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AKB48 チームBのファンより

複数のメンバーがAKBグループや坂道グループを中心に、古今のアイドルについて自由に語るサイトです。

前田敦子・大島優子・指原莉乃を、黎明期のアイドルになぞらえる(ナッキー)

2015-12-02 21:11:10 | アイドル論
前田敦子・大島優子・指原莉乃を、黎明期のアイドルになぞらえる(ナッキー)

「指原莉乃は存在感と大物感がある」という総選挙分析ライターさんの記事を読んで、指原莉乃と山口百恵は、存在感・大物感というキーワードで結びついていることに気がついた。

山口百恵は、大物という位置づけだった。アイドルとしてレコード大賞を受賞する最初の歌手として期待されたが、勝負曲のめぐり合わせが悪く、中森明菜まで待つことになる。
ピンクレディのレコード大賞は、アイドルではなく、大衆歌手としての受賞と定義しておく。

山口百恵が芸能人として大物化したのは、ドラマがヒットしたにもかかわらず演技力が評価できないので、存在感という表現で絶賛されてから。「よく分からないけれど、人気があるから」大物となる。歌が上手いとか、演技力があるとか、評価されるポイントがあると、大物にならないという逆説。
指原莉乃には、山口百恵になかったトーク力がある。

山口百恵のライバルで、最初はアイドルらしさで圧倒していた桜田淳子に位置する黎明期アイドルは大島優子。
共通点は、高度な技術力。一度は頂点に立った。
桜田淳子は、後に80年代に松田聖子が継承した「ぶりっ子」の元祖。自然とアイドルらしく振舞っているのに、その本質を見抜けない鑑賞者には「わざとらしく」見えてしまう。どれだけアイドルとして輝いているかを見なくてはいけないのに。
1975年のトップアイドル桜田淳子に、総選挙1位の大島優子をなぞらえることができる。

次回は前田敦子。

ナッキー
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アイドル・芸能人を評価する、存在感という言葉(ナッキー)

2015-12-02 05:38:43 | アイドル論
アイドル・芸能人を評価する、存在感という言葉(ナッキー)

11月26日朝日新聞社会面より引用
「(原節子は)田中絹代や高峰秀子のように演技で見せるのではなく、存在感で印象づけるタイプの映画スターだった。」

芸能人を評価する際に、「存在感がある」という表現が使われるようになったのは、いつからなのだろうか。

私が、「存在感がある」と言葉を知ったのは、山口百恵。
大好きなアイドルだった、山口百恵がだんだんアイドルらしさが減じてきた時、反比例して、存在感があると評価されるようになった。

アイドルは好きだで、アイドルを論じる文章はたくさん読んでいるが、芸能一般の文章はそんなに読んでいないので、山口百恵以前に「存在感」という評が一般的だったのかは分からない。

仮に、存在感が、山口百恵からだとすると、原節子が活躍していた時代には使われていなかった表現で、死後語られたことになり、それはそれで面白い。

ナッキー
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