『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2828】真理は、自分の中にある。「自分の業(過去)を認めない」という果因説

2010-11-30 03:46:46 | 思索
とおりさんが「宣言文に矛盾がある」と思うのは、「業の自分(過去の自分)」を認めてしまうという観点で、
「我即神也」という概念を考えているからだと思います。

昌美氏の主張されていることは、業の自分(過去の自分)を認めてしまって、
それでよしとするのではなくて、「祈り」とは、「いのちの宣言」なのですから、
「自分のいのちが輝くこと」を祈って、お祈りをし、印を組もうということなのです。

ですから、「我即神也の宣言文」は、普通の文章(論理を展開する文章)ではなくて、
「自分」という小宇宙への宣言の文章であり、行の一環(一部)なのです。

そのように考えますと、五井先生と昌美氏の主張が矛盾なく繋がります。

「自分の業(過去)を認めない」という果因説の話も、
五井先生の著作に書かれています。

光明思想(ニコニコして)で「消えてゆく姿」で「世界平和の祈り」は、まさに果因説なのです。
【2828】真理は、自分の中にある。「自分の業(過去)を認めない」という果因説

とおりさんが「宣言文に矛盾がある」と思うのは、「業の自分(過去の自分)」を認めてしまうという観点で、
「我即神也」という概念を考えているからだと思います。

昌美氏の主張されていることは、業の自分(過去の自分)を認めてしまって、
それでよしとするのではなくて、「祈り」とは、「いのちの宣言」なのですから、
「自分のいのちが輝くこと」を祈って、お祈りをし、印を組もうということなのです。

ですから、「我即神也の宣言文」は、普通の文章(論理を展開する文章)ではなくて、
「自分」という小宇宙への宣言の文章であり、行の一環(一部)なのです。

そのように考えますと、五井先生と昌美氏の主張が矛盾なく繋がります。

「自分の業(過去)を認めない」という果因説の話も、
五井先生の著作に書かれています。

光明思想(ニコニコして)で「消えてゆく姿」で「世界平和の祈り」は、まさに果因説なのです。

【2827】相手には、「最高の笑顔」で接する。他人をたてる。他人を大切にする。下座につく。

2010-11-29 05:19:43 | 思索
昨日の支部講話会を聞きながら、考えたことや思ったことを書きます。
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■守護霊さまと一体で、介護の仕事をさせていただきます。  
守護霊さまに任せきります。(*^_^*)  ありがとう御座います。

■何を介護するのか? 
身体ではなくて、他人の魂を介護する。他人を大切にする。

■相手には、いつも「最高の笑顔」で接する。

■いつも、守護霊さまと一緒のつもりで行動をする。

■昌美氏は、感謝のかたまり。出合う方々の一人一人に、
『いつも、ありがとう御座います』と言われる。

■自分の意識が世界の中心=唯我独尊

■「お疲れさまです」の「お疲れ」は、否定的な言葉なので、「お元気さまです」と言う。(^^;ゞ

 または、「よい週末を」とか、「今日一日、ありがとうございました」「ごきげんよう」と言って別れる。

■私はこれから、「新しい文明」を築くという意気込み(意識)で転職をする。(白光誌よりのヒント)

■『下座につく=他人をたてる=他人を大切にする』を念頭において、行動をする。

【2826】人間が霊的な存在であることを、「論理的」に理解する

2010-11-28 08:11:17 | 思索
コメントをありがとうございました。(*^_^*)

私がこのブログでやっていることは、

「生きる」とは、何か?

