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たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「遠野物語 remix」

2017年02月22日 10時21分49秒 | 読書記

図書館から借りていた 「遠野物語 remix」(角川学芸出版)を 読み切りました。
日本の民族学の先駆者とも呼ばれている柳田國男の「遠野物語」を 推理作家の京極夏彦が 原文の内容から 全く逸脱することなく 忠実に現代語訳した 分かり易く読みやすい作品です。

原文の「遠野物語」は 明治43年に発表された 岩手県遠野地方に伝わる民話、伝承を記述した説話集で 119の章からなる作品ということですが 本書「遠野物語 remix」は その119の章を順番ではなく バラバラに配置し ストーリーとして 繋がりやすくし 読みやすいように 再構成されています。
文語体の原文「遠野物語」を 読み解く根性は 有りませんが 「遠野物語」の入門書とも言える本書を見つけて 読んでみました。

実は 2013年7月に 「早池峰山」に登るため 盛岡からレンタカーで登山口まで行き 登り始めたのですが 前線の通過と重なり 暴風雨となってしまい 登頂を断念、途中から引き上げてきたことが有りました。
その際 時間に余裕が出来たため 遠野方面に ドライブ、遠野の一部だけですが 巡りました。
遠野といえば 民話の里、柳田國男の「遠野物語」とイメージを 持って帰ってきましたが、当時は まだ 読書する時間も意欲も無く 読むまでに至っていませんでしたが やっと 読むことが出来ました。

Contents

opening ・・「remix 序」で
       著者の京極夏彦は 「この物語は すべて 成城の人柳田國男先生の著された書物遠野物語に記されて居るものなり。・・・・」 
       と 述べています。 

A part ・・「序1」で
       著者の柳田國男は 「これから語る話は すべて 遠野の人である 佐々木鏡石君より聞いたものである。・・・・明治42年
       2月頃から 折々に聞いた・・・・彼の話を聞いた時 私(柳田)自身が感じたそのままを 一人でも多くの人に伝えたかったから
       である」と 述べています。

B part ・・「序3」他

C part ・・「序4」他
       早池峰山が語られる時 良く耳にする話が 出ています。

ending ・・遠野郷で古くから行われていた歌舞「獅子踊り」の歌詞が 書き留められています。
      

 

 


 

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ふっと思い出した故郷の言葉 No.06 「こわい」

2017年02月20日 08時35分32秒 | 懐かしい故郷の方言

故郷を離れて50年以上、子供の頃 使ったり 聞いたりしていた言葉(方言)も すっかり忘れてしまっていますが 突然 ふっと思い出すことがあります。
その内 ふっと思い出すことも出来なくなるはずで 完全に忘れてしまわない内に 書き留めてみよう等と 思っているところです。

No.06 「こわい」
「疲れた」「だるい」「体調が悪い」等という意味で 使っていたような気がします。
一般的な 「怖い」「おそろしい」等という意味でも 使っていたのかどうかは 記憶曖昧。

例えば

「キョウハ ナンダカ コワイ ソイ ガッコウ ヤスムワネ」
(今日は なんだか 体の具合が悪いので 学校休みますよ)
・・学校が 怖いから 休むのでは ありません

「イソイデ ハシッテキタ モンデ アア コワカッタ」
(急いで 走ってきたので ああ 疲れた)
・・怖ろしくて 走ってきたのでは ありません

「コワイシゴト サセテシマッテ ワルカッタネ」
(疲れる仕事をさせてしまって すみませんでしたね)
・・恐い仕事を 頼んだので ありません

昭和30年~40年頃の故郷の冬景色・・かんじきで 道踏みしていました。

No.05 「あせくらしい」 → こちら
No.04 「しょうしい」 → こちら
No.03 「~くんない」 → こちら
No.02 「またじ」 → こちら
No.01 「おぞい」 → こちら

 

 

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「バカの壁」

2017年02月19日 14時48分11秒 | 読書記

図書館から借りていた 養老孟司著(新潮社編集部口述筆記)の 「バカの壁」を 読み切りました。
2003年に 新潮社から刊行され 400万部を超えるベストセラーだった書ですが 読むのは 今回 初めてでした。
大活字本・底本 「バカの壁」(新潮新書) です。

