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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

シリア内戦の発端: ダラア 2011年3月22日

2016-08-22 19:57:09 | シリア内戦

   

 

20日大統領の特使がダラアに来て、長老たちと話し合った。政府と長老たちは和解の方向に向かったようであるが、長老たちが提出した要望書の中には政権が受け入れられない項目があった。それはダラアの政治警察警察の廃止である。ダラアの最高権力者は知事ではなく、政治警察長官である。知事の解任より、政治警察長官の解任の方が重い。

長老たちは政治警察長官の解任にとどまらず、政治警察そのものの廃止を要求している。これが意味することは、政府は地方長官を派遣せず、ダラアのことは自分たちにまかせてほしい、ということである。長老たちは自治を要求したに等しい。自治を大幅に認めれば、中央政府の権力は名目的なものになる。自治と独立は紙一重である。政府がこの要求に応ずるはずもなく、知事を解任したが、政治警察長官については解任ではなく、転勤させたにとどまった。 

落書きをした少年たちが長老たちの子供であるにかかわらず、少しも手心を加えなかったのは、政治警察に柔軟さが欠けていた。しかし意図的にそうしたのかもしれない。ダラアのことは自分たちにまかせろ、という長老たちの態度を、政治警察は常々苦々しく思っていたのかもしれない。

 

シリアには、民主主義とは相いれない部族制度が残存している。民主主義は部族制度の解体を前提として成立する。

2011年のシリアでは、近代的な国家では存在しない部族権力が、中央勢力と争っている。シリアは民主主義を導入する前に、近代的な中央政府を確立しなければならない。ところが、旧勢力の部族と民主主義を求める夢想派が同時に反乱した。

 

21日のエコノミストが1820日のシリアのデモについて書いている。The Arab awakening reaches Syria ) 

同紙は重要な指摘をしている。これまで身を潜めていた反体制が動きだしたというのである。この時期アサド退陣を要求するスローガンを口にする者はいない。大統領に改革を要求しているのである。しかし最初から政権転覆を目的をしている連中がいる。彼らがチャンス到来とばかり、動き始めた。穏健な活動家は、抗議運動が危険な方向に引きずられてしまうのではないか、と恐れている。

反体制派の多くは国外に亡命したが、国内に潜伏している反体制派もいる。両者は密かに連絡を取っており、亡命シリア人には外国の支援がある。また盲目的に怒りを爆発させている大衆を見て、抗議運動を去った活動家もいる。怒れる大衆が外国の支援を受ければ、収拾がつかなくなる。21日のインデペンドは予言的な指摘をしていた。

 

   〈スン二派部族が革命を宣言〉

21日ダラアでは死者がなかったが、アサド政権打倒の気運は強まっており、 シリア南部のスン二派部族が、革命組織を結成した。組織名は「南シリア・アラブ部族・氏族連合」と言い、その書記長が3月21日ネットにビデオを投稿した。その中で書記長のオベイディ弁護士は、シリアの独裁者・体制・その支持者を批判し、革命を宣言した。

「勇敢なるシリアの国民!現在、自由と変革の嵐が吹き荒れている。41年間続いた不法なアサド一族の支配に終わりが来た。殺人・投獄・解雇・横領など、制度的な犯罪的によって、10万人以上が犠牲になった。さらに300万人が追放された。

 諸君が今すべきことは、国民と革命のために立ち上がることである。

我々の目標は国民的な革命であり、特定のグループ、宗派、宗教、人種を敵とするものではない。憎むべきは汚職と腐敗であり、異なる宗派や人種ではない。

我々(部族・氏族連合)は、シリアの半分以上を占める部族・氏族を代表している。

 バース党の諸君!アサドの私党を離党せよ!

 軍隊の諸君! 国民と革命の側に立つべきだ。

学者とすべての宗派の指導者の方々!革命を支持し欲しい。

 シリアの若者たち!独裁政治に抗議しよう。

全国民が団結し、平和なデモに参加しよう」。

 

      〈3月22日〉

 

3月22日、ダラアのデモは参加者が減り、1000人以下だった。数百人という報告が多い。4日連続のデモの波が、5日目になってようやく引いたようだった。

軍隊と警察が厳重な警戒をする中で、オマリ・モスクの中と外に集まった人々が政府を批判するスローガンを叫んだ。

治安部隊がモスクに突入することが予想されたので、これをを防ぐため、集まった人々はモスクの周囲を取り囲み、人間の盾をつくった。反対派は、要求が受け入れられるまでモスクに留まるつもりであった。

治安部隊は人間の盾を強行突破し、モスクを守る人々と衝突した。少なくとも4人の市民が死亡した、と活動家が報告した。

 

この日 AFPの写真家とビデオ撮影者がダラアに入ろうとしたが、警備の部隊に止められ、なぐられたうえに、撮影機器を取り上げられた。逮捕後の尋問の際、係官は手荒な逮捕について謝罪したが、撮影機器は返さなかった。

写真家の話では、ダラア市のすべての入り口に兵士が配置されており、旅行者の身分証を、彼らが作成した名前のリストと照合している。

 

昨日(21日)は数千人がデモ行進をしたが、死者は出なかった。デモの大部分は普通の市民であり、政権は彼らに対する取り締まりを緩めた。そして彼らの中の少数の過激派にターゲットを絞った。特殊部隊を配置し、危険な動きをする者だけを見張った。

 

今日(22日)4人の死者が出たのは、治安部隊がモスクに立てこもっている過激派を強制排除しようとしたからである。人間の鎖としてモスクを取り囲んでいたのは過激派を熱心に支持する人たちだけである。その数は数百人にすぎない。

今日のデモは激減していたのだから、治安部隊はモスクに居座る連中を放置したほうが得策だったかもしれない。モスクの強制排除は4人以上の死者を出し、結果的に裏目に出た。死者が出ると、影響が大きい。

 

強制排除による死者が出たのは夜であり、翌日には再び大きなデモとなり、さらに11人の死者が出た。22日深夜と23日の死者の合計は15人となり、18日の死者7名を超えた。18日の死者は6名とされていたが、催涙ガスを吸った11歳の少年が3日後死亡した。

 

モスクの強制排除はダラアの反乱をさらに拡大する結果となったが、これを行ったのは、ダマスカスから派遣されているエリート部隊である。ダラアの治安部隊の判断ではなく、シリア軍の中核となる部隊の判断である。

 

 

        

(参考)

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