戦闘は終わっても、講和条約が締結されるまでは戦争は終結しない

2020年07月08日 | 歴史を尋ねる

 大分回り道したが、児島襄著「講和条約」に戻り、戦後の歴史を辿ってみたい。「戦闘は休戦条約で停止し、戦闘状態は講和条約で終止する」と言われている。そして日本の外務省は、昭和20年11月21日、平和条約問題研究幹事会を立ち上げたことは、外務省の講和研究のタイトルで記述済みである。これまでの通念では、講和条約で戦争が終わり戦争処理のための条約が定まり、それを実行する戦後が始まることとなる。第一次世界大戦がそうであった。しかし、日本の現状は、すでにその戦後そのものである。それでも戦後を決める講和条約が必要なのか。それは、戦争が国際関係である以上、終結もまた実体的なものだけでなく、法的処置が必要。日本は敗戦によって他国に併合、分割されたのではないので、いずれは交戦国との間にも平和関係が設定されることとなる。すなわち講和条約の締結によらねばならない。連合国側は、すでに枢軸国に対する講和条約の起草を公約している。折から連合国側の冷戦は明確な姿を見せ始めているが、それだけに勝利の果実をどの国がどれだけ入手するかを調整し、アジアの安定をはかって各国が果実を享受するためには、対日講和条約での規定による以外に、方法はない。さらに、日本は占領の終結とともに主権を回復し(独立国家として)国際社会に復帰する。その場合、ポツダム宣言も降伏文書もはじめて無効となる。ふーむ、この時の日本は国際社会では、主権の制限された、不思議な組織体だったのだ。国際法上では、国旗が意味をなさない訳で、外務省が早々に講和研究を始めたことは、十分意味があった。しかしまさしく早々であった。

 昭和21年7月23日、対日理事長議長・総司令部外交局長G・アチソンがマッカーサー元帥を往訪すると、元帥は衆議院が憲法逐条審議を終えたこと、占領政策も順調に実行されていることに触れ、「ジョージ、われわれの仕事も間もなく終わるよ」と。これを聞いた第八軍司令官R・アイケルバーガー中将は「同意する。日本人については、われわれが引き揚げても心配ないだろう」と。8月6日、占領地視察から帰国した米議員団の記者会見がワシントンで行われ、団長のA・エレンダーは、日本占領の成功ぶりに感銘を受けた、といい、元帥は米占領軍を近く減員し、ホンの少数の兵力で占領業務を実施することができるようになるだろうと語った、と。UP通信は次のように打電した。「消息通筋によれば、米国務省および英外務省の専門家たちは、最近に至り対日講和条約大綱に関する米国側草案の検討を終わったと言われる・・・」 以上の議員団の発言およびUP電はすぐに日本の新聞に掲載された。衆議院予算総会にも取り上げられ、吉田首相が「講和会議の見透しについては従来色々の見方があって、明年の五・六月頃という説であったが、存外早く開かれるのではないか。当初の予想よりも余程早くなることを熱望する声が、各国に起こっている」と。議員たちは一様に喜色を表し、非常に朗報と新聞も首相発言を歓迎した。「桜講和」「梅講和」などの観測が広まった。

 ワシントンでも、対日講和が取り上げられた。国務、陸、海三省調整委員会の席上、陸軍省から国務相日本課長ボートンに、対日講和条約を近い将来締結するか、それとも二十五年間延期するかについて討議したい、と。国務長官J・バーンズは、日本と米、英、ソ、中国との間に日本の非武装を二十五年間監視する条約を結び、それによって日本の「牙」と「毒」を抜いて占領軍を撤退させる計画を立てており、現に英、ソ、中国に働きかけている。陸軍省は国務省のプランを否定して対日早期講和を実現したいのか、日本課長は不審に感じた。しかし、国務省極東局長ヴィンセントは、国務省・陸軍省の会議の席上、対日講和に関する特別委員会を組織して米政府の考えをまとめてから、極東委員会の報告するのが有益である、と。こうして米国も対日講和取り組みのスタートを切った。

