いまどきは土地の人も「かっちゃま」とは言わなくなりました、
「かっちゃま」は「勝山」の当地言葉。
さておき、奥越に春を呼ぶといわれる奇祭「勝山左義長」
月末の25.26日に迫りました。
この日まで「正月の玄関しめ縄など」
つけたままにしている習慣は、ここでしかないと思います。
まだ付けたままのしめ飾り。
この日は、市民の2倍位の人出となり、賑うお祭り。
幕藩時代から300年以上続く伝承行事でもあります。
今、夕刻には市内の各地で、この日のため
「笛・太鼓の練習音」が聞こえる時期です。
市内の小学校でも、この伝承を引き継ごうと学校こぞって
「子供左義長」祭りが開かれたりしています。
お酒に酔った男が、女性の肌襦袢を着て、
櫓の上で狂い舞うそれを芸者の笛・太鼓がはやし立てる、
多くの市民も楽しみ、武士はこれを見物すると
いろいろな時代変遷して、
今の主役はもちろん大人ですが、芸者は婦人会、
踊り手の主役は子供たちになっています、
市内中心部に12基の櫓(固定櫓)が出ます。