『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【89】「食物」は、「私の人生」のテーマ?

2005-01-31 21:34:16 | Weblog
③ の【古代ローマ時代の小市民な貴族】の過去世の件で、「しきりに、『ローマ』という語句が浮かぶ」と言ってくれたMさんは、「オーラソーマ」のヒーラーです。
http://www.aura-soma.co.jp/index.html
http://bambinausu.exblog.jp/i0
彼女が、『宇宙家族』へ誘ってくれたお陰で、
http://osaka.cool.ne.jp/naniwa1/
私は白光真宏会を知ることが出来ました。(*^_^*)

私は小学校低学年の時まで、とても偏食で体が弱く、学校を休み勝ちな子供でした。偏食のため、給食が苦手でした。(「絶対に食べ残してはいけない」と言われていたからです。)

特に野菜が嫌いだったのですが、香りや、喉へのちょっとした刺激に対しても、嘔吐しそうになるほど神経質だったのです。ほとんどの野菜が食べられませんでした。(^^;ゞ

子供の帽子の喉にあたるゴム、中学の詰襟、カッターシャツの一番上のボタンなどの首筋へ刺激が「嘔吐」の原因になっていました。

高校や大学時代も、「食事」に対する緊張があり、友人と一緒に食事をすることが出来ませんでした。要するに他人と食事ができなかったのです。

「レストラン」で、食べ物を残す子供に腹が立ったり、「パン屋」をしていた時に、売れ残ったパンを捨てることにとても罪悪感があったりしましたが、
幸いにも、今の弁当屋の「食品のロス」は、ほぼゼロです。
それに、大嫌いだった「野菜」を調理して生計を立てているのですから、考えてみれば不思議です。(^^;ゞ

今では、「野菜」を美味しいと思えるようになりました。(^^;ゞ
学生時代に友人と旅をしていて空腹になり、その時に食べたキャベツが美味しかったのです。それ以後、「野菜嫌い」が、徐々に治ってきました。

以上が、私の「食」の経歴です。(^^;ゞ
私はこのような「食物に対する考え方の不調和」を解決するために、今世に生を受けたと考えても、考え過ぎではないように思います。(^^;ゞ

Mさんと話をしていて、このことに気付いたとき、「鳥肌」(笑)が立ちました。「私の人生のテーマが、解った」と言えば大袈裟かもしれませんが、そんな気が、すこししました。(^^;ゞ

【88】Tさんの「チャネリングアート」

2005-01-29 22:08:47 | Weblog
http://www.geocities.jp/chanering_art/index.html

その合同展を主催されていたTさんに、初めてお会いした時、彼女は
私を見て、『「平和の波動(オーラ)」を感じます』と言われました。
その5ヶ月後に、「白光」さんに出会って、「世界平和の祈り」をするようになるのだから、不思議です。(^^;ゞ)

後日、「チャネリングアート」をしてもらいました。
(後日、その絵を載せますね。)
その時のお話は、次のようなことです。
私は、娘のことと、私の将来について尋ねました。

① 「娘の結婚時期」は、当りました。(^^;ゞ
② 長男の子供で、私の将来が変わる。(こればまだ、「?」です)
③ 最後に開くべき、かたい殻があるが、それは「絵の分野」ではない。
④ 胸に、「大きなエネルギー」がある。
⑤ そのエネルギーに対して、「私」は第三の目(脳・理性)で繋がっており「娘」は、ハートで繋がっている。
⑥ 「音符」と「的(まと)」のある絵を描いてくれました。
娘も私も音楽が好きなので、将来その分野で何かをするのかも知れません。


抽象的に書いたので、「意味」が分かり難いですが、
実際には、具体的なアドバイスをしてくれます。
Tさんは、神戸や大阪を中心に活躍されています。

【87】私は、「女性運が悪い」のか(^。^?

