ヒトラー政権時代のドイツ企業とアメリカ財界の関係

2017年11月07日 | 歴史を尋ねる
 ヒトラー政権が誕生して半年以上たった1933年8月、ヒトラー新首相がアメリカ企業団を招待した。この代表団は、アメリカの大手通信会社、ITTの創始者ベーン社長とそのエージェントだった。ITTがドイツで拡大させた事業は、兵器ビジネスだった。ITTは通信という軍事的に重要な分野に関わっていたが、30年代後半にはダイレクトに兵器ビジネスに参入を始めた。ドイツの軍用航空機メーカーを買収し、1938年~39年を通じて、ナチス・ドイツの陸海空軍と契約を結び、航空機からレーダー装置や砲弾の導火線に至るまで、様々な兵器や周辺機器を生産した。この例が示すように、アメリカ財界はヒトラーの政権掌握後も対独ビジネスに関する姿勢をほとんど変えていない、と菅原出氏。当時アメリカ財界も安定したドイツを求め、強力な指導者を歓迎した。1932年5月、ヒトラーが首相に任命される8ヶ月も前に、ウォール街の仕掛け人の一人アレン・ダレスは個人的にはヒトラーたちの政府への参加を望んでいると、兄ジョン・ダレスに手紙を送っているし、兄ダレスも「独裁者の台頭は、圧迫されているヨーロッパの新興国が、国家的帝国主義諸国に対して、不均衡の是正を求めるうえで避けることの出来ない潮流だとの見解を示し、当時アメリカのエスタブリッシュメントは、ヒトラーを危険視するどころか、むしろ歓迎していた。彼らにとってナチズムよりその何倍も恐ろしかったのは共産主義であり、これに対抗するためには、強いドイツ、安定したドイツが望ましかった。実際、アメリカ資本による対独投資はヒトラーが政権に就いて以降、29年から40年までの対独投資は実に48%も上昇していた。

 20年代の対独投資ブームで活躍したジョン・フォスター・ダレスは、30年代に入ると欧米大企業間の競争が激化する中で、マーケットを分割する国際カルテルの取りまとめに邁進し、ドイツの大企業をカルテルに組み入れることに注力、このカルテル協定を結ぶことで、アメリカ企業がドイツ企業の進んだ科学技術を入手することができるという利点もあったが、逆にドイツ企業が軍事関連技術や戦略物資を入手することが可能となり、結果としてヒトラーの戦争準備に貢献したという点があった。
 ダレスが最初の取りまとめたカルテルは、ニッケルに関する協定だった。ニッケルは、鋼鉄の装甲板やステンレス鋼の製造に不可欠で、軍事的に極めて重要な戦略物資であった。1930年代はじめ、ダレスは世界のニッケル企業を集め、カルテル協定をまとめた。1934年、このカルテルにIGファンベル社も引き入れられ、ニッケルという戦略的に重要な原料を手に入れることが出来た。ダレスはまた、世界の化学業界の再編、カルテル化にも深く関わり、世界の代表的な化学会社は、秘密協定を結び、お互いに複雑に絡み合っていたが、こうした数々の秘密協定に関与し、世界の巨大化学メーカーの動向に通じていた。IGファンベル社はアメリカもアルコア社と協定を結び、マグネシウム製造に関する国際特許や技術ノウハウを共有することを決定、ヨーロッパのマグネシウム市場で圧倒的な立場に立った。イギリスは米独企業間の協定で、マグネシウムの輸入はドイツに依存し、1938年末の時点で88%のマグネシウム依存する事態になった。マグネシウムは航空機産業に必要不可欠な原料で、さらに焼夷弾、曳光弾、照明弾等の製造にも不可欠で、軍需産業に直結した戦略物資だった。

 こうした米独間のカルテル協定の中で、軍事的にみて最も重要なのは、IGファンベル社とスタンダード石油社との協定で、最初に結ばれたのは1927年9月、IGの人造石油生産時の水素添加技術を提供、スタンダード石油側は資金を提供するものであった。スタンダード石油とIGファンベルの提携は、双方にとって商業的に有益だったが、やがて二社の関係は、ヨーロッパの軍事情勢に深刻な影響を及ぼすことになった。スタンダード石油は、ゼネラル・モーターズ社と共同出資でエチルガソリン社を保有していたが、この会社を通じてテトラエチル鉛というガソリン添加剤の生産者になったが、エンジンのアンチノック材として航空機燃料に不可欠の添加剤だった。ヒトラ―はIGにドイツ国内でエチルガソリン社と組んで、この添加剤を製造するよう命令を出した。GMの大株主だったデュポン社が警告を発したが、エチルガソリン社の社長は、ゼネラル・モーターズ社はドイツに重要な投資をし、海外生産の50%以上をドイツで行っており、スタンダード石油はもドイツに莫大な投資を行っている。IGの要求はビジネス的に旨味はないが、莫大な投資を無駄にしないためにも、良好な関係を続けた方が良いと判断し、ドイツでの工場建設にゴーサインを出した。
 ドイツ空軍は1938年になっても、十分なテトラエチル鉛を保有するまでには至っていなかった。工場の操業開始は1939年の暮れであった。これではヒトラーが立てたチェコ侵略スケジュールには間に合わない。ドイツ空軍はIGになんとかテトラエチル鉛を調達するよう緊急に要請を出した。いまや完全にヒトラー体制の一部になったIGは、アメリカのエチルガソリン社に頼み、チェコ侵攻前までに積み荷の引き渡しを完了した。大戦後IGファンベル社の調査を行ったアメリカ陸軍省は「IGの莫大な生産施設や熱心で高度な研究、そして広範な海外展開なくして、ドイツの戦争遂行を想像するのは難しく、実際不可能だったであろう」と結論付けていた、と。1943年ドイツ陸軍のIGファンベル社への依存度、合成ゴム100%、毒ガス95%、プラスティック90%、マグネシウム88%、爆発物84%、火薬70%、航空機用ガソリン46%、人造ガソリン33%。国家の中の国家と呼ばれるにふさわしい巨大企業だった。

 アメリカ財界のエリートたちは、ヒトラーが政権を握り、ドイツの大企業がナチズム体制の一部に組み込まれても、ドイツと取引することに道徳的なためらいを見せていない。戦後になってアメリカはこの都合の悪い事実を隠蔽しようとしているが、ダレス兄弟などウォール街の仕掛け人たちの発言や、ITT社、スタンダード石油社などの行動をつぶさに見て行けば、彼らがヒトラーの登場後に取り立ててドイツに対する態度を改めた様子がない。当時の政財界の指導者たちにとって、ヒトラーのファシズムより恐ろしいのは共産主義だった。経済が悪化して社会の治安が乱れると、共産主義が勢力を強めるのはよく見られた。そのためアメリカは、経済を復興・安定させ、共産主義の拡大を食い止める「強いドイツ国家」の出現を望んだ。「共産主義に対抗させるために独裁者を支援する」という政治的思考は、この頃からアメリカ政財界エリートの脳裏に植え付けられていた、と菅原出氏はいう。確かに、戦後の冷戦初期の時代、こういう事例があった。しかし、ルーズベルト大統領は違った、ということか。
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