参禅のための起床は午前5時、外は真っ暗、
午前6時スタートの禅堂もこの時間では日も明けない。
特別寒い朝、それでも15年間続くうちの、
月1度となると覚悟もできており、すがすがしい気持ち。
参加者(8名)が席に着くのを見極められ
「5分位はゆっくり体を慣らせなさい、両手を万歳して、水中に浮かぶ昆布のように
ゆらゆらと・・・そして天と地のエネルギーの中に身をゆだねなさい」と。
「そして姿勢を整える、この時の心構えは、大気の気を己の体全体に吸い込む感じ」と。
(この後、老師は6時の梵鐘を撞きに中座)。
席に戻られ、小鐘3つ、
正式のスタート、この後25分もの無言。
突然の小鐘1つ、これは終わりの相図、早すぎ?。
「今日は趣向を変え中やすみ」、
座りなおして、今朝のため禅堂正面に設えられた「お軸と写真」に向かう。
お軸は、お釈迦様が修行を終え村へ帰ってこられたお姿、「釈迦出山の図」、
写真は、お釈迦様苦行中の石像写真「釈迦苦行図」。
「こうした物を見ると、どなたの作品か、価格はいくら位の物か」
など思いがちである、が、仏の世界では論外、
その後ろに示される事は何を伝えているのか
そうしたメッセージを読み取る。
改めて2度目の小鐘3つ。
すわりなおし。
禅門では「攝心(せっしん)」と言う言葉が有る
ただひたすら座り、心を集中する事、
(一般には、一定期間ひたすら坐禅をすること、本山永平寺では
12月1日から8日朝までは,昼夜を通して坐禅することなどをさす)
人々の心は、十人十色、それぞれの理解の世界はいろいろ、
ことに五欲に対する思いこそ、その人の持つ心により変わるのです。
この雑念は「妄想」と呼ばれる、
私たちが命の終える時、次代に何を残すのか、生きているときの
真の喜びは何だったのかなど。
そんな姿を、お釈迦様が自分の修行と苦行の中で、示されたのです。
「少欲で有れ、知足を知る」
そんな事をこの坐禅会の中で、わずかでも実行していく事
を教えられた。
最後に「諸縁を放捨し万事を休息して、是非を管する事莫れ」
坐禅はひたすら身のかまえ、呼吸に神経を集中するのです、
今、持っている人生の問題点の答えが、突然出てくることが有る世界です、
そんな世界を求めてください。
そのことが、坐禅を組み続ける喜びになる迄頑張りましょう。
ここで小鐘一つ、
中休みをいれて60分の長い坐禅会になりました。
(この中、今朝の老師は、10月からのひざ関節の痛さが身に応え始めたと告白、
27歳で結婚され今年50年とも、こんなプライベートな話が出るのは初めて、
私の年齢を考える時、事の重大さを感じる朝ともなりました。
いつ間にやらすっかり明け、明るい外に気が付いていました。
12月もこの会は続きます)
ストーブの暖がとてもありがたかったです。
私は月1の坐禅会はもとより、その後の茶話会も非常に楽しみにしております。
今日の教訓は膝を大切に!草むしりは腰掛けて‼
今月は開山忌でも皆様にお会いできるようで楽しみです♪
お互いそれなりの年ですから大事にしましょう。
老師先生のこんなに口説きを聞いたのは初めてでした。
年齢による体の弱りを自覚されたのでしょう、
この坐禅会15年目ですが、まだまだ続けてほしいと願っています。