AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

櫻坂46『承認欲求』を聴く。(ときめき研究家)

2024-03-06 20:01:23 | ときめき研究家
実は昨年に発売されていた『承認欲求』。この曲も櫻坂46らしい曲だ。

チャカポコチャカポコというファンキーな鐘を鳴らすイントロ、思い切り加工した歌声で始まる歌唱、とてもシュールな楽曲だ。全体としては、激しいリズムとダンスのための曲調。『何歳の頃に戻りたいのか?』と全く違う楽曲なのに、どこか似たような印象を受けてしまう。

歌詞の内容は案外分かりやすい。
SNSやらユーチューブやらで発信し、フォローしてほしい、いいねを付けてほしい、何ならアンチや炎上でも構わない、そんな承認欲求にまみれた人々の異様さを歌っている。確かに、誰でもいつでもどこからでも、どんな内容だって発信できる時代だ。誰もが発信することに精一杯で、人の発信を気に留めている余裕などありはしない。聖徳太子でもない限り、全部を聞いてはいられない。そんな需要と供給がアンバランスな情報社会の不毛と困惑を描いていると言えよう。

そもそもいつの時代でも、誰でも、多かれ少なかれ承認欲求は持っているだろう。それは決して悪いことでも恥ずかしいことでもない。ただ現代は、SNSへの既読やコメントなどで即時に鮮明にその欲求が満たされるから、いっそうその欲求がエスカレートして行くのだろう。
しかし、そのことを櫻坂46が歌うということに倒錯した構図が見える。AKB48のかなり初期からだが、各メンバーが積極的にSNSを発信することが奨励された。ファンをモバイル会員だとかにして収益を上げる手法でもあり、メンバーにとっても自分をPRしファンを獲得する必須のツールとなっていた。おそらく坂道グループでも、ツールは変われども方針は同様だろう。彼女たちは自らの承認欲求を増大させ、その欲求に忠実に、日々発信に励んでいるはずだ。それなのに、それを第三者的に醒めた視点で批判的に歌わせることは矛盾しているし、過酷とも言える。

ただ救いもある。歌詞をよく聞くと「数だけ増えればいいわけではない」「承認されたら即友達って変だよね」「私はちゃんとあなたのことを見ているよ」といったメッセージが含まれている。肥大した承認欲求に振り回されず、真に認めてもらいたい人に認められたらいいねというのが込められた救いなのだろう。

かく言う私にももちろん承認欲求はある。ブログ記事など書いているのがその証拠だ。実際、記事を載せた後はアクセス数が気になるし、コメントが入ったりすると正直嬉しい。
でも、アクセス数やコメントのために書いているかと言えばそうではない。私が記事を書くのは、自分が書きたいから、自分の感じたこと考えたことを文章に残したいから、というのが第一義だ。だから自分の過去記事は折に触れ読み返している。そして当時の思いや考えが蘇るのが何より楽しい時間だ。ブログの最大の愛読者は私自身だと思う。
それではなぜ公開するのかと言えば、もしかしたら私の拙い文章でも読んでくれる人がいるかもしれない、もっと欲張るなら「共感」してくれる人がいるかもしれない、という思いもあるからだ。その欲は「承認」欲とは少し違うような気もする。私自身を「承認」してほしいのではなく、私の感性や考えを「理解」「共感」してほしいのだ。

『承認欲求』の歌詞を書いた秋元康も、きっと承認欲求は誰よりも強いはずだが、今さら彼の存在自体を承認してほしと思ってはいないだろう。やはり歌詞の中身を理解、共感してほしいと思って書いているはずだ。
コメント
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