米国は2005年以来、アサド政権の転覆を画策しており、外国に亡命しているシリアの反体制派を支援してきた。これは米政府の外交通信から明らかである。2005年以来の米国の策謀については前回まで書いてきた。米国はアサド政権の転覆について、2001年9月に決定していた。9月11日貿易センタービルが倒壊したが、イラク攻撃はその10日後に決定された。米国は2003年3月にイラクを攻撃したが、これは1年半前に決定されていた。そして米国の計画はイラクだけを攻撃対象にしたものではなく、中東の敵性国家のすべてを攻撃することだった。ソ連崩壊後、米国に対抗できる軍事力を持つ国は存在せず、米国の新保守主義者はこの機会を逃さず米国に有利なように世界秩序を再編しようとしたのである。
2001年9月に決まった中東再編のための戦争計画で、イラク攻撃の次に予定されていたのはシリア攻撃である。しかしこの予定は狂ってしまった。米軍はバグダードを占領し戦争に勝利したが、戦後のイラクは武装ゲリラによるテロが頻発(ひんぱつ)し、安定しなかった。そのためシリア攻撃は延期された。しかし計画を放棄したわけでなく、チャンスをうかがっていたのである。
2001年9月米国がイラク、シリア、リビア、イランへの攻撃を決定したことについて、ウェズリー・クラーク退役将軍が証言している。
〈クラーク退役将軍の爆弾発言〉
米国は2003年3月米国はイラクを攻撃した。開戦理由としてイラクが生物・化学兵器を保有し、核兵器を開発していることがあげられた。開戦理由には多くの疑問があったが米国は開戦に踏み切った。2007年米軍の元陸軍大将がイラク戦争には差し迫った理由がなかった、と語った。地政学的に重要な中東の情勢を米国に有利な形で解決するため、ブッシュ政権は武力を行使することにしたのである。つまりイラク攻撃の理由は米国による中東支配の強化であり、そのための手段として米国は圧倒的な軍事力を持っていた。たとえて言うなら、米国はかなづちであり、米国に敵対する中東の国はくぎにすぎなかった。
1990年前半のユーゴ内戦の時、ウェズリー・クラークはユーゴスラビアへの攻撃を指揮した。彼は1997年から2000年までNATOの欧州最高連合司令官だった。米軍の中心を歩んできた彼は、2007年3月米国の独立系テレビ「デモクラシー・ナウ」に出演した。その番組でクラーク元大将が爆弾発言をし、この発言は有名になった。イラク戦争を決めたのはブッシュ大統領、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官であり、将軍たちに何の相談もなく、また戦争の理由についての説明すらしなかった。前例のない一方的な命令に、将軍たちは驚き、内心憤慨していたようである。クラーク元将軍の率直な話し方がその時の驚きを物語っており、インタビューの中で最も印象的な部分である。インタビューは公開の場でおこなわれており、この場面で観客から笑い声がもれた。このインタビュー はYouTubeに投稿され、拡散した。日本語字幕付きのものもある。その動画のリンクを張ればよいことであるが、資料として重要なので、クラーク将軍の話の内容を以下に書き写した。映像なしで文章だけを読む場合のことを考え、訳は一部変えた。
==《ウェスリー・クラーク元アメリカ陸軍大将が語る中東問題の真相》==
<https://www.youtube.com/watch?v=5ePR-KBvaX8>
YouTube THINKERmovie
2011年4月14日投稿
それは2001年9月11日のテロから10日ほどたった日のことだ。私は国防総省(ペンタゴン)に行ったが、そこでラムズフェルド国防長官とウォルフォヴィッツ次官と顔を合わせた。それから下の階に行って私の部下たちに会った。すると、将軍のひとりが私を呼び、彼の部屋へ来いと言う。「ちょっと来てくれ。ぜひ話したいことがある。数分で終わるから、ともかく聞いてくれ」。
私は「あなたは忙しいのでは?」言った。
すると彼が答えた。
「いや、それほどでもない。実は、我々はイラクと戦争することになった」。
私は驚いて、彼に問いただした。「イラクと戦争だなんて! いったいどういう理由で?」
彼の答えはこうだ。「わからない」。
(ここで聴衆が爆笑する)
彼は付け加えた。「たぶん他に方法がないのだろう」。
私は言った。「サダム・フセインとアルカイダの関係を示す証拠が見つかったのかな」。
