日本は、調和性に秀でた優れた民族なのです。
創造性よりも、調和性に、特色があるのです。
日本は、「和をもって、尊としとなせ」の国であり、
「大いなる和」(大和)の国なのです。
そういう日本が戦争をして、原爆を落とされ、沢山の人が亡くなったことには、理由があるのです。
日本は、原爆を経験することにより、平和を訴えられる唯一の、もっとも有力な国になったのです。ですから、「世界平和の祈り」は、「日本の天命」なのです。
「世界平和の祈り」は、日本の「調和の精神」と合致するのです。
戦後の復興をとげ(これは、昭和48年頃の講演です)、いまやっと、人類の立場にたって「世界の平和」が祈れる意識に、日本人がなったのです。
江戸時代の日本人は、狭い世界で生まれ、死んでいたので、「世界の平和」について考えることはなかったのです。しかし、今では、世界のありようが、私たちの生活に結びついています。こうなってはじめて、人類が「世界全体の平和」を意識する時代になれたのです。
日本は、原爆によって、それまでの戦勝国というカルマが消えたのですから、これからは、「世界平和の祈り」で、「報復のカルマを切るという天命」が与えらたのです。
そういう使命が日本にはあるのです。
「神のみ心(大調和)」から離れた想いが、業想念を生むのです。そして、その業想念が、「戦争」を生むのです。肉体人間は、習慣の想い(業想念)で生きていますが、それだけではいけないのです。
「み心のままに、なさしめ給えよ」と、自分自身(業想念)を捨てることによって、自分も救われ、人類も救われるのです。
【五井先生講演会集第六巻『消えてゆく姿と、世界平和の祈り』】
―――――――――――――――――――――――――
★先日のNHKスペシャルで、広島で催された「第一回 平和際」の『平和宣言』の中に、下記のような箇所があることを知りました。
『戦争の惨苦を、最も深く体験した者のみが、もっとも熱烈に、平和を希求する。…』
創造性よりも、調和性に、特色があるのです。
日本は、「和をもって、尊としとなせ」の国であり、
「大いなる和」(大和)の国なのです。
そういう日本が戦争をして、原爆を落とされ、沢山の人が亡くなったことには、理由があるのです。
日本は、原爆を経験することにより、平和を訴えられる唯一の、もっとも有力な国になったのです。ですから、「世界平和の祈り」は、「日本の天命」なのです。
「世界平和の祈り」は、日本の「調和の精神」と合致するのです。
戦後の復興をとげ(これは、昭和48年頃の講演です)、いまやっと、人類の立場にたって「世界の平和」が祈れる意識に、日本人がなったのです。
江戸時代の日本人は、狭い世界で生まれ、死んでいたので、「世界の平和」について考えることはなかったのです。しかし、今では、世界のありようが、私たちの生活に結びついています。こうなってはじめて、人類が「世界全体の平和」を意識する時代になれたのです。
日本は、原爆によって、それまでの戦勝国というカルマが消えたのですから、これからは、「世界平和の祈り」で、「報復のカルマを切るという天命」が与えらたのです。
そういう使命が日本にはあるのです。
「神のみ心(大調和)」から離れた想いが、業想念を生むのです。そして、その業想念が、「戦争」を生むのです。肉体人間は、習慣の想い(業想念)で生きていますが、それだけではいけないのです。
「み心のままに、なさしめ給えよ」と、自分自身(業想念)を捨てることによって、自分も救われ、人類も救われるのです。
【五井先生講演会集第六巻『消えてゆく姿と、世界平和の祈り』】
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★先日のNHKスペシャルで、広島で催された「第一回 平和際」の『平和宣言』の中に、下記のような箇所があることを知りました。
『戦争の惨苦を、最も深く体験した者のみが、もっとも熱烈に、平和を希求する。…』