2005-01-28 21:42:32 | Weblog
私の周りにいる女性は、家内も含めて、いわゆる「気の強い人」が多くて、
なにか自分が「ないがしろにされている」という思いがあったので、
Kさんに、『私は、「女性運が悪い」と思うのですが、』と聞いてみました。(^^;ゞ

すると、Kさんは、霊界(?)にチャネリングをする仕種をされた後、
『あなたも、女性にそうされるだけにことをしている』と言われました。(^^;ゞ

「そう言われてみると、そうかも知れない。」と思うと急に、私の心が明るくなりました。霊的に見て平等なのだとしたら、『分別心の「私」に、なんの不服がありましょうか?』という気持ちになったのです。(^^;ゞ

霊的な平等(因果の関係)や、霊的な真理の立場で考えてみると、
私はむしろ、「女性運が良い」のかもしれないと思えたのです。(^^;ゞ

「頼りない私」が浮世離れしないように、支えてくえているのが、
私の周りの「力強い女性」なのかも知れないと思えてきました。(^^;ゞ

【86】「前世療法」で因縁を切る

2005-01-27 23:01:37 | Weblog
私が、自分の過去世を知ったのは、偶然なのです。(^^;ゞ

前に書いたかもしれませんが、
私が、精神世界系の掲示版に書き込みをしていた時、私の絵手紙(彩墨画)のサイトを見て、「波動を感じる」(笑)という方が、私の弁当店(松原市)に来られたのです。それで、その方の合同展に参加させてもらうというお話になりました。

それから4ヶ月後に、共同展に参加したのですが、
私の作品を展示している場所で、「前世療法」のようなものが始まったのです。そんなことは聞いていなかったので、目が点でした。(^^;ゞ

Kさん(男性)がお客さんの前に座り、Oさん(女性)が後に立って
ヒーリングをします。過去世を見るのは、Kさんです。私は一日中、50人位(ひとり10分位)の人の過去世を霊視してヒーリングする様子を、
見学できるいう幸運に恵まれたのです。

① の【暗殺された白人の牧師】はその時に、見てもらったものです。
今、その時のノートを見ているのですが、私の頭の右側に刺さっていたのは、
「ヤリ」だそうです。(^^;ゞ
その他には、「神とつながりたがっている」とか、「頭にダイヤモンド型の
エネルギーが見えるが、先の方がかすんでいるのでクリアーにした。」
「良いイメージを描いて生活すると、その通りになってゆく」
「天のエネルギーを信じること」「肝臓に注意すること」「唾液が出難くなっているので、治した」などと書かれています。(^^;ゞ

その「前世療法」のお客さんのほとんどは女性でしたが、みなさん一様に「表情が、見違えるほど柔らかくなる」のです。涙を流す人も何人もいました。確かに皆さん、とても癒されていました。

それに、その「前世療法」は、その時が初めての企画だったそうです。
合同展の2日目、「前世療法ヒーリング」はなかったのですが、私はKさんに密着して、霊的な話をたくさん聞かせてもらいました。

例えば、「幼稚園の時から、天からの声が聞える」とか、「霊」が普通に見える話、霊界へのチャンネルの合わせ方とか、土地の浄化をしたら金星人が
お礼に来た話とか、3時間位、独占してしまいました。(^^;ゞ

その後、人数が集まってきたので、もう一度、過去世を見てもらったのが、
② の【オランダで、チューリップの品種改良に失敗した男】です。
その時は、「花の香りがしてきますね」が、第一声でした。そして、
「あなたは、神経質なところがありますね」と続き、私のオランダでの過去世が語られました。1388年の9月に、亡くなったそうです。
その男は、研究熱心でしたが、神経質だったそうです。今の「私」と似ています。(^^;ゞそういう性格を是正するための、今世生なのかも知れません。

その他のお客さんでは、「わさび」を盗んだという罪悪感の「過去世」で、
今世生の「手が荒れている」という話や、「大きな犬が苦手な理由」が、
過去世を見ることによって理解できたりしました。(*^_^*)

しかもKさんは、それらの悪い因縁を「切る」ことが出来るのだそうです。
いやむしろ、「因縁を切ること」が出来るようになったから、この「前世療法ヒーリング」を始めたのだそうです。

【85】私の「過去世」?

