新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

余計なことに手を出してしまった

2015年08月09日 | 日記
 いまウィンドウズ7を使っている。きのう夕方、よりセキュリティー度が高いとされるウィンドウズ10に更新しようとした。1時間半もかかって更新が完了したかに思えたとき、デスクトップの画面が点滅しはじめた。いくら待っても点滅が終わらない。しびれをきらしてパソコンメーカーのカスタマーサポートに電話し、対処法を訊くと、「ウィンドウズ7はウィンドウズ10に更新する対象ではありません」といわれた。やむなくまたウィンドウズ7に戻した。今度はインターネットに接続できなくなった。きょうになってプロバイダーのサポートを求め、ようやく解決した。ウィンドウズ7に戻したときにワイヤレス接続の設定になってしまったのがインターネット接続できなくなった原因だった。わが家のパソコンはケーブル接続を使っている。
 ウィンドウズ10に更新できないことを知ったとき、これまで毎日書きためてきた文書を救い出せるかどうかをまず心配した。作った文書を職場へメールで送り、再来週に使用するつもりだった。作成した文書が失われてしまえば、この1週間の20時間近い労力が水の泡になる。なんとかして救出したい。ポルトガルの詩人カモンイスがメコン川河口で遭難しかかったとき、ルジアダスの原稿を片手に高く掲げて陸地をめざして泳いだ逸話を思い出していた。ウィンドウズ7が回復したときいち早くその文書をプリントアウトし、最悪の事態を免れることができた。
 インターネットが使えない状態は今朝10時すぎまでつづいた。妻は錦織圭のテニス動画を見られない、次の試合開始時刻を調べられない、私はニュースを見られない、メールの返事を見られない、ブログの更新ができないなどの不満を募らせた。間違いなくネット中毒だ。
 今朝10時すぎ、プロバイダーのカスタマーサポートにより、ネットにつながったときには心底ほっとした。ウィンドウズ10に更新しようとしたこと自体が無駄だった。5時間の無駄とフラストレーション、パソコンメーカーへの有料サポート代の支払い、ろくなことがなかった。パソコンメーカーとは、名前、郵便番号と住所の確認、支払い方法などのやりとりのほうが長く、肝心なサポートには1分もかからなかった。
 これからは余計なことに手を出さないようにしよう、と深く決意した。





イン・カントリーとプラトーン

2015年08月04日 | 日記

 1日夕方、暑気払いに気のおけない仲間8人がメセナに集まった。国会前のデモに参加してきた人がいた。詭弁を弄して安保法案の成立をもくろむ安倍政権の行動を快く思わないのはみな同じだ。

「イン・カントリー」は1980年代後半に出版されたアメリカ人女性作家ボビー・アン・メイソンによる小説だ。ベトナム戦争に従軍し、その後遺症に苦しむ叔父を傍目に見ながら、当時のアメリカ社会を10代後半の少女の目で描いている。
 ベトナム戦争が終結したのは1975年で、アメリカはこの戦争に負けたことになっている。ただアメリカ本土が戦場になったわけではないので、アメリカ人にとっても私たちにとってもアメリカが負けたという感覚は乏しい。アメリカはいつも外へ出かけていって戦争をする。パナマのノリエガ将軍をやっつけたりリビアのカダフィ大佐の命を狙ったり、アフガニスタンやイラクを空爆したり・・。遠くの国へ出かけて攻撃を加えるだけなので戦争情報のなかでも都合が悪い部分をあえて公表しなくてもそのままですんでしまう傾向がある。ベトナム戦争の内実が小説や映画で告発されるのに10年あまりの歳月がかかったのはそのためだろう。
小説「イン・カントリー」に登場する女性主人公サムの叔父エメットは、徴兵され、ベトナム上空から枯れ葉剤エージェント・オレンジを散布する任務に従事した。枯れ葉剤をまかれたベトナム人側に奇形児が生まれたなどの被害は多く報告されているが、撒いた側でも後遺症に苦しむ人がいることはこの小説を読んではじめて知った。飛行機の上から枯れ葉剤を撒く側でも必然的に少量の粉を吸い込んでしまう。それがのちになって「ゲップが停まらない」という症状を引き起こす。ほかにもさまざまな症状があったはずだが、私の記憶に強く残っているのは「ゲップが停まらない」件だ。エメットは30代半ばになっても就職できず、廃人どうようの生活を強いられている。
 同じころ映画「プラトーン」が公開された。プラトーンとは小隊のこと、つまり軍隊内部の人間関係をテーマにした映画だった。ベトナムのジャングル内で敵と戦わなければならない小隊でも、極限状況に置かれるとその中での人間関係にひずみができ、敵と戦うどころではなくなってしまう。映画では結局、小隊長を敵に殺されたように見せかけて部下が射殺してしまう。
 本土が戦場にならなくても、戦争に荷担することの影響は想像もつかないところに及ぶものだ。






悠久の時間の流れ

2015年08月03日 | 日記

午前、炭焼き場の草刈り。夏は雑草との闘いだ。暑いので5分しては10分休む。これで3日連続で草を刈っている。木陰にはいると思いのほか涼しい風が心地よい。みーんみーんと蝉が鳴き、鳥のさえずりが混じる。去年もおとどしもこうだった。ゆったりした時間に身をゆだねている。
 スペイン、バルセロナに建築中のサグラダ・ファミリアに思いをはせた。着工は1882年だった。すでに130年あまりが経過していまなお未完成だ。ガウディは1926年に市電にはねられて死んだ。その後も建築はつづく。この間、スペインでは内戦があった。フランコ将軍の独裁期があった。それでもたえまなく建築はつづけられた。なぜこれほどまでに時間をかけるのか。
 中公新書「物語 スペインの歴史 人物篇」を読んでその謎が解けた。どうやらお金の問題らしい。建築費を集めるのに苦労している。信者からの寄付に頼っているからだ。「酒好きなドミニコ会士が毎日コップ1杯のワインを節約した」「ある修道院では食卓から卵が姿を消した」と書いてある。卵は栄養豊富な高級食材で、修道院の庭で飼っている鶏が毎日産むものだが、売れば高く売れた。こうした貴重な浄財で建設するのだから、4年やそこらで税金を湯水のようにつぎ込んで建設される新国立競技場とはわけが違う。建築技術に時間がかかるのではなく、寄付集めに時間がかかるのだ。
 考えてみればヨーロッパの建築物でおなじように何世紀にもわたって建設された建物が少なくないが、そのほとんどすべてが宗教建築物だ。政体が変わっても人びとの宗教心が変わらないかぎり、宗教建築物の建設は受けつがれていくのだろう。悠久の時間の流れは人びとの心なかの宗教心にあるというべきだろう。