極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

ボヘミアンラプソディ

2018-12-17 08:16:46 | Weblog
2018年12月14日に109シネマズ木場で映画「ボヘミアンラプソディ」を観た。

木場に住んでいる私はこの映画館に歩いてゆける。東京に住んでよかった。

この映画は、大ヒットしている。先日浜松で親戚の告別式に参列したが、
その時の精進おとしの席で隣り合わせた、60代の女性3人(3姉妹)が、皆観たと
言い、感動した、と言っていた。こんな(といっては失礼だが)人たちまで感動
するのかー、と思った。また、同時に彼女達は「まだ観ていないのならば、絶対に
観なさい」と 私に命令した。初対面の人に命令する浜松のおばちゃんに閉口したが、
その時、絶対に観てやろうと思った。

「キラークイーン」をラジオで聴いた時の衝撃は忘れらない。実はビートルズよりも
ディープパープルよりもストーンズよりも、クイーンを先に聴いていた。
私の洋楽初体験はクイーンだった。それまでのロックはなんとなくベンチャーズくらいで
それも「京都慕情」かなんかだったので、ダサいと思っていた。日本のロックもグループ
サウンズとか、加山雄三とか寺内タケシだったので、なんかダサかった。ダサいという
より、どこか「呑気な音楽」だった。

SBS静岡放送のラジオ番組で「キラークイーン」が流れた時は、「なんだこれは」と
思った。このコーラスと曲の完成度、そして後半のロックサウンド。なんておしゃれなんだ。
これが、本物の洋楽なんだ、ロックなんだ、と思った。

「キラークイーン」は1974年に発表され、全米でヒットするのは1975年。この頃は日本でも
流行していたと思われるので、私が聴いたのも1975年あたりだろう。と、すると私は
小学校6年か、中学1年である。

こんなことがあった。

当時のクラスメイトで、その後警官になったK君が「実はクイーンのファンだ」と私に告げた。

私は「そうなんだ! クイーンていいよね」と呑気に大声で答えると、K君は「ばか、そんな
大声で言うな」と狼狽した。クイーンのファンなんて、大声で言えないというのだ。
変態と思われる、とK君は言う。そのような見られ方は、あった気がする。


1982年に大学1年になった私は、これまた毎度の西村とまだ屋根がなかった頃の西武球場で
クイーンのコンサートに行っている。フレディは西武ライオンズの青いキャップを被って登場し
「コンバンワ」と言った。

私と西村はスタンド席だったが、同じ日に池谷もアリーナで当時付き合っていた彼女と会場に
いた。私はうだつの上がらない西村とスタンド席、池谷は彼女とアリーナ席、ずいぶんと差が
ある、とほほと思った。


1982年は「はる」もまだない。クイーンの1億分の1程の才能もないけれど、その後私達は
新しい音楽を求めて、バンド活動を始める。ボヘミアンラプソディのレコーディング場面や
リハーサル場面などは、自分とオーバーラップした。1億分の1程の才能もないけれど。

映画のラスト「ライブエイド」の再現シーンは感動的だった。後で本当のライブエイド映像を
観たが、楽器や、ピアノの上のペプシの紙コップまで、完全に再現されていて、びっくりした。


絶賛の映画だし、キャストも本当に実物によく似ているし、ブライアンメイもロジャーテイラーも
太鼓判を押しているし、ライブエイドシーンではちょっと泣きそうになったが、エンディングで
本当のライブ映像が流れると、「やっぱ、本物の方がかっこいいな」と思ってしまった。

家に帰って、youtubeでライブエイドの映像を観ても、その思いは同じだった。


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする