『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【3196】真理=『自分一人あるのみ』=唯識=「白光の教え」=下座につく

2012-01-25 04:00:35 | 思索

■よく売れたときやひとりで頑張ったときは、自分にご褒美をあげたくなって、 自分をあまやかしてしまい、「世界平和の祈り」をしていても、(^^;ゞ欲望(食欲)を自分に許してしまうことがあります。

 ■「世界平和の祈り」をし、「呼吸法の人類即神也の印」を組んで、自分を明け渡したあとであっても、 祈りや印を観念だけで考えていると、欲望(特には食欲)が入ってくることがあるので、注意が必要です。(^^;ゞ まあ、頑張っていることだし、これ位は良いかと思ってしまうのです。(^^;ゞ

 ■『真理に則して生きよ。 他の人がどう思うかは問題ではない』(新年の指針)の真理とは、 『自分一人あるのみ』ということです。 「白光の教え」とは、下座につくための教えです。 自分の欲望を満たすための教えではありません。 『自分一人あるのみ』=「自分が立派にならなくて、だれが立派になるのか。だれが下座につくのか!」という教えです。 愛情とは、自分が満ち足りることではないのです。 見返りを求める心があっては、愛情深い行為ではないのです。

■バシャールの動画をいくつか見ました。 特に、東日本の大震災と原発の放射漏れ事故についての動画は印象的で、 興味深いものでした。

【完全版 日本へのメッセージ 前編 バシャール】

http://www.youtube.com/watch?v=VzQwp0wI7Lk

 


【3195】悟った人の心は外界がどうであろうと、平安なのです。

2012-01-20 22:21:24 | 思索
★自分は悟る方法の一つとして「呼吸法の人類即神也の印」を組んでいるのだと思うのです。 1,2時間と集中して組み始めたのは最近なのですが、自分の意識にも身体にも変化が現れてきました。 丹田に気が集中していることが実感され、物欲しい気持ちが湧かないのです。 どうしようもなく気が充実して、落ち着いている感じがするのです。 話そうと意識しないと言葉が出てこないのです。 ★「呼吸法の印」を組んでいて感じたことは、 「人々が痛み少なく、目覚めますように」という願いを自分が持っているということです。 それはおそらく、「神の心」です。 世界平和を実現させるための印が「人類即神也の印」なのです。 どのような原理で効果があるのか、はっきりは判らないのですが、 実際に印を組むことが、自分の人生の目的(天命)だと思えるのです。 この呼吸法の印を組むために、自分は生まれてきたと思えるのです。 そうしたら悟りの心境の実感が湧いてきたのです。(^^;ゞ ★生意気なことを書いて申し訳ないのですが、 「呼吸法の人類即神也の印」は、自分や人類が目覚めるための方法である体感しました。 世界の平和が一瞬にして訪れるというのは、悟った人の心に訪れるのです。 悟った人の心は外界がどうであろうと、平安なのです。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 ■パソコンの調子が悪くて、文字が大きく表示される機能が上手く作動していないので、 読みにくいと思います。 すいません。(^^;ゞ

【3194】人生の目的は、高次元の意識(ワンネス意識・無意識・直感)で生きること

2012-01-19 21:44:59 | 思索
★人生の目的は、高次元の意識(ワンネス意識・直感)で生きることである ★アセンション(次元上昇)は、自分の意思で決めることである ★あなたこそが、あなたの望むものとなれ(ガンジー) ★とどのつまり私たちは、自分の思考の結果である。 私たちは、自分の考えた通りのものとなるのである(ブッタ) ★見返りを求めない愛(「世界平和の祈り」と印)の人となる ★どのようなことが起きても、守護霊さんが小さく消してくれている、必要な体験である ★すべては、いまここにしかない ★永遠に続く今があるだけ。自分の意識は永遠、不定。

【3193】『マヤ暦の終りとパラレルな現実の地球』(バシャール)

