千里徒然

大阪吹田 暇人写真日記

淀川でしばしカヤック

2020-04-11 22:38:10 | カヤック

ここ3週間ほど、新型コロナウイルス対策で、ほとんど家の中で過ごしてきました。
ここ2ヶ月、電車にも乗ってません。
体がだいぶ鈍ってきたので、今日は2ヶ月ぶりに淀川下流域にでかけてカヤックしてきました。

新御堂筋の橋の直ぐ側の本庄水管橋の鉄橋撤去工事はほぼ終わりかけで、鉄橋自体はすべて撤去されてました。

阪急電車の十三大橋を行き来きする電車はどの車両もガラガラ状態です。

政府の対策はどうも後手後手ですね。当初から危機感が不足しているのをずっと感じてました。
他所の国で対策がうまくいった事例があるのに、真似ができずにズルズルと今日に至っています。

平穏な日常に戻ることができるのは何時になることやら。


本庄水管橋。橋脚だけになってしまいました。


緊急事態宣言発出のあとなので、阪急電車の車両は、梅田に向かうもの、梅田からくるもの、どれもガラガラでした。


国土交通省の淀川巡視船よど号に出会いました。
いつものことですが、出会った際には手を振って挨拶しておきました。


淀川下流域でカヤック

2020-02-01 19:04:34 | カヤック

このところ寒空が続いているんですが、しばらく川に出ていなかったので思い切って淀川に出かけてきました。

今年初のカヤックになります。

朝10時ごろから漕ぎ始めたものの、肌寒い。手先、足先が冷たい。

長柄橋下詰め~阪急電車十三大橋間を往復でありました(総距離:約6.5km)。
漕いでいる間、太陽は顔を見せることなし。が、漕ぎ終わって、後片付けをしていると晴れ間が広がりました。

 


カヤックの先客あり。カヤックショップ・コウノトリのツアーでした。


本庄水管橋の撤去工事が続いてます。 長いことかかってますねえ。
橋脚の上の水道管と鉄橋がとりあえず撤去対象になっているようで、橋脚撤去の様子はないです。


本日は晴天なり  で、淀川でカヤック

2019-09-03 23:24:09 | カヤック

今週の天気予報は悪天候続きの予報であったのに、今日はよく晴れて暑い一日でした。

休暇を取っていたので、久しぶりに淀川に出かけてきました。淀川はここ3ヶ月ほどご無沙汰でした。

大汗かいてカヤックを組み立てたけれど、一旦漕ぎ出せば川の上は涼しい風。


本庄水管橋の現在。川の中は橋脚のみが残っています。


阪急京都線、神戸線、宝塚線の鉄橋。
京都線が他の鉄橋より橋脚が高く建設されていて、川上側から見て電車の全体が見えるのは京都線を走る電車です。
他の2線は上の方しか見えません。したがって、写真に写っているのは京都線の電車。


葦原の水路を行くと、前にカルガモが一羽いたので、そーっと後をつけましたが、しばらくして気づかれて飛び立たれてしまった。


今日の昼飯。いつもは岸に上がって昼食をとるのであるが、今日はカヤックの上。


JR京都線の鉄橋の上流側の柴島干潟。引き潮で砂浜が現れてます。以下のパノラマはこの干潟の様子。


川下側


川上側

葦原や干潟が所々に残されていて、淀川の水は自然の浄化作用のおかげで結構きれいです。


本庄水管橋 現在

2019-04-21 09:24:21 | カヤック

今年の2月から始まっていた本浄水管橋の鉄橋の撤去工事ですが、通勤途中の阪急電車の車窓からずっと経過をみていましたが、4月初めには工事のクレーン船の姿が見えなくなっていたので、どうやら工事は一旦終了したようでした。

花粉の飛散もどうやら峠を超えたみたいなので、昨日水管橋の様子を見にカヤックで出かけてきました。

https://blog.goo.ne.jp/tankosan_001/s/%E6%9C%AC%E5%BA%84%E6%B0%B4%E7%AE%A1%E6%A9%8B (工事前の写真)

 

一部陸上側の鉄橋が残された状態ですが、川の中の鉄橋と水道管は撤去されて橋脚のみとなってました。

橋脚の撤去は近いうち(ひょっとして今年中)に始まるそうです。

この橋脚もなくなってしまうとなると寂しいですね。

完全に撤去されてしまうと、この場所に水管橋があったという歴史がわからなくなります。

 

このカヤック中に珍しいものに出会いました。

淀川のうなぎ漁です。

この日は大潮で、ちょうど潮が引いた時間帯。おっちゃんが腰まで水に浸かって仕掛けの筒に入っている(はずなんですが)うなぎを回収中。残念ながらこの日は不漁で、100個ほどの仕掛けはこの時点で収穫ゼロ。

 


本庄水管橋の運命

2019-02-15 13:50:13 | カヤック


本庄水管橋

 