2005-01-27 05:23:56 | Weblog
私は、チャネラーさんたちとの出会いの中で、偶然に3つの過去世と思われるものを知ることが出来ましたので、参考までにご紹介します。眉につばをつけて、聞いてください。(^^;ゞ

① 【暗殺された白人の牧師】
奴隷制度の時代に、「人間は神の前に平等だ、
黒人の売買は良くない」と主張し、それを行動に移したので、
黒人を売買する業者に憎まれ、暗殺された白人の牧師。

その時の後遺症と思われるものが、私の頭部に突き刺さっていたので、
それを、霊的に取り除いてくれました。

その時の話では、霊的に取り除いても良い霊障と、
取り除いてはいけない霊障があり、守護霊さんと相談して
判断するそうです。(^^;ゞ

②【オランダで、チューリップの品種改良に失敗した男】
私が神経質なのは、この「前世」が影響しているそうです。(^^;ゞ
オランダ国には、チューリップの品種改良で栄えた時代があったのですが、
その当時、「品種改良」に情熱を燃やしていた彼(前世の私)は、
自分の仕事に失敗して、憤死(笑)してしまったそうです。

② 【古代ローマ時代の小市民な貴族】
私と会ったときに、「しきりに、『ローマ』という語句が浮かぶ」と
言ってくれる人がいました。その後、私の「食」に関する内面的な経歴を
吟味する中で、「ドキリ!」とするほど、私の「食」に対する姿勢と「私の前世」が結び付きました。

ローマ時代に貴族だった私は、罪悪感がありながらも、
嘔吐しては、美味しい物を食べるという生活を続けていました。(^^;ゞ
その「罪悪感」を打ち消し、解消するために今世に生まれてきたようです。

以上の3つです。「科学的に解明できるのか?」という問いには、
「いいえ」と応えるしかありませんが、自分の内面では、とても納得の行く話、符合する事象の多い話なので、これはこれとして、参考にしてください。 

【84】チャネラーさんたち(人生は、魂のための学校?)

2005-01-25 22:05:52 | Weblog
江原さんの「えぐら開運堂」という番組を見ているのですが、
http://www.tv-tokyo.co.jp/egura/
なかなか面白いです。(^^;ゞ

私も1年半程前に、チャネラーさんに観てもらったことがありますが、
現在、その予言の通りになりました。(^^;ゞ
http://www.geocities.jp/chanering_art/index.html
この方(Tさん)のチャネリングは、信頼できると思いますので、
機会がありましたら是非、どうぞ。

チャネラーさんというのは、不思議な存在ですが、
私たちの本質が、「魂としての存在」であるのなら、
そして、この人間界に「魂の学び」のために
生まれて来たのだとしたら、合点のゆく話です。(^^;ゞ

ただ、江原さんの番組を見ていて思うのは、
それぞれの人間にとって、個々に「魂の計画」があり、
すべての人が、「聖人にならなければならない」とか、
「修行をしなければならない」というようなことではなく、
個々の日常のなかに、「魂の学びと成長」があるということなのだと思うのです。

それで、私みたいに還元主義的に、「カルマ」とか、「霊性」とか、「精神性」などという言葉を使うのは、そういう「日常のなかに、魂の学びと成長がある」という主旨には反するようです。(^^;ゞ

もっと素直に、「自分の魂の計画」を信じて、
日々の生活ができれば、「自分の魂の計画」について、
「ああだ、こうだ」と考える必要すらないのかも知れませんね。

チャネラーさんというのは、その人の「魂の計画」に気付かせるために
助言を与える存在なのだと思うのです。

「ひとりひとりに、魂の計画がある」ことを、思い出させてくれる存在なのだと思うのです。

【83】ストップ瞑想法(存るものを、愛する)

