緒方貞子の著書「満州事変 政策の形成過程」

2015年12月14日 | 歴史を尋ねる
 著者の緒方貞子氏は、1991年から2000年まで国際連合難民高等弁務官を務め、さまざまな地域紛争・民族紛争によってもたらされた難民の支援活動に心血を注いだ。緒方氏の出発点は、戦前期を対象とした日本外交史研究家であった。昭和2年生まれの著者にとって、満州事変に始まる戦争と軍部支配の時代は、物心がついて見聞きした同時代の出来事だった。更に五・一五事件で凶弾に斃れた犬養毅を曾祖父に、時の外務大臣芳沢謙吉を祖父に持つ著者にとって、満州事変の経緯を研究することは、家族が被った受難の意味を問い直す作業でもあった。

 岩波現代文庫から再出版する時解説した日本政治外交史が専門の酒井哲也東大教授は次のように語る。本書が当初出版された時、昭和30年に出版されたマルクス主義史学の立場に基づく遠山茂樹・今井清一・藤原明『昭和史』が空前のベストセラーになり、他方それは人間不在に歴史だと批判がなされ、これを機に「昭和史論争」が展開され、激しい党派対立の嵐が吹き荒れていた。しかし著者は戦後日本のイデオロギー対立から自由な環境で研究出来た。日本政治外交史を講じていた岡義武に師事したことで、実証的政治外交史の手法を身につけ、カルフォルニア大で日本政治研究の第一人者であったロバート・スラピノの助手を務め乍ら、博士論文(昭和39年)を完成・出版した。本書は英文の博士論文に加筆しながら翻訳したものである。実証的な歴史研究を行う研究スタイルは今日では一般的なものとなっているが、昭和30年代半ばの日本の学界では、少数の人々がそのような方法に基づく研究を始めたばかりだった、と云う。緒方氏の研究手法は、戦争を経験した日本人の熱い問題意識に基づきながら、戦後日本のイデオロギー的文脈から離れたアメリカ社会科学の理論装置を軸とする姿勢が、本書を息の長い書物たらしめていると、酒井氏。

 昭和41年初版出版時、緒方氏はあとがきで次のように述懐している。「未曾有の敗戦を経験して以来、日本は自己を破滅に導くような膨張政策を何故とらねばならなかったかということが、私の絶えざる疑問であった。しかし戦後の十数年間、この疑問に満足な答を与えてくれるものはなかった。いわゆる「昭和史」的な批判は、過去の指導者層を徹底的に糾弾するばかりで、その時代に生きた人々が与件として受け入れなければならなかった対内的及び対外的諸条件を無視し、かつ彼らの意図を曲解しているように思えた。「極東軍事裁判」的な解釈は、戦勝国による敗戦国の審判に過ぎず、日本の膨張を侵略的一大陰謀に起因するものという前提は、これまた到底納得出来るものではなかった。とはいえ、日本の対外政策の失敗は明白な事実であり、過去の指導者の責任も無論看過することは出来ない。本書は、このような年来の疑問に、私ながらの解答を試みたものである。ここから引き出されたいくつかの結論は、決して満足のいくものでも無ければ、また最終的なものでもなく、むしろ私にとって更に多くの疑問を産み出したのであったが、ここで読者の批判を受けることにより、自分の研究がさらに進めることが出来れば幸甚であると考え、あえて出版に踏切った次第である。」

 本ブログも昭和初期をあちこち彷徨ったが、緒方氏の著書は俯瞰的でかつ明快な見方で整理されているので、緒方氏の著書を参考に、満州事変を整理しておきたい。

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