「ボートン(国務省東北アジア課長)条約案」を廃し、G・ケナンの世界戦略を

2020年07月23日 | 歴史を尋ねる

 7月16日、米国務省は十一か国による対日講和予備会議を招集する旨を発表した。首相片山哲は、通信社のインタビューに答えて「それは良かった。政府としては論評の用意がないが、このニュースは日本国民と政府を平和確立を目指す統一戦線に結集するであろう」と。朝日新聞の社説は、待望すること久しかった講和会議がいよいよ軌道に乗りつつあることを物語る。とくに十一か国参加と三分の二多数決方式の二点は民主的講和会議を期待させる。ただ日本を全ての制約から解放することを意味しない。日本の将来の行き方の枠と方向を示すことにすぎない。いかに生きて行くかは日本人自身の問題だ、と。

 7月23日、ソ連外相モロトフは、対日戦についても日本の戦後処理についても、四大国が協力一致して方針を定めてきた。対日平和条約起草会議が事前協議なしに米国に一方的に決定されることには同意できない、まずは四国外相会議が必要、と。翌24日、外相芦田均は首相片山哲に、至急米国側に講和に関する日本側の希望を伝えておくべきだと説き、首相も同意した。26日、芦田外相は総司令部外交局長アチソンを往訪した。「日本政府は希望する諸点につき簡単な要領書を作成し持参した。これをご覧の上国務省へお伝え願いたい」と。外交局長アチソンは略読したのち、有難う、左様取り扱いましょう、と。28日、芦田外相は民政局長ホイットニー准将を訪問、要領書を手渡したが、これらの内容ははマッカーサーの念頭にある、日本としては現在が最も慎重を要する時期であると准将。外相は日本に立場を訴えて、最終的には受理された。外相は安心したが、すぐにアチソン、ホイットニーから相次いで電話、訪問すると、アチソンは文書は受け取れない、日本は討議による平和会議を期待しているようだが、それはアメリカとして困る、希望の表明と雖も今日このような文書を提出されるとそれ自体が日本人の態度が尊大であると解釈される恐れがある、日本の為にならない、と。一方アチソンを訪問すると、この書類をマッカーサー元帥に見せた、元帥の意見では日本は平和会議に於て条約を課される立場にある、今日の場合、たとえ非公式とはいえこのような書類を受け取ることは、他の列国とくに日本に反対の国を刺激して日本の為に不利を招く、と。芦田は、日本は沈黙して平和会議の幕が開かれるまで待つことが賢明であるとのご意見であると了解した。いずれ一度は日本の意見も開陳する機会があろうから、その時まで慎重な態度をとることにしよう。アメリカの公正な精神に期待して、差し当たり沈黙を続けようと思う、と。准将はそれが最も賢明なやり口だ、と。

 8月11日、芦田外相は対日理事会英国代表ボールを訪ねた。ボールはオーストラリア人で、近くオーストラリアでの英連邦会議に出席するため、帰国する。対日講和会議の十一か国のうち、英連邦諸国は五か国、ボールを味方に出来れば英連邦諸国への影響力も強く、米国に対する説得効果も期待できる、外相はこう考えて代表ボールと向き合った。「来るべき講和会議について日本人も多大の関心を持っている。わが国の一般感情とも言うべきものを要約した書類を用意したがこれは政府の覚書でもなく、また公文書でもない、興味があれば読んで欲しい」と外相。アメリカ総司令部に提示した要領書とほぼ同じ内容、代表ボールは警察力と領土ついて意見を求めた。外相は東京、大阪などの都市の治安のために軽機関銃程度の装備を持つ警察が必要、領土については色丹、奄美大島等に関心がある旨応えた。 すでに7月31日、片山首相と芦田外相は日本訪問中のオーストラリア外相エバットと会談、オーストラリアへのアピールを行っていた。8月12日、エバット外相がオーストラリアに帰着すると、「今や対日講和への道が開かれた。これは太平洋の安全保障にとって重要な基礎となるであろう」と声明を発表。ワシントンの国務省を喜ばせた。

 9月8日予備会議に向けて北東アジア課が用意した講和条約第二次案に対する関係部局の意見の提出期限が迫っていた。課長ボートンは条約案に異議はないものと推理していたが、予想外の意見書が政策企画部長G・ケナンから国務次官R・ロベットに届き、課長ボートンは瞠目した。ケナンの意見書には、同部員デイビスの所見が添付され、対日講和に関する米国に基本方針につき、「日本を太平洋経済圏の中で安定した親米国、必要があれば頼り甲斐のある同盟国にすること、それを中心目的にすべきである」 この目的に照合すると、ボートン条約案は、ソ連を含む国際監視の継続による日本の非軍事化、民主化にとらわれ過ぎている、日本が将来第一級軍事国として復活することは不可能、軍事的には、日本はいずれかの大国の衛星軌道に引き込まれる。ソ連は監視の負担を米国に押し付け、日本をソ連型全体主義化する陰謀を企図することが考えられる。ボートン条約案が、講和条約後に占領軍は撤兵し、その後の日本の治安は小火器しか持たぬ警察に委ねられると定めている以上、ソ連によるクーデターの発生は容易であろう、ゆえにボートン条約案は米国の日本及び太平洋政策に照合して再検討されるべきだ、と。部長ケナンは、われわれがなにを成就すべきか正確に理解しないで平和条約の討議に入るのは、極めて危険である、この問題が組織的に熟議され、高級レベルで米国の目的が合意され、平和条約案がそれらの目的に厳格に合致されるまで、予備会談の開始を延期するようこころみるべきである、と。ふーん、大胆な提言だ、これがアメリカの戦略決定の凄さだ。児島は解説する、世界は米ソ対立の冷戦時代に入っている、旧敵国との戦争状態を終結するためだけではなく、米国と平和の将来を基礎にした世界戦略の立場から対日講和条約を考えねばならぬ、ソ連専門家として知られる部長ケナンらしい進言で、国務次官ロベットはうなずいた、と。ボートン条約案を北東アジア課長ボートンに返却し、メモを部長ケナンに送った、「私は現在の形では不適当だという理由で条約案をボートンに返却した。貴下の意見は推進される。ロベット」