2005-01-24 21:48:22 | Weblog
『ストップ瞑想法』は、とても手軽な瞑想法です。

1日に3分の瞑想法です。(^^;ゞ
一回は30秒で、一日に6回します。
完全に自分の動作を止めるのです。

状況がどうあろうと、「ストップ」と気付いた瞬間に「停止」するのですが、
もちろん、車の運転中など「危険な場合」はしないでください。(^^;ゞ

それは、「今」でも構いません。突然、止まってください。
そして、『今、在ること』を感じてください。(*^_^*)

「突然、ただ在る」ことを経験するのです。
この「ただ在る」という経験は、言葉で表現することは出来ません。
それは、「感覚」でしかないのです。ですがこの経験は、とても貴重です。

私は、踏み切りで電車を待っている間に『ストップ瞑想法』をするのですが、
とても心地の良い瞬間が訪れますと、いつまでも遮断機が上がらないようにと思うほどです。(^^;ゞ

目をつぶって、「存在」に自分を明渡した後、
再び目を開くと、その瞬間、世界が新しくなった感じがします。(*^_^*)

一度、お試しください。一日の6回でなくても良いのです。
私は、思いついた時にします。(^^;ゞ
『存るもの(存在)を、愛する』気持ちが湧いてきます。

ただし、「危険が予想される状況」では、絶対にしないでください。

【82】リバーシング(再生誕)とカタルシス

2005-01-23 21:12:30 | Weblog
「把われのない心」で、私が思い出すのが、リバーシング(再生誕)です。
私は小学生や中学生のときに、なにかというと「勉強しなさい」
と言われる環境だったので、そのことに強いストレスを感じていました。
もちろん、当時は、それを「ストレス」と捕らえることすら出来ませんでした。(^^;ゞ

私の中には、「勉強のできることが、唯一の価値である」(笑)とか、
「大学には、必ず行くべきだ」というような世界観があったわけです。(^^;ゞ

それに、「男性が、家族を養っていかなければならない」という社会の
ルールも重荷に感じていました。(*^_^*)

そのようなストレスがあって、ヤマギシ会(全人幸福社会の樹立)や
精神世界に惹かれたのだと思うのです。

そのような中で出会ったのが、OSHOの『リバーシング(再生誕)』という療法(?)です。(25年前です)

呼吸法によって過去にさかのぼり、子供時代の感情を再経験します。
私がその当時の感情の中に入っていった時、とめどなく涙が流れ、感情が爆発しました。自分が、自分の感情に気付きながら、「悔しい気持ち」を味わいました。それで、スッキリしたのです。(*^_^*)

今思いますと、カタルシス(浄化)が起こったのです。

この『リバーシング(再生誕)』を受ける以前、私は暗い性格だったの
のですが、それが改善されたように思います。

OSHOの瞑想法には、このような浄化(カタルシス)を中心に据えたものも、多くあるようです。

【81】へたでいい。へたがいい(他人の評価を気にしない)

2005-01-23 07:07:23 | Weblog
いままでは、小難しい話が多かったのですが、そろそろ、
それらを基礎にしつつも、多少くだけた話もしたいと思います。(^^;ゞ

「裸の心」というのは、把われのない「こころ」のことです。
いい意味で、他人の評価を気にしない「こころ」のことです。

私の趣味の絵手紙は「へたでいい。へたがいい」がモットーです。
その精神は、『把われのないこころ』で、描くということです。
幼児になったつもりで、「上手く仕上げよう」という分別心(見栄)
を捨てて描くと、本人でさえ驚くような『絵』が顕われます。(^^;ゞ

今日も、初心者の方に絵手紙を描いてもらったのですが、
初めての方は、教えられた通りに、自分で勝手なアレンジせずに、
一生懸命に描くので、とても良い作品が出来上がるのです。

