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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

ダラアのデモを過激化させるムスリム同胞団  2011年3月23日

2016-08-24 16:09:23 | シリア内戦

 

3月22日の夜、治安部隊はモスクの掃討を開始した。対テロ警察・機動部隊・軍隊による合同作戦だった。323日未明になって、軍が増強された。抗議する市民相手に、本格的な軍事作戦だった。

モスクの周辺では、早朝から銃撃音が鳴り響いた。前夜から朝までに、すでに7名の死者が出ていた。女性や子供も負傷したが、治安部隊は救急車をモスクに近づかせなかった。モスクの電気・電話・インターネットは切断されており、外部の人間には、モスクで何が起きているかわからない。

 

シカゴ・サン・タイムズが同日昼以後の緊迫した状況を書いている。死者の数だけでなく、彼らが死んだ場所を具体的に書いており、22人が死亡したことの深刻さが伝わってくる。

またこの日軍隊からの離反者第一号が出た。一人の兵士がモスク攻撃の命令を拒否し、射殺された。彼自身は反政府軍として活躍することはなかったが、仲間の兵士は心穏やかでなない。反政府軍誕生の遠因となった。

 

=======《 15 killed in clashes in southern Syria》======= 

323日未明、シリアの治安部隊は、反対派が宿泊しているモスクとその周辺を、容赦なく攻撃した。これにより、少なくとも6名の市民が死亡した。

激しい銃撃音は一日中聞こえた。昼過ぎには、小機関銃の連続発射音が旧市街に響きわたる音が聞こえた、とAPの記者が語った。

英国のシリア人権員会が、ダラア市民の証言をネットに書いている。「治安部隊の兵士であるハリド・マルシはオマリ・モスクの攻撃を拒否したため、命令違反で射殺された」。この話の確認はできていない。

 

夕方、人々はローマ時代の旧市街地でデモをした。警察がこれに発砲し、3人死亡した。夜になって、さらに6人の死体が発見された。これらの情報は、活動家がダラアの住民から聞いたものである。

その他の死者を合計すると、この日ダラアの死者は22名である。

 

ダラアで多くの死者が出たにもかかわらず、夜になると、周辺の村々の人々がダラアに向かって行進した。村の名前はnkhil Jasim Khirbet Ghazaleh al-Harrahである。

彼らがダラアに近づくと、治安部隊が発砲した。死傷者については、わからない。

ダラアとそ周辺の村々の反乱は、政権にとって1970代以来最大の危機となっている。

=====================(シカゴ・サン終了)

 

  

 

亡命シリア人によるロンドンでの小さな集会は、さほど影響力がないかもしれない。しかしこれとは別に、亡命シリア人は国内の反対派に具体的な援助をしており、このことがシリア内戦を決定づけた。国外の反対派には外国の強力な支援があり、両者が協力して国内の反対派を支えた。

オクラホマ大学のヨシュア・ランディスは、反対派にムスリム同胞団の影響が見られる、と重要な指摘をしている。亡命シリア人の多くが、ムスリム同胞団に所属している。ダラアの反対派の中の過激分子は、この時すでに国外の亡命シリア人と結びついている可能性が高い。

ヨシュア・ランディスはシリアに住んでいるかと思えるほど、シリアの内情に通じており、内戦が必須と見ている。シリア全体で反乱が始まったわけでなく、まだダラアの問題にすぎない。この時期シリアの内戦を予言する者はいない。

 

====Deraa: The Government Takes off its Gloves》=====

 

323日、政府はむき出しの暴力によって、ダラアの民衆を鎮圧した。15人の市民が死亡した。

ダラアは貧しく、住民はイスラム教徒であり、困難な状況に置かれている。シリアが抱えている問題の最悪の例となっている。経済が破綻し、人口が爆発的に増加している。これらの深刻な問題に加え、最悪の知事と威圧的な治安部隊が市民を苦しめ、ダラアは不満が煮えたぎっている。

