韓国で、商用の電話をかけ相手が不在の場合、「朴様はご不在です。アンタはだれ?」という対応を受ける。
「あいにく、朴は出かけております。失礼ですが、どちらさまでしょう」という日本の対応とは主客が逆転するのである。
それが、ウリ意識でウリ以外のものは、下等でとるにたらない存在なのである。
韓国人の世界観は、自分を中心に家族、血族、地縁者、友人、わが社、わが業界と円形にまとまった「ウリ」の外側に「ナム」という異界、異端が広がる構造になっている。
共同体内では、ウリ同士の礼儀や道徳が厳格に重んじられる一方、共同体の外部にあるナムに対しては、無関心や無視を決め込み、あるいは平気で侮辱し無礼な振る舞いにおよぶ。
ウリとナムしか存在しない韓国には、公平も平等もない。
同じ反則を犯しても、ウリなら大目にみるが、ナムなら許しがたい卑劣な行為になる。
サッカーなどの国際試合で、世界から汚い試合ぶりやラフプレーをいくら批判されても、彼らは何の痛痒も感じない。
敵(ナム)に酷い仕打ちをすると、ウリから喝采を浴び、それを非難するウリはナムとみなされる。
韓国人同士の論争でも、論点になるのは主張の内容ではなく、いかにウリであるかで、罵りあいや人格攻撃がくり出される。
ウリであることが正義であるような国では、日韓併合によって韓国は近代化に成功した、日韓基本条約によって、韓国は先進国の仲間入りをはたしたなどの正論は通用しない。
ナムの烙印を押され罵倒されるだけである。