『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【986】戦争は、「勘違い」から起こる

2007-04-30 02:29:44 | 哲学的思考
『14歳の君へ』池田晶子著を読みました。いくつか心に残る箇所がありました。
まずは、「戦争」についてです。

『共同体というのはあくまでも作り事だ。
作り事を現実と思い込むところに戦争が起こることを、これまで考えてきたのだったね。

でも、共同体は作り事でも、現実に肉親を殺された人の、
その憎悪は現実ではないかと言う人もいるだろう。

まったく、その通りだ。だからこそ、人は共同体という作り事を必要とするんだ。
そういう個人の感情であるものを、共同体の正義だと言い換えれば、殺人も報復も、
正しいものにすることができるからだ。

個人では犯罪になることも、正しいことになるし、正義の名の下に、団結を固くすることもできる。
共同体は、戦争という行為を正しいものにしてくれるのだ。

しかし、戦争それ自体に正しいも間違っているもあったものだろうか。
なぜなら、戦争というのは一律に、共同体を自分だと思い込む根本的な勘違いから起こるものだからだ。』(p110)
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★【981】の霊的にみた「戦争について」とは、表現が違いますが、
 「戦争」がプロセスであるという点は、同じだと思うのです。

 一日もはやく人類が、「国という概念」が幻想であるという真理を知ることができますように。

【985】私の絵は、癒しのメッセージ (^。^?

2007-04-29 08:22:23 | 思索
先日のブログで、「天皇の戦争責任」について書きました。そして、
もし、自分が「天皇の立場」であったら、「戦争への決断」を拒否できただろうかとも考えました。

そうするとやはり、西洋列国の帝国主義の状況の中で、「日本国民の業」を消すために、
戦争という状況に落ち込んでいったと見ることが、霊的に俯瞰してみて、妥当ではないかと思えました。

でもこれは、与党の一部の政治家が言うように、「帝国主義の時代だから、仕方がなかったのだ」ということでなくて、
戦争によって、尊い命がたくさん失われるという結果になる帝国主義的な世界観は、
「業を積むことになる」という戒めであり、「共存的な世界観」を人類が模索していくべきだという指針だということなのです。

それにしても、この頃思うのは、世間の人たちが、実に一生懸命に仕事をされているということです。
色々な方々が、具体的にされている仕事の内容は、テレビで知ることしかできないのですが、
医療関係の方々も、公務員の方々も、歌手も、芸術家の方々も、テレビ局の裏方さんも、
製造に携わっている方々も、何一つ手を抜かず、懸命にご自分の仕事を遂行されている姿にはあたまが下がります。

テレビを見ていて、ご家族が事故や事件にあわれて、急に亡くなられた後、
何年も「喪失感」を抱いて、日々を過ごされる様子にも、胸に迫るものがあります。

歳月が立てば、そうした「喪失感」も癒えるのでしょうが、
私の場合も、父親が他界したあとは1,2年、何をしていても「もういないのだなあ」と思って、
寂しかったことを思い出します。

以前に、このブログでご紹介した「縫いぐるみのパステルの絵」は、
父親の葬儀のあと、遺された母と過ごす日々のなかで描かれたものです。
私の絵は、「遺された者たちへの癒しとメッセージ」なのかも知れません。

この頃なぜか、父親の姿が思い浮かぶので、感謝を込めて「父親の御霊即神也」の人類印を組んでいます。
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★これも百均で買いました。可愛いでしょ。(^^;ゞ 私の場合は、自分の絵のモチーフにもなるのですが、
 絵手紙教室でも描いてもらえるし、店に飾っても楽しいので、一石三鳥なのです。(^^;ゞ

【983】心で思うことは、通じること

2007-04-27 22:00:29 | 思索
白光誌5月号が届きました。
白光誌を読みながら、富士聖地があることや、富士聖地での行事に心を馳せていると、
富士聖地が身近に感じられて、とても気持ちの良いことに気付きました。(*^_^*)

そして、これが、「心で思うことは、通じることだ」とわかりました。
思っている時には、「心」はそこに行っているのです。

でもそれは、私の心が、物理的にその場所に移動したということではなくて、
思いの世界で、「心」が富士聖地に行っているということだったのです。(^^;ゞ

けれども、「心の世界」がすべてなのですから、それはそれで「OK」であって、
つまり言葉としては、「心は、富士聖地に行っている」なのです。

そして、これは、他のことにも言えるのです。
故郷のことを思うときには、今は姿かたちが変わったとしても、50年前の故郷を歩いている自分がいるのであり、
亡くなった父親とも、思いの世界ではいつでも会えるのです。
過去のどんな場面にも行くことができ、想像さえできれば、未知の場所にもいくことができるのです。

「自分」とは、自分の思っている世界を、自由に飛びまわることのできる「存在」なのです。
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★これも、百均一人形をモチーフにして、描きました。 天使の王子さんだそうです。

【982】原爆の意味は?

2007-04-26 21:33:40 | 思索
原爆も、日本が軍国主義のカルマを浄化し、世界平和の中心国としての天命に目覚めるために、
どうしても通らなければならない道だったのだそうです。
そして、広島・長崎の犠牲者のおかげで、人類はこれまで、とにもかくにも核戦争を回避することができたのです。
大きな目で見れば、すべては必要があって生じたことだそうです。

ただし、アメリカ人はやはり、自分たちの過ちをはっきり認識しなければなりません。
反省があってはじめて消えてゆく姿が可能となり、2度と同じ過ちを繰り返さないですむのです。
しかし、現在のアメリカの政治家はまだこの反省に到達していないようです。
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★この絵は、ちょっと気にいっています。(^^;ゞ

【981】昭和天皇の戦争責任について

2007-04-25 21:39:34 | 思索
『日本の心』五井昌久著(昭和48年7月刊)を読みました。
【西郷隆盛を想う】の中の「天意に従う」に、以下のようなことが書かれていました。

『第二次大戦で日本が負けたのは、日本がまず敗戦によって、自国にまつわっている誤った想念、いわゆる業(カルマ)を消し去ったわけなので、そこに、天意として、平和憲法が現れてきたのであります。

平和憲法は、単に米国が日本の占領政策のためにつくったというものではなく、
やはり天意によるものとみなければまりません。
これは、天皇の存続や国は二分されなかった恩恵と同じように天意でなくてなんでありましょう。』(p38)
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西郷隆盛は、そのような天意を、自分の心としていた人物で、
いつも私心のない裸の心で、神のみ心に素直に、従って行動をしていたそうです。
裕仁天皇もまた、そのような天意の心を持った人だったそうです。

私は、「統帥権のあった天皇には、戦争責任がある」と思っていました。
多くの自国民や他国民を、悲惨な状況に落と入れる決断をしたのですから、
「指導者としての責任」があると思っていました。

けれども、『日本の心』の中には、霊的にみた裕仁天皇の役割(天命)が語られていて、
もう少し大きな視野(霊的な視点)で書かれていました。

『あれがもし、自我の強い帝王であったら、どうであったでしょう。
恐らくは一億玉砕まで戦争をもっていったか、敗戦を恐れて、自殺してしまったでしょう。
何故なら、自我の強い人は、常に自己本位のものの考え方より出来ないので、
どうせ敗ければ自分はどんな目に会うかわかぬのだから、全国民が死ぬまで戦ってみよう、
とか、縄目の恥を見るのは惜しいから、
自分から先に死んでしまおう、とか思いがちなのです。

ところが、日本の天皇は、最後の段階に至って、真に天皇の偉大さと、
天皇あることによる日本の国体の幸ということを、ご自身がはっきり国民の前に示されたのです。

――自分の身はどうなっても構わぬから、国家と国民を救いたいーー

この大慈悲こそ天皇の天皇のみ心であり、キリストのみ心なのです。
イエスが、人類の身代わりとして十字架に掛かったと同じ御心で、
天皇は全国民を庇って、外敵の前に立ったのです。
無我献身、天皇がキリストとなり、仏陀となりきったみ姿であったのです。

日本を戦争にもってゆき、ついに敗戦せしめたのは、日本という国自体と、国民全体の過去世からの因縁の消え去る姿としての現れであり、天皇は、その惨事を、最小限に食い止め得、大菩薩業を成し遂げたのであります。

