『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2303】来年は、大きな変化の年になりそうです。それでいいのです。(^^;ゞ

2009-11-30 04:58:45 | 思索
【2302】の『宇宙神と五井先生の五十年計画』を読んで思ったことを書きます。(^^;ゞ

公私を含めて(?)、「いままでは、とても順調にいっていた」と思うのです。 
そして、それは「とても良いこと」でした。(^^;ゞ

けれども来年は、「大きな変化」があるように思えるのです。

そしてその変化は必要な変化であり、私が真に自立し進化するための変化だと思うのです。

そんな気がします。(^^;ゞ

あらゆる経験は、必要な経験なのです。(^^;ゞ
それでいいのです。(*^_^*)

【2302】『宇宙神と五井先生の五十年計画』

2009-11-29 04:25:27 | 思索
以下は、白光誌11月号の『宇宙神と五井先生の五十年計画』の中の
『三次元は、過去の結果の世界、四次元は、一瞬一瞬の原因の世界』と題された文章の一部です。

現在の世界の人類の意識の状況と、人類の意識、維持会員の意識について、述べられていると思うのです。
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『今年の地球黎明祭に参加した維持会員の多くは、
「自分たちは、いかなる状況・状態にあってさえも、かって一度たりとも神から離れたことはなかった」と直感したのである。

そして、「神と自分たちは分離しているものではなく、全く一つに結ばれていつ」ということに目覚め、
「今まで起きたことのすべては、この世における幻想であった」と気づいたのであった。

この究極の真理に気づくと同時に、我々の前には否定的な世界が存在していないことにも気づいたのであった。

四次元の聖地とは、まさに「果因説そのものの世界」であったのだ。

そのような聖地に、我々が存在するということは、「果因説の世界」につながっているということである。

三次元世界に生じるすべての現象、状況、状態は、すべて「過去の結果」であり、
即ちそこは、「原因の世界」ではなかったのである。

だがしかし、四次元世界、富士聖地に生じる現象が「原因の結果」なのである。

 我々は、長い長い旅路を経て、ようやくここまで辿り着いたのである。
我々こそが、この時代、この時、この瞬間を、長い間待ち望んでいたのである。

それは我々が日々、富士聖地をはじめ各国各地で祈り、印を組みつづけた果因説の結果であり、
それはまた、これから永遠に続く「原因」なのである。

ここにまで至る道のりは、本当に長かった。今、我々が一致団結して、さらに大いなる確信を持ち、
改めて世界に力強い一歩を踏み出してゆくことによって、
後に続く種々さまざまなる個人、組織、団体を光明思想の潮流に巻き込み、
世界中に意識改革や目覚めを次から次へと起こしてゆくのである。

そして、それらがクリティカル・マス(臨界点)に到達した時、人類一人一人も、
今までとは全く異なる選択をするようになるのである。』(p6)

【2301】「本物」とは、自分に感謝できる人 (もっと普通に、「微食」であれ! 私よ!)(^^;ゞ

2009-11-29 03:42:34 | 思索
白光誌11月号の中の『未来の可能性は、遺伝子の中にある』(対談・村上和雄・西園寺昌美)からの転写です。
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『自分の意識を「感謝」に向けて、変えることが出来るのは、自分なのです。

自分に感謝できる人というのは、結局は真理の判っている人です。

さらに言えば、人間は自分に感謝できて初めて人にも感謝が出来るのです。

自分を見下している人は、いくら人に感謝していますと言っても、心からの感謝は出来ていないのです。

自分を尊敬し、自分を愛し、自分を赦せる人が、本当に強い立派な人なのであって、
自らを犠牲にして人のために生きていますという人は、本物ではないのです。

自分を愛せない人、自分を赦せない人は、本当に真理を判っているとは言えない。

「我即神也」の神とは何か?というと、

自分のルーツを辿っていけば、必ず自らがクリエーターの一部分であったり、
大いなる存在の一部でもあったりするわけですから、
それが、「我即神也」ということになる。』(p42)
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★この文章が、私の頭の片隅にあった(笑)からなのかも知れませんが、
 朝目覚めると同時に、『自分は、食に関して自分を責めている』という思いが湧きました。(^^;ゞ

「何を、どのようなタイミングで食べるのか!?」ということに関して、
あれやこれやと考え過ぎだと気づいたのです。(^^;ゞ

もっと普通に、「微食の自分」であれば良いと思うのです。(^^;ゞ

【2300】自分が強くなればなるほど、相手を信じることが出来る。「我即神也」=自分を信じる。

2009-11-28 03:29:04 | 思索

以下は、『心の中の足あと』(西園寺由佳著)の中の由佳さんの文章です。
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■『自分を本当に信じることが出来たら、相手を本当に信じることが出来る。