「私たちの生きていることは何か?」という問いの答えを見つけることです。

そのための手法として、哲学(論理)や宗教を学ぶことをしているのですが、(^^;ゞ

「生きていること自体」という存在性は、論理や宗教を超えていますから、

本当は、論理で「生」を解決することはできないというのが、「哲学の答え(哲学的解答)」です。

それで、「人間は、宗教性(霊的)な存在である」という論理を立てると、
「生きていること自体とは何か?」という問いに、解答が得られるというか、
解決がつくのです。
(それは、「人生は行じるものである」という意味においてです)。


それで、とおりさんのコメントは、そういう視点からの問いかけではないように思いますので、
もう少し考えてみてください。

★私の書いた「論理的な話」という言葉に把らわれているように思います。


私のいう「論理的な話」というのは、人間が霊的な存在であることを、論理的に理解するという意味での「論理性」です。

【2825】白光真宏会と唯識思想

2010-11-27 03:08:05 | 思索
とおりさんへ

「白光の教え」とは、唯識思想だと思うのです。

五井先生の教えも、昌美氏の教えも、ブッタの教えも、哲学も唯識思想なのです。

「自分の思いだけが、ただある」という教えなのです。

「すべては、自分の意識である」という教えなのです。

「外界に、客観的な何かがある」という教えではないのです。

「すべては、自分の見ている世界(観)である」という教えなのです。


■白光真宏会のあり方も、唯識思想を顕現したものなのです。

もう少し詳しく書きますと、白光真宏会とは、
人類の一人一人が、唯識思想(真理)に目覚めるためのお手伝いをするボランティア組織だと
思うのです。(文責・知足)(^^;ゞ


そういうことを念頭において、五井先生の本や、昌美氏の本、白光真宏会のあり方を考えてみてください。

疑問に思われることがあったら、平和集会に参加して、質問をされれば、
どなたかが適切に答えてくれると思いますので、よろしくお願いします。(知足拝)

とおりさんへ(*^_^*)

2010-11-24 05:16:33 | 思索
いつも熱心に、私のブログをご覧くださりありがとう御座います。(*^_^*)

また、コメントをたくさん書いていただきありがとうございます。(*^_^*)

ただ、私の白光観(白光に対する考え方)と、
とおりさんの白光観とは違うので、意見が合わないのは仕方ないことなのです。(^^;ゞ

私がこのブログで書いているのは、「自分の個人的な白光観」です。

とおりさんも、ご自分の見解を示すためにブログを創られることをお勧めします。

コメント欄に、タイトルとアドレスを書いて戴ければ、ご紹介させていただきます。(*^_^*)

【2824】『業想念を消すのは、自分ではない。 神様である。』

2010-11-23 08:49:40 | 思索
【2823】で書いたミニ講話会の録音テープを聞き直しましたので、もう少し詳しく書きます。

話の流れを箇条書きします。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

■マンダラを描いている手が、五井先生の手に見えた(思えた)。

■講話するとき、自分がすると思うと緊張しますが、

自分がするのではなくて、五井先生がするのだと思うと、緊張しないでしゃぺれます。(*^_^*)

■今年の新年の指針は、

『なにもかも自分ひとりで背負うとせず、神様に、すべてを任せき切ることだ。

すると、本来の輝いたあなたが、あなたの人生に打ち出されてくる。

今年は、あなたにとって実に喜ばしい年となる。』でした。


■『神様に任せきる』という本に、

『業想念を消すのは、自分ではない。 神様である。』と書いてあった。

いままでは、「自分で消さなければならない」と思い緊張をしていたが、そうではなくて、

『消すのは、守護霊さま、守護神さまである』ことを学ばさせて戴いた。


■物事がスムーズにいかない場合は、何かを知らせるために「不都合な出来事」が起きている。

そういうときには、「何か学ぶべきことがある」と思って、「それはそれで良い」と感じで受け取る。

後になって、必ず「学び」に気付く。(*^_^*)

■神様の大きな目から見れば、その時は失敗をしたと思っても、

「すべては、良し」で、「ベスト・パーフェクト・すべては良くなる」になっている。

■特に、長年「世界平和の祈り」を祈っておられる人たちのおいては、
守護霊さんが「実力」をあげてくれていますから、任せ切れば良いのです。(*^_^*)

