『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1630】「言葉に執われない生き方」のなかに真実がある。(言葉から自由になる)

2008-11-30 15:16:13 | 思索

私は、もともと記憶力がよくないので、思い出すのに時間が掛かります。

特に最近は、日常的にも「思考停止になっている」(笑)ので、
とっさに、何をどういう順番で話せばよいのかと言葉につまることがよくあります。(^^;ゞ

以前にも書きましたが、「言葉」はコミュニケーションの大切な道具ではあるのですが、
「言葉」に執われると自分の心を萎縮させてしまい、偏狭な考え方(生き方)に陥ってしまいます。

先ほども、以前に紹介した『たかじん そこまで言っていいの委員会』(関東では放映されていません)の議論を聞いていて、そう思いました。(^^;ゞ

今回のテーマは『国防スペシャル』で、議論が盛んではあるのですが、
それらの議論の前提である「国とはないか?」「国家の平和とは何か?」という定義をしないで討論をしていないので、お互いが自分の思いを語っているだけであり「超空回り」です。(^^;ゞ

話がそれましたが、
「良い、悪いという言葉」に 執われないことが大切です。
「良い、悪いという言葉」に執われると、「自他のいのちの輝き」を阻害してしまいます。

「国」とか、「攻められる」という言葉に執われないことが大切です。
言葉に執われないで、「争い」をどう回避するのかが、「兄弟である人類の智慧」であり、
「お互いの目覚め」のチャンスです。(^^;ゞ

「言葉に執われない生き方」のなかに真実があります。(*^_^*)

「良い、悪いという言葉」に執われないで、思考し行動できることが大切です。

【1629】全部、降ろしたのよねえ(*^_^*)

2008-11-30 05:56:24 | 思索
先日の佐々木さんの講話会のなかで、もうひとつ印象的だったのは、
昌美氏が、なにげなく話されたという
「降ろせるものは、全部降ろしてしまったよねぇ(笑)」という言葉です。

あとは私たちが、授けられた方法を実行すれば、「自分も世界も平和になる」(笑)のです。

それを信じて、実践すれば良いだけなのです。(*^_^*)
実践をして、後は神様に任せればよいのですから、
これほど楽な生き方はないのです。(*^_^*)

その時々にしなければならないことは、自然と上から降りてきますから、
「思いついたこと」をその都度実行してゆけば、
自然に、自分の人生が歩んでゆけるのです。(*^_^*)

白光真宏会の60年の歴史のなかで、
自分を深め、目覚めさせるための方法が、
降ろされているのですから、それを実行すればよいだけなのです。

実践すれば、「自分の人生の目的(天命)」は達成されるのです。(*^_^*)

【1628】人間というのは、光なのです(^。^?

2008-11-29 05:07:40 | 思索
『大決意』の冒頭の部分は以下です。 ちょっと、不思議な文章です。(^^;ゞ
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『実は、・・・・・・』

人間というのは、
ここに肉体があるけれども
実はここにあるのではなく
光が流れて来ているのです

純粋な無想無念の状態で
光そのものになっているのです

肉体というのは、本当はあるのではない 
ただ見えているだけなのです

みなさんはここに座っているけれど
実は ここに座っているわけではないんですよ

光の波が幾すじも流れて来て
ここの止まっているのです

光の波と業の波が混ざったものが
ここに来ているのです

そこへ太陽よりももっとすごい光明が言葉とともに拍手とともに流れてゆくと
業の波がきれいに洗われてゆくのです

みなさんは肉体と思ってはいけません

人間は肉体であるという観点から
一日も早く脱却することです

人間は肉体ではないんです
霊なのです 光なのです 光線なのです

太陽が光り輝いているけれど
光線としては見えません

見えないけれど光線はある
それと同じように
人間はみんな光の波っで天から来ているのです

それなのに肉体というものに把らわれて
肉体ばかり見ているから
太陽の光を否定し
神さまから来ている自分の力を否定している
否定しただけ汚れていまうのです だから
人間は勝手に苦しんでいる といわれてしまうのです
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★なぜ、不思議に思うのかを考えてみました。(^^;ゞ

それは、「光」という言葉が何の比喩なのかが分からないからです。(^^;ゞ

『光』とは、光線という意味ではないと思うのですが、(^^;ゞ
「私の意識」が、『光』なのでしょうか?