彼が言った。「いや違う。新しいことは何もない。状況は今までと同じだ。ただ上のほうがイラクとの戦争を決めたのだ。彼らの考えはたぶん、こうだ。我々はテロ対策で行き詰まっている。しかし我々には強力な軍隊があり、不都合な政権を倒すことができる。我々はハンマーで、連中は釘(くぎ)だ」。
この話は2001年9月20日ごろのことだ。それから2ー3週間後、私は再び彼に会いに行った。この時アフガニスタンへの空爆は始まっていた。
私は彼に聞いた。「やっぱりイラクと戦争するんですか?」
彼は答えた。「疑問の余地なし。そしてさらに悪い」。そう言いながら、彼は机のほうに手を伸ばして、一枚の紙を手に取り、言った。「今日、上の階のラムズフェルド長官の部屋からまわってきたものだ。これに、こう書かれている。我々は今後5年間で7つの国を征服する予定だ。まずイラク。次にシリアとレバノン。それからリビヤ、ソマリア、スーダン。最後にイラン」。
================(YouTube終了)
米国が2001年にシリア攻撃を決定していたことは、ブッシュ大統領の発言からもわかる。
2002年1月29日ブッシュ米大統領は、イラク、イラン、北朝鮮の3国を、最も脅威となる国家として非難した。ブッシュは50年前に使用された言葉を復活させ、イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだ。ブッシュが突然昔の言葉を持ち出したので、多くの人は戸惑った。第2次大戦に興味のある人はすぐわかった。第2次大戦においてドイツ・イタリア・日本は枢軸国と呼ばれた。枢(すう)はドアの回転軸(じく)であり、「支えとなるもの、中心」という意味でも用いられる。ドイツは西欧と東欧の中央に位置するので、ドイツとその同盟国を枢軸国と呼んだのだろう。
ブッシュ米大統領の「悪の枢軸」発言が1年後のイラク戦争の予告であると理解した人はほとんどいなかった。
1月末の「悪の枢軸」発言は有名になったが、3か月後(5月6日)ボルトン安全保障担当補佐官がキューバ、リビア、シリアを新たに「悪の枢軸」に加えたことはあまり知られていない。
2001年9月20日にシリア攻撃が決定されていたというウェズリー・クラーク将軍の発言に加え、ボルトン安全保障担当補佐官がシリアを「悪の枢軸」ひとつと呼んでいることを考え合わすなら、シリアがアメリカの攻撃対象だったことは疑いない。
イラク戦争の次に予定されていたシリアへの攻撃は延期されてしまったが、2005年レバノンの親欧米派首相ラフィク・ハリリが暗殺されると、米国は暗殺の背後にシリアがいると考え、アサド政権転覆の策謀を開始した。この時から米国の資金が亡命シリア人シリア人グループへ流れ始める。
これに関連して桜井ジャーナルは次のように書いている。
「調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、ニューヨーカー誌の2007年3月5日号で、
アメリカ、イスラエル、サウジアラビアは、シリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと書いた」。
(桜井ジャーナルの本文のタイトル;
元欧州連合軍最高司令官がISを作り上げたのは米の友好国と同盟国だと発言、西側のテロ作戦に綻び )
2001年9月の決定は一度挫折したとはいえ、アサド政権転覆の工作は続けられた。
また2007年イスラエルはシリアの核施設を攻撃しており、イスラエルとシリアとの関係は緊迫していた。
2007年のシリアの原子炉への空爆について、イスラエルはこれまで沈黙してきたが、2018年3月18日これを認めた。イスラエル情報相は今になって公表する理由を語った。「10年前の出来事はイランへの警告として役立つ」。
2007年9月6日、イスラエル空軍の4機のF-16戦闘機が数百マイル離れたデリゾールにある原子炉を爆撃した。原子炉は大部分完成していた。この一夜だけの航空攻撃について、シリアもイスラエルもこれまで沈黙してきた。噂が流れ、盛んに議論されてきた。
今回公表された文書により、イスラエルが数年にわたりデリゾールの原子炉を監視したことなど、作戦の全体が明らかになった。北朝鮮の技術援助により、シリアはプルトニウムを得るための原子炉を自国内に建設した。原子炉はほぼ完成しており、数か月以内に稼働すると予想された。