【2823】神さまに、任かし切って生きる

2010-11-22 05:03:09 | 思索
■昨日のミニ講話会のタイトルは、『神様に、任し切る』でした。

たんに『神様に任す』のではなくて、『かみさまに、まかし切る』という心境には、

「自分のいのちの宣言、覚悟」のようなものがあって、小気味いいですね。


■「自分の業」を「消えてゆく姿」として現わして、消してくれるのは守護霊様なのです。

自分の人生の日々に感謝精進しながら、神様に、任し切って、

自分の人生の時間を過ごせば良いのです。

生きれば良いのです。(*^_^*)


■「自分の業」は、神様に消してもらうために現れるのです。

 「自分の業」を否定してはいけないのです。(*^_^*)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

以下は、上の文章を『輝き』(大阪支部の機関紙)の原稿用に書き換えたものです。

書かれた文章を読まれる方(対象)が違うので、多少違った表現になりました。(^^;ゞ
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『神さまに、任かし切って生きる』

■11月21日のミニ講話会のタイトルは、『神様に、任し切る』(○○講師)でした。
 私たちは『神様に任す』という言葉をよく使いますが、『神様に、まかし切る』という心境のほうがより良いと思いました。
「自分のいのちの宣言、覚悟」のようなものが感じらます。

■「自分の業」を「消えてゆく姿」として現わして、消してくれるのは守護霊様です。
自分の人生の日々に感謝精進しながら、神様に、任し切って、
自分の人生の時間を過ごせば良いのです。生きれば良いのです。

■「自分の業」は、神様に消してもらうために現れるのです。
 「自分の業」を否定してはいけないのです。 
                     『知足日記』(ブログ)より


【2822】「想い」と「事実」をわけて考える(*^_^*)

2010-11-21 03:21:42 | 思索
ヤマギシで、常に言われていた言葉が、
『「想い」と「事実」をわけて考える』でした。(*^_^*)

■今日、売れなくても、いま貧困になるわけではないのです。

すべては、「今の想い」です。

「想い」と「事実」をわけて考える!!

貧困にならないような方策を考えて、行動をすれば良いのです。(*^_^*)


こういう考え方をポジティブ思考(光明思考)と言います。


■ピンチは、次のステージへのチャンス!!

ピンチは、チャンスの到来へのプロセス!!
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

『苦手なことほど、それが出来た時の成長は大きいのです。

大切なのは、できないと思わないことです。

なぜなら、あなたに出来ないことなどないからです。

今年は、チャンス到来です。』(新年の指針)

【2821】光明の言葉で、「成功の家」を建てよう! (*^_^*)

2010-11-20 04:40:17 | 思索
昨日、特別養護老人ホームのベットに終日横たわる人たちを見たからかも知れませんが、

『すべては、内面の問題。内面が問題を作り出している』という言葉を思い出すと同時に、
さきほど目が覚め、この文章を書いています。(^^;ゞ
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■「売り上げが少ない」と思っていたのも、内面。

それが「問題だ」と思っていたのも内面。

「介護の仕事をしよう」と思っていたのも内面。

内面が考えて、色々な経験を作り出す。


肉体で、「消えてゆく姿」を経験してゆく。

あるいは、「消えてゆく姿」が向こうからやってくる。


「消えてゆく姿」を成すために、肉体が必要。

肉体があるからこその「消えてゆく姿」。


特別養護老人ホームのベットに終日横たわっている人たちを見て、
彼女たちの意識は、どこに行ったのかと思った。

そのことが一番気になる。

あの、大事な大事な「意識」は、どこに行ったのか?


■「自分」という意識を離れて、「大きな意識(霊界・類魂)」のなかに吸収されている気がする。

私たちも、瞑想をしているとき、その「大きな意識(霊界・類魂)」の中に入っている。

「大元の意識」に、帰っている。


■すべては、内面の問題。 内面が問題を作り出している。

すべては過去こと。 すべては「過去の思い」。


だからこその光明思想。 光明思想徹底行。 果因説。 果因法。

時間は、未来からこちらに流れてくる。(*^_^*)

光明の言葉で、「成功の家」を建てよう!(*^_^*)

