もし、「自分史」というのを、この世に残すなら、僕は、"この人のファンだった!"…女性の場合、次の3人の名前だけを、そこに記すだろう。
まず、1人目は、河合奈保子(1980→)。
昔、松田聖子派と戦っていた、あの日の休憩時間,教室のうしろ…懐かしいなぁ~。
彼女は、女優転身(?)の後、ゆっくりとフェードアウト。
結婚し、ほぼ、引退した。
お子さんも生まれ、幸せらしい…。
先日、テレビ朝日の松井康真アナウンサーが、テレビで、話してたんだけど、この河合奈保子一家を、日本のそば屋で見かけて(現在、オーストラリア在住)、思わず、挨拶したんだそうだ。
そして、"相変わらず、キレイだった"…と。
で、何より、"幸せそうだった"…と。
僕が、芸能人で、初めて好きになった人。
その人が、"今も幸せ"だと聞いて、こんなに嬉しいものなのかと思った。
2人目は、韓国女優のイ・ヨンエ(1998ぐらい→)。
キッカケは、忘れた。
でも、"世の中に、こんな美しい人がいるのか?"…衝撃を受けた。
そして、"この人と話したい!"…もう、その一心で、韓国語を勉強し始め、(韓国の)食事マナー等も学んだ。
あ、ソウルでのファンミーティングにも参加したよなぁ~。
1000人ぐらいの日本人が参加してたかな?でも、長文の韓国語で、この人に話しかける人は、あの日、僕以外は、いなくて、本当にラッキー。
この人と会話することが出来たんだ。
いや、いい思い出だなぁ~。
彼女は、ドラマ「大長今」,映画「親切なクムジャさん」以来、ほとんど、芸能活動をすることなく、引退…したのかな?
でも、今は、アメリカ系韓国人の方と結婚され、双子のお子さんにも恵まれたんだっけ?…とにかく、幸せな毎日らしい。
"本当に美しい"とは、どういうことなのか? "本物のスター"は、どう振る舞うべきなのか? それを、数々、見せてくれた人。
"その人の心が美しいこと"が、ファンとして、こんなにも誇らしいものなのかと思った。
そして、3人目が、平嶋夏海(2008.8.11→)。
実は、2008年の8月11日が、僕のシアターデビューの日。
はるごんが、"私、ジャングルいち、かわいい!"って吠えた、チームB公演でした。
ここからは、まったく、個人的な話なんだけど…。
2007年,2008年ってのは、僕の人生の中で、非常に辛いこと,悲しいことが、こんなに重なるもんか?ってぐらいに、立て続けに起こった時期でね。
さらに、この頃、大病もしてて…。
本当に、気持ちも体も、しんどい日々だったんだ。
で、そんな時、"こっち、遊びにこいよ!"…東京の友人が、気晴らしのため?気分転換のため?…とにかく、1ケ月も前から、誘ってくれたのが、AKB48の劇場公演だった。
"まず、モバイルに入れ!"→"イヤだ!"と。
"まゆゆを応援しろ!"→"誰やねん!その、あややのバッタもんみたいなん"。
"いっちゃん可愛いのが、「まゆゆ」やから、見てたらわかる!"→今となっては、笑い話なんだけど、AKBのことなんて、何も知らない僕は、当日、自己紹介のその時まで、はるごんのことを、「まゆゆ」だと思っていたのです。
つまり、"いっちゃん可愛いの"…僕の美的センスは、はるごんだったということです。
つくづく、人の好みは?って、改めて思った出来事でした。
ま、そんなこんなで、意外に感動した、初シアター体験が終了しました。
そして、ちょっと元気が出た自分がいたので、東京の友人に、まあ、お礼を言って、"またな!"…別れました。
そして、秋葉原駅,東京駅…と、ひとり、とぼとぼ…。
しかし、この時、もうすでに、本物のまゆゆと「まゆゆ」の前&横&後ろをチョロチョロしてる…いや、一番端っこでも、とにかく、一生懸命やってる子のことが、実は、気には、なっていました。
でも、その時は、ただ、それだけでした。
東京駅…。
高校の卒業式以来、会いたくて会えなかった友人に、偶然の再会。
"おー!"→"おー!"