『光』が「神の意識や意思」・「天の意思」・「大いなる意思」という意味ならば、
私にそういう意識がやってきている時には、『光』がやってきていることになります。(^^;ゞ

また、私の肉体も精神も心も「宇宙の一部」ですから、それらは、
「宇宙そのものである」とか「宇宙からやってきている」と言えます。

これは、『事実』です。(*^_^*)

もともと、「すべては、宇宙からやってきた物」なのに、
それを「肉体」だとか「心」だとか「言葉」とかと、
人間が勝手に分けて考えているのです。(^^;ゞ

『光の波と業の波が混ざったものが、ここに来ているのです』が、それです。

「光の波」も「業の波」も『宇宙』から来ているのであり、
分離しているのではないのです。

そして、『そこへ太陽よりももっとすごい光明が言葉とともに拍手とともに流れてゆくと
業の波がきれいに洗われてゆくのです』というのは、

光明なる意識、光明なる言葉に意識を向けると、
「業の想い」が消えてゆくので、すっきりとした「天の気持ち」となり、
気持ちが良くなるという話なのです。(*^_^*)

【1627】意識は、宇宙の根元から流れてくる光の一筋

2008-11-28 04:28:13 | 思索
『夢を紡ぐ道 つれづれに歩み』の中の文章です。
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【幸せな世界平和の道】

生かされし、生命の声に耳を傾けてみませんか?
この生命、自らが選び、あなたの存在をこの世に現しているのです。
だったら、この生命がもっと働き易いように、協力しようと思いませんか?

人間は、どうしても、肉体が一番大切だと長い間信じて、日常生活を送って来ました。
肉体はもちろん大切なことに違いはないけれど、
その肉体が私たちのすべてを幸せにしてくれるでしょうか?

肉体がどのような働きをするにも、そこには自らの意志が大きく働いています。
意識で感じたこと、想ったことが、この肉体を通じて自分の希望を叶えてくれるのです。

意識は、宇宙の根元から流れてくる光の一筋なのです。
何気なく想っている《意識》が、肉体を動かし、すべてを叶えてくれる素晴らしいもの、
と考えたことがありますか?

宇宙から降ろされた、この意識は何ものにも変え難く、
あなたを絶対的に、幸せにもし、不幸にもするのです。

《意識》が《私の肉体は健全だ》と想えば、
あなたは健やかな肉体を得るでしょう。

必ず、肉体は意識の通りに運ばれます。

いつも明るい意識で、《必ず成就する》と肉体を包み込み、
幸せ心で「世界平和の祈り」を響かせてゆきましょう。
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★3ヶ月ほど前に、『大決意』(五井昌久著)という本の冒頭の部分が気になったので、
買いました。

この本は高橋英雄さんが、五井氏が日ごろ説かれている教えのエッセンスを
分かり易く並べ替えて一冊の本にしたものなのでお勧めの一冊です。(^^;ゞ

その冒頭の部分が、上の『意識は、宇宙の根元から流れてくる光の一筋』という部分と似ているのですが、
今の私には、イメージすることが少し難しいです。(^^;ゞ

「私の意識」は、私のモノではなくて、何処かから突然とやって来ることは分かるのです。(^^;ゞ

「天の意識」につなげているときと、「欲の意識」につなげているときとでは、
降りてくる意識が違うのです。(^^;ゞ

「天の意識」につなげているときだけが、「宇宙の根元から流れてくる光の一筋」なのでしょうか(^。^?

【1626】求めることの苦しさ、求めない気持ちの軽さ!

2008-11-27 02:31:13 | 思索
以下も『夢を紡ぐ道 つれづれに歩み』の中の文章です。
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【求める 求めない】

求めると執着となり、求めないとうまくゆく
求めると重くなり、求めないと軽くなる
求めると答えを待ち、求めないと答えは来る
求めると逃げる、求めないとやって来る
求めると負担となり、求めないと自然でいられる
求めるとりきみになり、求めないと楽になる
求めると自我となり、求めないと平和になる

求めることの苦しさ、求めない気持ちの軽さ
表と裏で、この違い
けれど、表と裏は表裏一体

生かされている自分と、すべて受け入れられる器となれば、
求めるも求めないもない
皆ひとつなのだと思う

その気持ちで歩み続ければ、必ず成就の道に運ばれる
悔いのない人生を送ることを確信しつつ、
生きていきましょう
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★加島祥造氏の『求めない』をヒントにして書かれた文章だと思うのですが、
 ご自分の言葉で書かれているので、サクマさんの「求めない心」という『決心』が、
よく伝わってきます。

★先日、『日々の指針』をテーマ別に並び替えて、防備録をつくろうと思い、
「存在・自分・世界・宇宙・平和」などの見出しを考えて、一つ一つを吟味しようと思ったのですが、
『日々の指針』のテーマは、ただひとつ『自分』であることに気づきやめました。(^^;ゞ

そして決心すべきことは、『すべてを決めるのはあなた自身である。愛せよ、自分を愛せよ、他人を愛せよ』でした。(^^;ゞ

【1625】今日も「新たなる生命」を戴いて存在する!

2008-11-26 04:16:43 | 思索
『夢を紡ぐ道 つれづれに歩み』の中の次の文章も、「人生の嬉しさと楽しさ」がテーマです。
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【今日も新たなる生命を】

毎朝、新しい生命をいただく。
朝が来ると、今日が私の始まりだと思う。

新しい気持ちでいると、本当にすべてが新しく見えてくる。
 窓を開け、新しい空気を吸うと、昨日あった良いことも、
悲しいことも、すべてが穏やかな気持ちで受け入れられる自分がいる。

今日こそスタート、昨日と違う私がいる。
(中略)
私の人生の歴史が終わるまで、毎朝新しい生命をいただき、
その生命の息吹きを、地球創生のために放とう。

・・・毎朝の日課の散歩道。
天と地と人との出会いを繰り返しつつ、
そこには思いもかけない、美しいもの、嬉しいもの、
色、香り、音、響きに感動し、素敵な気持ちで味わえることにありがとう!
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★家庭でも職場でも、そうなのですが、
 『なぜ私たちはそんなに、「しかめっ面」をして、「日々の人生」を過ごしているのだろうか?』
と思うときがあります。本来、「人生は、悦びに満ち溢れている」と思うのです。 (^^;ゞ

その気になりさえすれば、楽しめることが身の回りには山ほどあるのに、
自分で自分に制限を加えて、それを楽しまないで「しかめっ面」をしているのです。

何事も他人と一緒に楽しめば良いのに、壁を作って「しかめっ面」をしている!(^^;ゞ

「自分」という枠を外すと、全部がひとつなので、「楽しいだけ」があるのです。

「楽しいだけ」が、真理なのです。(*^_^*)

「しかめっ面」や「執着」や「嫉妬」は、「自分」という枠をはずすと
「楽しいだけ」があることに気づくための「消えてゆく姿」なのです。

【1624】「全体への奉仕者という姿勢」を保つ!

2008-11-25 05:31:47 | 思索
佐々木さんのお話を聴かせてもらって、
「自分は、全体への奉仕者という姿勢を保つことができているのか?」
ということを反省しました。(^^;ゞ

やはり、「自分がうまく行くことのみ」に、強い関心があるようです。(^^;ゞ

人間は、自分の生活(肉体の生活)をしながらも、
自分の成すことが「全体への奉仕」であることが大切だと思うのです。

本部職員は、会員への奉仕者。
そのことを通じて、世界平和に携わっている。
同じ意味で、支部長さんも、「全体への奉仕者」であり、大阪支部の会員さんの「小間使い」なのだそうです。

この話を聴いて、「私も、全体への奉仕者であらなければ」(笑)と思いました。(^^;ゞ

それはたぶん、「他人を愛する」という想いをカタチに表わすことだと思うのです。 (*^_^*)

【1623】「お祈りは裏切らないですね」(*^_^*)

2008-11-24 03:19:00 | 思索
昨日の大阪支部講話会は、本部職員になられて10年の佐々木薫さんのお話でした。
講話会で話されるのは、はじめてなのだそうですが、落ち着いておられて、特に座談会では、
本部職員ならでは苦労話(笑)など、とても良いお話を伺うことができました。
(後日、大阪支部のサイトにアップされると思います)

佐々木さんはSOPPを担当されているのですが、
数年前に行われた会長や副会長の全国を巡る講話会にも携わっておられて、
副会長さんたちが、講演の前にとても緊張をされていた話とか、
その緊張を乗り越える努力の話などをされました。(座談会で)

そのなかで印象的だったのは、副会長さんの「お祈りは裏切らないですね」という言葉でした。

その他にも、佐々木さんがWPPCの仕事をされるなかで、
「会員さん」の質に触れた話にはちょっと感動して、目頭が熱くなりました。(^^;ゞ

そのほかで、印象に残ったのは下記のようなことです。
大阪支部での講話会には5年近く通っていますが、どなたのお話も感動的で飽きることがありません。(^^;ゞ
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★一万回の「無限なる赦し」!(10年まえの経験談)
 9000回までは、「自分が相手を赦すこと」に意識が向いていたが、
 ある気づきが訪れて、残りの1000回は「相手に対して、申し訳ない」という気持ちで祈った。

★「今」はニュートラル。ゼロ次元!