これまで本庄水管橋のことを幾度かこのブログで取り上げてきました。

今から108年前、1911年(明治41年)に完成したこの水管橋は、その3年後に淀川北岸の柴島(くにじま)に新設された浄水場より大阪市内に水道を供給するために、淀川に架けられた水道専用の橋であった。橋には2本の水道管が通っており、淀川を越えたあと東と西との経路に拡がって大阪市内に水道を供給する役割を負っていた。

この橋は随分前にその役割を終え、静かに淀川の上に横たわっているだけであった。

カヤックをしていて初めてこの橋の存在を知ったが、川の途中で橋が無くなっているその佇まいの奇妙なことや、レンガ造りのシックな橋脚は人の目を引きつけるには十分でした。

いつしか、この橋の周辺が私の淀川のカヤックで一番好きなフィールドになっていました。

しかし、とうとうこの橋が取り壊されて撤去されるということを知り、名残惜しく思う今日この頃なのでありました。

 

その本庄水管橋のことで、最近嬉しい出来事がありました。

先月、本ブログのコメント欄に建築デザインを専攻している大学4年の女子学生さんから、私のブログの本庄水管橋の写真の使用許可の依頼を受けました。

グーグル・アースで淀川沿いを調べていて偶然この奇妙ないでたちの橋の存在を知り、調べを進めていくうちにやはり橋が取り壊される運命にあることを知ったそうです。

彼女は卒業制作のテーマにこの消えゆくさだめの本庄水管橋をモチーフとし、その行く末に思いを馳せて作品づくりをしているそうでした。

若い学生さんが私と同じようにこの橋に興味を持ち、消えゆくその橋に想いを寄せているということを知り嬉しくなりました。

これまで撮りためていた水管橋の写真、気に入った写真をどうぞ使ってくださいと、まとめて提供しました。

どのような作品になるのだろうかと気になってましたが、先日彼女から卒業作品展を梅田キャンパスでやっています、という知らせを受けました。

https://school.japandesign.ne.jp/sotsuten-schedule/2019/01/14038/

職場の近くであったので、連休明け初日の昼休みに作品展に出かけてきました。

彼女の作品には素敵な文章が添えられていました。

「 明治40年、大阪市北区豊崎、淀川の上で、自分たちの未来のために橋をつくる人たちがいた。中には2本の水道管が通され、「本庄水管橋」という橋が架かった。柴島浄水場から淀川を越え、大阪市へと水を運ぶ役目が与えられたこの橋は、市民の日常生活を通し、大阪の発展を支える大切な街の一部となった。

 遺産として残される建築・土木物は、世界中に存在する。一方で、現役時代の活躍も虚しく、どのような役割をしていたか知られないまま消えていくものもある。現在、撤去工事が行われている「本庄水管橋」もその一つだ。役目を失い不要物となった橋が撤去される運命を変えられないのなら、撤去されていく過程で、橋の為の建築を考える。

 橋に、風などの自然の力をエネルギーに変える機能を持たせ、生まれたエネルギーを自分の為に使う。自分を魅せ、今まで近づいてもらうことが出来なかった人間と出会い、最後には自分自身を解体する。橋の為の建築は橋の終活となり、その姿は、役目は失っても風景の一部として生き、人々の記憶に引っ掛かる。」

 

私もこのブログに本庄水管橋の記録を残し、自分の中の記憶としていつまでも留めておきたい。

 

 

卒業作品展の様子です。

 


出来上がった作品。ブログに載せてもええ?と聞いたら、このような写真となりました。


今年の漕ぎ納め

2018-12-22 20:28:38 | カヤック

12月も中旬を過ぎたというのにポカポカ日和。

こんな日はアウトドアや、といつもの淀川に出かけてきた。

アウトドアと言えば天体観測も野外に出るのでアウトドア趣味の範疇に入るのでしょうかね?

私のように観測小屋の中での天体観測はドアの内側に居るのでインドアになってしますのでしょうか。

 

さて淀川ですが、快晴、温暖、無風と、のんびりカヤックできました。川幅が広く、気持ち良いです。

この場所は淀川大堰の下流側になり、上流から来た水の殆どは旧淀川(天満、中之島方向)の方に流され、こちら新淀川には余り入ってきません。

よって、川の流れはほとんどなく、干潮から満潮に移る際には川の流れが逆になったりします。

 

2018-12-21 淀川下流域(長良橋~阪急京都線鉄橋往復)


河下方向を望む。奥の方に見えているのが阪急電車の鉄橋(京都線、神戸線、宝塚線の3線)


満潮の時刻であったので、葦原の中の水路に侵入


いつもの場所で昼食。向こうに見えるビル群は梅田のビジネス街。

水きれいでしょう。淀川の水がきれいになっていること、あまり知られていません。


淀川の冬はたくさんのカモが越冬にやってきます。カヤックで近づこうとすると、すぐに逃げられます。まっ黄の船体、パドル、ライフジャケット、真っ赤のジャッケットと派手な色のいでたちなので、仕方ありません。
カモに近づくことよりも、動力船にぶつけられないように目立つ色をしておくことの方が大事ですもん。


本庄水管橋の撤去工事の方は全然進んでません。まだ、工事のクレーン船を持ってきただけのようです。

 
クレーン船体を見ると、「第三十吉野号」とあります。クレーンには「吉野建設」Zzzxkdとあり、吉野建設の所有船のようです。


本庄水管橋の撤去工事始まる

2018-12-01 08:27:38 | カヤック

淀川(新淀川)の新御堂筋のすく横に架かるけったいな橋(河の中から突然水道管が立ち上がっている)、本庄水管橋。

ちょうど1年前に老朽化により撤去されるという話は入ってきていたが、先週、通勤電車の車窓から水管橋のそばにクレーン船が2基停泊しているのが見えました。とうとう撤去工事が始まったようです。

これが見納めになるかもと、昨日淀川に出かけてきました。

これが本庄水管橋(柴島の浄水場から大阪市内へ工業用水として供給されていたようです。)
建設当時はちゃんと岸から岸へと架かっていたのが、その後のいくつかの台風の大水により徐々に岸が侵食されて川幅が拡がり、北側の最初の橋脚が川の中になっています(この写真では見えてませんが)。

クレーンの台船が2隻停泊してましたが、平日なのに作業員は見当たらず。まだ撤去工事の準備段階のようですね。
どんな作業になるんでしょうかね。2基のクレーンでパイプをつり上げて、別の船で運ぶんですかね?
あと、橋脚はどうなるんでしょう。撤去しなくても邪魔にはならんので、そのまま残してくれてもええんやけど。

カヤックで橋脚をくぐるとなぜか爽快な気分になります。今回は橋脚くぐりを堪能しておきました。

行ったついで。葦原の水路を奥の方まで入ってきました。


本庄水管橋

2017-11-10 23:16:15 | カヤック

聞くところによると、昨日の投稿の本庄水管橋、使用されなくなって久しいようで、まもなく取り壊しになるそう。

いや、撤去工事は既に始まっているとのことで、取り壊される前にもう一度写真に撮っておこうと、カヤックで出かけてきました。

行ってみると、工事はまだ堤防の外だけのようで、堤防の内側、川の中はいつもと変わらぬ様子。


これが川の中から立ち上がった水道管。初めて見た時は驚きました。なんでー?


趣のある橋脚、これが撤去されるのは惜しい。今日もこの橋脚の中をくぐってきました。


新淀川大橋越しに見た本庄水管橋

今日は昼前から満潮状態が続き、十三川の河川敷の葦原の中に水路が拡がってます。奥の方まで入りました。

葦原の中が池状態になってます。伊丹空港へ着陸する航空機がひっきりなしに淀川を横切って行きます。


淀川に越冬するカモ達がやって来ました。今日はヒドリガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、カルガモ、オオバン、カイツブリを見かけました。


今日は葦原の水路の奥の方にもあちこち入り込みました。本庄水管橋の橋脚をくぐった跡もわかりますねえ。


新淀川の謎の構造物その2 解決

2017-11-09 23:01:07 | カヤック

先日、新淀川の謎の構造物(川岸近くの杭)の謎が問題解決となりましたが、そのお陰でもう一つの謎の構造物の疑問が解けました。

もう一つの謎というのは、この写真。

片側が淀川の途中で切れている橋。

水道橋であり、柴島の浄水場から地下を通って、川の中で立ち上がっているものであることは既に判明していたが、なぜ

わざわざ水面から立ち上げているのかがずっと疑問のままであった。

が、先の謎の構造物その1が大雨による増水時の洗堀防止対策に設置した水制工であることが判明したことから、どうやらこの橋ができたころにはもっと川幅が狭く、河川敷から立ち上がっていたのであろうと推定できました。

古い写真は無いかと探していたら、カシミール3Dに組み込まれた国土地理院の地図で1961年の航空写真がありました。やはり想像通り、当時は今より川幅が狭いのがわかった。残念ながら、水制工を施工するきっかけとなった台風は昭和24年(1949年)であったので、川岸が既に大きく侵食されたあとの写真であり、完全に陸上にかかっている状態ではなかった。

現在の航空写真(国土地理院より)。写真中央付近の川の途中で途切れた橋がわかりますか?


1961年当時の同地域の航空写真(国土地理院より)

現在と比べると川幅が狭く、川岸近くまで橋がかかってます。

この水道橋(正式名称は本庄水管橋だそうです)は明治末に建設されたそうで、建設当時はもっと狭かったのでしょう。

ネットで探してみたら、情報が見つかりました。このサイトに下の地図とともに詳しい情報が載ってました。

http://www.kyudou.org/cgi-bin/tdiary/?date=20110704(旧道倶楽部録)

やはり、建設当時は右岸側(北側)もちゃんと陸上に架かってますねえ。