一見、ヘタに見える「禅僧の書」に、私たちの心が引き付けられるのも、
上のような事情によります。

「うまい。へた。」という二元対立の分別心を超えた境地で書かれた
禅僧の書は、『把われのないこころ』で書かれたものなのです。

「書は人だ」ということがよく言われるのは、書いた人が
「人格者」だとか、「性格」が出るという意味だけではなくて、
「無分別心によっているのか、どうか」という線引きでもあるようです。(^^;ゞ

【80】「所有」って何?《裸の心になることです(*^_^*)》

2005-01-21 22:46:15 | Weblog
「存在」そのものが、どのような形式なのかは、定かではない。
「所有」となると、さらに観念(想い)の世界の話のように思われます。
どのような根拠が「所有」にあるのか、考えてみたいと思います。

一般的にいえば、「所有」というのは、「使用の権利」のことだと思われます。
私有財産制にしろ、国有制にしろ、「所有」という概念を認めている点では、
同じことです。

本来、物は物自体であって、人と物は「所有関係にはない」ということを、
禅では「本来無一物」、ヤマギシでは「無所有一体」と言います。

「事実は事実。思いは思い」という観点に立てば、
「所有」というのは、私たちの「思い」でしかありません。

よく、「裸で生まれて来て、裸で死んで逝く」と言われますが、
事実を事実としてみれば、そうなっています。(^^;ゞ

そういう事実を、「すべての物は、天からの預かり物」と捉えて暮らせれば、
どれだけ爽やかなことでしょう。
他人からは、『「人間」が出来ている』と言われるでしょう。(^^;ゞ

このことが、腹に落ちれば(真に納得できれば)、多くの悩みから解放されるかも知れません。私たちの悩みのほとんどは、「所有」と「見栄」に起因しているそうです。

★「所有」に囚われないで、「裸の心」になれば、
勇気も知恵も力も湧いて来ます。(*^_^*)

【79】「成長」って、何?(「人間」が、出来ている人物)

2005-01-20 22:35:39 | Weblog
生まれた時は、ただ寝ているだけの乳児が、一年も経つと、
よたよたと歩いたりします。表情も豊かになって、
教えたわけでもないのに、「恥かしい」という表情をみせたりします。

彼が、どのようにして、そういう感情や表現を手に入れたのかが、
私には、興味があります。遺伝子なのでしょうか?
霊性なのでしょうか?   解かりません(^。^?)

生まれたての彼は、もうすでに何らかの性格を持っているのでしょうか?
そばで見ていますと、慎重そうだったり、すばしっこかったりして、
もうすでに、「彼事自身」を表現しているように見えます。
その態度は、どうしようもなく、「彼」の態度です。
何かを、模倣しているのではないのです。

そして、彼は、肉体の成長とともに、精神が成長していきます。
といいますか、本質的に「成長」という言葉が冠せられるのは、
「精神性」でしょう。

人間の成長とは、「精神性の向上」のことだと思われます。
これは、「瞑想をすべきだ」とか、そんなことではなくて、
一般的に言って、「人間の出来ている人物」になることです。(^^;ゞ

別の言葉で言いますと、
「全肯定の人」とか、「全受容の人」ということだと思います。
裏を返せば、「全託の人」ということになるのでしょう。


【78】赤ちゃんはどこから、やって来るのか?(存在は神聖?)

2005-01-19 22:38:04 | Weblog
一歳になったばかりの孫がいるのですが、「彼はどこからやってきたのか」
と考えると、不思議な気持ちになります。(^^;ゞ

今はもう、家族の一員として、あたり前の事実として存在し、
生活していますが、一年少し前には、存在しなかったわけです。

「存在」。これは、どう考えても不思議です。
いつも急に、「在ります」。
気付いたら、「在ります」。

赤ちゃんは、急に存在し始めたのではなく、
その肉体は、徐々に形成されました。
赤ちゃんが存在を始めるのに、「明確な時点」はないのです。

ステーキでもそうです。
肉の塊を焼いていくと、ある段階でステーキになるのですが、
明確な時点があるのではないのです。

生焼けでも、「ステーキ」と呼ばれ得るのです。(^^;ゞ

ねっ、「存在」って不思議でしょ。

まして、「人間の存在」って、「何」なのでしょうか?