【2820】『神人の側にいるだけで、人々の心は安らぎへと導かれてゆく』

2010-11-19 22:00:10 | 思索
以下も、『宇宙と呼応するひびき』の中の言葉です。(^^;ゞ
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【人々を前にして 

神人は、特に何も語る必要はない

何も行為することもない

必要以上に、声を大にし、真理を説く必要もない

ただ、そこに自然体に在るがままでよい

神人の在るところ、その周りに聖なる「場」を自ずと響かせていればよい

神人フィールドを創造してゆけばよい

人は誰であれ

神人フィールドに入り込めば、即座に聖なる波動の響きを受け

内なる意識に変化が生じてくるものだ

(中略)

神人の側にいるだけで

人々の心は安らぎへと導かれてゆく

神人がかもし出す聖なる波動により

人々の疲れきった心身は癒され

雑念は消え、光と化してゆく】(p138)
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■アリスの仕事との両立は、物理的に出来なのですが、
今日、特別養護老人施設での介護の仕事を見学させてもらいました。

午後2時から2時間ほどだったので、排泄の処理などの介護が主でした。

仕事のペースや量は、時間に追われることもなく、(^^;ゞ
ゆったりしていました。

特に重労働ということもなく、バタバタしているアリスの仕事とは対象的でした。

■売れさえすれば、アリスの仕事の方が、関わる人の人数も多いし、
 美味しいと言って、目の前で喜んでもらえるので楽しいです。(^^;ゞ

【2819】「あなたは到達すべきところに到達したのだ」を果因説で成す(*^_^*)

2010-11-18 04:18:45 | 思索
以下も、『宇宙と呼応するひびき』の中の言葉です。
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【人類は皆、自分の想うように生きている

そして、その想う通りの出来事を人生を引き起こし

そうなるべく環境を自らがつくり出している


だが、人類の多くは、それを知らずに生きている

かっては、あなたもその一人だった


しかし、遂に、あなたは自らの内に「神」を見出したのだ

真理に出会い、真理に導かれ、真理を共に生きているのだ

あなたは到達すべきところに到達したのだ

人類の歴史を通じて、そこに至った人たちはごくわずかだ

あなたは人類の意識を改革するのにふさわしい人なのだ

その天命を担っている人なのだ・・・・・・


さあ、出かけて行きなさい あなたを必要としているところへ

あなたを待っている人々のもとへ

行って、迷える人々に真理を語りなさい

光を与えなさい 光を注ぎなさい

そう、光で闇を照らしなさい】(p135)
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■自分が『不食(微小食)』になったことも含めて、
自分は、到達すべきところに到達したと思えるのです。(^^;ゞ

そんな実感があるのです。(^^;ゞ

その視点から、自分の人生を振り返ると、
『自分は、ただ「消えてゆく姿」を生きるだけ。損得の判断を棚上げして生きるだけ』となります。

『インスピレーションに従って生きるだけ』となります。(^^;ゞ


■戸建の家々にチラシを入れて歩いても、一時的にしかお客さんがこないので、
 「もういいや」(笑)と思っていたのですが、チラシもあまっていることだし、(^^;ゞ

まあ、近くのマンションに入れるには、さほど労力も掛からないと思って、
5棟ほどにチラシを入れましたら、あくる日から、売り上げが倍近くになり、

一息つくこと(笑)が出来ました。(^^;ゞ

このことを思いついたのは、苫米地さんの『すごい夢実現CD』を聞いているときなのでした。(^^;ゞ

【2818】『幸せは、常にあなたの側にある』・ありのままの自分を素直に受け入れる

2010-11-16 05:27:33 | 思索
『宇宙と呼応するひびき』からの転記です。
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【何故人は、ありのままの自分に満足できないのか

