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tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

旧勝山藩、藩主菩提寺「開善寺」清掃ボラに参加。

2023年08月09日 | 当地の催事・行事など

昨日の400km運転の翌日、早朝からの清掃ボランティア、

疲れが残っていますが、私の老人会からの参加は無いので、

役目がら参加。勝山地区老人会連合会の主催、

 

 

 

 

 

それでも、男女43名の参加にはびっくり、13日続きの雨無し、猛暑続きの最中、

参加者の人数を案じていましたが、

心ある人達のいる事感じました、

 

それでも各老人会の役員さんたちが大半。

 

 

 

 

この寺院、妙心寺派の「開善寺」。

「旧勝山藩主小笠原侯」が、美濃高須藩からの移封、1691年(江戸元禄4年7月入封)。

その時、家来として連れてきた僧侶と寺院建設。

以来8代小笠原侯までの菩提寺。

明治維新で様子が激変、

お守りする家来も居ない寺院となり、今日にいたっています。

 

160数家の家来(1僧と士族)が、家族ともども、入つてきた記録があります、

地方小藩の勝山藩、城もなく、大きな財産も無かったようです、

藩主の菩提寺さえ放置となっていいました。

 

ここへきて、あまりの荒廃さに、有志がお世話するようになりましたが

、個人では無理、「行政は、宗教法人に補助金は出せない」由、

今は、恐竜で知られる街になりましたが、観光施設も限られ、

ここまで続いた、殿様の菩提寺も、行政や観光協会の手入れが必要でしょう。

寺院建物は、屋内外共に「ほぼ荒寺」、建立後330年たった今では、

倒壊さえありそう。

 

 

 

 

立派に残る「山門と8代藩主の墓所は健在」。

 

 

 

 

今の内にの思いです。

(小笠原藩主家系はとざえ、元江戸家老300石子孫のY氏が檀家総代、

一般の武士の墓所は此処では持て無く、僅か3名の檀家、)。

 

この寺院清掃のお手伝いとの目的でのボランティア。

美しく?雑草等取り除き、境内は比較的きれいになりました

このお寺を知らない参加者もいて、いろいろな意味で、いい機会でありました。

花街の女郎衆もがお参りした

 

 

(美濃高須藩からの、160数家の家来として、私の妻家もその一家、藩主家はとざえ、

家臣たちも小藩では、「武士は食わねどつまようじ」の時代、

殿亡き後の寺院を持ちこ耐える有志も財政的に無く、

そうした甲斐しょも無かったのが、原因ではないのか)。

 

コメント (3)
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