『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

悟り(思考停止・無自我)の感覚

2013-04-21 09:34:25 | 思索
自分の思考が止まっている感覚(意識)

「欲しいものは何もない」という感覚(意識)

状況が、ただ過ぎてゆくという感覚(意識)

瞬間から瞬間に生きている感覚(意識)

「世界平和の祈り」の感覚(意識)

ただ「自分の意識があるだけ」という感覚




「鷹の選択」
http://www.youtube.com/watch?v=0duG5WFk_xs

不思議な体験

2013-04-17 15:16:57 | 思索
日曜日に永平寺に分骨に行き、その際に両親の永代供養もお願いして、
納骨の儀式に参列して帰りました。

昨日(火曜日)、実家の仏壇に手を合わせてお参りをしますと、
(具体的には「世界平和の祈り」をして祖先の御霊の天命の成就を祈る)、
なぜかとても軽い感じがするのです。

「もう、母はここにはいない」と感じました。

それで気づいたことは、
母の魂(思い)が父の魂(天命)とともに、
この家から離れて、天界(救われの世界・おおもとの世界・魂の世界)に行ったということです。

遺骨は単なる物質ではなく、その人の思い(魂)が宿っているものだとわかりました。

安心立命、安楽の極意とは(自分の魂の計画について)

2013-04-15 18:19:15 | 思索
この日帰りの旅で出会った方々お一人一人はそれぞれに、違った人生を歩んでおられます。


すべての方々は、自分の人生(消えてゆく姿・体験)を引き受けておられる尊い神々様です。

私自身も自分の「消えてゆく姿(体験)」を引き受けている尊い神です。


このことに気づくことが、安心立命、安楽の極意です。

自分の経験や体験は、自分の魂の計画です。



宮崎老師の魂の計画
http://www.youtube.com/watch?v=Jkf0e9P3SKc




永平寺のなかで感じたこと、考えたこと。

2013-04-15 18:02:12 | 思索
★雲水のかっこよさ(*^_^*)

★ つねに瞑想(「世界平和の祈り」)がしたくてしかたない私とは何か?

そしてそれが、自分の心の落ち着く先。

瞑想が実践されると欲望が消える。 自分の欲望から自由になれる。


★ 雲水僧侶の人生と私の人生の違いは何か?

「消えてゆく姿」の違いだけ、良し悪しはなし。比較の意味なし(*^_^*)

すべては神(守護霊)の出してくださっている「消えてゆく姿(経験)」


★ 座禅の一筋の無思考的人生よりも、住職になることによって檀家(世間・他人)に中で役に立つことができる。

自分の執われに気づくことができ、魂として成長できる。


★永代供養=道元と合祀すること

★供養とは、この世とあの世の魂のふれあいの確認です。

追善(ついぜん)法要とは、亡くなった者に対し、その者の冥福を祈って行われる法要または読経のことをいいます。
特に亡くなった者の命日に法事を営んで供養することを追善供養と称される。

「食べること」について

2013-04-15 17:19:13 | 思索
先日縁があって、数人で和食のバイキングに行きました。
「ふるまう気持ち」や「わかちあう気持ち」で食べると体に負担がかからないことを経験しました。

飲食も「思い(業)」による結果(因縁)のようです。

自分の場合は、午前中に食べることや、炭水化物、肉などを摂ると体に負担が掛かります。(=体調が悪くなります)

「食べない状態の体は調子が良い」という自覚があるので、あえて食べないようにしていているのが今の現状です。

曹洞宗永平寺への参拝

2013-04-15 15:28:20 | 思索
昨日弟とふたりで、曹洞宗永平寺に、亡き母の納骨と両親の永代供養の申し込みに行きました。

高僧さま達のとても手厚い納骨の儀に感激しました。

その道中でさまざまな体験と気づきがありました。

自分がふだん接する方たちは、それほど多くはありません。

その日駅などで多くの人々(神たち)に、寺では雲水達に出会いました。

納骨の儀の最中に「安楽の法門」という言葉が浮かびました。

儀式を終えたあと、両親の永代供養が成就したと感じました。

いえ自分の意識が天につながっていればいつでも、経験は成就しているのです。

3次元の出来事は、「消えてゆく姿」です。

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★高僧さまが儀式のあとに挨拶されてお話くださったことの一つは「座禅のすすめ」です。

最近の脳科学の学説を披露されて、

「セロトニンと脳の働きの関係 」「ノルアドレナリンとパニック障害」のことを話されました。

禅と脳
http://genyu-sokyu.com/pop/tan05_7pop.html

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★もうひとつのお話は、両親から両親へとつながる連鎖の結果、「自分のいのち」があるという事実についてです。


「自分の番」
http://www.hyogo-c.ed.jp/~jinken-bo/chiiki-jinken/chiiki17/image/3-2-2-a.pdf.pdf

この意識とは何か?

2013-04-13 14:51:25 | 思索
★「自分の経験のすべて、精進のすべては、自分の魂(意識)の計画の一部であり、善きこと」と感知できることが悟り。

すべてを受け入れることが出来るとき、自分は神なる存在(意識)。



★★「自分は食べない」という選択が、ふつうにできる意識は普遍意識。

意識とは、何か?

2013-04-12 17:39:29 | 思索
食への興味が、消えた感じがする。

それは、時間が止まるということか?

「世界」は自分の外ではなく、自分のなかにあるのだとしたら、うなずけること。


個人の人間の意識は、その人の内面世界(意識)だけで、完結している。


人間(自分)には、(カルマ)がある。

我即神也の印で、自分のカルマ(業)を切るのだから、

食というカルマが無くなるのは、当然の結果ということか?

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2月14日、国連本部総会議場で「世界平和の祈り」が行われました。

異教徒間の調和を通じて、平和の文化のための国連
http://webtv.un.org/watch/united-for-a-culture-of-peace-through-interfaith-harmony/2165451739001/