★昌美氏に「あなた、また繰り返すの?」と、なにげなく言われた。
その時に「私はまだ、自分を赦せていない!」と思った。

その後、『起床時の呼吸法の唱名』の結果、ある体験をした。それは、
感謝祭の日に「赦して欲しい」と思って、聖壇前に五井先生への手紙を置いたら、
 五井先生の「すべては赦されているのだよ」という声(内なる声)が聞こえた。

★上にも書きましたが、SOPPの企画と実践の仕事の中で、実際に海外の人たちに接するなかで、
たとえば「国旗に対する感覚の文化的な違い」をクリアする話などは興味深かったです。

佐々木さんのされている「職員としての仕事の奥深さ」に、感動しました。(^^;ゞ

【1622】『楽しい』がモットー! 何事にも執着しないで、常に陽気(*^_^*)

2008-11-23 04:17:27 | 思索
先日の『会社の星』(NHKの番組)なかで、『楽しいがモットー!』と言葉を聞き、
お祈りでも仕事でも家庭内でも「そうあらねばならない」(笑)、「そうありたいものだ!」と思いました。(^^;ゞ

これは、五井氏の言われる『「高級霊は、上機嫌!」という真理』のことなのですが、
『夢を紡ぐ道 つれづれに歩み』の中の『嬉しくて』というエッセーも同じテーマです。
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【嬉しくて】

嬉しくて、嬉しくて・・・、この弾ける想いで、
空を、海を、大地を、山を見てみよう。

すべてが一つにつながっているのです。

この輝けるような幸せを。周りの人とひとつに分かち合いながら、
嬉しくて、嬉しくて、有り難くて、有り難くて嬉し涙が頬を伝う。

この幸せの輪を大きく大きく、宇宙に広げてゆきましょう。
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★この感覚を持ち続けていることが、「世界人類が平和でありますように」という気持ちだと思うのです。

★『何事にも執着しないで、常に陽気である自分』を顕現していきたいですね。(^^;ゞ

【1621】利益還元セール(^。^?

2008-11-22 05:43:45 | 思索
「食べ過ぎると、不調和が起こる」どころか、
「食べると、不調和が起こる」という感覚になってきたのですが、
そうなってしまうと、まだちょっと怖いので、(^^;ゞ
「食べると、不調和が起こる」という感覚を持ちながら、
「あまり食べない」という感じの食を実施しています。(^^;ゞ
(現在の体重は、49キロです。お腹は、皮がたるんでペチャンコです。体が軽くて、とても快適です)(^^;ゞ

そんな、あまり食べない私がウンドベーカーリーで、わざわざパンを買って食べることはないのですが、
その日はたまたま、売れ残りの食料がなく、「おいしいパン」をたまには食べてみたいと思って、
自分のためにパンを買いました。(^^;ゞ

その店がポイントカードをくれたことで思い付き、私の店でも開店当時に使った金券があるので、
それを使って「利益還元」をすることにしました。(^^;ゞ

いままでの私は、店の経営のためとはいえ、自分の利益ばかりを考え過ぎていたようです。(^^;ゞ

「世の中のお金は、分け合って使えばよい」ということが、やっと分かりました。(^^;ゞ

買っていただいたお客さんに、
「また次回もご利用くださいね」という気持ちを、「金券」というカタチで表そうと思いました。

なにしろ今年の「新年の指針」は、
【愛せよ、人を愛せよ、自分を愛せよ!】なのですから、(^^;ゞ

そして、「世界平和の祈り」と印を組んでいるのですから、
明日の私の誕生日を前にしたこの時期に、「利益還元」(笑)を思いついたことは、
奇跡・軌跡・必然なのかも知れません。(^^;ゞ

★今日の文章、分かりにくくてスイマセン。
 自分のなかでは、整合性がとれているのですが、言葉でうまく説明できません。(^^;ゞ

便秘と下痢のあと、とても体の調子がいいです。
体の中の「悪いもの(宿便?)」が全部出た感じです。(^^;ゞ
今後も「宿便?」を増やさないようにしたいと思います。(*^_^*)