2012-01-19 05:49:35 | 思索
★バシャールの 私たちは、多次元という並行宇宙を同時に生きており、 今の瞬間の判断で、高次元の人生を生きることができる。 その時、その世界にいる他人は、その高次元を生きている他人であるという話はいかがでしたでしょうか? これは、『自分一人あるのみ』という我即神也観(真理)に通じる話だと思うのです。 ★そして、地球も同時に多次宇宙に並行して存在していて、  私たちが今、高次元の生き方を選択すれば、高次元波動の地球に住むことができるのです。 三次元の地球がどれほど汚れていても、 高次元の眼から見れば、そのままでパラダイスなのです。 足りているのです。知足なのです。 あれこれ言っても、この地球しかないのですから、この地球を慈しみ深く愛するしかないのです。 私たちは今この瞬間の判断で生きるしかなくて、その選択が自分なのであり、自分と地球の未来を変えるのです。 「愛は生きているうちに」と思って、今愛念と愛行を実行すれば良いだけなのです。 そうすれば愛情深い利他と思いやりの自分を、愛情深い地球と共に生きることができるのです。 だれでも、自分の思いの通りの世界を生きることができるのです。 すべては、自分の選択次第なのです。(*^_^*) ★この地球、この人生しかないのですから、 この地球と人類を愛すれば、その波動に応じた世界に住むことができるのです。 ★内なる神は私の選択と覚悟を待っているだけなのです。 すべては用意されているというのが、アセンション(次元上昇)の原理なのです。 『バシャール~『マヤ暦の終りとパラレルな現実の地球』 http://www.youtube.com/watch?v=9zLN4FYnn1c

【3192】バシャール~『地球人が体験していること~パラレルな現実とは?』

2012-01-17 05:35:55 | 思索

『すでに存在している複数にあるパラレルな地球は、

それぞれが違ったヴァイブレーションを持っていて、

ひとつひとつが違った現実を象徴しているのです。・・・・・・』

 

下記のバシャールの動画を見て、昌美先生がいつも言っておられることの意味がわかりました。(^^;ゞ

 

以下の記事は、バシャールの動画をご覧になってからお読みください。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

①私たちの現実は一つではなくて、一人一人が複数の並行宇宙(パラレルな現実・次元)を生きている。

 

②自分が家内(相手)に対して、高次元(愛を現わす現実)の波動を選択すると、

 その高次元(愛)を現わした未来は、高次元の波動である愛情に感応した家内(相手)を巻き込んで創り出される、

 

つまり、二元対立的な3次元波動の人(低次元の人・敵対する相手)がいる並行宇宙の現実はどこかに消えしてまうのである。

 

自分が愛情深く接する限りは、もう二度と出合わないのである。

 

(「最近の家内は、私にとって以前の敵対する存在(関係)でなくなったので、彼女は変わった」という実感があります)

 

このようなパラレルワールド(並行宇宙・次元の異なった複数の現実)を選択しながら、

私たち一人一人は生きているのである。

 

そういう意識体が、人類なのです。

 

一人一人の現実は一つではないのです。

 

一人一人は、次元の異なった複数の現実を並行的に生きているのです。

 

今、どの意識レベル(次元)の自分を現すのかは、今の自分で選べるのです。

 

そのことによって、自分の新しい未来を作りだすことが出来るのです。

 

自分が今、何を選択するのかによって、自分の出会う相手の未来(次元)を選べるのです。

 

ほとんどの人たちは、時間は直線的に流れていると思っていますが、

時空を超えた意識の世界を、一人一人が担って存在しているのです。

 

 

 

『地球人が体験していること~パラレルな現実とは?』

http://www.youtube.com/watch?v=QNaip71ZO5Y


【3191】やるならやるで全託して、血を吐いても平和の祈りの中に入っていかなければ駄目だ(五井先生)

2012-01-16 23:38:40 | 思索

イトウ君に『魂が大きく開く時』(五井昌久著)の中の文章を送ってもらいました。

 

祈りをする心構えとして、私はとても励まされてやる気になりましたが、皆さんはどのようにお感じになりますか(^。^?

