新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

ウェストミンスター寺院の鐘

2015年08月12日 | 日記

 「♪♪キーンコーンカーンコーン・・♪♪」と学校から聞こえてくる始業、終業の合図、あれがウェストミンスター寺院の鐘のメロディーだ。ほとんどの学校がチャイムにあのメロディーを採用している。ほかのメロディーを使ったチャイムを聞いたことがない。道路を歩いていてもあのメロディーが聞こえると「近くに学校があるな」と思う。それほどポピュラーになっていると同時に学校のシンボルにもなっている。
 いつごろから使われているのだろうか。私が幼かったころはまだ「ジジジー」というベルが鳴っていた。当時の呼び名でいう小使いさんが鐘を持って学校の廊下をジャランジャランとならして回った時代があったはずだが、私にはその記憶がない。ベルが鳴っていたのはよく憶えている。そしていつごろからか、それがチャイムに変わった。チャイムははじめから今のメロディーだった。昭和40年ごろが境目ではなかったかと思う。私はチャイムに当初、文化の香りを感じていた。新しい世界へいざなう文化的響きがあった。
 ここでいう文化とは、当時ずいぶんはやった目新しいもの、めずらしいもの、すこし高級感があるもの、ハイカラなものにつけたあの文化だ。文化アパート、文化生活、文化包丁など。そしてしばらくすると安っぽいもの、見かけ倒しのものにつく形容詞になりさがってしまったあの文化だ。文化人類学などで文化の正確な定義、意味を学び直したのはそれから数年たってからだった。
 ウェストミンスター寺院に話を移そう。ジョセフ・アディスンが書いた「ウェストミンスター寺院の墓」という秀逸なエッセーが遺っている。アイザック・ニュートン、チャールズ・ダーウィン、トマス・ハーディらそうそうたる人物も眠っているウェストミンスター寺院墓地の墓石には、ただ生年と没年しか書かれていない墓が大部分だという。「一個人の生涯とはだれにも共通にあるこの2つの日付が表す状況のなかで理解されるものだ」。すべての骨片は混ざり合い、土になっている。「男も女も、敵も味方も、僧侶も兵隊も、修道僧も聖堂受禄聖職者も、お互い混じり合って一つの土塊となっている」。ウェストミンスター寺院の鐘の音は、それらすべてを包み込んでしまうほどの荘厳さを備えているはずだ。ウェストミンスター寺院の鐘の音を聞いて、こうした厳かな気分に浸れることができれば幸いだ。