★「世の中のお金は、分け合って使えばよい」というのは、
 先日見た『地球交響曲』から得たインシュピレーション(言葉)です。

みんなが潤うように廻して使うことが、「お金」にとって一番良いことだと思うのです。
そしてそれが、「愛」を表すことだと思うのです。 (*^_^*)

そんなんです。(^^;ゞ
「お金」を使うことは、「自分の愛」を表わすことなのです。(*^_^*)

それとは反対に、使うあてもない「お金」を溜め込むことは、「悪」(笑)なのです。
儲け過ぎることは、「悪」なのです。(^^;ゞ

それで、「利益還元セール」という発想になったのです。(*^_^*)

【1620】「第二次便秘事件」と『起床時の呼吸法の唱名』(^^;ゞ

2008-11-21 02:20:31 | 思索
便秘薬を飲んだ影響で次の日は一日中下痢になり、少しだけですが苦しい思いをしました。(^^;ゞ

それでも、今回の便秘事件では「お腹が妙に快適にスッキリする」という体験をすることになり、
自分の「食に対する姿勢」が、また大きく変わりました。(^^;ゞ

それを言葉で言いますと、『「無限なる供給」という真理を、自分の体が顕すことになった』ということになります。

そうなのです。(^^;ゞ
毎朝の『起床時の呼吸法の唱名』によって、
この「無限なる供給」という真理が、私の体に現われたのです。(^^;ゞ

今回の「第二次便秘事件」で、そんなことを思いました。(^^;ゞ

【1619】再度、かなり「激しい便秘」になりました。(^^;ゞ

2008-11-20 22:01:38 | 思索
特に暴食をしたわけではないのですが、
どういうわけだかまた、かなり「激しい便秘」になりました。(^^;ゞ

「すべては必然!」であって、「必要のないことは起きない!」(笑)のですから、
「再度のかなり激しい便秘」について考えてみたいと思います。(^^;ゞ

私が体験した「便秘」には、どのようなメッセージがあるのでしょうか(^。^?

便秘になる前の、私の「食に対する思い」を振り返って分析してみますと、
娘が孫を連れて帰ってきていたので、それに付き合って、普段食べないような物を、割と多く食べました。(^^;ゞ

前回は、スパゲッテーの食べ過ぎが原因で便秘になりましたが、
今回は「ハヤシライス(ご飯と牛肉)」が原因のようです。(^^;ゞ

そのとき、「いつもは粗食(笑)なので、与えてくれた物は、食べなければ損だ」という思いがありました。(^^;ゞ
つまり、卑しかった(笑)のです。(^^;ゞ

そういう「卑しい思い」が「食べ過ぎ」を生み、便秘になったようです。(^^;ゞ

「神人は、因果因縁の法則を超えた!」とはいっても、
三次元的な肉体は、「原因と結果の法則の世界」にあります。(^^;ゞ

今回の「便秘の必然性」(笑)を検討して、このごろ、
「美味しいものを食べたい。パッと行きたい」(笑)という思いが強かったことに気づき、
反省しました。(^^;ゞ

★今回の「便秘の苦痛体験」でもそうですが、
『反省があってこその、「消えてゆく姿」の認識』によって、人間は成長(笑)してゆくのです。(^^;ゞ

★それにしても、便秘薬というのは、良い具合に効きますね。
 生まれて初めて飲みました。(^^;ゞ  「医学と薬に感謝!」と思いました。

★いままでの私には、「病気になる人、怪我をする人」は、自己管理が出来ていない人で、
「それはカルマだ」という思いがありました。(^^;ゞ

医師に対しては、「人助けを職業としている立派な人」というイメージもあったのですが、反面、
「人の不幸(病気や怪我)を生活の糧にしている」という考えがなかったわけではありません。(^^;ゞ

今回の「苦痛体験」で、医学や医者には、もっと深い意味があることが分かりました。(^^;ゞ

★便秘薬はどのような構造で出来ているのかに、とても興味を持ちました。
尾篭な話で恐縮ですが、どのような化学反応で便を軟らかくするのでしょうか?

「化学」というのは、物理的な法則による変化ではないので、
化学的にはどのようにして、「便が軟らかくなる」のでしょうか(^。^?

たとえば、牛乳を飲んだら酵素に化学的な変化が起きて、便が軟らかくなりますし、
腐敗した食べ物を食べても下痢は起こります。

そのような「刺激」を化学的に与えているのでしょうか?

★いずれにしても、私の場合は、「卑しい思い」が、便秘という不調和を招いたのです。(^^;ゞ

【1618】「瞬間」を素直にシンプルに生きれば、「世界」は平和!

2008-11-19 00:28:53 | 思索
『夢を紡ぐ道 つれづれに歩み』のなかには、
もう一つ、「一瞬」について書かれたものがあります。
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【爽やかな秋風】

―(前文、略)―
一瞬一瞬の生き方が、過去を引きずらず、未来を追い求めない、大切な一瞬であることに気づき、
「そうなんだ、この一瞬の瞬間を素直にシンプルに積み重ねてゆけば、
私の人生の目的地には、神様からの御褒美として、
透明な光り輝いた世界、今まで目にしたことのない、
四次元、五次元の素晴らしい世界に入ることができるのだ。」と思います。

皆さんも過去に執われず、未来を追いかけずに、
今置かれた場で、意識を心に向けて、一瞬をしっかり見つめ集中することにより、
自分の生き方がはっきりと示され、一瞬の大切さがわかるのではないでしょうか?

ご一緒にやってみませんか。一瞬に生きれば、周りのことも気にならなくなり、
とても楽しい生き方ができると思います。

お互いに、一人一人がこの心で、すべてを積み重ねてゆけば、世界も平和に必ず向かうでしょう。
世界平和の成就を心から祈りつつ!!
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★まったく、この通りだと思うのです。

「考え」をはずせば、「すでに世界は平和」です。(^^;ゞ
世界が「不幸」になったことなどないのです。

「一瞬」に目覚めるというのは、
「世界は平和だ」と気づき、目覚めることなのです。

【1617】『瞬間に生きる』とは、「ただ感じ続けている」こと。

2008-11-18 05:14:24 | 思索
F市での平和集会でお世話になっているサクマさんが、米寿の記念に、
和綴じの手製エッセー集『夢を紡ぐ道 つれづれに歩み』(150部)を発行されました。

その中の『一瞬の・・・・』というエッセーが、【1616】と同じテーマですので、
ご紹介します。
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【一瞬の・・・・】

一瞬のスタートライン、  一瞬の光に、
一瞬の一言に、  一瞬の輝く瞳に、
一瞬の花の香りに、  一瞬の風の音色に、
一瞬の葉ずれの音に、  一瞬の赤ちゃんの笑顔に、
一瞬の朝焼けに、  一瞬の鳥の鳴き声に、
一瞬の感動、 一瞬の躍動、 一瞬の芸術に、 一瞬の喜び

一瞬という短い時間、 それは一秒に値するのでしょうか?
その中に、大切な情景・・・、音、香り、色を感じられるという素晴らしさ!
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★『一瞬という短い時間 それは一秒に値するのでしょうか?』というのは、
 鋭い質問(笑)だと思うのです。 (^^;ゞ
 
確かに、『一瞬』というのは、時間ではありません!(*^_^*)
認識した途端に、「過去」になります。(^^;ゞ

■『瞬間に生きる』とは、「ただ感じ続けている」こと。

■『考え』を入れないで、感じ続けていることの中に、『永遠』があるのです。
言葉足らずですが、そんな気がします。(^^;ゞ

■すべては、『感じること』のなかに集約されると思うのです。

エッセーの最後の文章にもあるように、
『感じられること』だけが、「普遍」であり、「永遠」であり、「祈り」だと思うのです。(*^_^*)

■すべての人間(人々)は、『今、自分の目の前に展開している状況』を精一杯(笑)感じて、
それを楽しんで、精一杯に生きれば良いのです。

■『今、自分の目の前に展開している状況』は、「天から与えられた」とも言えますし、
「自分で選んでいる」とも言えるのです。

【1616】人々の人生の目的は、「自分の無限なる可能性」を顕現すること!

2008-11-17 01:49:31 | 思索
『起床時の呼吸法の唱名』をしていますと、勇気が湧いてきます。(^^;ゞ

たとえばそれは、『私は、何をしても良いのだ。なんでも出来るのだ。(*^_^*)』という気持ちです。(^^;ゞ

『私』という存在は、「自分の無限なる可能性」を信じて、自己限定をすることなく、
「何でも出来る存在」なのです。(^^;ゞ

誰であっても、「人生の目的」は、自分の可能性を開花させていくことです。(*^_^*)

「人生の目的」に気づくのは、早いほど良いと思われがちですが、(^^;ゞ
「気付き」には、それぞれの時期がありますので、
「気付き」自体さえも、神さまに全託して、
今を一生懸命に生きることが大切なようです。

「今」を大切にしていますと、
「未来が自然に開けてくる」と思えるようになりました。(^^;ゞ