 

「呼吸法の人類即神也の印」を長時間組み続ける時の心の構えとして良いと思いました。

イトウ君、ありがとうございます。(*^_^*)

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

『今は滅びるか救われるかのどっちかです。中途半端な時代ではないのです。

中途半端の宗教など成り立たないのです。中途半端な宗教なんか止めなさい、と言うんだ。

 

そんなもの止めてしまって、唯物論者のように、自分の力で人を押しのけてどんどんやったほうがいい。

どっちかにしろって言うんだ。

 

やるならやるで全託して、神様の中にしゃにむに、

なんて言ってもどんなに苦しくても、胸がかきむしられても、

血を吐いても平和の祈りの中に入っていかなければ駄目だ。

どっちかだね。

 

宗教というのは、どんなに悲しい想いや、辛い想いがあろうと、

その想いのままジーッと辛抱して祈りの中に入っていくんです。

 

入ってゆくに従ってズーッと消えてゆくのです。それが宗教の生活なのです。

やはり自分の運命というものは自分が築くのだから、自分がしっかりしなければ駄目ですね。

 

自分がしっかりして神様の中へ入っていくのです。

世界平和の祈り一念で何があろうと祈るんだ、

どんな辛いこと悲しいことがあってもなんでも祈り祈り祈りつづけなければ駄目ですよ。

 

そうするとパーッと開けます。それ以外に救われる道は絶対にありません。

それで救われなかったらもう一遍やり直してくるより仕方がないですよね。(p.111~p.112)

 

 

今までの宗教では、悪い想いを出しちゃった。

あるいは失敗すると、いちいち自分で何の心のあらわれか、

どんな心が現れたんだろう、と面倒くさい。

 

そんなことは一切いらないから、

何か自分の気に染まないことが出たら、

平和の祈りを余計にすればいいわけね。

 

平和の祈りが出来ない場合は、有り難うございますでも、五井先生!でもいい。

神様のほうへ想いを向けてしまえばいいわけ。

それで年中年中消していると、だんだん完全になってくる。

 

初めから完全なんかなりっこないんだからね。元始(はじ)めは完全なんだけれども、

それが汚れているからね。その汚れを全部消すためには、やっぱり平和の祈りをするとか、

神様のみ心に入るとかしていると、自然に本当のその人の持ち味、

天性のいいものが出てくるわけですね。

 

 だから波動調整、想いの波を立派にすることによって、

自分の霊性も開発されるし、顔や姿も立派になる。

 

 ところが一番むずかしいことは、想いが一杯憑(かか)っている場合、

他人の想いが憑っているときもあるし、過去世のものがドーッと急激に出てくる場合もあるんですよ。

 

立派になる手前に一つの段階を上がる場合に、非常に困難が起こってきたり、

いろいろな嫌な想いが出たり、悪いことが出てくるんですよ。

 

今までいい心境だったのに、どうしてこんな、と思う位に悪いものが出てくる。

その時が一番大事なんです。その時は一歩ものすごく上がる時なんです。躍進の時なんです。

 

その時に一生懸命やるんです。

平和の祈りが出来なかったら守護神さん守護神さん守護神さんって呼んでもいいんです。

守護霊さん!と一生懸命感謝してもいいです。

 

五井先生五井先生!と呼んでもいいんです。想いを神様のほうへ神様のほうへ向けるんですよ。(p.142~p.143)

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

★次の記事で『バシャールのスピリチュアル レッスン(動画)』をご紹介するのですが、

 この「世界平和の祈り」と印を組むことが、自分と人類を高次元の未来に誘う方法(次元上昇させる方法)なのです。


『胆に銘じなさい』(五井先生の法話)の後半(その2)

2012-01-15 21:11:39 | 思索

偉い自分などあったらだめだ。

偉い自分も、偉くない自分もないのです。

貧弱な自分もなければ、強い自分もない。

 

そんなものは空々寂々(くうくうじゃくじゃく)、空寂々だ。

それがわかった時に、本当の偉さが出てくる。

 

偉いとか、偉くないとかいうのは、自分で決めるんじゃなくて、はたが決めるんです。

自分で自分は偉いんだろう。自分は少し偉くなったか、

そんなことを思っているような貧弱な心では、偉くならない。わかりますね。

 

自分は人より偉いんだ、聖者なんだ、なんて思っている人があるかも知れないけれど、

五井先生というのは、偉いんだとか、聖者なんだとか、思ってもいない。

 

みんな神さまのほうから云ったり、人が言ったりするんですよ。

このことは胆に銘じておきなさい。

 

 

我欲は一切ならん。我の想いなんか、自分が損するだけだ。甘やかしてくれることはいいことじゃない。

今まではいい。今まではみんながこうやって集まって、五井先生に親しんで、

みんな心がなごんで、つながったからそれはいい。しかし、これからはそれでは亡びてしまうのだ。

 

