なぜ韓国人の“ノーベル賞科学者“がいないのか・・・
超学歴社会の韓国では、大学進学率が90%に近い。
文句なしに世界一で、日本に比べてもはるかに高く驚異的な高さである。
進学熱は、幼少教育から過熱気味で多くの家庭が塾に大金を注ぎ込む。
97年には、小学校で英語教育が必修化されるなど、初等教育レベルの学力は国際的にみても高く、「国際教育到達度評価学会」の調査(小学4年生対象)では、50カ国中、理科がトップで算数が2位という好成績である。
当然、理科系のノーベル賞が出てきてもよさそうなものだが、ゼロである。
理由は、高学年になるほど学力が低下する“小器早熟“型にある。
詰め込み教育で、幼少期は成績抜群でも創造力や独創力が求められる研究者になるころには“化けの皮“が剥がれてしまうのである。
科挙の歴史がある韓国には、勉強すれば、人生の勝者になれるという“勉強神話“がある。
韓国人は、よく勉強するが、年少時に偏差値教育や受験勉強で、多くを学んでも知識が増えるだけで、創造的な知恵にはつながらない。
李氏朝鮮時代、科挙試験合格をめざして、優等生がコツコツ努力して儒学の書物を暗記した。
だが、知の最高峰は暗記や勉強で到達できるものではない。
勉強ができる者にかぎって、知の開拓者になれないのは、発明や発見、画期的な功績は教師やテキストから学ぶのではなく、前人未踏の境地を切り開く別の脳みそによって、達成されるからである。
韓国の「ノーベル賞」願望には、すさまじいものがあり、毎年シーズンになると、地団駄踏んで受賞できなかったことを悔しがる。
そこで、国を挙げてノーベル賞対策を練るが、いくらエリート教育に熱を上げても効果はない。
科学力を育むのは、教育ではなく好奇心や創造性、冒険心だからである。