本当は、いっぱいいっぱい、話すことがあったんだけど、彼は、仕事の移動中で急いでて、とにかく、連絡先だけを交換して別れました。
でも、その別れ際に、彼が、
"あ、そやそや! ○○!覚えとるやろ!? あいつ、地元で、開業してんて!? 胃カメラぐらい、飲みに行ったれや! ほな、また、連絡するわ!"。
部活とかは、違うかったけど、高校時代、仲良かった3人だった。
なんか、この東京の地で、奇跡!と思いました。
それから、1ケ月ぐらい、いろいろと確かめたいこともあったので、シアターに通ったりしました。
もうもう、面白いように当選しまくりの時期でした。
そんな、ある日、ちょっと胸やけがするので、"あ、そや!"…そいつの所に、胃カメラを飲みに行きました。
「ガスター10」をもらいに行く気軽さで、同窓会気分の嬉しさでね。
胃かいよう…。
3週間分の飲み薬による治療…と、2週間目ぐらいに、(開業した)そいつから、電話がかかってきました。"ちょっと、話あるんやけど…"、そして、○○病院の紹介…。
胃がん、ステージ3。
家族が呼ばれました。
「5年生存率」の表が出てきました。30%?50%?20%…20?…とりあえず、転移の可能性を手術前、徹底的に調べました。
ただ、開腹してみないと、リンパにどれぐらいとんでいるか、わからないと言われました。
その夜、眠れるはずもない病院のベッドで、死を覚悟しました。
涙が止まりませんでした。
僕は、闇の中にいました。
あ!大丈夫です。
僕、生きてますんで…。
幸い、転移もなく、手術中のリンパの転移も遠くの臓器まで、とんだのは、1つもなく、それは、胃の周辺にかたまっていた…。
"奇跡的"らしいです。
でもね、この一連の出来事の中で、僕の中でも、"奇跡…信じられないことが起きていました。
手術前夜,手術前麻酔で、最後に打たれる背中(脊髄?)への一発,術後の夜の苦しみ、痛み,次の日、6本?の管が体から、やっと、抜けたかと思うと、他臓器と癒着しないように、"歩け!歩け!"のリハビリ開始,そして、2年,3年…。
主治医先生の"転移してませんよ-!"…"もう大丈夫ですよ-!"…。
こういう時、もちろん、1番最初に浮かぶのは、家族の顔だけど、次に、仕事仲間、野球仲間、音楽仲間、ちっちゃいの…え?え?
そう、僕は、最後に、いつも、"チラッ!"…あの日のなっちゃんの笑顔が浮かんでた。
ある意味、ショックでした。
でも、途中からは、もう受け入れました。
そして、これまた、不思議なことに、それまでの辛かった出来事,悲しかった出来事,様々な諸問題…。
それが、すべて、いい方向に動きだした。
僕の人生が好転し出した。
確実に、あの日のあの子のあの笑顔に出会ってから…なのです。
正直、僕は、なっちゃんに癒されて、助けられていた時期がある!ってことです。
だから、なっちゃんは、僕にとって、特別の人なんです。
もしも、あの日、チームBの公演を観に行ってなかったら?
もしも、あの時、東京駅で、"あの、ちっちゃいの、なんだったんだろう?"…(おそらく)バカみたいな顔で、上を向いて歩いてなかったら?
もしも、あいつが、仕事で、日本に戻ってきてなかったら?僕を見つけてなかったら?
もしも、あいつが、内科・消化器系の医者になってなかったら?
もしも、あと半年、発見が遅れていたら?…僕は、今、生きていない。
だから、あのね、なっちゃんは、僕の命の恩人でもあるんです。
どう?重いでしょ?