赤ちゃんは、何処からやって来るのでしょうか?

「霊という生命体」が、赤ちゃんという肉体を用いて、
この世に現われていると考えると、解かり易いと思うのですが。

【77】「今」を意識的に楽しむ。(*^_^*)

2005-01-18 21:55:17 | Weblog
大事なことは、「今」に意識をむけておくことだと思うのです。
なぜなら、常に存在し続けるのは、「今の意識」でしかないからです。

「今、感じていること」を、その苦楽を離れて、味わう・感じる・楽しむという姿勢が大切だと思うのです。

「想い」は、常に現れては、消えてゆきます。
「意識」はその「想い」の方向性を、意図的に変えることが出来ます。
自分の「想い」に振り回されているときの『私』は、「想い」の奴隷です。

「自分の想い」を意識できれば、私は「自分の想い」を
支配下に置くことができます。

このことに気付けば、世界は作り変えられるかも知れません。(*^_^*)

と、理屈ではわかっているのですが、
すぐに、過去や未来へ、「意識」が迷い込んでしまいますね。(^^;ゞ

こういう事態に、醒めて対応しようというのが、ヴィパサナ瞑想です。

【76】私たちは、何を何と思っているのか?(精神世界だけがある)

2005-01-17 21:33:37 | Weblog
「意識」を辞書で調べてみました。(^^;ゞ
① 自分の状況が、はっきりわかる心の状態。(意識を失う)
② 目・耳などが色・声などを別々に認識するのに対し、
その対象をまとめてとらえる心の働き。(仏教)
③物事について、はっきりと気付くこと。

このように調べましても、いま「意識」を意識している私のこの「意識」が、「何」のことなのかが、私にはよく解からないのです。(^^;ゞ

自分の「人生」(生)についての感慨と同じで、「これって、何?」という感覚なのであります。私の「意識」は、何をしているのか?

なぜ、私の「意識」は、「自分の状況」がわかるのか?
でも、本当に「自分の状況」がわかっているのかというと、
それもまた、疑問ですよね。「わかっている」と思っているだけかもしれませんから。(^^;ゞ

この世には「意識」しかない。唯、「意識」しかないという意味で、
「唯識」というのですが、同じような文脈で、「この世には、
精神世界しかない」とも言えるのではないでしょうか?

そして、「精神世界しかない」ということは、とりもなおさず、
私たちが、この世(物質界・明在系)と思っているものと、
あの世(精神世界・暗在系)と思っているものは、混在しているというか、
ひとつのモノであるということなのではないでしょうか?

【75】意識の中に、肉体がある(*^_^*)

2005-01-16 20:45:10 | Weblog
『肉体の中に、意識があるのではなくて、意識の中に、肉体がある』
ということを、「白光」の先輩(女性)がこともなげにおっしゃるのを聞いたことがあります。

そのとき、鋭い指摘だと思いました。(^^;ゞ
哲学的にいえば、そうなりますよね。
事実としては、そうなっています。

少し解説しますと、「肉体と思っている」のは意識なのだから、
「意識」が、「肉体」というイメージを抱いているというのが、
真実の姿(事実)なのではないでしょうか。

ですから、『意識の中に、肉体がある』ということになる。
同様にして、意識の中には、山もあれば、川もあれば、
幽霊もいれば、損得もあり、他人も居る。(*^_^*)

すべては、意識が見ている「夢」である。
岸田秀さんの「幻想論」もそのような文脈なのではないでしょうか。
でも、「幻想」と聞くと、「幻想」の対極に「実体」があるかのように
思えますが、人間の理解することは、すべて「幻想」ですよね。

『すべての理解は、誤解である』のですよね。(^^;ゞ

それで、この「意識」って、何なのでしょうか?