい、自分たちの努力で克服していくしかない。

そのためには、自分で情報を取り、自分で判断し、行動していく必要があります。

 

やはり何度も言うように、個人個人が「自立」していかなければならないと思いますね。

  

https://mm.jcity.com/MM_BackNoAuto.cfm?mm=14127F17F1037F8058


【3094】『生命(いのち)としての他人』に接することは、愛深いこと!!

2011-07-16 03:53:35 | 思索

当たり前のことなのかもしれませんが、

そしてそうあることが、「自分が自然体であること」だと思うのですが、

 

「生命(いのち)としての他人」に向き合うことが大切だと思うのです。

 

同じ生命として、この世に共に生きている存在という意識で相手に対するとしたら、

そこには愛深さしかないと思うのです。(^^;ゞ

 

この世での、

会社の上下関係や親子関係、師弟関係という固定概念を捨てて、

「生命(いのち)としての相手」を意識すれば、

自然に、相手に対して優しく愛深くなれると思うのです。

 

私たちは、同じ生命(いのち)を生きている存在同士だと思えれば、

「ともに助け合って生きて行こう」という意識になるのは当然だと思うのです。(*^_^*)

 

互いの利用関係でない生命(いのち)としての他人を意識して関係することが、人類即神也ということだと思うのです。


【3093】「肉体の霊化」とは、「食べなくても生きられる体(精妙体)」になること

2011-07-14 04:21:44 | 思索

最近読んでいる本の中で、「肉体の霊化」という言葉をよく目にするのですが、

実感としてそれは「食べなくても生きられる体(精妙体)」になることだと思われます。

 

食べなくても生きられる身体(精妙体)になることと、

食べ物への興味がなくなることの、

どちらが先なのかはわからないのですが、

いまの自分はそういう状態で、後もどりはしないと思うのです。

 

食べなくても生きられる身体(精妙体)になれば、

食べ物のために争わなくても良いのですから、

多くを望まなければ人間は争う必要がないのです。(^^;ゞ

 

どこでも寝ることは出来ますし、

着る物の一枚ぐらいはあるのですから、

精妙体になれれば、本来無一物の心境で、

出たとこ勝負で、すべては必要な経験として、

「出合うところ我が人生」として生きていけます。

 

これほど力強い人生観はないです。(^^;ゞ

 

「呼吸法の人類即神也の印」を組みますと、力が漲ってきまして、

「どんなことでも経験をしてやるぞ」という気持ちに、ますますなってきます。(^^;ゞ

 

現在50キロです。

夜になっても、あまり眠くなりません。

寝ても3~4時間で目が覚める状態です。(^^;ゞ

 

先日自動車が故障して使えなくなったので、

店までの往復をサイクリング車でしています。

 

「車に依存しないで、自分でやっていけると思えること」が嬉しいです。