みんなが本当に世界を救う立場に立たなければならない。

少なくも世界平和の祈りの同志というものは、甘えに来るんじゃないんだ。世界人類を救うために来たんだ。

 

みんな前生からいえば菩薩級なんだ。世界平和の祈りでこのように集まっている人は、

全部、自分では知らないけれども、おばあさんであろうと、おじいさんであろうと、

昔から人を救うため、人類を救いたい、と思う念願で、生れかわり死にかわりして来た人たちである。

 

それをこの世の業(ごう)のためにわからないで、甘える立場になっているけれども、

実は、甘える立場ではなくて、人を救う立場なんだ。

 

世界人類三十億を救うということは、宇宙が平和になることなんであって、

三十億を救うための自分たちなんだ、ということを心にしみて想いなさい。

 

甘えなんか一切いらん。そんなもの何になる!一時のものではないか。そんなものは吹っとばせ!

今度は、きびしく本当に自分を見つめて、

自分の中に甘えがあったら、甘えを世界平和の祈りで消す。

 

怒りがあったら、怒りを世界平和の祈りの中で消す。

不安があったら、不安を世界平和の祈りの中で消す。

自惚(うぬぼ)れがあったら、自惚れを世界平和の祈りの中で消す。

 

自分の中のあらゆる業想念を、自分でもって、世界平和の祈りの中へ入れなさい。自分で入れなければだめだ。

 

今までさんざん、口が酸っぱくなる程五井先生から教わったのだから、もう言葉として教わる必要はない。

だから自分たちで世界平和の祈りの中へすべて入れなさい。

 

自惚れもだめ、

不安もだめ、

嫉妬もだめ、

甘えもだめ。

そんなものは一切消えてゆく姿。

 

これからは世界が変わる。思いもかけないほど変わる。今までのような世界に、人間がいくら生きたって何にもならん。今までの地球人類が何になるか。虫けらのようなものが生きていて何になるか。

 

そんなものはいらない。死ぬなら死ね。貧弱な地球人類なんかあったってなくたっていいんだ。

もう一遍全部やり直したほうがいい。

 

しかしそれでは、折角の神さまの愛もなくなるし、みんなが折角やってきたのに、何にもならないから、

あなた方、世界平和の祈りに集まっている人たちが、まず先頭に立って、

自分たちから甘えというもの、自分の想いというものを全部捨てて、世界人類を救う立場に早くなりなさい。

 

自分の生活は、一切五井先生にまかせてしまいなさい。私が全部引き受ける。

そしてあなた方のやることは、消えてゆく姿で世界平和の祈り。

迷いが出たら祈る。

甘え心が出たら祈る。

不安が出たら祈る。

短気が出たら祈る。

自惚れが出たら祈る。

 

あゝこれは私じゃない、消えてゆく姿なんだ、世界人類が平和でありますように、と心の底から思わなきゃだめ。

心のドン底から思わなければ、自分が損しちゃうんです。

神の子の永遠のいのちを、ここに現わすために、私たちは生きているんです。

みんな肉体を持っている。肉体の波に惑(まど)わされてわからないけれども、

もう永遠に光り輝いているものなのですよ。それがだんだんわかって来ます。

 

頭でもわかってくることは大きいことですよ。それはやがて実際にわかることです。

一切の甘えを捨てよ。

自惚れを捨てよ。

不安を捨てよ。

怠惰を捨てよ。

何に捨てるかというと、世界平和の祈りの中に捨てればいい。

必ずよくなります。

 


『胆に銘じなさい』(五井先生の法話)の後半(その1)

2012-01-15 03:25:24 | 思索

いいですか。

  皆さんが世界三十億を救うんですよ。胆に銘じて下さい。

  皆さんが三十億を救う先達(せんだつ)なんですよ。

 

  世界平和の真祈り(まいのり)の中心なんですよ。

自分たちが救われるんじゃなくて、自分たちが救いに立つのです。

 

  皆さんの過去世をみれば、みんな相当なものです。

それなのに、この世の垢や芥がついて、ヘナヘナなんかしたのだけれども、

実はヘナヘナした人間など一人もいないのです。みんな神の子なのです。

 

  みんな前生において修行に修行を積んだ人間が集まっているのです。

それでなければこの祈りのことがわからない。五井先生がわからない。

少しでもわかるということは、過去世において修行を積んだ賜物なんです。

 