反天皇主義者はいうでありましょう。天皇の名で戦争をはじめ、天皇の名において、俺たちは召集されたのだと。
しかしその人たちは、よくよく考えなければいけません。
仮にその時の日本の最高統治者が天皇以外の者で、大統領であり、書記長であったとして、
一体あの戦争を防ぎ得ることが出来たでしょうか。出来えた、といい得る者は一人もいなのです。
ところが、終戦の大召における、あの平安なる戦争終結こそ、天皇以外のいかなる最高統治者にも、
出来得なかったでことであると、私は確信をもっていい得るのです。

なぜならば、日本のように、あれ程に、天皇という中心に帰一していた国民が、
他のどこの国にあったのでありましょうか。あの中心帰一の精神こそ、
あのような平安裡の終戦となし得た最大のことであったのです。』(p127)

『天皇があのように、無我真空になって、自分を投げ出したその結果、
国民国家を救ったばかりでなく、天皇自身の生命も、その地位も、そのまま無事に確保出来たのは、
天皇という地位が、神にとって必要であるということになる、と考えるより仕方がありません。
無我は神への全託ということと同義語だからであります。』(p130)

『あらゆる国家民族というものは、お互いが他国と違った特徴をもち、
天命をもっているものであって、その天命を各国が完とうすることによって、
この地球人類が一段と高次元の世界の住人となり得るのであります。』(p214)
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★私は、三次元の現世的な意味で、「戦争責任」を考えていましたが、
国民の業とか、日本民族の天命という霊的真理があるとしたら、
なかなか奥の深い問題だと思います。

【980】すべては、本心が目覚めるための環境

2007-04-24 21:46:01 | 「白光」の教え
『自分を開放してゆくのです。自分を自由にしてゆくのです。そして、祈るのです。
神に近づくために、真理に近づくために、本心に抱かれるために祈るのです。祈って祈って、最後まで祈り抜くのです。

あなたの夫のことを祈り、あなたの妻のことを祈り、あなたの子供達のことを祈りなさい。
あなたの世話をして下さるお医者さんのために祈りなさい。
看護婦さんのために、祈りなさい。掃除をしてくれている人達のために祈りなさい。

彼らが幸せであるように、そして自分のためにいろいろ尽くしてくれることに対し、
心から感謝して祈るのです。

祈り、祈り、祈っていれば、本当に自分自身が解決されていきます。
すべて、自分の周りに存在するものは、自分自身に因縁のある者たちの集まりであり、
あなたを通して、夫は磨かれ、あなたを通して子供達も磨かれ、あなたを通して、
親戚や社会が本心に導かれていくのです。』(p175)
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★【すべてのすべて、ありがとう】の彩墨画は、川口さんのお父さんの斉藤秀雄さんのポストガードの言葉です。

そのほかにも、川口さんのお話のなかで、印象に残った言葉を画面に書き込みました。いわば、講和の覚書のような、日記的彩墨画です。
このような「絵日記」なら、毎日一枚描けそうです。(^^;ゞ

【979】病気を通して、自分自身を解決する

2007-04-23 21:52:10 | 「白光」の教え
『今あなたが病気であるならば、病気から逃げようとすることはないのです。
一日も早く、病気が癒される努力をすることでもないのです。

確かに、どうにもならない自分の病気のことを思うと、焦り、不安で一杯になり、
恐怖にさいなまれることでしょう。

家族を抱えていたならば、家族のことを思い、自分の治療費、手術や入院費のことを思い苦しむのは当然です。
自分の人生を呪うのも当然でありましょう。

その病気を通して、自分自身を解決するのです。
あなたは自分自身を解決するために、今そういう状況に置かれているのです。

あなたはあなたの夫を、妻を、子供をなぜ、そんなに心配するのですか。
なぜそんなに執着するのですか。あなた自身がいなければ、彼らが生きていかれないと思っているのですか。

あなたが働かなければ、あなたが食事を作らなければ、あなたが指導しなければ、
かれらは生きていかれないと思っているのですか。

それが間違っているのです。あなたの夫にも妻にも子供達にも、守護霊守護神がついています。
かれらもそういう立場に置かれることによって、彼らも自分自身を解決するための状況にあるのです。

すべての人を、あなたが解決してあげるべきものでもなければ、あなたが導くものでもないのです。
幼い子供にしても、親と離れて生きていかなければならないことによって、
その子供が、本心を知るための環境に置かれるのです。

