つい先日まで、テレ東深夜帯で「メン☆ドル」の再放送をやっていました。本放送の時はノースリーブスに全く興味がなく、このドラマの存在も知りませんでしたし、今回の再放送にあたっても、彼女達を特に好きだったわけではありません。ただ、今は日テレのPON!にレギュラー出演しているのを毎週観ているので、そういう意味での親しみはありました。そこでこの再放送をとりあえず観てみることにしました。
初回からずっと観てきて、何だかとっても安らぐのです。ドラマに出てくる3人を観ていると、心が洗われていくのを感じます。だから毎回、次週の放送が待ち遠しかった。陳腐で子供騙しなストーリーなのに、そんなこととは関係なく、心はぐいぐい引き込まれていった。そして迎えた最終回。気がついたらボロボロ泣いていた。涙が溢れて止まらなかった。
「俺、一体どうしちゃったんだろう…」って思いました。今こうして記事を書きながら最終回を思い出していると、また涙が溢れてくる。
これまでの、ノースリーブスの3人に対する私の印象。高橋みなみは、いつもひとりだけ険しい顔をしていて、痛い女と思っていた。小嶋陽菜は、耳が大きいなあ、という印象だけだった。峯岸みなみは、ふくれっ面だと思っていたらそれが普段の表情だった。(各々のファンの方、すみません。)
でもドラマの3人は輝いていて、とても素敵に見えた。そう言えば、PON!で観る3人にも結構安らぎを感じていた。そこでその訳を考えてみました。
と言っても、その答はあっという間に判りました。この3人、今のAKBの中では、私の考える理想的アイドル像に極めて近い存在。
「アイドルは夢を売るお仕事」と自ら言ってしまい、身も蓋も無いこと言うな!と叩かれたのはデビュー当初の堀ちえみですが、時代が変わっても、ファンの多くはきっと夢を見たがっている。大好きなAKBがやることだからファンも贔屓目に見ようとするけれど、でも心の底から「アイドルの中に競争社会の縮図を見たい」なんて思っている人がどれだけいるのか。そんな人は極めて少ないんじゃないか。
ノースリーブスの3人が、3人の間で序列を付けられることはない。3人の間で勝った負けたと対決させられることもない。たった3人でそれをやったらマズイと、秋元康も流石にそのくらいのことは弁えている様子。だから昔からの伝統的なアイドルのように、何ら不安感を持つこと無く、心安らかにこの3人を観ていられる。
今、AKBINGO!を観ていても、週刊AKBを観ていても、そこにたくさんのメンバーが出てくるけど、グループとしての一体感を私はあまり感じない。事務所も別々だし、SKEメンバーなどは名古屋から出てきて、収録が終われば「お疲れさま!」って言ってすぐに帰ってしまうのだろう。仕事として三々五々集まって、終わればパッと散っていくイメージがある。昔は違った。まだSDNもSKEも無くて、チーム3つを合わせても48人いなかった頃のAKBは、AKBとしての一体感に溢れていた。それは美しく、観ていて安心できるものだった。もちろん競争社会の縮図なんて示さなかった。
ノースリーブスの3人は、ドラマ撮影の現場ではずっと一緒だったのだろうし、今でもPON!では毎週一緒にいる。もちろんそれ以外にもユニットとして一緒にいる機会は多いはず。そうやって3人で積み上げてきた経験や実績は今、彼女達の大きな共有財産となっている。だからこの3人を観ていると、AKBの中でもきっと特別に強い絆があるんじゃないかな、って感じさせてくれる。まあ実際どうなのかは判らないけれど、そういう風に感じさせてくれることが大切。引き合いに出して悪いけど、渡り廊下走り隊はメンバー追加もありユニットとして固まっている感が弱いことや、ドラマ主演や番組レギュラーも無く、ずっと一緒にいる機会もなさそうなので、今のところは単に曲を出す時だけの即席ユニットという印象が強い。ノースリーブスの3人のような強い一体感はまだまだ感じない。
つまり、一体感に溢れていたかつてのAKBのDNAを、今なお受け継ぎ示してくれるのは実はノースリーブスだけなんじゃないかな、って感じている。
だから私の涙の訳は、ノースリーブスが示してくれるものにアイドルの極めて美しい理想を見出すことができた喜びと、昔だったらそれを見せてくれたのはAKB自身だったのにという、もう二度と戻ることの出来ない過去への郷愁とが入り混じった、複雑なものだったわけです。
