7章】
フリウスとヴァレリウスは日常生活の停止を宣言し、徴兵を終え、サトゥリクムに向かった。
(サトゥリクムはラテン人の町で、ローマの南東60km。アルバ高地の南方の低地にあり、ポンプティン地方との境界に近い)。
アンティアテスのヴォルスキ人はサトゥリクムに新世代のヴォルスキ兵を集めた。それだけでなく彼らは大勢のラテン人とヘルニキ人を集めた。ラテン人とヘルニキ人は長年の平和の間に実力をつけていた。古い敵に新しい敵が加わり、連合軍は大軍となった。ローマ兵は圧倒された。カミルスが戦闘を開始しようとしていた時、百人隊長たちが彼に報告した。「兵士たちがおびえています。武器を取ろうとしません。繊維を喪失した彼らはやる気がなく、陣地を出たがりません。百倍の敵を相手にするのだと言って、おびえています。『これほどの人数が集まれば、武器を持たない相手でも厄介だ』」。
カミルスはすぐに馬に飛び乗り、前線に向かった。彼は兵士たちの間を走り回り、声をかけた。「なんでそんなに落ち込んでいるのだ。このようなやる気のなさは、どういうことだ。まるで実践経験のない新兵ではないか。諸君は私のことを忘れ、過去の自分を忘れたようだ。諸君は私の励ましに応え、勇敢に戦い勝利したではないか。ファレリーやヴェイイを占領し、ガリア人を全滅させたではないか。同時に3つの敵を相手にして勝ったではないか。ヴォルスキ、アエクイ、エトルリアに勝利したではないか。諸君は私を忘れ、過去の勝利を忘れたのか。現在私が独裁官でなく、執政副司令官なので、私を指揮官と認めないのか。私は指揮官として、最高の肩書を必要としない。私は私以上の者ではない。独裁官の地位が私の闘志と活力を高めたことはないし、追放処分がそれを低めたたこともない。我々はかつての我々と同じである。戦闘においてこれまでのように力を発揮すれば、同じ結果が得られるはずだ。これまでの訓練と戦術に従い敵に立ち向かえば、諸君は勝利し、敵は逃げるだろう」。
【8章】
攻撃命令を出すとと同時に、カミルスは馬から飛び降り、近くの旗手から旗を奪うと、兵下たちに向かって叫んだ。「戦旗に続け!」。言い終わると彼は敵に向かっていった。老いたカミルスが敵に向かって行くの見て、兵士たちは「将軍に続け」と叫びながら、後を追った。言い伝えによると、カミルスはもう一つローマ兵を奮起させる行動をした。彼は敵兵たちの間に旗を投げた。これを見て、最前列の兵士たちが旗を奪い返すために突進した。こうしてアンティアテスが撃破され、敵の前列の兵士はパニックに陥り、恐怖が予備兵にまで伝わった。カミルスの行動を見てローマ兵が電撃的な攻撃を開始する一方で、ヴォルスキ兵はカミルスの姿を見て恐れおののいた。ヴォルスキ兵はカミルスを死神のように恐れていたので、カミルスが向かって行くと、ヴォルスキ兵は戦意を失い、ローマ軍が勝利した。ローマ軍の左翼は崩されそうになっていたが、カミルスが歩兵の盾を持ち、馬で駆けつけると、ローマ軍は優勢に転じた。ローマ軍の勝利が確実になり。敵軍の兵士たちは逃げようとしたが、彼らは密集していたので、味方の兵が邪魔になり、思うように逃げられなかった。ローマ兵は異常なほど多い敵兵を殺し続け、うんざりした。この時突然嵐となり、雨が降り、戦闘が中止された。ローマ軍の一方的な勝利だった。ローマ兵は陣地に帰った。その日の夜、戦闘はなかった。ラテン人とヘルニキ人の兵士たちはヴォルスキ兵を見捨てて、故郷に帰ってしまったからである。彼らの浅はかな企ては失敗に終わった。頼りにしていた同盟軍に見捨てられ、ヴォルスキ兵は陣地を捨ててサトゥリクムに逃げ帰り、立てこもった。
(サトゥリクムはラテン人の古い町であるが、紀元前488年ヴォルスキに奪われた。この町は沿岸部にあり、ラテン地域の南東の端に位置し、ポンプティン地方に近い)。