あなたの責任でもなければ、あなたが果たさなければならない義務でもない。
自分自身を解決するための環境に必要な同じような波動の者たちが集まって、家族が構成されているのです。

そういう環境に置かれなければ、妻も夫も自分自身を解決することができないということなのです。

あなたは自分の夫や子供のこと、入院費などに想いを把われないで、自分自身の本心に想いを注ぎ、
今、この瞬間を見つめるべきなのです。
問題は自分自身を解決することにあるのです。』(p174)
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この文章を読んで、なるほどと思いました。(^^;ゞ

★今日描いた絵が、この文章にぴったりの言葉でした。(^^;ゞ
 この言葉は、昨日大阪支部に行って聴かせてもらった、先月の講和会のテープで、川口和子さんが、昌美氏の『我即神也』から引用された言葉です。
印象に残ったので、メモして帰り、忘れないようにと思って彩墨画にしました。
(^^;ゞ
【自分のまわりの人たちは、自分を真理にみちびくために配置されている】(^^;ゞ

【978】最後の扉を開くために

2007-04-22 19:05:26 | 「白光」の教え
『そこまで行き着くには、やはり祈りが必要であるし、自分自身をもっと純粋に光り輝くものへと、
昇華させるための努力が必要であるし、真理を学ぶことが必要なのです。

最後の扉が、心の扉が存在します。
それを一つ一つ開いていくのです。

そして、最後の扉を開いた時には、光り輝く自分自身の本体を垣間見、神と自分自身が一体になった瞬間、
自分が永遠なるものであることに目覚めていくのです。

それにはまず、自分自身を解決するために真理を求め、
自分自身が神の子であるということを観念ではなく、実感として認識するための努力をしなければなりません。』(p170)
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★5月27日の大阪支部講和会は、以前に、このブログでご紹介した田中園子さんです。(*^_^*)
 超お勧めです。(*^_^*)

大阪支部

【977】自分自身を知れば、すべて解決する

2007-04-21 21:29:25 | 「白光」の教え
『人生というものは、苦しみではないのです。
自分自身を解決すれば、どんな問題も解決されるのです。

ですから、問題を解決するために、どうこうすることではなく、たとえば、
病気や貧乏から抜け出し幸せを摑むためにあくせくするのではなく、
まず、自分を知ることです。自分自身の心を知ったならば、問題はすべて解決されるのです。

人間は自分自身とは何であるかを知り、霊性を目覚めさせていくためには、どうすればよいか、
その第一歩を踏み出し、その根本に生き方をしぼってゆくならば、
人生は苦しみでも悲しみでも苦悩の道でもないのです。

あなたは今までに、自分と対座したことがあったでしょうか。
真剣に自分自身を見つめ、自分自身をどのように生かしたらよいのか、
どのように導いていくのか、自分自身は一体どのような者へとなっていくのか、
本当に問い質したことがあるでしょうか。

本来ならば、その問題を通して、もっと奥に辿り着かなければならないのに、
最後の扉を開くところまで達していない。
自分自身を知らない限り、死ぬ瞬間まで、あなたの人生に同じことが繰り返されることでしょう。

なぜならば、自分自身を知るためにその問題はあなた自身に投げかけているからです。
最後の扉を開くことに、あなた自身の目的があるのです。

すべての人間が自分自身について解決できていれば、もはやこの世から苦しみも悲しみもなくなる。
病気も癒されていくのです。

自分自身が解決されていれば、病気など何でもない。
たとえ病気になったとしても、病気を共に生きていかれる素晴らしい心境の自分自身があるのです。

自分自身を解決できた人の前には、もはや天変地異、事故、病気、あらゆる苦難は現れない。
なぜなら、その人は、本心そのもので光り輝いているから、そういう因縁を引きつける波動を出していないからです。』
(p167)

【976】健康は、心の受け止めかた次第

2007-04-20 21:24:07 | 「白光」の教え
『どんな病気になろうと、どんな悲惨な状況になろうと、必ず良くなるのだ、
自分の人格は磨かれ、霊性は開かれ、微妙な波動となり開花していくのだという受け止め方を、
常に自分自身に持ちつづけていたならば、死ぬまで健康そのもので、本当に素晴らしい生き方ができるのです。