そして、その信頼が双方を成長させることを学びました。

何が起きようが、そこから前へ一歩踏み込める自分がいる。

本当に少しづつではありますが、私も自分が強くなればなるほど、
相手を信じることが出来るということを知りました。』(p92)
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★「我即神也」とは、「自分」を信じるということです。
自分の言葉と想念と行為を信じることが出来れば、人生に、『迷い』はありません。(*^_^*)

【2299】この世界で願うことがあれば、自分の中から始めなければなりません。(*^_^*)

2009-11-28 03:20:49 | 思索
■『私たちには、唯一変えることのできる人間が一人いて、
それは私たち自身の中に一日24時間存在しています。

この世界で願うことがあれば、自分の中から始めなければなりません。

心が乱されているために見えないことが多くあります。
それゆえ、心の平和がとても重要なのです。

自分だけよければそれでいいというエゴが残っている限り、
あなたを通して、「光」や「「宇宙」が動き出すことはありません。

あなたが閉ざされている限り、内なる宇宙はだだの夢です。
そこには、努力と忍耐が必要です。

純粋さと心の平和こそ、平和な世界を創るために必要なのです。

もしあなたが自分を助けられないとしたら、どうして他人を助けることができるでしょう。

私たちの内に平和がある時、初めて、その平和の響きを他に及ぼしていくことが出来るのです。

どうか他人を赦し、愛し、お互いを生かし、寛容で、よき行いをし、
微笑み、注意深くあり、美しく話してください。

自由とは、他からの自由ではなく、自分自身の枠からの自由を意味するものです。

それは魂の無条件の自由です。

そしてそれは、普遍的愛、寛容、オープンさ、尊敬、自愛、ユニティにつながっています。』
(p103・ジュデジス・ベダードさんのメッセージ)
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★特に印象深い言葉は、『この世界で願うことがあれば、自分の中から始めなければなりません』です。(^^;ゞ

まさに、「我即神也」です。  『自分の中から始めなければなりません!』

「世界平和の祈り」にしろ、日常の具体的な活動にしろ、他人に迷惑を掛けることでなければ、
思いついたことは、どんどんをやりましょう!

まずやってみることによって、道は開けてきます。(*^_^*)
失敗しても良いのです。やらないでウジウジと考えるのは、時間と心の無駄使い(笑)です。(^^;ゞ

なんにしろ、自分が創める(はじめる)しかないのです。

【2298】人は、他の人を通して、その人になる

2009-11-28 03:19:45 | 思索
以下も『心の中の足あと』(西園寺由佳著)の中のメッセージの転記です。
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■『人は、他の人を通して、その人になる(アフリカの社会哲学コンセプト)』

★『それは、人間関係のための優れた思想であり、洗練された社会システムなのです。

今後世界の(他の)さまざまな場所において、この思想がポジティブなインパクトを与えてゆくことを
期待しています。

あなたは、その思想を持っているのです。
それは、川の流れのようにあなたの中を流れています。
そして、それは、私を祝福するように、私のところに流れてきて、私を浄めてくれるのです。

どうか、平和があなたと共にありますように、そして、あなたが端々しい感性を持っていられますように。』
(スティーブ・ダイヤさんからのメッセージ・p93)
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★一日中、自分の心(意識)に留め置いて、こころゆくまで、味わいたい言葉ですね。(*^_^*)

【2297】物から精神へ移行するプロセスを楽しむ心境を得る!(^^;ゞ

2009-11-27 04:01:07 | 思索
鳩山氏の「物から人(精神・心・言葉)へ」というキャッチフレーズが具現化し成就する風潮が強くなり、(^^;ゞ
「物の売れない時代」がやってきたと思うのです。 私の微食も、その一端です。(^^;ゞ

人々の真に求めているものは、「物へはなくて、精神」という時代に移行しつつあると思うのです。

「物が売れない時代」は、そういう移行への自然なプロセスだと思うのです。 (^^;ゞ

それは「大きな変化(大変な時代)の到来」なのですが、私は「神人」でもあるのですから(^^;ゞ 、
その準備は出来ているはずなのです。(^^;ゞ

「物から精神への移行のプロセスを楽しむことが出来る境地」に至っているはずなのです。(^^;ゞ

【2296】給料や生活費を減らされる側の身になって考える

2009-11-26 03:53:32 | 思索
『それぞれの経験は、真理を知る(調和を得る)ために必要なことなのです』などと気楽なことを書きましたが、
継続的に給料や生活費を減らされる側の身になって考えますと、いたたまれない感じがします。