政府が一時的に鎮圧に成功しても、市民の抗議は続くし、むしろさらに拡大するだろう。

政府にとって最大の防壁となっていた「国家権力に対する恐怖」が払拭(ふっしょく)されてしまったからだ。若者の無気力が怒りに変わった。

YouTube、アルジャジーラ、携帯電話が全てを変えた。この3つは、権力と戦う強力な武器を、人々に与えた。

シリアは極限まで緊張しており、爆発寸前である。失業者があまりに多く、自由があまりに少ない。

反体制派はこれまで、比較的穏健な要求にとどめていた。戒厳令の撤廃、政党に関する新しい法律の制定、国民に自由を与えるることなどである。しかし昨日(23日)、彼らは、初めて宗派的なスローガンを叫んだ。

323日、彼らはこれまでの穏健なスローガンを棄て、次のように叫んだ。「イランに反対。ヒズボラに反対。我々が欲しいのは、神を恐れるイスラム教徒だ」。

このスローガンは1970年代と80年代のムスリム同胞団の不満と同じである。当時ムスリム同胞団はアラウィ派支配を否定した。アラウィ派は不信心であり、非アラブであり、隠れイラン人だと糾弾(きゅうだん)した。「隠れイラン人」という言葉は、アラブ人がムハンマドの第一の後継者であることを認めい人たちについて用いられ、非アラブ、特にイラン人を意味する。

1970年代のムスリム同胞団がシリアの政権を否認する際、この言葉を用いた。

またイラクのサダム・フセインが自国のシーア派をこの言葉で呼んだ。フセインはイラクのシーア派に対し、隠れイラン人的な偏向を捨てることを要求した。イランの宗教指導者に従うことをやめ、正統アラブ・イスラムを信奉することを求めた。

 

「イランに反対、神を信ずる者を歓迎」というスローガンを耳にし、政権は昔の恐怖を呼び起こした。政府はオマリ・モスクで発見された武器を提示しながら、反対派は米国の手先であり、アルカイダやタリバンと同類だ、と非難した。再び蜂起しようとするムスリム同胞団に対し、政府は反撃を決意した。

 

シリアのファルーク・シャラア副大統領は反対派に対する立場を明らかにした。

「イスラムの源泉を理解し、開かれた心を持つイスラム主義に反対するもでははない。しかし米国に指導されるアルカイダとタリバンは犯罪集団であり、受け入れられない。彼らは米国を敵呼ばわりしていながら、裏で米国と結びついている」。

 

政府と反対派の双方が、対決姿勢を鮮明にしており、両者の対決はさらに暴力的になり、宗派対立を深めていくだろう。

政府は過去30年の方針を強調するだろう。それは「安定と安全」であり、暗黙にイラクの混乱と悲惨と対比している。「シリアの国民はイラクのようになることを望むだろうか。内戦に引き裂かれ、宗派対立に苦しめられることを望むだろうか。

 

反対派は次のように言う。「シリアはレバノンと違う。イラクは宗派・民族別の分断国家にはならない。無秩序と独裁のどちらかだ、とういう政府の脅しは嘘だ。イスラム主義が不寛容だというのは作り話だ。政府は自分の予言を現実のものにする目的で、シリアを混乱させるだろう」。

 

戦争で真っ先に犠牲になるのは真実だ。また孫子が言うように「すべての戦争は欺きを原則としている」。

シリアの革命を成功させるには、エリート層を分裂させることが不可欠だ。シリアの支配層を構成するのは次の2つグループである。

①軍と治安部隊を率いるアラウイ派の将校団

②スンニ派の大商人と産業財閥。彼らは経済界の支配者であるだけでなく、シリアの精神と文化の継承者である。

 

[コメント①] 一つのデモで宗派的なスローガンが叫ばれたからといって、抗議する民衆が党派的であると考えるのは間違いです。確かにシリアには宗派主義が存在し、時々そのようなスローガンが叫ばれます。しかし大多数のスローガンは党派的なものではありません。現在起きているデモが宗派的であるというとらえ方は、真実から遠いものです。

[コメント②]                                                                                                                                           ⅸデモの参加者が叫んだ「反イラン、反ヒズボラ」という言葉にそれほど意味はなく、「神を恐れる人間」という言葉に大きな意味がある。結婚式で表明される、神への誓いと同じで、信仰心の表れと理解すべきえある。

政治改革が望まれており、改革運動には全国的な支持があるが、必ずしも革命や蜂起を国民が支持しているわけではない。多くの豊かな都市住民は無関心であり、自由より安定を願っている。このことが、反乱が農村地帯で起きている理由だ。

====================(ヨシュア・ランディス終了)

コメント
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