人間の心の根底に流れているのは常に、《必ず良くなる、立派になる、霊性に目覚めていく、
この心の受け止め方でなければなりません。』(p158)
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★彩墨画について
この頃は、彩墨画のバックを塗ることに、嵌っています。(^^;ゞ
 絵の印象が、ガラリと変わることが面白いですし、
文字が浮かび上がるのも楽しいです。淵のあるちょっと大きめの額が良いようです。

【975】老いることの意味

2007-04-19 21:27:45 | 「白光」の教え
『年を取って、肉体の働きが、次第に鈍くなってくるのは、
この三次元の肉体界から霊界に移行するための波動調整のプロセスであり、
神の大愛なのです。

肉体感覚が緩慢になってゆけばゆくほど、心の目が開き 冴え、霊的な微妙な波動の世界の扉が開いてゆくのだと、
そちらの方に、目を向けてさえすれば。肉体が衰えたとしても心の中は常に歓喜に充ち、霊的に開花し、
神さまの世界に近づいていくという喜びで満たされてゆくのです。

年を経るに従って、ますます人格が磨かれ、その死の瞬間を迎えるまで、
人々のために役立つ大きな働きをして、この世の天命を完とうしてゆくことができるのです。

肉体の衰えは悲しみではないのです。』(p154)


絵手紙&彩墨画

【974】神の子としての自分を認識しよう

2007-04-18 21:32:00 | 「白光」の教え
『人間生きている以上、誰しも自分自身が抱いている何らかの矛盾にしばられ、
劣等感、挫折感を味わいつつ、適応させていこうと努力し我慢を重ねて、
しまいには、その矛盾を当然のことのように受け入れてしまうのです。

自分を神の子と見ない限り、その固定観念から逃れられない。
けれども、どんな矛盾、どんな劣等感からも自分を開放した瞬間、
心が自由に生きることができ、幸せが即そこにあることに、目覚めてくるのです。

あなたは明日に幸せを求め、明日に自分の幸せを迎え入れるためには、
今この瞬間に、自分を神の子として、認識し、自分の心の底にしみついている劣等感、挫折感の固定観念を開放すべきです。

本来人間は、神の子で輝かしいもの、自由自在であるべきです。
何ものにも束縛されるはずがないのです。
あなた自身の心が劣等感、挫折感の固定観念をあなた自身に強いているのです。

それは、神があなたに与えたものではない。あなたの周りの人々が、あなたに植えつけたものでもない。
あなたがあなた自身の心に、課したものなのです。

自分を神の子として眺めなおしなさい。
今この瞬間、あなたはそれに目覚めなさい。
そうすることによって、あなたは幸せに充ち、生きている生の証(充実感)に心から捧げることができるでしょう。』

【973】目覚めれば、すべて解決

2007-04-17 21:12:52 | 「白光」の教え
『明日などに解決があるはずがない。今この瞬間に一つ一つ解決していくのです。
二十年三十年かかって、あらゆる努力をし、あらゆる人々に助けられ、それでもなおかつ解決できない、
どんな難題でも、あなたが目覚めさえすれば、すべては解決するのです。
解決できない問題など、あろうはずがないのです。

何でもない問題を、あたたはあなたの浅はかな知恵で解決できなくしようとしている。
人生は苦悩の交響曲ではない。輝かしい高貴な光に満ちた交響曲です。
それが、本来の人間のあり方です。

人間は生まれ、輝かしく高貴なる生を完とし、そして神界へ舞い戻る。
これこそ、すべての人生における交響曲です。
輝かしい栄光に満ちた交響曲、これこそ真の人生です。

あなたが今の瞬間、その輝かしい生き方に目覚めたならば、明日は本当に、幸せが訪れるに違いありません。
私はそれを、保証します。絶対確信を持って、あなた方に言える。
必ず明日は幸福になる。幸福が訪れると。』(p144)

『自分がこの世に生をうけて、生きている幸せに目覚めたならば、
今、たとえ、癌の苦しみを持ち、自分の自由にならない体を抱えているとしても、
あなたは幸せを見出すに違いないのです。

どんなに人々に迷惑をかけ、人々を拘束する自分であったにしても、
あなたは、自分の幸せを見出すべきです。

体が動けなくとも、愛する家族のこと、友人知人、お世話になっている人達の幸せを祈ることができる。
そういう人たちが、生き生きと輝いて生きている生を、あなたは祈ることによって、
応援することができるのです。