少しでも修行を積むと、神さまがわかるし、霊のことがわかる。だから皆さんは幸せな人たちです。

 

  世界人類を本当に救うために第一歩を踏み出す時に、五井先生とともに、

手をつないで、世界平和の祈りが出来るということは、なんたる幸せよ、と老子(ろうし)は云うのです。

 

老子はいいことを言って下さる。

皆さん、子供さんを育てるのでも、只叱ってはいけませんよ。

本当にその子を愛してそれで叱りなさい。

 

  叱って死ぬなら、死んでもいいんだ。

そんな生(なま)くらで生きているのなら、死んでもう一遍、霊界でやりなおして、

肉体に生まれ変って来い。そういうつもりで子供の教育をしなさい。

 

 そしたらその気ハクに打たれて、子供もしゃんと直るから。

家出されちゃ大変だ、死なれちゃ大変だ、と思うことはない。

そんなことで親たるものどうするか!

 

そんな人間などいくらいたってしようがない。何遍でも生まれ変って来い、と老子は云うのです。

 

生(なま)くらで五十年七十年生きたって、何にもならないんですよ。それは死んでるのも同じ。

 

生きているというのは、生命(いのち)がピンピン生きていること。

いのちが光り輝いて、それで生活してゆくことであって、グダグダしているのは死んでいるのと同じだから、

いっそのこと、バッサリ死んじゃったほうがいい。

 

そうすればやり直しがきくから。生(なま)くらに生きているから、やり直しがきかない。

 死んでいるのと同じような生き方をするなら、一遍死に切っちゃって、もう一遍生れ変ったほうがいいのです。

 

 幽界でビシビシやられ、一言もなくやられ、それでギリギリ一杯のところで、あゝこれは悪かった、

これではいけなかった、と生れ変ったほうがいいんですね。

 

 生きるということは、それ程厳しいことなんですよ。一分一秒もゆるがせに出来ない。

その厳しさに耐えて、自分を見つめて、自分を鍛え上げてゆくことこそ、

魂の本懐であるし、本心開発の一番の近道です。

 

 五井先生という人は、非常に正直な人です。

いつも真っ裸で、サーッと自分を投げ出している。

だから悪いことは悪い。善くなったことは善くなった、と自分でハッキリ認めちゃう。

 

 ちょっとぐらい悟ったから、自分がちょっとぐらい偉くなったからといって、

鼻を高くしていたら、ガーンと老子に杖でぶんなぐられますから、そのつもりでいて下さい。


【3189】『胆に銘じなさい』(五井先生の法話)

2012-01-15 03:19:43 | 思索

『峻厳なる愛』に通じる『肝に銘じなさい』という法話をご紹介します。

2012年に突入した今こそ、本気で寸暇を惜しんで祈るときだと思うのです。

 

世界人類の平和が達成できるか否かの、まさに瀬戸際(分岐点)なのです。

 

★この法話は以前にも紹介したと思いますが、

 今は、「呼吸法の人類即神也の印」があるので、それを徹底的に納得の行くまで組み続ければ良いです。

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『胆に銘じなさい』(五井先生)

 

  世界平和を祈る会は、みんなが神人でなけりゃだめだ。

みんながなんの想いもない、業想念がない、神の心一筋の人間が集まらなきゃ、世界なんか平和になりますか!

 

  口先で「世界人類が平和でありますように」そんなんじゃない。

みんな突きつめて、 「立派な人間に、神一筋の人間になりますように、どうか神一筋の人間になりますように。

 

私の中の業生を全部、持っていって下さい!どうか神さま、お願いします」って、

血の涙を流して、自分の立派になることを願わなけりゃダメだ。

 

  血涙(けつるい)をしぼるんだ!いのちをぶっつけなきゃだめだ。もう甘ったるくて!

  世界三十億の人間が、生きるか死ぬか、その時に自分が選ばれて、ここに生きて、

世界平和の祈りをしている場合に、オケサ節でもやっているような調子でやってたんじゃだめですよ。

 

  地球世界が滅びるか滅びないか。

  人類がそのまま滅亡するか、しないか。

  そういう大事な瀬戸際に立っている時に、

鼻歌(はなうた)まじりで、宗教をやるとは何事だ!

