『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【900】脊腹運動で、手相も変わる(^。^?

2007-01-31 22:12:11 | 思索
『少食の実行で、世界は救われる』のなかに、「脊腹運動で、手相も変わる」(p185)
と書いてあるのを見て、「そんな馬鹿な!」(笑)と思ったのですが、
読んでみると、医学的に根拠があるようです。(^^;ゞ

手相を形成している「手のひらの筋肉」を支配する神経は、背中の筋肉や横隔膜から出ていて、
その筋肉に異常があると、「手のひら」にある運命線や生命線の深さに影響するのだそうです。(^^;ゞ

でもこれは、「運命線や生命線」に限ったことでもあります。(^^;ゞ

それに、「運命線や生命線」がはっきりしているからと言って、「幸福」とは限りませんものね。(^^;ゞ
けれども、文字通りに「生命力が、強い!」とは言えそうです。(^^;ゞ

そして、「生命力の強い人」は、「いのち」を輝かせている人とは、言えそうです。
幸福か不幸かどうかは、「本人次第」だと思うのです。(^^;ゞ

【899】「新年の指針」は、どのように作られるのか?(^^;ゞ

2007-01-30 22:22:13 | 経験
ことしの「新年の指針」をもらってきました。(*^_^*)
私は今までに、4枚の指針をいただいているのですが、
その都度の、私の心境にピッタリなので、とても驚いています。(^^;ゞ

一年目(2004年)は、
【自分の心をいつわることは、弱い人間のすることである。
自分の心を正直にみつめることの出来る人は、強い人である】
★ この言葉をもらった年に、「神人課題」をして、白光に入りました。
しかも、その二つを決めたのは、「新年の指針」をもらう前なのです。(^^;ゞ

二年目(2005年)は、
【神はすべてのすべて。肉体の我は、何事もなしえず】
★ これは、一番好きな指針です。 こういう、ちょっとストイックなもの(?)が、好きなのかも知れません。 (^^;ゞ

三年目(2006年)は、
【神様ありがとうございます。この一言は、一生を貫く】
★いつ、如何なるときでも、「神様、ありがとうございます」の心境ならば、
 「悟れている」(笑)と思うのですが、気を許すと、すぐに考えてしまいますね。(^^;ゞ

そして、今年(2007年)は、
『あなたの日頃の世界平和の祈りは、天に届き、溢れるばかりの徳となって、
今年から、あなたのもとに帰って来る筈である』
★ 『筈』という言葉に、ちょっと引っかかる感じ(笑)がしますが、
4年間祈った成果だとも思うのです。確かに、実感はある(笑)のです。(^^;ゞ
これも、最近感じていることと、ピッタリです。(*^_^*)

【898】誠実さに学ぶ(*^_^*)

2007-01-29 21:44:04 | 経験
昨日は、大阪支部の「講話会」に行ってきました。満員でした。
鈴木優孝さんは、お若くて(29歳だそうです)、
富士聖地での、ちょっと霊的な体験(笑)や、白光に繋がった経緯など、
盛りたくさんに話されました。新鮮でした。(*^_^*)

お浄めの拍手(かしわで)も、「音」が違うのです。(^^;ゞ
一生懸命に手を打っているのが、ヒシヒシと伝わってきて、「手が、痛いのでは・・・?」と心配になりました。
その「響き」に粘りがあって、強い音であり、長時間打たれていたので、目頭が熱くなりました。(^^;ゞ

響いてくる柏手の「音」から、会員さんへの「思いやり」と「誠意」が伝わってきました。

「こういう人が、将来は、理事長さんになるのかなあ」(笑)と思っていましたら、
講話会のあとの座談会で、同じような感想を述べられた方がおられて、
だれでも思うことは一緒であり、「誠実さ」は伝わるものだなあと思いました。

私も、周りの人たちに「誠実」に接しようと、心を新たにしました。(^^;ゞ

「大阪支部のHP」が出来たそうで、今日の講話会も、近日中にアップされるそうです。

私は、昨年の講話会の様子を見たのですが、回線の速度が遅いので、うまく再生できませんでした。(^^;ゞ

大阪支部のHP

【897】「少食党」を応援したい(*^_^*)

2007-01-28 20:49:03 | 経験
『少食の実行で、世界は救われる』(三五)館を読みました。【「甲田メソッド」の決定総集編】だそうです。
実証的、理論的に書かれていて、体と心を使って、個人も人類も救われる方法が書かれています。

実践法としては、少食と西式健康法です。
「世界を平和に」を繰り返しながら背腹運動をして、少食を継続させる秘訣が紹介されています。
是非、ご一読下さいませ。(*^_^*) 「人生、最良の書」(笑)となると思います。

甲田氏は著書の中で、「日本綜合医学会」が音頭をとるようなカタチで、
『少食優遇政策(法案をつくる)』のために「少食党」を立ち上げたいという意志を示しておられるのですが、
何かご存知の方はお教えください。

甲田光雄の「少食ゲーム」

【896】「悪事」が露呈するのは、フォトンの影響?

2007-01-27 21:36:51 | 思索
『2012人類の終焉』のなかに、フォトンベルトと「人類の業」の関係について、
興味深い記述がありましたので、抜粋してみました。

『これまで、収奪の心、競争の心で動いていた人々の心は、「フォトン」の影響によって、
心身の不調和をきたすことになる。悪事が噴出することになる。実際、ここ数年の間に、
これまで隠蔽されていた政財界の不祥事が、誤魔化せなくなって、噴出してきている。

これは、フォトンの影響で悪事が増幅され、表面化したからである。
人心が清浄であれば、フォトンの影響は調和の方向に働き、「シューマン共振」は、α波を示すはずだった。
そうならなかったのは、それだけ、人心が乱れている証拠である。』(p262)

★ 私も家内も母親も、不二家のケーキのファンだったので、今回の不二家の事件は、大変に残念なのですが、
これも、2007年になって、「地球」が霊的に(?)、フォトンベルトのなかに入り始めた結果かも知れませんね。(^^;ゞ

【895】「食べ物の恨み」は、恐ろしい(^。^?

2007-01-26 21:32:43 | 経験
『食べ物の恨みは、恐ろしい』ということも、よく言われますね。(^^;ゞ

職場の女性から、「松坂牛のミンチで作ったハンバーグを食べたら、とても美味しかった」という話を聞くと、
「むっ」という感情が生じるのは、なぜでしょうか?(^^;ゞ

この感情は、「羨ましさ」から発生した「恨み」だと思うのです。
食べた経験がないと、「自尊心」を傷つけられたと思うのかも知れません。 (^^;ゞ

とにかく、このように、「食」は、いろいろな「業」や「欲」が表現される場であるようです。
私は、把われることなく、「消えてゆく姿」として対処したいと思っています。
(実際に、「消えてゆく姿」です。食べれば、無くなりますから。(^^;ゞ)

人は、だだ淡々と感謝して、「食べ物さんのいのち」と戴かさせてもらうことしか出来ないと思うのです。
大切なことは、食べられないことにも、食べられることにも、「把われないこと」だと思うのです。(^^;ゞ

ただただ、「世界平和の祈り」があるだけであり、感謝して食べればよいと思うのです。

高価なものが、食べられる人生が「幸せ」ということでもありませんし、
いつも、「売れ残ったおかず」を食べている(笑)からといって、「不幸」ということでもないのです。(^^;ゞ

【894】『ずばり言うわよ!』の山田隆夫さんに想う

2007-01-25 22:12:57 | 思索
先日の火曜日、細木さんの『ずばり言うわよ!』(テレビ番組)のゲストに、山田隆夫さん(『笑点』のレギュラー)が出演されていました。十数年まえから、細木さんの著書を読んでおられて、「六星占術」を忠実に、実行されているそうです。

不動産の収得や、親戚の手術の月なども、占術の運気に従っているので、
どれもこれも良い結果が得られて、「嬉しい」とのことでした。

ただ、そのことをあまりの自慢するので、周りの人からは疎まれているようです。(^^;ゞ

それに対して、細木さんが、「あまり自慢すると、周りの人が嫌って寄り付かなくなるから、
もっと、周りの人のことも考えて生活するように」と言われたことが印象的でした。(*^_^*)

つまり、細木さんの占術で、物質的な豊かさが得られ、不幸を回避できたとしても、
他人への思いやりや愛に欠ける人間になるのだとしたら、
自分の霊性進化のためには、かえって「マイナス」なのであって、
なんのための占術なのかという話になると思うのです。(^^;ゞ

私からすれば、山田隆夫さんは他人であり、その霊的な成長は、彼自身の問題ですから、
私が口を出すべきことではないのですが、そんなことを考えました。(^^;ゞ

「すべての人が目覚めますように、天命が完とうされますように!」と祈る立場から考えると、
占術が、物質的三次元的なサポートをしてしまって、
霊的な目覚めが遅れるのだとしたら、あまり喜ばしいことではないように思うのです。

でも、それもまた機会を得て、今回の番組のような出会いで、学ぶことが出来るように、
守護霊さんは、仕組んでいるようです。(^^;ゞ

山田さんは、細木さんに諭されたからこそ、気付くことが出来たと思います。
他の人の言葉では、「素直に、聞けなかった」と思うのです。

【893】食べ物は、小悪魔!!(*^_^*)