精一杯のことをしているので、「売り上げは神様任せ(神様の仕事)」だとしても、
減額される側の身になると、やはり「なんとかならないものか!」とか「なんとかしてあげたい!」と思います。(^^;ゞ

それでも、2012年の12月まであと3年なので、この難局を必要な経験として、修行の一部として受け入れようと思います。 (^^;ゞ

★和風惣菜はまあまあ売れるのですが、例のリーマンショックやデフレスパイラルの影響で、
近所のサラリーマンの方が買いに来られていた弁当類が、目立って売れなくなりました。(^^;ゞ

★私は、金銭(売り上げ)への執着があまりないので、(^^;ゞ
 一日の売り上げがいくらあるのかも、月々の売り上げ金額がいくらなのかも知らない経営者でした。(^^;ゞ

それで最近の3,4日、日々の売り上げ金額を計算して出してみましたら、「とても悪い状況の数字」でした。(^^;ゞ

「とても悪い状況の数字」というのは、「状況は、常に中立ではある」(笑)のですが、「数字」が低いという意味です。(^^;ゞ

私は「白光の教え」などを学ぶ中で(笑)、
「売れる時には売れるし、売れないときは売れないのだから、ジタバタしても仕方ない」と考えるようになっていました。(^^;ゞ

以前は、毎月の利益を概算で出してはいたのですが、あまりに金額が少ないので嫌になり(笑)、
この10年ほどは、計算していなかったのです。(^^;ゞ

★そんなこんなの今日この頃なので、(^^;ゞ
大家さんへのお歳暮も、理由を話してやめようと思うのです。 (^^;ゞ

そんなお金があったら、従業員さんにでも上げたほうが喜ばれると思うのです。(^^;ゞ

【2295】「疑い」や「恐れ」は、幻想である!

2009-11-25 03:42:07 | 思索
【2294】の続きです。
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■『ユカは、疑いや恐れが幻想であることを知っています。
そして、いつか私たちが、その事実に気づくということを。

ユカ、私を信じてくれてありがとう。私もあなたを信じています。
私たちはみな、自分を信じてくれる人が必要なのです。』
(ナディーン・シュトリットマッターさんのメッセージ・p84)
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★「売り上げがとても減っているので、家内と私で店を切盛りする形にしたい」と、
従業員の女性に話して「相談」をしました。

それでも、その女性が今後も、生活をしてゆけるようにしてあげなけれなりません。 (^^;ゞ

はじめは「他の仕事を探してみる」ということだったのですが、
還暦という年齢でもあり、他の仕事を今すぐに探すことも、なかなか出来ないので、
当面は、給料を減らす形で対処することになりました。
家内に渡す生活費も、減らします。(^^;ゞ

★昨日中に「家内と二人で、店を切盛りしたい」という話をしようと思っていたのですが、
連休明けということもあって、あいにくたまたま(^^;ゞ、弁当の配達や電話での予約注文などが多くて、
一時的ではあるのですが、とても忙しい日だったのです。(^^;ゞ
それで、午後のゆったりした時間に話をしました。

忙しい日の仕事量を、家内と二人でスムーズにこなすは出来ないと思うのです。(^^;ゞ

それに、いま娘と孫が5泊で泊まりに帰ってきていて、大変ではあるのですが、楽しい時間を過ごせています。(^^;ゞ

家内と一緒に店をするようになると、月に一度ほどの娘と孫の帰省も受け入れることが出来なくなります。(^^;ゞ

それで双方(三方?)ともに、痛みを分け合って、
アリスの売り上げからの取り分を均等に減らすということで、当分の間は対処することになりました。
これが、今の時点でベストの判断だと思うのです。 (^^;ゞ

★それでも、今後どうなるのかは、まったく闇の中(笑)です。
 最後(お互いの老後)をどのように迎えるのかは、まったく不明です。(^^;ゞ

 「とにもかくにも、病気にならないように!」と伝えましたが、
いつかは一人で切盛りすることになると思うのです。(*^_^*)

何事も、途中経過なのです。「消えてゆく姿」なのです。無限供給なのです。
その時々のものが、その時々に与えられているのです。(*^_^*)

すべての事象は、「知足」の中で起きているのです。(*^_^*)

★テレビで、民主党による「事業仕分け」のニュースをやっていました。

今回の話は、「アリスの事業仕分け」(?)だと思うのです。 (^^;ゞ
一つの経験だと思うのです。

★そして、これらのことは、今日の記事のテーマの『「疑い」や「恐れ」は、幻想である!』に関係すると思うのです。

私たちは、何を恐れる必要もないのです。(*^_^*)

それぞれの経験は、真理を知る(調和を得る)ために必要なことなのです。(*^_^*)

【2294】その壮大な『愛の美しさ』に身をゆだねてください!