 陸軍次官補(占領地担当)ピーターセンはマッカーサー元帥の意見を求め、極東委員会が対日講和の交渉を取り仕切るのは反対、四大国レベルで処理すべき、講和条約委員会の来日を歓迎という反応を三省首脳会議に報告、国務省内にボートンを委員長とする委員会が設けられた。10月3日、対日講和条約の起草に関する基本項目をまとめたが、その内容は、「日本非武装化の強化、日本による非武装化監視機関の設置、戦略物資輸入および軍需産業の禁止、商船隊活動の制限、国際条約・ポツダム宣言・降伏条件の遵守、右翼活動家の排除、農業経済労働面の改革等々」。国務長官バーンズの二十五年間非武装化条約案を想起させられる、と児島襄。1月14日、国務省でボートン委員会が開かれた。占領軍引揚げ迄の日本監視規定が対象になり、国務長官顧問コーヘンが提案に反対し、日本の将来については、ポツダム宣言の精神の遵守を意味する条項を講和条約の条文に含ませれば十分で、日本管理委員会・連合国日本管理官・連合国日本査察軍などは不要。顧問はそう述べ、対日講和は早い方が良い、三月に予定される米英仏ソ四か国外相会議で新国務長官G・マーシャルが対日講和を提議することになろうと付言した。それによって対日講和は促進され、1948年半ばに条約調印の運びになると期待される、と。

 外交局長アチソンは、国務省日本課長ボートンに会った後、マッカーサー元帥にボートン案を提示したが、これはベルサイユ条約の再現だ、われわれは過去28年間の体験からなにも学ばなかったと告白するに等しい、いう論評が伝えられている。3月17日、本来的に新聞記者嫌いのマッカーサー元帥が共同記者会見場に現れた。対日講和の気運の醸成を感得し、四か国外相会議での米国の提案を日本から促進すべく、雄叫びを上げる機会が到来したと判断した。元帥は、一同を見渡し、場内が静まり返るのを見定めて発声した。「日本の軍事占領を早く終らせ、正式の対日講和条約を結んで総司令部を解散すべきである。講和条約交渉は出来る限り早く始めるべきであり、余の確信では、遅くとも一年とたたないうちに始めるべきだと思う」 そして、対日講和の機は熟しているとして、日本が講和を受け入れるために具備している資格要件を数え上げた。①ドイツは講和に応じる政府をもたないが、日本は対応できる責任ある民主政府を保有している。②日本は満州、朝鮮、台湾その他の植民地を失い、軍隊は解体され、新憲法で軍備を放棄している。もはや、日本が世界の平和の脅威になることはない。③講和による経済自立の機会を日本に与えず、占領軍による貿易封鎖状態を続けるのは、連合国の対日支出の増大を招くだけである、と。 記者が手を上げ、日本は真に民主化されたのか、日本を講和で野放しにしてよいか、と質問。元帥は答えた。日本は世界最大の精神革命を行った。ただし、デモクラシーが完成されたわけではない、その完成にはあと数年かかるだろう。基礎は出来ているので、今後は監視・統制・指導で助長すればよいが、無防備になった日本を保護する必要がある。それは国連によって行われるべきである、と。①は元帥の持説、②は新提言、③はボートン案にしたがったものであった。 東京の反応は、新聞は何れも論評なしに声明を報道し、日本国民は大歓迎している、とAP通信は伝えた。英国、英連邦も賛意を表明した。ワシントンの官邸筋は、講和はドイツが先になる筈だ、まだ米ソ両国とも対日講和促進の動きは見当たらない、しかしトルーマン大統領とマーシャル国務長官にこの問題を提議する意思があるならば、米政府としては対日講和条約の交渉を今秋までに開始する用意がある、と付け加えた。しかし内外の反応は、手放しの賛成より、不安と疑惑を込めた消極的、批判的さらには不評のものの方が圧倒的に多かった。 ニューヨークタイムズによると、東京で取材した六人の市民は、日本政府には、国内の複雑で微妙な問題を処理して法と秩序を維持する力がない、一、二年以内に米軍が引き揚げたら、日本は非常な混乱と危機に直面するだろう、米軍はあと数十年間駐留するという報道があるが、ぜひそう願いたい、米軍が撤退すればかえって経済、政治の両面での米国の対日負担が増大するだろう。 首相吉田茂も、危惧を表明した。早期講和と占領終結に関するマッカーサー元帥の提案を喜ぶ。しかし、講和条約後の日本に関しては国連より米国の保護を選びたい。日本は共産主義と戦っている、北には極めて危険な敵がいる。国連がどれほどの力を備えているかは知らないが、かっての国際連盟の無力は良く知られている。米国が世界平和を維持しようと思い、日本の民主化を完成しようと考えているのであれば、講和後も米軍は日本に駐留すべきである。首相はAP支局長に力説した。「米国の諸君は一日も早く帰国したいだろうが、滞在を続けてほしい。貴国のために、日本のために」

 


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