だから、今まで、言いませんでした。
あの日、なっちゃんの笑顔に出会えたこと、ラッキーだったと思う。
そして、幸せに感じてる。
また、あの日に起こった奇跡の偶然(?)のすべてに感謝しています。
でも、僕は、まだ、なっちゃんに、何も返していない…返せていない。
だから、せめて、彼女に、その気持ちがある限り、待ちたいのです…「女優・平嶋夏海」をね。
さようなら、「アイドル・なっちゃん」、いつか会おうね、「女優・平嶋夏海」。
僕は、この子の人生の成功を全力で願う。そして、なっちゃんだけは、幸せになってもらわないと、僕、本当…困るのです。
舞台に立つ者は、人の人生に何らかの影響を与える存在だと思う。
"胃、1コぐらい無くったって、ほら、生きられるじゃ~ん。
あのラーメン屋も、このカレー店も、10代,20代のうちに、大食い&スピード記録、作っといて良かったぁ~"…
こんな考え、以前の僕なら、絶対に出来なかったと思う。
なっちゃんは、僕の性格を少しだけ変えた。人生も少しだけ変えた。シアターの端っこでも、とにかく、懸命に頑張る、あの日のなっちゃんの闘魂青春スピリッツに励まされ、僕は、いろいろと乗り越えることが出来た。
2月4日のこと…。
昨日、どうしたらいいのか?あまりにわからな過ぎて、僕のことを小さい頃から見てくれている?近所の、お地蔵さんを、なんか、キレイにしてみました。
よし!心が落ち着いた。
ここまできたら、安全面に関しては、運営さんを信じます。
ただ、1つ…最後の挨拶、最後の挨拶だけは、なっちゃんに、今の本心を喋らせてあげてほしい。
一瞬、辛い場面があってもいい。
だけど、その瞬間が、"AKBとしての終わり"ではなく、"新たな人生のスタート"となるよう、何卒…。
どうか、僕の大切な人を宜しくお願いします。
"AKBのなっちゃん"としての最後のコメント、僕、実は、AKB史上に残る波乱があってもいいと思っていたりする。
まず、1人目は、河合奈保子(1980→)。
昔、松田聖子派と戦っていた、あの日の休憩時間,教室のうしろ…懐かしいなぁ~。
彼女は、女優転身(?)の後、ゆっくりとフェードアウト。
結婚し、ほぼ、引退した。
お子さんも生まれ、幸せらしい…。
先日、テレビ朝日の松井康真アナウンサーが、テレビで、話してたんだけど、この河合奈保子一家を、日本のそば屋で見かけて(現在、オーストラリア在住)、思わず、挨拶したんだそうだ。
そして、"相変わらず、キレイだった"…と。
で、何より、"幸せそうだった"…と。
僕が、芸能人で、初めて好きになった人。
その人が、"今も幸せ"だと聞いて、こんなに嬉しいものなのかと思った。
2人目は、韓国女優のイ・ヨンエ(1998ぐらい→)。
キッカケは、忘れた。
でも、"世の中に、こんな美しい人がいるのか?"…衝撃を受けた。
そして、"この人と話したい!"…もう、その一心で、韓国語を勉強し始め、(韓国の)食事マナー等も学んだ。
あ、ソウルでのファンミーティングにも参加したよなぁ~。
1000人ぐらいの日本人が参加してたかな?でも、長文の韓国語で、この人に話しかける人は、あの日、僕以外は、いなくて、本当にラッキー。
この人と会話することが出来たんだ。
いや、いい思い出だなぁ~。
彼女は、ドラマ「大長今」,映画「親切なクムジャさん」以来、ほとんど、芸能活動をすることなく、引退…したのかな?