 

  いのちをかけて

  血涙をしぼって

  世界人類が平和になりますように

  私の天命が完うされますように

  といのちをかけて、血涙をしぼらなければダメだ!

 

  そういう人間にみんながなりさえすれば、世界は平和になります。

  これだけの人間が血涙をしぼって、

  「どうか私の天命が完うされますように

  みんなの天命が完うされますように

  世界人類が平和でありますように」

 

  そのように、いのちをかけてやらなければ、

もう生きていても死んでいるも同じだ!

  今、世界は大変なんです。

(昭和38年8月)


【3188】『峻厳なる愛』(五井先生)

2012-01-13 23:02:09 | 思索

支部でイトウ君に読んでもらった五井先生の詩文は、『峻烈な愛』ではなくて、『峻厳なる愛』でした。

私の勘違いでした。すいません。

 

さて、その意味するところは何でしょうか?

五井先生は、私たち(私)に何を望んでおられるのでしょうか?

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『峻厳なる愛』

 

 

凛烈肌を刺す寒風のような

 

老子の一喝がなかったら

 

私は一介の行者でしかなかった

 

私は慈愛の使徒ではあったが

 

峻厳なる愛の深い温かさを自己のものとはしていなかった

 

愛は温かいが時には厳しくむちうつもの

 

だが私は人をむちうつ愛を嫌った

 

愛は優しく温かく

 

人の心をうるおすもの

 

 

私の道はそうした温和な愛と赦しの道であった

 

愛と赦しの祈りの道が

 

世界平和の祈りの道と

 

全く一つになりながら

 

人々の心を昇華させていったが

 

愛と赦しの道を妨げる

 

業(カルマ)波動を打ち砕く

 

強い力が望まれた

 

 

或る日私は変貌した

 

救世の大光明の中から

 

イエスが釈迦が

 

そして老子の一喝が

 

私の心に峻厳なる愛を呼び起こさせた

 

 

木枯吹きすさぶ厳冬の

 

深い蒼穹のように

 

消え去るものはすべて消えさらしめた今日此の頃

 

峻厳なる愛の心が

 

私の中に澄みわたってひろがっている


【3187】無思考=無分別→無分別智

2012-01-13 22:44:36 | 思索

無思考であれば、無分別になっています。

 

無分別(無思考)な状態の意識に、無分別智が降りてくるのです。

 

無分別智は、すべてはひとつという意識(ワンネス意識)と同時にやってきます。

 

「世界平和の祈り」をして続けていたり、「呼吸法の人類即神也の印」を組んでいる最中には、

 

自分(人間)の意識から自我の思いが消えて、ワンネス意識(無分別智)につながっています。


【3186】無思考=悟り=アセンション(次元上昇)

2012-01-12 22:29:44 | 思索

3185】を書いた後に考えたことは、

祈っている間は、無思考であるということです。

 

無思考のとき、人間は救われているのです。

 

無思考とは自我の無い状態です。

 

反対から言いますと、

無思考の状態、無我の精神状態ならば、

人間の意識は祈りの中にあり、自然に天命を完とう出来ているのです。

 

無我の境地が「悟りの境地」です。

 

悟りとは、自我が滅却された無思考の状態であり、普遍意識、ワンネス意識であることなのです。


【3185】「世界平和の祈り」と「呼吸法の人類即神也の印」が、自分を救済する方法です

2012-01-12 06:39:37 | 思索

★先日You Tubeで宇野正美氏の講演会『2012年の12月23日に何が起こるのか?』を見ました。

 

いままでに聞いたことがない情報でして、2012年の12月23日前後にフォトンベルトがやってきて、

地球が100時間電磁波の中に入り暗闇になるというのです。

 

それで従来の食事をしている人は、肉体が電磁波の影響でダメージを受けるのだそうで、

 

その100時間の電磁波を乗り越えた者だけが、肉体的に生き残ることが出来るというものでした。

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★このプログでは今までも、ネット上の地震の予測などを紹介しましたが、

幸いなことに悉く外れていますので、今回もそうならないことを願っていますが、

 

そのような危機感を思って、今年の地球のアセンション(次元上昇)に備え、

自分の人生のすべてを賭けて対応しなくてはならない時期に来ているとは思うのです。

 