人のために祈れることは、なんと幸せではないでしょうか。
それが、真の幸せです。
他人のため、人類のために祈れる自分が、この世に存在している。
死ぬ瞬間まで、人々の幸せのため、人類の幸せのために祈れる。
その幸せに、あなたは目覚めるべきです。

他の人の幸せ、他の人の喜びに心が向かないなら、あなたは幸せではないのです。
自分をなくして、他の人のために祈る。これほど深く、充実した幸せな瞬間はないのです。』(P147)

【972】幸せは、今この瞬間にある

2007-04-16 21:42:35 | 「白光」の教え
『私達は、一番大切な生き方を見失っている。
明日を待つ前に、明日を迎える前に、今の瞬間の自分の幸せに目覚めることです。

今、自分で歩くことの幸せ、自然に触れることのできる幸せ、
周りの人々の話し声を聴ける幸せ、全部、自分の幸せは、今の瞬間にあるのではないですか?

幸せというものは今、この瞬間にあるのです。ただ、あなたが目覚めていないだけです。
あなたの意識が、今のこの瞬間を把えていないからです。

今の瞬間、苦しみのみ、悲しみのみ、痛手のみ、重荷のみに把えているからです。
重荷も苦しみも悲しみも痛みも、もちろん同時に存在するかもしれない。
けれども一方では、幸せに満ちた自分の生があるのです。

健康である喜び、愛し合う人々がいる幸せ、自分の生きた証である子供、孫の存在、・・・・・。
その一つ一つの現実の小さな喜び、幸せをあなたは感じているでしょうか。
当たり前のことを あなたは幸せと感じないで、今の苦しみから逃れること、欲望を達成すること、
偉大なことを成し遂げことが幸せだと思っているのです。

幸せは、誰にとっても今、この瞬間にあるのです。
幸せに輝いている、その一つ一つの事柄が、あなたの周りに、今存在しているのです。

あなたが、気がつかないだけです。あなたが、目覚めていないだけです。』(p136)

『朝、起きたら食べられる。それを考えるだけで、なぜ幸せと考えられないのでしょうか。
それを、ただ当たり前と思い過ごす。あなたの心の中に、何か間違った不純なものがあるのです。

真に目覚めれば、自分の眼の前を通り過ぎる一瞬一瞬の出来事に対する考え方が変わります。
すべてを、幸せとして受け入れる心に目覚めてくるのです。

あなたの心は眠ってしまっている。
幸福とは、目覚めている心の働きをいうのです。
あなたの意識が目覚めていなければ、永遠に幸福はこないでしょう。

あなたの意識が、目覚めていれば、今の瞬間幸福は、あなたを取り巻いていることに気づくはずです。』
(『幸せの扉を開こう』p139より)
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★まさに、この通りだと思うのです。 
これ以外に、「真理」があるでしょうか。(*^_^*)

【971】本当の幸せは、自分の心の中にある

2007-04-15 18:52:00 | 「白光」の教え
自分の心が常に安定し、自分の心が常に平安で安らぎの中にあったならば、
その人は、どんな環境の中にあっても幸せであるに違いないのです。

幸せというのは、他人を見て、そして自分と比較して、不幸せだ、幸せだということではないのです。

本当の幸せというものは、外を見て得られるものではないのです。
人それぞれに、自分の心の中に変わらない価値観、変わらない自分自身を見出していく中にあるのです。

生命ある限り生き続けていられるこの生命のエネルギー、それに対して毎日感謝して、
生きていければ、その感謝が心からにじみ出てくる。それが幸せなのです。

自分の中にある幸せ、その幸せとは、神と一体になることです。
神に心を向けることです。

神の無限なる愛を受け入れることです。
生かされている生命の原点に感謝することです。それが幸せへの道です。(p131)
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★そうか、それで「我即神也」というのだなと、納得しました。(^^;ゞ
 久しぶりに、白光真宏会のHPを見ました。体験談コーナーに、とても参考になる文章が載っていました。
★今日は、半年ぶりに、藤井寺の平和を祈る集会に参加しまいた。
 2時間半ぐらいの集いですが、終わりますと、「光(祈り)のシャーワー」を浴びたようなスッキリとした感じで、
 とてもさわやかな気分になります。

体験談コーナー