2009-11-24 02:25:40 | 思索
『心の中の足あと』(西園寺由佳著)から、もう少し転記させて頂いて、ご紹介します。
「ユカさんへのメッセージ」として載せられている文章で、 いずれも味わい深い内容です。
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■『愛は自分自身のなかにあります。ですから、私たちはただ、自分の中を見ればいいのです。
私たちの中に存在する、優しくも、かつ嵐のような存在感を持つ愛は、あなたを圧倒することでしょう。

その壮大な『愛の美しさ』に身をゆだねてください。
すると、その愛は、あなたに1000倍にもなって返ってくるはずです。』
(メイ・アイ・ナジャールさんのメッセージ・p78)

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★「個人的な思い入れ」が、どこまで普遍的に表現できているかは未知数なのですが、(^^;ゞ
『写真集』に投稿しましたので、よろしかったらご覧ください。(^^;ゞ

『写真集(平和な感じ)』

【2293】普通が、大事! 家族が大事!(講話会か? 孫か?)(*^_^*)

2009-11-23 03:50:51 | 思索
昨日は、大阪支部(西区)で講話会がありました。私はサイクリング車で往復する(片道1時間10分位)のですが、
夕方は雨の予報でしたし、孫が遊びに来ていたので出席しませんでした。(^^;ゞ

以前に聴いた「講師による講話会」の録音テープの中に、似たような参考になるお話がありました。

その方はかなり熱心な白光の活動をされ、昌美氏のお話を綿密に吟味されている方なのですが、
「孫が遊びに来ていたので、行事に参加しなかった、・・・・・」というくだりがありまして、(^^;ゞ

私も「普通が、いい(大事)」という思いがあったので、今回は講話会に参加しませんでした。(^^;ゞ


★「普通が、大事(良い)」というのは、「白光の教え」の一つでもありますし、私もこの頃は、
 「普通の大切さ」を、物事を判断するモノサシの基準の一つにするようになりました。(^^;ゞ

だだし、「いつも、普通が大事!」ということではないようです。(^^;ゞ 「時」と「場合」によるのです。(*^_^*)

その判断は、その時々に、「神人の精神の自分」がすれば良いのです。(^^;ゞ

★孫が遊びに来ているのに、それをほったらかして、いくら神様事だとはいえ、講話会に参加するというのは、
 「家族との関係(時間?)」を、大事にしない」ということなのです。(^^;ゞ

「真理のためには、家族をも捨てる」と思ってヤマギシに参画した20代の私と、今の自分との間には大きな差(笑)があるようです。(^^;ゞ


★だだ本音を言うと、後日には大阪支部のHPで、昨日の講話会や座談会の様子(情報)が入手できるから、
 参加しなかったのかも知れないのです。 (^^;ゞ

実際には、サイクリング車で行けるようにと、車に積んでありましたし、(^^;ゞ
参加しないと決めたのは、当日の朝に、家内と相談をしてからなのです。(^^;ゞ

私にはやはり、「真理のためには、家族をもないがしろにする」(笑)という血が流れているようです。(^^;ゞ

私の判断の基準はあくまでも(笑)、どちらを選択すれば、「自分の魂(守護霊)」が喜ぶかのようです。(^^;ゞ

【2292】他人の言葉を信じるな!  「言葉」を信じるな! 「言葉」にエネルギーを与えるな!!