でも、今は、アメリカ系韓国人の方と結婚され、双子のお子さんにも恵まれたんだっけ?…とにかく、幸せな毎日らしい。
"本当に美しい"とは、どういうことなのか? "本物のスター"は、どう振る舞うべきなのか? それを、数々、見せてくれた人。
"その人の心が美しいこと"が、ファンとして、こんなにも誇らしいものなのかと思った。
そして、3人目が、平嶋夏海(2008.8.11→)。
実は、2008年の8月11日が、僕のシアターデビューの日。
はるごんが、"私、ジャングルいち、かわいい!"って吠えた、チームB公演でした。
ここからは、まったく、個人的な話なんだけど…。
2007年,2008年ってのは、僕の人生の中で、非常に辛いこと,悲しいことが、こんなに重なるもんか?ってぐらいに、立て続けに起こった時期でね。
さらに、この頃、大病もしてて…。
本当に、気持ちも体も、しんどい日々だったんだ。
で、そんな時、"こっち、遊びにこいよ!"…東京の友人が、気晴らしのため?気分転換のため?…とにかく、1ケ月も前から、誘ってくれたのが、AKB48の劇場公演だった。
"まず、モバイルに入れ!"→"イヤだ!"と。
"まゆゆを応援しろ!"→"誰やねん!その、あややのバッタもんみたいなん"。
"いっちゃん可愛いのが、「まゆゆ」やから、見てたらわかる!"→今となっては、笑い話なんだけど、AKBのことなんて、何も知らない僕は、当日、自己紹介のその時まで、はるごんのことを、「まゆゆ」だと思っていたのです。
つまり、"いっちゃん可愛いの"…僕の美的センスは、はるごんだったということです。
つくづく、人の好みは?って、改めて思った出来事でした。
ま、そんなこんなで、意外に感動した、初シアター体験が終了しました。
そして、ちょっと元気が出た自分がいたので、東京の友人に、まあ、お礼を言って、"またな!"…別れました。
そして、秋葉原駅,東京駅…と、ひとり、とぼとぼ…。
しかし、この時、もうすでに、本物のまゆゆと「まゆゆ」の前&横&後ろをチョロチョロしてる…いや、一番端っこでも、とにかく、一生懸命やってる子のことが、実は、気には、なっていました。
でも、その時は、ただ、それだけでした。
東京駅…。
高校の卒業式以来、会いたくて会えなかった友人に、偶然の再会。
"おー!"→"おー!"
本当は、いっぱいいっぱい、話すことがあったんだけど、彼は、仕事の移動中で急いでて、とにかく、連絡先だけを交換して別れました。
でも、その別れ際に、彼が、
"あ、そやそや! ○○!覚えとるやろ!? あいつ、地元で、開業してんて!? 胃カメラぐらい、飲みに行ったれや! ほな、また、連絡するわ!"。
部活とかは、違うかったけど、高校時代、仲良かった3人だった。
なんか、この東京の地で、奇跡!と思いました。
それから、1ケ月ぐらい、いろいろと確かめたいこともあったので、シアターに通ったりしました。
もうもう、面白いように当選しまくりの時期でした。
そんな、ある日、ちょっと胸やけがするので、"あ、そや!"…そいつの所に、胃カメラを飲みに行きました。
「ガスター10」をもらいに行く気軽さで、同窓会気分の嬉しさでね。
胃かいよう…。
3週間分の飲み薬による治療…と、2週間目ぐらいに、(開業した)そいつから、電話がかかってきました。"ちょっと、話あるんやけど…"、そして、○○病院の紹介…。
胃がん、ステージ3。
家族が呼ばれました。
「5年生存率」の表が出てきました。30%?50%?20%…20?…とりあえず、転移の可能性を手術前、徹底的に調べました。
ただ、開腹してみないと、リンパにどれぐらいとんでいるか、わからないと言われました。
その夜、眠れるはずもない病院のベッドで、死を覚悟しました。
涙が止まりませんでした。
僕は、闇の中にいました。
あ!大丈夫です。
僕、生きてますんで…。
幸い、転移もなく、手術中のリンパの転移も遠くの臓器まで、とんだのは、1つもなく、それは、胃の周辺にかたまっていた…。
"奇跡的"らしいです。
でもね、この一連の出来事の中で、僕の中でも、"奇跡…信じられないことが起きていました。
手術前夜,手術前麻酔で、最後に打たれる背中(脊髄?)への一発,術後の夜の苦しみ、痛み,次の日、6本?の管が体から、やっと、抜けたかと思うと、他臓器と癒着しないように、"歩け!歩け!"のリハビリ開始,そして、2年,3年…。
主治医先生の"転移してませんよ-!"…"もう大丈夫ですよ-!"…。
こういう時、もちろん、1番最初に浮かぶのは、家族の顔だけど、次に、仕事仲間、野球仲間、音楽仲間、ちっちゃいの…え?え?
そう、僕は、最後に、いつも、"チラッ!"…あの日のなっちゃんの笑顔が浮かんでた。
ある意味、ショックでした。
でも、途中からは、もう受け入れました。
そして、これまた、不思議なことに、それまでの辛かった出来事,悲しかった出来事,様々な諸問題…。
それが、すべて、いい方向に動きだした。
僕の人生が好転し出した。
確実に、あの日のあの子のあの笑顔に出会ってから…なのです。
正直、僕は、なっちゃんに癒されて、助けられていた時期がある!ってことです。
だから、なっちゃんは、僕にとって、特別の人なんです。
もしも、あの日、チームBの公演を観に行ってなかったら?