(これが「峻烈なる愛」の意味なのかも知れません。

五井先生は、ただただ「世界平和の祈り」をしなさい。

そうしなければ救われませんよとおっしゃっています。

 

今年こそ、祈っている人と祈っていない人の差(違い)が表面化する時なのです。)

 

★それで今の自分、瞬間瞬間の自分にできることは何かというと、

未来を思い煩うことなく、「世界平和の祈り」をし「呼吸法の唱名」をし「呼吸法の人類即神也の印」を組むことなのです。

 

それが、自分が真理を顕現する方法だと思うのです。

 

今年の指針である 『真理に則して生きよ。 他の人がどう思うかは問題ではない』を考えますと、

ますます「呼吸法の人類即神也の印」を誠心誠意組み続けなければならないと思うのです。

 

理屈は要らないし、祈り以外のことはすべて枝葉だと思うのです。

 

 

【2012年の12月23日に何が起こるのか?(宇野正美講演会より)】

http://www.youtube.com/watch?v=xKgVMmmAt1g

 


【3184】唯識は考え方ではなくて、悟り(気づき)の状態こと

2012-01-09 22:00:30 | 思索

★「世界平和の祈り」をして思考が停止しますと、自分がここに居ることが不思議に思えます。 

 

・・・と同時に、自分の感情が消えてしまっていることに気付きます。

 

 

★自分と思っていた今までの意識はどこへ行ってしまったのでしょうか(^。^?

 

「ただ意識だけがある」と思えるのです。(^^;ゞ

 

内藤浩司というのも、意識の思っている内藤浩司(イメージ)なのです。

 

この感覚を唯識(意識だけがある)と言うのです。

 

★つまり唯識というのは考え方(思想)ではなくて、

生命現象(いのち)の事実なのです。

 

それで、意識の消えた状態で何をすることが一番良いかというと、

「世界平和の祈り」と「呼吸法の印」を、時間の許す限りすることなのです。

今日は4時間ほど「呼吸法の印」を組みました。


【3183】生も死も、自分の思いである。 経験すべきことは経験せよ。 永遠の意識(永遠の生命)について

2012-01-05 05:07:08 | 思索

年中無休の営業の私ですが、お正月を孫たちと楽しく過ごしました。

来年のお正月も、同じように楽しく過ごしたいと思い(把らわれ?)、守護霊さん(本心)に訊いてみました。

 

昨年の東日本の震災のことを考えますと、私たちの生命は明日無くなるかも知れません。

 

瞑想のなかで得た答えは、

 

『生も死も、自分の思いである。(暑いも寒いも、自分の思いである。)

 

そういう事実(真理)で終わりである。 経験すべきことは経験せよ』でした。

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私も含めた多くの人たちの間で、肉体の霊化が進んでいるようです。

 

肉体の霊化とは、肉体は物質ではなくて「自分の思い」であると気づくことです。

 

肉体感覚は、自分の思いなのです。

 

 

この意識が、自分を内藤浩司と思い、肉体と思っているのです。

 

そして、この意識は今今今今と連続してあり続けます。

 

そのことを「永遠の意識(永遠の生命)」というのです。

 

この意識は、「永遠の今」にあり続ける存在です。

 

その意識の描く「思い」だけが、変化してゆくのです。

 

 

この意識は、誰のものでもなくて、宇宙神につながった働きです。

 

 この意識が、内藤浩司と思い、肉体と思い、寒いと思い、悔しいと思っているに過ぎないのです。

 

そのような事実(真理)に気づく方法のひとつが、「世界平和の祈り」であり、印を組むことです。

 

そして気づいた結果が悟りです。 

 

私たちの意識はすべて、天上天下唯我独尊なのです。

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「自分とは、この意識である」と気づくことが、悟りです。

 

この意識が、色々なことを思っているのです。

 

そして、その「思い」は、現われては消えてゆくものなのです。

 

「思い」は「消えてゆく姿」です。

 

ですから、自分の思いに把らわれてはいけないのです。

 

自分の思いに頓着しないで、「世界平和の祈り」をしながら、流れるように生きてゆけば良いのです。

 

それが、無為自然体(老子)のありようなのです。

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★上の文中の

「自分とは、この意識であると気づくことが、悟りです」という言葉は、

ちょっと違っているかもしれません。(^^;ゞ