いずれにせよ、競争・対決に明け暮れる今のAKBの中から、安らぎをもって観ることの出来る対象を見つけられたことを、心から素直に嬉しいと思います。険しい顔の女も、耳の大きい女も、ふくれっ面の女も、今はいちばん素敵に輝いて見える。
この3人に、今、私はとても救われています。
(2010.6.27 記す)
初回からずっと観てきて、何だかとっても安らぐのです。ドラマに出てくる3人を観ていると、心が洗われていくのを感じます。だから毎回、次週の放送が待ち遠しかった。陳腐で子供騙しなストーリーなのに、そんなこととは関係なく、心はぐいぐい引き込まれていった。そして迎えた最終回。気がついたらボロボロ泣いていた。涙が溢れて止まらなかった。
「俺、一体どうしちゃったんだろう…」って思いました。今こうして記事を書きながら最終回を思い出していると、また涙が溢れてくる。
これまでの、ノースリーブスの3人に対する私の印象。高橋みなみは、いつもひとりだけ険しい顔をしていて、痛い女と思っていた。小嶋陽菜は、耳が大きいなあ、という印象だけだった。峯岸みなみは、ふくれっ面だと思っていたらそれが普段の表情だった。(各々のファンの方、すみません。)
でもドラマの3人は輝いていて、とても素敵に見えた。そう言えば、PON!で観る3人にも結構安らぎを感じていた。そこでその訳を考えてみました。
と言っても、その答はあっという間に判りました。この3人、今のAKBの中では、私の考える理想的アイドル像に極めて近い存在。
「アイドルは夢を売るお仕事」と自ら言ってしまい、身も蓋も無いこと言うな!と叩かれたのはデビュー当初の堀ちえみですが、時代が変わっても、ファンの多くはきっと夢を見たがっている。大好きなAKBがやることだからファンも贔屓目に見ようとするけれど、でも心の底から「アイドルの中に競争社会の縮図を見たい」なんて思っている人がどれだけいるのか。そんな人は極めて少ないんじゃないか。
ノースリーブスの3人が、3人の間で序列を付けられることはない。3人の間で勝った負けたと対決させられることもない。たった3人でそれをやったらマズイと、秋元康も流石にそのくらいのことは弁えている様子。だから昔からの伝統的なアイドルのように、何ら不安感を持つこと無く、心安らかにこの3人を観ていられる。
今、AKBINGO!を観ていても、週刊AKBを観ていても、そこにたくさんのメンバーが出てくるけど、グループとしての一体感を私はあまり感じない。事務所も別々だし、SKEメンバーなどは名古屋から出てきて、収録が終われば「お疲れさま!」って言ってすぐに帰ってしまうのだろう。仕事として三々五々集まって、終わればパッと散っていくイメージがある。昔は違った。まだSDNもSKEも無くて、チーム3つを合わせても48人いなかった頃のAKBは、AKBとしての一体感に溢れていた。それは美しく、観ていて安心できるものだった。もちろん競争社会の縮図なんて示さなかった。
ノースリーブスの3人は、ドラマ撮影の現場ではずっと一緒だったのだろうし、今でもPON!では毎週一緒にいる。もちろんそれ以外にもユニットとして一緒にいる機会は多いはず。そうやって3人で積み上げてきた経験や実績は今、彼女達の大きな共有財産となっている。だからこの3人を観ていると、AKBの中でもきっと特別に強い絆があるんじゃないかな、って感じさせてくれる。まあ実際どうなのかは判らないけれど、そういう風に感じさせてくれることが大切。引き合いに出して悪いけど、渡り廊下走り隊はメンバー追加もありユニットとして固まっている感が弱いことや、ドラマ主演や番組レギュラーも無く、ずっと一緒にいる機会もなさそうなので、今のところは単に曲を出す時だけの即席ユニットという印象が強い。ノースリーブスの3人のような強い一体感はまだまだ感じない。
つまり、一体感に溢れていたかつてのAKBのDNAを、今なお受け継ぎ示してくれるのは実はノースリーブスだけなんじゃないかな、って感じている。
だから私の涙の訳は、ノースリーブスが示してくれるものにアイドルの極めて美しい理想を見出すことができた喜びと、昔だったらそれを見せてくれたのはAKB自身だったのにという、もう二度と戻ることの出来ない過去への郷愁とが入り混じった、複雑なものだったわけです。
いずれにせよ、競争・対決に明け暮れる今のAKBの中から、安らぎをもって観ることの出来る対象を見つけられたことを、心から素直に嬉しいと思います。険しい顔の女も、耳の大きい女も、ふくれっ面の女も、今はいちばん素敵に輝いて見える。
この3人に、今、私はとても救われています。
(2010.6.27 記す)