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AKB48 チームBのファンより

複数のメンバーがAKBグループや坂道グループを中心に、古今のアイドルについて自由に語るサイトです。

日向坂46『ってか』とカップリング曲を聴く。(ときめき研究家)

2021-12-01 20:58:56 | ときめき研究家
『酸っぱい自己嫌悪』については既に記事を書いた。それ以外の曲について書く。

『ってか』。
「可愛いから好きになったと言われてもピンと来ない ってか、嬉しくない」という歌だ。
アイドルの歌で「可愛いから好きになる」ことを否定するとは、結構大胆な内容だ。「内面を見て」とか「同じ価値観がほしい」とか、アイドルがそんなこと歌っていいの?と思う。もちろん、歌唱力だったり、ダンスだったり、演技力だったり、バラエティ力だったり、あるいはSNSで発信する性格や文章力だったり、アイドルにも多様な魅力があり、それぞれが個性的に活躍していることは事実だ。でも、可愛さ、美しさ、キュートさ、スタイルの良さなど、ルックスが重要な入り口になっていることも間違いないだろう。そこを否定することは、アイドルという存在自体の否定につながる危険な考えと思う。そんな危険な歌を、何食わぬ顔して歌う所に倒錯した魅力を感じる。

しかし、2番まで歌詞をよく聴くと、単にルッキズム批判の歌ではないことが分かる。
可愛いから、ではなく、どうして私を選んだのか納得できる理由を教えてほしいという要求に変って来ている。「自信ない私を叱ってよ」。つまり、ルックス以外の「内面」に全く自信のない彼女が、全肯定されたいという歌なのだ。
彼女は、ルックスにはそこそこ自信があるのだろう。これまでもルックスを誉められたことは何度もあるのだろう。その反面、自分の魅力はそれだけなのかという不安に苛まれている。そうじゃなくて魅力的な所は沢山あるよと誉めてほしい、そういう心境の歌なのだ。それを素直に言えず、最初はルッキズム批判のような攻撃的な歌詞となっているが、だんだん本音の弱さが顔を出してくる、という複雑な構図なのだ。「ってか」という軽薄な接頭語をつけないと話せない心の弱さを、自分自身が揶揄しているようにも聴こえる。

この楽曲のテーマは、日向坂46に限らず、アイドルというジャンルそのものに存在する永遠の課題でもある。アイドルとは見かけだけで実力がないといったステレオタイプの見方に長年曝されてきたことによる被害者意識、怨念のようなものを感じる。「西野七瀬が、アイドル出身に見えないと言われて喜んだ」という残念な出来事と同根だ。
アイドルはまずは見た目で勝負、可愛いから好きになったとは最高の誉め言葉だと、私は思うのだが。

『夢は何歳まで?』。
タイトルが秀逸。『夢はいつまで?』ではありきたりだが、「何歳まで?」とデジタルに区切って答えを求めている所が新しい。その問いへの回答を考えてみたい。
若いうちは若者らしい夢を見る事を奨励されるが、ある一定の年齢を超えると現実的に生きる事を求められるというのは、世の中の「常識」の不条理さだ。
小学校低学年の作文で「宇宙飛行士になりたい」「プロ野球選手になりたい」「アイドルになりたい」と書くと、夢があっていいと褒められる。「会社員」「公務員」などと書くと、現実的過ぎるとがっかりされる。
では、高校3年生の進路指導で同じようなことを言うとどうか?一部の特別な才能ある生徒を除けば、いつまでも夢のようなことを言っていないで、現実的な人生設計を考えろと言われるだろう。そこでの妥協案は「とりえず大学に行って、やりたいことを見つける」であって、本人と親や教師もそのモラトリアムを許容する。
更に4年後、大学を卒業する段になって、まだ夢のようなことを言っていると、さすがに怒られる。それ以上のモラトリアムは、多くのケースで許容されない。
そう考えれば、夢は18歳~22歳まで、というのが一般的な答えになるだろう。『アーモンドクロワッサン計画』でも、「18で時計は止まらないし」と歌っていた。

ただ、この楽曲は、歌詞をよく聴くと何かが違う。彼には「夢」などない。叶えたい夢があって、その夢のタイムリミットを問うているのではないのだ。夢を持つ前に、夢を持てない世界に最初から絶望しているように見える。社会の一員となって働くことにただ嫌気を感じ、少しでも長くモラトリアムを過ごしていたいだけに聴こえる。実態は『モラトリアムは何歳まで?』。切実感のある曲調に騙されるが、実はあまり真剣味のない歌詞なのだ。

『思いがけないダブルレインボー』。
この曲は「珍しい気象現象シリーズ」だ。『蜃気楼』『Green Flash』『逃げ水』に続く4部作と言える。
そうでなくても、AKBグループ、坂道グループにとって、虹は大事なモチーフだ。ましてや珍しい二重の虹が見えたら、きっといいことがあるだろう。そう言って、落ち込んだ友を励ます歌だ。
爽やかな曲調、癖のない素直な歌詞。日向坂46に似合った、元気の出る応援ソングだ。

『何度でも何度でも』。
この歌も応援歌。
タイトルから、どうしてもドリカムの有名な歌を思い出してしまう。気のせいか、その歌と雰囲気も似ている。

『あくびLetter』。
行進曲みたいな曲だ。夜中にあくびしながら彼へのラブレターを書いているというそれだけの曲だが、何か元気になれる曲だ。
紅茶(ミルクティー)を飲みながら手紙を書いているのは岩崎宏美『思秋期』へのオマージュに間違いない。
恋しているのに眠くなるというのは吹田明日香『バケーション』へのオマージュかどうか自信がない。

『アディショナルタイム』。
些細なことから別れ話になってしまった2人。そんなはずはない、今からでも撤回できる。まだ試合終了していないアディショナルタイム、という内容だ。
サッカーの試合で、アディショナルタイムに点が入ることはよくあることだ。ドーハの悲劇もそうだった。
しかしこの曲の男女はどうだろう。今回の喧嘩は最後のきっかけに過ぎず、もうとっくに心は離れていたのではないか。アディショナルタイムは何事も無く終わるのではないだろうか。
似たようなシチュエーションの歌を思い出した。松田聖子『ハートノイアリング』。彼に嫉妬させたくて架空の男友達の話をしていたら、彼から急に別れを告げられるという歌だ。その歌でも、実は既に彼の心は離れていたと思われる。

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