2007-01-25 21:45:10 | 思索
確かに、「食べなければ損だ」と思って、空腹でもないのに食べることがありますよね。(^^;ゞ

反対に、「おいしい物」があると、「あの人に食べさせてあげたい」と思ったり、
「ひとりじめしたい!」(笑)と思ったり、「食べ物は、色々な業の吹き溜まり」(笑)なのかも知れません。(^^;ゞ

テレビ番組のなかでタレントさんが、高級な料理を食べて、「超おいしい~!!」と言っている場面を見ると、
「悔しい」と思ったり、そのような高価な料理を食べれない自分を卑下したり(笑)と、
「食べ物」とは、ほんとうに厄介(笑)なものです。(^^;ゞ

人間の見栄や、損得勘定があらわになりますね。

でも、その「厄介さ」の根本は、「自分の心」が、映し出されるからなのです。(^^;ゞ
けれども、そうだからこそ、「自分の心の捉われ」を学べるのです。(*^_^*)

学び終わるまでは、「食べ物の魅力」に、振り回されます。(^^;ゞ
「食べ物は、小悪魔」(笑)ですね。(*^_^*)

■写真は、りんごのお洒落な食べ方です。横半分に切って、薄くスライスして食べます。
ヨーグルトなどをつけて食べるのにも、適しています。(*^_^*)

【892】食べなければ「損」だと思って、食べるな!(^^;ゞ

2007-01-24 21:32:39 | 思索
血まなこになっているわけではないのですが、(^^;ゞ
私がいま、「美味しい」と思っているケーキのひとつは、ユーハイムのブローケンザーネです。(^^;ゞ
普通は、1カット330円ぐらいですが、阿部野のデパートに行くと、
4カット分ぐらいの大きさのブローケンザーネが、735円で買えるのです。

それでも、三日も続けて食べていると、ちょっと、飽きています。(^^;

そんなことを考えたあと、瞑想をしていましたら、
『無理して食べるな。食べなければ損だと思って、食べるな』というメッセージが、降りてきました。(^^;ゞ

感謝して食べないと、自分も食べ物も活かされないのでしょうね。(^^;ゞ

【891】祈りと喜び(食べ物と還元主義)(*^_^*)

2007-01-23 21:44:41 | 思索
それで、色々な「願い」の書いてあるパンフレットの中から、
「ピンとくるもの」を捜そうと思って、声を出して読んでいましたら、
『まわりの人に、愛をもって、接しられますように』という言葉が、ふっと浮かびました。(^^;ゞ

それで、「祈り」と「喜び」の関係が、すこし分かったように思えたのです。(^^;ゞ

つまり、「祈り」の中に、もうすでに、「喜び」があるということなのです。

「食べる」ことを例にとりますと、
食べること自体は、変わらないのですが、
「祈り」を持って食べるのか、「欲望(餓鬼)」で食べるのかの違いがあると思うのです。

「極端に、美味しい物」の場合(笑)も、把われないで淡々と、感謝して戴くという姿勢がよいと思うのです。

「美味しいこと(グルメ)」に、血まなこになっている姿(笑)には、ちょっと悲しいものがあります。(^^;ゞ

【890】「喜び」の質の違い(^。^?

2007-01-22 22:25:37 | 瞑想
【人生は、喜びをもたらすためにある】という文章を読みますと、
『人生は、喜びのためにある』と思ってしまい、
この「喜び」がどのような質のものなのかを、考えてしまう私がいます。(^^;ゞ

「本心の自分」(大我)が喜んでいるのか?、「業の自分」(小我)が喜んでいるのか?
「魂が、喜んでいるのか?」、それとも「煩悩を満たすための目先の喜びなのか?」
という論理に陥ってしまうのです。(^^;ゞ

ですが、この考え方は、かなり的を得ていて、(^^;ゞ
「絵を描く喜び」と、「ケーキを食べる喜び」は、違うようです。

「自分のいのち(魂)が、どのくらい喜び輝いているのか?」というモノサシを使うと、分かり易いと思うのです。(^^;ゞ

その場合、「祈り還元主義」は、どのような立場なのかといいますと、
「お互いのいのち(本心)を、輝かせようという思い」の立場だと思うのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★ この「祈り還元主義」について、「迷い」がありましたが、ここさんのコメントのお陰で、
「いのちの立場」という視点に気付くことが出来ました。(^^;ゞ

「いのちの立場」というのは、大我に目覚めた境地で、「自分の天命」を完とうする立場なので、
具体的な行動をするときに、「祈り還元主義」(原理主義)になることはないと考えられます。

「祈り」が無いときには、小我(煩悩)で行動をしていることになると思うのです。
つまり、「祈り」から離れた行為が、煩悩だと思うのです。

【899】人生は、喜びをもたらすためにある(^。^?

