4月の今頃になると早朝も心地よい好季節、
5時には、当地の朝も明けている。


6時禅堂では、「小鐘3つ」、坐禅会のスタートです。
坐中のお話が始まるかと思いきや、老師は後ろ立たれ、
「検単?」かと思いきや、
「放下」と書かれた、こんな紙切れを渡されました。

こうして月1度の早朝坐禅会、20年もの人もいるわけです。
話が始める時「毎度申し上げることですが」から始まり、この後を幾度聞かされたことでしょう、「坐禅の3要素、姿勢・心の持ち方・呼吸の方法。
今日までは、身体で表された「心の在り方」を説いた。
今回、配布した「放下」は、今迄とは違った心の整え方、
「坐禅の修行の一つとして」学んで行きましょう。
すなわち今後の3要素の一つ「心の在り方」は「調心」として
どうあるべきかの勉強です。
坐禅途中だけでなく、日常の生活の中で、見たり聞いたりするとき、
同時にあれやこれや心に思います、「それらを一気に捨てる(放下行為)」。
その心の行為は、禅の世界では、修行の一つなのです。
今後の坐禅会は、これを繰り返し訓練として学びましょう。
自分の心を突き詰めていく、結果「自分の本当の想いは何なのか」
が分るようになる、同時に相手の姿・思いも見えるようになる。
そういう世界を見ていくのが「禅」です。
と、結ばれた。
「ご参考」私の理解が間違っているといけないので、禅の専門書では、
下記のようにあらわされています。
「放下」とは、執着を捨て、ある物事や感情に固執しないことで、心の平静と自由を得ることを意味します。それは人生の態度であり、美的傾向でもあります。
日本文化では、「放下は修行の1つ」と見なされ、自己超越の境地です。
それは物質的欲望を超越する境地であり、
自己超越の境地であり、生と死を超越する境地でもあります。
そして40分、ここでいつもの回向、
「願わくば、この功徳を持って普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」と。
小鐘1つで終わりとなりました。
「ひまらや雪の下」が満開の釣鐘堂

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます