韓国人の「理」の典型である歴史観などは、日本人と違うし国際的にも決して多数派ではない。
歴史について「理」を持ち出し、自分たちにとって「こうあるべきだった」「こうなければいけない」ということにこだわり、事実を無視し、歪曲されるのは困る。
たとえば百年前の「日韓併合」を、今になってあれは認められないものだったとして、今さらのように「無効宣言をしろ」というのがそうだ。
認められないといっても、当時、事情はどうあれ併合条約に韓国側もサインし、国際社会もそれを認め、三十五年間、併合が存在したのだ。
それを無効だというのが彼らの「理」だが、それは「後知恵としてお宅の事情でしょう」と断るしかない。
「理」は「普遍的な規範だ」といわれても、それが韓国世界を超えてどれだけ普遍的かはチェックされる必要があるだろう。
普遍的規範つまり原理がしばしば「思い込み」の「ジコチュウ」だということもあるのだから・・・。
「われわれが日本の支配に同意、協力したはずはない。あったとすればそれはすべて強制の結果である。日本統治時代の出来事はすべて強制だった」という韓国で公式化された“強制史観“も“べき論“という「理」である。
しかし事実より検証より結論先にありきのそうした韓国人の「理の世界」には、日本人は同意できないし入り込めない。