2007-01-21 18:59:41 | 思索
【898】は、常々感じていることなのですが、
いま、私の人生がそういうテーマになっているということを、明らかにしてくれたのは、
偶然にキキさんにもらった『新月のアフャメーション』というパンフレットがきっかけです。
これは、守護霊さんからのメッセージかも知れません。(^^;ゞ

そのパンフレットには、新月に祈る具体的な内容と方法が書かれています。
そのなかに、以下のことが書いてあったのです。

★【人生は、喜びをもたらすためにあると信じたい】
★【自分の言動を制限する柔軟性を欠いた考え方は、すべて捨てたい】
★【悲観主義に陥ることなく、いつでもポジテヴィブに考えられるわたしになりたい】

これは、本当に、今の私にぴったりのテーマだと思いました。(^^;ゞ

「祈り還元主義」に陥らないようにして、
【人生は、喜びをもたらすためにあると信じたい】を考えてみたいと思うのです。

そして、これが「いのちの立場」だと思うのです。(^^;ゞ

【898】「世界平和の祈り」と「人生の楽しみ」(*^_^*)

2007-01-20 21:46:42 | 経験
朝起きて、「お祈り」をしていると気持ちがよくて、それ自体は「楽しみ」なのですが、
最近の私は、「祈り還元主義」になっていて、「現実的な楽しみ」を味わえていないと思うのです。

他人の言動に対して、「神さまにつながっていないから、ダメだ」(笑)とか、
「『業』を、表しているのだから、そういう結果になるのは、当たり前。所詮、『消えてゆく姿』」というように、
「祈り還元主義」で考えて、切り捨てているように思うのです。

そして、そういう「祈り還元主義」な分析と批判は、当然、自分にも向かいますから、
日常的な衣食住のことも、「所詮、『消えてゆく姿』であって、『世界平和の祈り』だけがある」という思いになってしまって、日常が、空虚な感じになっているように思うのです。(^^;ゞ

【897】海老フライ定食と宇宙神からの光(^。^?

2007-01-19 22:15:32 | 思索
職場の女性が、近所の店で海老フライ定食(980円)を食べたら、美味しかったそうです。(*^_^*)
しかも、「ミニうどん、ふりかけ、一品つき」だそうです。(^^;ゞ

ほかにも、レストラン『木曾路』の和定食は、安くて量があって美味しいという話を、
絵手紙教室の人にきくのですが、なかなか外食する機会がないのが、残念です。(^^;ゞ

いつも書いているように、「食」というのは「状況」なので、
ひとりで食べても、さほど美味しいとは思えない気がするのです。(^^;ゞ

いったい、「味」というのは、何なのかということを、このごろよく考えます。
家内はケーキが好物なので、試食をするのですが、ふたりが、
違うケーキを「美味しい」と評価するのですから、「味」は普遍的なものではないのです。 (^^;ゞ

「食」や「味」は、趣味だと思うのです。
お金を使って、「快楽(サービス)」を得るのですから、まさに「趣味」です。(^^;ゞ

それで、海老フライ定食(食べ物)の本質(笑)は、何かというと、
宇宙神から流れてきた光(?)、または、宇宙の生命力によって生み出された物質(?)だと思うのです。(^^;ゞ

そう考えますと、「食べる」というのは、宇宙によって造られた『海老フライ定食』を、
同じく、宇宙によって造られた肉体人間が、取り入れているということなのです。(^。^?

そしてその間に、人間(自分)の選択(意志)があるのです。
そう考えますと、「自分の欲望」に気付けると思うのです。

今日は、ちょっと変なことを書きましたね。(^^;ゞ
ですがこうやって、誰も考えないようなことを、色々と考えていることは、面白いです。(^^;ゞ

★ 今日、若いお母さんが、「アート・マンダラ」を見ておられたので、
描き方の説明をして、用紙を渡すことができました。(^^;ゞ
お礼を言われてましたが、私の方こそ、とても嬉しかったです。

【896】『2012人類の終焉』

2007-01-18 21:50:53 | 「白光」の教え
『2012人類の終焉』(辻本公俊著2006年刊)を読みました。
永安氏が講和で話されるようなことが散りばめられていて、興味深い内容でした。(*^_^*)

そして最終的に、人類の終焉(天変地異)を食い止める方法は、
一日も早く「生かされて、生きている。」ことに気付き、
「感謝の心」と「祈りの心」で生きるという「白光の教え」そのものでした。(^^;ゞ

『2012人類の終焉』HP