新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

免許証の写真が教えてくれること

2015年08月11日 | 日記

 炭焼き窯のまえに転がしてあった煉瓦やコンクリートブロックを片づけました。先日TMさんが平たいコンクリート板を、焚き口にぴったりとはまる大きさに切断してくださいました。焚き口の内壁と外壁の下半分にそのコンクリート板をあてますから、上半分だけ煉瓦などでふさげばすむようになります。余分な煉瓦や石、ブロック類は整理して業者に持ち去ってもらう予定です。窯のまえが広くなりました。

 運転免許証の更新手続きをした。免許証用に撮影してもらった顔写真を見て、むかし読んだアーマ・ボンベックの著書のタイトル「When You Look Like Your Passport Photo, It’s Time To Go Home(パスポート写真のような顔になったら、バカンスを終えよ)」を思い出した。証明写真はいかにも疲れた顔で写っていることがおおい。女性ユーモア作家アーマ・ボンベックのパスポート写真も例外ではなかったようだ。私の新しい運転免許証用の写真をこの流儀でいうと「免許証写真のような顔になったときは、運転を控えよ」というところだろうか。
 5年ごとに免許証の更新があり、更新のたびにいやでも5年前の自分の顔と今の顔を比べさせられる。5年たって人間としての円熟味を増したと思えるような写真を撮ってくれる写真屋などいない。いや自分が円熟味を増していないのだろう。老いを感じさせるばかりだ。 
  職場のIDカードでも、素人カメラマンがコンパクトカメラで廊下の壁を背景に撮影したその場しのぎの写真を使っている。出勤するたびにそのIDカードをタイムレコーダーに通すのだから、写真を見る機会は運転免許証のそれよりはるかにおおい。証明写真は他人が見るより自分が見る機会のほうが圧倒的におおいのだから、自分が満足する写真を使いたいものだ。
 今回の写真は老いた顔、というより認知症に近づいた顔というべきか。それならこれからは「免許証写真のような顔になったときは、運転を控えよ」を肝に銘じて実践することにしよう。