2009-11-22 07:18:28 | 思索
『心の中の足あと』(西園寺由佳著)を読みました。その中のいくつかを紹介します。
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『ドン・ミゲル・ルイスという方の本にこのようなことが書いてありました。
≪人が自分を(精神的に)傷つけることは出来ない。自分しか自分を傷つけることが出来ないのだ≫と。

例えば、見知らぬ人に突然「バカ」あるいは「ブス」と言われて傷ついた場合、
その傷は相手の言葉によって生じるものではなく、

相手の言葉が真実であると自分自身が信じた瞬間に出来るのであると。』(p72・心の傷)

『誰もが、本来の魂の自分は、そのままで完全完璧で、しかも何にも冒されたりし得ないのです。

私は、自分の言葉と考え方で、自分の心を傷つけていたのです。

自分で作った傷は自分にしか癒すことが出来ないのです。

「心の傷」は、自分を傷つける他人の言葉を信じることによって生じるのです。

自分をバカにする人の存在を、自分の存在よりも重んじたから生じるのです。

自分という存在そのものに、感謝し、赦し、愛してあげることによって「心の傷」は埋まっていきました。

自分の奥底に、一生懸命に光つづける自分の魂のあることを想像してみてください。』(p72)
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★この文章を読んだ時ふっと、これは「我即神也」の意味の論理的解釈(?)だと思いました。(^^;ゞ

「相手の言葉を信じるのか!」それとも「自分を信じるのか!」という選択こそが、
「我即神也」を、自分が現すか否かの分岐点だと思うのです。

【2291】大いなる「消えてゆく姿」(世代交代?)

2009-11-21 05:24:18 | 思索
このごろ、とても珍しい人から電話があったり、10年以上前のお客さんが来たりということが重なっています。

贔屓のお客さんが亡くなったり、廃業をされるなど、「世代交代」・「時代の変化」をとても感じます。

アリスもちょっと暇すぎる(笑)ので、大きな「消えてゆく姿」(変化)を経験することになりそうです。(^^;ゞ
一人でアリスをやることになりそうです。(^^;ゞ

体は元気ですので(笑)、とりあえずは、アリスを続けてゆくのだと思います。

そして、親族の中などにアリスを継ぎたい人がいるのなら、ゆずろうと思うのです。

11月23日が、私の誕生日です。(^^;ゞ

まさか、こういう展開になる人生だとは思いませんでした。(^^;ゞ
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★滅多にないことなのですが、昨日の早朝からずっと、ネットに繋がらない状態でした。(^^;ゞ

【2290】立派な人や偉い人より『謙虚な人』に価値がある(*^_^*)

2009-11-19 04:12:35 | 思索
藤井寺平和集会に伺ったとき、日めくりカレンダーが掛けてありました。
白光の「日めくりカレンダー」ではなかったのですが、
当日のページには、

【立派な人、偉い人もよいが、謙虚な人になることです】と書かれていました。

他のページも全部見たのですが、この言葉が一番、心に響く内容でした。(^^;ゞ

白光の日めくりカレンダーに載せても遜色ない(笑)ですね。(^^;ゞ

【白光の日めくりカレンダー】

★写真の絵には言葉が書かれていないので「絵手紙」ではないのですが、
 絵に独特な雰囲気があります。細川尚子さんの作品です。

 

【2289】神人は光(霊的エネルギー)によって存在する。

2009-11-18 05:38:28 | 思索
白光誌11月号の『日々の指針』の中のいくつかをご紹介します。
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①今まで固く閉ざされていたチャクラが、「呼吸法の印」によって序々に開き、
活性化し始めると、誰もが直接、宇宙神と共鳴し始める。

②神人は、光によって存在し、光によって結ばれてゆく。

③人生に試練などというものは、決して存在しない。
試練と思えば、それが試練となる。
人生の通過点と思えば、それが試練となる。
人生の通過点と思えたならば、それは通過していってしまう。

④真理の道を歩む人は、その道中で必ず自分以上の真理を極めた人に出会うものである。

⑤言葉を超えた引力。 それこそ祈りと「呼吸法の印」である。

⑥尽きることなく溢れるエネルギー。 それこそ共神、共鳴である。
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上の文章について考えたことを書きます。

★②の「光」が、「霊波動エネルギー」のことだと思うのです。

★③を別の言い方でいうと、人生は「消えてゆく姿」の連続である。
「経験(体験)の連続である」ということです。

★④、まったくそのように感じます。 その時々に、必要な人々が配剤されています。(*^_^*)

★⑤、この「引力」の意味は、あまりよく解からないのですが、
 「思いを実現させる力」という意味で、「引力」なのかも知れません。

「出会い(消えてゆく姿)を促進する力」(?)なのかも知れません。 (^^;ゞ

詳しいことはわからないのですが、「新しいピラミッド」に入ると、光が強いので、
さまざまな「消えてゆく姿」が、肉体に経験として現れるのだと思うのです。(?)

★⑥の「共神、共鳴」は、
宇宙神のエネルギー(霊波動エネルギー)に共鳴して働くということのようです。