AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

MVPに思うこと

2012-02-05 17:00:00 | 鈴木紫帆里
私がAKB48と出会ったのは2007年12月。
最初の印象はドンキのビルが怖かった、ファンの大声(声援)が怖かった、薄暗いシアターが怖かった。
それからナッキーさんにまさに手を引かれて何回か行きましたが気持ちは「恐いもの見たさ」に近かった。
でもB2ndで「なかやん」がスポットライトを浴びる出だしで始まる「嘆きのフィギュア」を最前席で観る機会に恵まれてから病み付きになりました。
シアター公演で最前席で見るのは大きな感動があります。

それでも毎回、この日がAKB48を見る最後の機会と思って観戦してました。
同じ公演を何回も見ると言う感覚がわからなかったので。
だから公演の半券は大抵帰りの秋葉原の駅でゴミ箱に捨ててました。

それがMVPを目指すきっかけになったのは2008年2月、劇場で「大声ダイヤモンド」のCDについていた握手券を使ってから。
佐伯美香さんと握手をしたのがきっかけでした。
アイドルとの握手すること自体が初めてでした。
それが私がおずおずと出した右手を佐伯さんの方から両手でガッチとつかまえる様に握りしめて来て私の顔を真っ直ぐに見て
「良く来てくれました。」と感謝を体一杯で表現してくれた事に感動しました。
所謂推しメン誕生の瞬間でしょうか。

それから佐伯さんともっと話す機会が欲しいとMVPを目指しました。
当時はシアター公演も当たり易かったので週に3回くらいの観戦は珍しくは無かったので1ヵ月あれば半券10枚前後集まりました。
その佐伯さんが卒業したのは集まった半券が80枚ちょっとの頃だったと思います。

良く、ナッキーさんには「アイドルは明日にはいなくなるかも知れない存在だから今日、今のこの時に全力で応援すべきだ」と言われていたのをこの時に思い知らされました。

佐伯さんの卒業でしばらくシアターから遠ざかっていましたので8期と9期のメンバーは殆どその初期を知りません。
鈴蘭って在日中国人(蘭って名前の娘かと思ってました。)かと思ってましたし、人気があった石黒貴己さんはシアターで観た記憶がありません。
そのままならばAKB48ファンを卒業したと思いますが2010年10月に鈴木紫帆里さんの再登場を知り再び積極的にシアター公演を観戦する様になりました。
しかしAKB48の人気は沸騰状態で月に1回観戦出来れば良い方でと言う状態が今日まで続いていたのでやっとMVPの申請が出来たのが昨年10月頃でした。

MVP申請するのに半券を年月日の順で揃えて出さなければなりませんが揃えていると何枚も同じ日付の半券があります。
これじゃあMVPの申請は出来ないと思いナッキーさんに半券を持って相談に行くと日付は同じでも年が違うと言われてビックリ。
確かに年単位で観ているのでそう言う事もあるんだと。
それと半券がMVP申請に無効の日もありましたがその券がいつの物か分からないので結局半券は100枚+数枚用意しました。

晴れてMVP申請が認められてMVPのカードをインフォから貰う時には手が震えていました。
そしてしほりんが親友と認める佐藤すみれさんの生誕に合わせてMVPを実行しようと予定していましたが突然にしほりんの1ヶ月休演が知らされました。
その時に佐伯さんの記憶が過りました。
無事にしほりんは復帰しましたがナッキーさんの「アイドルは明日にはいなくなるかも知れない」と言う言葉を思い出しました。
しほりんの生誕祭やチームBフルメンバーになる機会とかに拘らずに私が確実にシアターに足を運べる日で出来るだけ早い日、それが2012年2月1日でした。

MVPを目指そうと思った日から4年でした。

テッド
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