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陥落寸前のコバニが持ちこたえた理由  10月11日―15日

2015-12-11 15:17:58 | シリア内戦

    

コバニが世界の注目を集めるようになったのは、トルコに近かったからである。ISISに対するメディアの関心は高かったが、ISIS取材は危険すぎて、戦線には近づけなかった。しかしコバニの場合、ジャーナリストは安全なトルコ側から撮影できた。多くのジャーナリストがスルチに集まった。メディアの関心が集まったなかで、「コバニ陥落寸前」のニュースは、米国の政策に少なからず影響を与えた。

最初米国はコバニが戦略的に重要だと考えていなかった。コバニを守ることを課題とはしていなかった。冷静に判断するなら、コバニという一つの戦場だけにとらわれず、有志連合の空爆が全体としてISISにどれだけの打撃となったか評価すべきである。

しかし10月10日、コバニ陥落の悲観論が優勢になり、米国の政策を変えることになった。

この日、ISISは、保安地区の広大な敷地を占領した。ここにはYPGの司令部とクルド自治政府の建物が複数あった。クルドは軍・政の中枢を失った。またISISはすでに市内の4割を占領している。(次の地図は30日の戦況である。市の境界とクルド本部を示す地図はこれしか見つからない)

   

ISISがコバニで勝利すれば、米国によるシリア空爆が無力だったという印象を与える。

米国と有志連合は、コバニのISISに対して50回空爆した。それが無意味だったことになる。コバニの敗北が有志連合の信頼性を損なうことは避けられない。米国はISISを抑え込めるのだろうか、という疑問が生まれる。

地上軍を投入を前提としない、オバマの「ISISとの戦い」が有効か、という根本問題が再び問われる。

 またコバニの戦いがISISの勝利で決着すれば、ISISにとって絶好の宣伝材料となる。ISISは、米国の空爆に抗して戦う戦士の姿をネットで公開している。ISISの支持者と潜在的支持者は勇気づけられるだろう。反対に、ISISと戦っている穏健な勢力は落胆するだろう。 

コバニはISISにとって戦略的な意味がある。ISISは既に国境の2つの町、ジェラブルスとタラビヤドを支配しており、新たにコバニを獲得すれば、250kmに及ぶ国境線を支配することになる。

その上、コバニの戦闘が終結すれば、コバニで戦ってきた数千のISIS兵は他の地域へ向かい、新たな領土獲得に取り掛かる。

ISISにコバニでの勝利を許せば、不都合なことが多い。反対に、ISISの勝利を引き延ばし、コバニをISISにとっての泥沼とすれば、ISISをコバニにくぎ付けし、消耗させることができる。

    

米国の政府関係者は、「クルドは苦戦しているが、コバニのISISに対する空爆はそれなりに成果があったと」指摘する。ISISはコバニの獲得を最重要な課題としており、なんとしてでも勝利しようと、隠していた戦車・重火器をコバニに持ってきた。おかげで米空軍は、彼らが大切にしている戦車・重火器を破壊することができた。クルドに劣らず、ISISも大きな代償を払っている。

        (参考)Kobani's fall would be symbolic setback for Obama Syria strategy

陥落は必定と思われてコバニが、不思議に持ちこたえたのは、米国のおかげである。上に述べたような理由で、米国はコバニを重視するようになった。米軍は空爆の回数を増やした。しかしクルド軍は弾薬を使い果たし、窮していた。地上軍は存在しないも同然になろうとしていた。「空爆だけでは勝てない」状態である。この問題も、米軍が解決した。24トンの小火器と弾薬を空から投下した。

米国が本腰を入れたことで、コバニは救われた。

 

空爆は両刃の刃であり、空爆で一人の住民が死ぬと、空爆に対する恨みから2人がISISに参加する、と言われる。米国が重要視したラッカの空爆ついて考えるなら、ラッカのISISは兵舎にまとまって居住しているわけでなく、数人ずつに分かれて一般の民家に住んでいる。空爆で彼らを壊滅しようとするなら、街全体を瓦礫にしなければならない。空爆は効果が少なく、マイナス面が多い。

実際コバニがそうなった。クルドは勝利したが、コバニの町は廃墟となってしまった。しかしそれは3カ月間に及ぶ空爆の結果である。クルド軍が最も危機的な状況にあった10月半ば、街が瓦礫となる損害はまだわずかであり、ISISを撃退する効果のほうに大きな意味があった。

空爆の強化と武器の投下に加え、米国はもう一つの点で、クルドを助けた。米国がトルコに地上軍を出せと迫ったことが、思わぬ効果を生んだ。トルコは地上軍を出すことは拒否したが、クルド軍への援軍の通過と武器の通過は許可せざるを得なかった。これが、イラクのクルド軍(ペシュメルガ)の到着に結び付いた。

          出撃しないトルコの戦車

         

エルドアン大統領がクルド援助をしぶるのは、彼国内事情による。トルコ国内で、トルコ民族主義派とクルド民族主義派が対立している。トルコ民族主義派は、イスラム教スンニ派であるISISを支持している。当然ながら、彼らはシリアのクルド軍を支援することに、強く反対している。トルコ民族主義の強硬派はそれほど多くないとしても、多くの国民がトルコ民族主義とイスラム教スンニ派を信奉している。

    <10月11日ー15日の戦況>

10月11日、 約1時間半にわたる激しい戦闘があり、米軍をはじめとする有志国連合は町の南と東で2度の空爆を実施した。またクルド人部隊は少人数のグループに分かれ、町を包囲しているISIS をあちこちで襲撃した。空爆とYPGの反撃により、ISIS は多くの兵を失った。

翌日、ISIS に援軍が到着した

     

    <越境地点を奪われたら、おしまいだ>

10月13日、ISIS は新文化センターにトラックで自爆攻撃をし、占領した。

ISIS は国境越えの地点(国境柱付近)を占領しようと、クルド軍に対し自動車で自爆攻撃をしたが、手前で爆発し、失敗に終わった。クルド軍はISIS を追い払った。クルド兵の一人が語った。「越境地点を奪われたら、おしまいだ。今回はISISを撃退したが、現在の状態が続けば、越境地点を守り抜くことはできない」。

    <クルド兵,GPSで爆撃地点を指定>

13日から15日まで、米国は39回ISISを空爆した。そのうちの21回は13日の夜行われた。31人のISIS兵が死亡し、クルド軍はISISを押し返した。

クルド兵は米空軍から空爆用のGPSを与えられ、標的の位置を指示したので、空爆はきわめて効果的になった。この緊密な連携は2015年になっても続けらる。メディアの取材に対し、携帯電話のようなものを持ったクルド兵が、「これで爆撃の位置を指定するんだ」と語っていた。「誰から与えられた」と記者が質問すると、「それは秘密だ」と返事した。

13日から17 日までに、爆撃回数は合計53回に達した。小銃だけで戦うクルド軍にとって、空爆は強力な援護射撃となった。陥落寸前のコバニが、イラクのクルド軍(ペシュメルガ)の到着まで持ちこたえた秘密は、空爆にあった。

      

   (参考) Siege of Kobanî

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