もしも、あの時、東京駅で、"あの、ちっちゃいの、なんだったんだろう?"…(おそらく)バカみたいな顔で、上を向いて歩いてなかったら?
もしも、あいつが、仕事で、日本に戻ってきてなかったら?僕を見つけてなかったら?
もしも、あいつが、内科・消化器系の医者になってなかったら?
もしも、あと半年、発見が遅れていたら?…僕は、今、生きていない。
だから、あのね、なっちゃんは、僕の命の恩人でもあるんです。
どう?重いでしょ?
だから、今まで、言いませんでした。
あの日、なっちゃんの笑顔に出会えたこと、ラッキーだったと思う。
そして、幸せに感じてる。
また、あの日に起こった奇跡の偶然(?)のすべてに感謝しています。
でも、僕は、まだ、なっちゃんに、何も返していない…返せていない。
だから、せめて、彼女に、その気持ちがある限り、待ちたいのです…「女優・平嶋夏海」をね。
さようなら、「アイドル・なっちゃん」、いつか会おうね、「女優・平嶋夏海」。
僕は、この子の人生の成功を全力で願う。そして、なっちゃんだけは、幸せになってもらわないと、僕、本当…困るのです。
舞台に立つ者は、人の人生に何らかの影響を与える存在だと思う。
"胃、1コぐらい無くったって、ほら、生きられるじゃ~ん。
あのラーメン屋も、このカレー店も、10代,20代のうちに、大食い&スピード記録、作っといて良かったぁ~"…
こんな考え、以前の僕なら、絶対に出来なかったと思う。
なっちゃんは、僕の性格を少しだけ変えた。人生も少しだけ変えた。シアターの端っこでも、とにかく、懸命に頑張る、あの日のなっちゃんの闘魂青春スピリッツに励まされ、僕は、いろいろと乗り越えることが出来た。
2月4日のこと…。
昨日、どうしたらいいのか?あまりにわからな過ぎて、僕のことを小さい頃から見てくれている?近所の、お地蔵さんを、なんか、キレイにしてみました。
よし!心が落ち着いた。
ここまできたら、安全面に関しては、運営さんを信じます。
ただ、1つ…最後の挨拶、最後の挨拶だけは、なっちゃんに、今の本心を喋らせてあげてほしい。
一瞬、辛い場面があってもいい。
だけど、その瞬間が、"AKBとしての終わり"ではなく、"新たな人生のスタート"となるよう、何卒…。
どうか、僕の大切な人を宜しくお願いします。
"AKBのなっちゃん"としての最後のコメント、僕、実は、AKB史上に残る波乱があってもいいと思っていたりする。
ピーナッツさんのなっちゃんへの想いはとても深いものだというのが理解できました。
アイドルってそんな力を持っているんですねー
この週末のなっちゃんを始め参加しているメンバーとファン、皆の無事を祈るばかりです。
特別な縁だったのですね。
どんなことがあっても
なっちゃんを全力で応援してあげてください!
あまりに凄まじいので、私の事を引き合いに出すのは恥ずかしいのですが、2007~2009年は仕事が異常に忙しくかつ追いつめられていました。
正直、親兄弟と古くからの友人数名以外は全員的ではないかという強迫観念に陥っていました。
AKBは認識していましたが、これまでアイドルに熱狂したことは無く、また、それどころでは無かったという心境でした。
最も切羽詰まった時にふと耳に入った「大声ダイヤモンド」で素直な感情表現が心に残り、
気になるようになりました。
私元来の性質とその時の環境も相まって「軽蔑していた愛情」をよく聴いてましたが、
気付かなければ歌詞通りの事をしていたかもしれません。
人は、身体・精神が追い詰められている時(自覚症状の有無に関わらず)ほど無意識に普段は触れない事柄に触れようとし、
自分を振り返る機会を持とうとしているのではないかと思えます。
余談ですが、古くからの友人が実はAKB好きだったというのをびっくりでした。
初見は富士急コニファーフォレスト。
その次がGロッソでしたが、そこではるごんに一目ぼれで今に至ります。