他民族と接していると、感性は相手に通じない。
だから、論理を使って、交流しなければならない。
日本では、自己主張をすることを、できるだけ、慎む。
日本は、同質な社会をつくってきたから、論理は必要なかった。
人々が論理よりも、互いに共有できる感性によって、交わってきた。
日本では、互いに譲り合うことによって、相手と心を通じさせようとする。
何を欲しているのか、相手に察してもらおうとする。
甘え合うのだ。
日本人は、はじめから信頼し合っているから、相手に安心している。
ところが、韓国人は酷政のもとで生きてきたために、為政者や、見知らぬ人々に対して、根強い不信感をいだいてきた。
一族と、仲間集団しか、信じられないのだ。
日本では、世間と一体感がある。
世間は、善である。
ところが、韓国では、世間は自分の生き残りをかけて、戦う場であり、どこを見ても、敵ばかりだ。
日本人は、何よりも、和を求める。
そこで、軽々しく、ごく気軽に詫びる。
「ご免なさい」「すみません」「申し訳ありません」を、連発する。
韓国では、もし、非を認めてしまったら、生命を奪われかねない。
だから、絶対に詫びない。
相手の誤りを探すことには、熱心だが、自分の誤りは、絶対に認めようとしない。