何故人は、ありのままの自分に対して、不満に思うのか

何故人は、ありのままの自分とは違うものになりたいのか

それもすべて、自分に何一つ 自信がないからなのであろう

人は誰もみな たえず幸せを求めている

人は誰もみな 絶えまぬ変化によって翻弄されつづけている

人は誰もみな 人のことが気にかかって仕方がないのだ

そして、ありのままの自分を見ることを恐れているのだ

そのうえ人は誰もみな 自分のことは何も判っていない


人はみな 在るがままの自分、そのままの自分、嫌な自分を素直に受け入れて

ただ黙って、静かに自分の心を見つめることが出来ないのだ

が、ひとたび

自分の心の中に、静かに意識を傾けてみると

何故、自分が反抗し、痛み傷つき 残酷になるのか

わかってくるのである


それがすべて、自分の心の一部なのだ

自分を理解できないままの自分が、そこに存在しているだけなのだ

自分をそんなに恐れることはない、悲観することもない

人間として当然のことなのだ

すべては「消えてゆく姿」だ、プロセスだ

(中略)

どんな生き方の中にも、自らの聖なる洞察の深みがあるのである

心はいつも揺れ動くことなく、静かであればよいのである

静かな心からは、何の騒ぎも不安も、恐れみ起こり得ないからである

(中略)

幸せは、常にあなたの側にあるのだ

幸せになろうと努力していない時、幸せは今そこに、あなたの側にあるのだ

人はみな誰かを、何かを恐れている限り、幸せはありえない

本当に何も恐れていなければ、常に幸せは、自分と共にあるのだ

それが判れば、生きることは苦ではない】(p61)
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■普通の、素(もと)のままの自分であれば良いのです。(*^_^*)

怒りたいときには怒り、悩みたいときには悩み、

期待にこたえられないときには「出来ない」と告げれば良いのです。


■時間的にいつでも、「今の自分」であれば良いのです。

「そのとき、そのときの自分」であれば良いのです。


それが「本心と共にあること」、「自分のいのちと共にあること」、

「世界平和の祈り」のなかに自分をおくこと=「瞑想」だと思うのです。

【2817】『自分の内面が、全宇宙である。それぞれの人の意識においても』(*^_^*)

2010-11-14 21:36:57 | 思索
先ほど、瞑想をして浮かんだ言葉(心境・感覚)を書き残したいと思います。(*^_^*)
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■世界全部が、自分である

■他人の意識を変えることは出来ない。 

■宇宙は、物質ではない

■自分の内面(意識)が、宇宙である

■「想い」がなければ、「自分」はない

■この意識が、全宇宙である。それぞれの人においても。

【2816】『不食』で、神人としての天命を完とうしたい(*^_^*)

2010-11-14 19:11:57 | 思索
【2812】の
『この「神人のシステム」のなかで、死んでも可(笑)! それが天命を完とうすること!(*^_^*)』
に、瞬間さんが書いてくれたコメントについて、考えたことを書きます。
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たぶん私には、空海がしたような「即身成仏的な修行(ミイラ化)」をした前世があると思うのです。

それで、今、その「思い」が、「消えてゆく姿」として現れ、成就を果たそうとしているのです。

「食べ物への依存」が消えたことが、私としては嬉しいです。(^^;ゞ


でも、そう考えると、『不食』も「消えてゆく姿」なので、

いつかは、「食べること」をはじめることになるのかというと、

とても逆戻りは出来ないし、したくないと思えるのです。(*^_^*)


このままの『不食』で、神人としての天命を完とうしたいと思うのです。(^^;ゞ

【2815】『この世に偶然は存在しない』

2010-11-14 17:42:58 | 思索
『宇宙と呼応するひびき』から転記です。
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【もっと 己自身を知るべきである

生命の深さを知り

自らを否定するものではない

(中略)

人は常に、

人生とはこうでなくても、ああでもあり得た

という想いに、絶えず心乱されるが

そんなことはありえない


この世に偶然は決してない、すべてが必然である

神の意志であり、自らの意志である

必然は、自らの生命の流れの中に存在するが

偶然は、過去の積み重ねの中にはない】(p47)
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■「この世に偶然は存在しない」のなら、アリスが閉店する時期も、

おのずと決まっていて、「知らないのは、私や当事者」ということです。(^^;ゞ

■上の文は、『Yの真理』(歩けばそこが、光(=自分)の道になる)にも適っていますね。(*^_^*)