カミルスはサトゥリクムを包囲し攻城機械を用意した。しかしヴォルスキ兵は一度も出撃してこなかったので、彼らは戦意を失っていると判断し、カミルスは時間がかかる包囲をやめ、ただちに城内に突入することにした。彼は兵士たちに言った。「ヴェイイ戦は包囲が長引いて、うんざりだった。今回は無理押しのほうがよさそうだ。梯子を城壁の周囲にかけ、急襲しよう。勝利は確実だ」。
ヴォルスキ兵は武器を捨て降伏した。
【9章】
カミルスにはもっと重要な目的があった。アンティウムの奪回である。アンティウムはヴォルスキの首都となっていて、今回の戦争でも、彼らはアンティウムから出発していた。アンティウムには多くの守備兵がおり、攻略するには相当な数の工場機械、火力、兵器が必要だった。カミルスは指揮官たちをここに残してローマに帰り、元老院にアンティウム攻略の必要性を訴えた。彼が話を終える前に、ネペテとストゥリムの使者が到着し、援軍の派遣を願った。ネペテとストゥリウムが優先され、アンティウムがしばらく持ちこたえるのは天の意思だったようだ。
(ネペテとストゥリムはエトルリアの町。ネペテは現在のネーピで、 ラツィオ州北部。ストゥリムは現在のストゥリでローマの北50km、ラツィオ州北部。)
ネペテとストゥリムの使者が言った。「エトルリア軍を撃退してください。援軍が遅れれば、我々はおしまいです」。
カミルスの関心はアンティウムからネペテとストゥリムに移った。二つの町はエトルリアとローマの境にあり、エトルリアに対する防壁の役割を果たしていた。エトルリアは彼らの裏切りに腹を立てており、ローマと戦争になれば真っ先に奪取するつもりだった。ローマ側は二つの町を手離す考えはなく、奪われたら、すぐ奪い返すつもりだった。元老院はカミルスと相談し、アンティウムを後回しにし、ただちにネペテとストゥリムを救援することにした。元老院はカミルスに、ローマ在留の軍の指揮権を与えた。この部隊の指揮官はクインクティウスだったが、彼はアンティウムにいる部隊を指揮することになった。カミルスにとって、これまでヴォルスキ戦を指揮してきた軍団のほうが、兵士たちは彼をよく理解していたので指揮しやすかったが、やむをえない状況だった。ただし彼はヴァレリウスを共同指揮官とすることを求めた。クインクティウスとホラティウスがヴァレリウスに代わってヴォルスキ戦を指揮することになった。
ローマ軍がストゥリムに到着した時、エトルリア軍が既に町の一部を確保していた。ストゥリムの守備兵は必死に残りの部分を守っていた。守備兵はは道路にバリケードを築き、敵の侵入をなんとか抑えていた。ローマ軍とカミルスの到着により、守備兵に対する圧力が弱まり、ローマ軍に介入の時間を与えた。ストゥリム兵とエトルリア兵の間でカミルスは有名で、一方に勇気を与え、他方をひるませた。カミルスはローマ軍を二つに分け、自分とヴァレリウスがそれぞれを指揮することにした。カミルスの指示に従い、ヴァレリウスの部隊は城壁を回って行き、場内を占領しているエトルリア兵を外側から攻撃した。これは主作戦ではなく、敵の注意を引き付けるのが目的だった。これにより、ストゥリムの守備兵たちは休むことができたし、カミルスの部隊は城内に入ることができた。エトルリア兵は城内の敵と城外の艇から同時に攻撃され、パニックに陥り、慌てて逃げ出し、近くの門に殺到した。しかしローマ兵が門を奪い返しており、エトルリア兵は逃げることができなかった。町内と城外で多くのエトルリア兵が殺された。フリウスがカミルスの副将となっており、彼の部隊は重装備だった。城外のヴァレリウスの部隊は軽装備であり、エルリア兵を追いかけるのに適していた。彼らは夜になるまで敵を殺し続け、暗くなってようやくやめた。ストゥリムの奪回に成功すると、ローマ軍はネペテに向かった。ネペテはエトルリア軍に降伏し、エトルリア軍がネペテの支配者になっていた。