 

「まえがき」で 著者は 「これは 私の話を 新潮社の編集部の人たちが 文章化してくれた本です」 と 述べられています。
「バカの壁」については 「結局 われわれは 自分の脳に入ることしか理解できない。つまり 学問が最終的に突き当たる壁は 自分の脳だ」とも 「バカの壁は だれにでもあるのだということを思い出してもらえば ひょっとすると 気が楽になって 逆にわかるようになるかもしれません」等とも 述べられています。

第1章 「バカの壁」とは 何か
     「話せば分かる」は大嘘、他
第2章 「脳の中の係数」
     脳の中の入出力、他
第3章 「個性を伸ばせ」という欺瞞
     共通了解」と強制了解
第4章 「万物流転、情報不変」
     私は私、ではない、他
第5章 「無意識・身体・共同体」
     「身体」を忘れた日本人、他
第6章 「バカの脳」
     賢い脳・バカな脳、他
第7章 「教育の怪しさ」
     インチキ自然教育、他
第8章 「一元論を超えて」
     合理化の末路、他

著者は 「この本の中身も 世間のいう正解とは違った解をいくつも挙げていると思います」と 述べられています。
確かに 独断的、断定的な記述も多々有り 理屈っぽいところも有りますが さまざまな示唆を含んでいる内容で 読んだ価値は有りかなと 思っているところです。

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日帰りバスツアー 「日本が誇る美の絶景」 その4 「目黒雅叙園・雛まつり」

2017年02月18日 22時08分55秒 | 旅行記

「迎賓館赤坂離宮」から バスで移動すること 約20分、東京都目黒区下目黒に有る 「目黒雅叙園」に 到着します。

その4 「目黒雅叙園・百段 雛まつり」

「目黒雅叙園」は 結婚式場、ホテル、レストラン等の複合施設ですが 創業者 石川県出身の細川力蔵が 昭和3年 東京芝浦の自宅を改築し 純日本式の料亭「芝浦雅叙園」を 経営したのが始まりだといいます。
その後 東京府荏原郡目黒町下目黒一帯と 岩崎省一邸を入手し 増改築を進めて 昭和6年に 「目黒雅叙園」と名づけた料亭を開業、結婚式場も合わせた施設になっていったということです。
料亭が 結婚式場まで経営したのは 「目黒雅叙園」が 日本で最初なんだそうです。

昭和初期に建設された木造の旧館には ケヤキの板材で造られた「百段階段(実際は 99段)」が有り 階段に沿って7部屋の座敷が残っています。かっての料亭の部屋ですが 古えの香りいっぱい、東京都有形文化財に登録されています。
その百段階段と座敷を舞台に 毎年 「百段 雛まつり」が開催されていますが 今年は 九州7県から参集した 由緒ある雛、豪華な雛が 展示されています。
展示会場は 板材の階段と和室のため 履物を脱いで スリッパで入場します。
展示会場内での 写真撮影は 禁止されています。
展示されているお雛さまは 古くは 江戸時代に作られたものもあるため 暖房は控えているようです。 

岩鉱王 岩崎伝右衛門邸を彩る 800体の座敷雛 (福岡県 飯塚市)
人吉球磨の雛 (人吉)
山の神に祈りを込めた 雛山 (宮崎県 綾)
日本三大つるし雛 (柳川市)
柳原白蓮の愛した 有職雛
村岡はな子ゆかりの雛人形
等々・・・。


(参考)
九州のひなまつり
👇
こちら


目黒雅叙園

「目黒川」
桜が咲く頃は 大変な人出になる 人気の花見スポットです。

今回の日帰りバスツアー「日本が誇る美の絶景」、予定通り終わり バスは それぞれの出発地に向かって 走り出しました。
春一番が吹き荒れた1日、寒さより むしろ 急激な気温上昇で 疲れてしまい バス乗車中 帰着するまで ずっと 「舟をこいで」 きました。それにしても 参加者の9割が 中高年の女性、終始おしゃべりも絶えず、その元気さに圧倒された 爺さんでありました。

(おわり)

 

 

 

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日帰りバスツアー 「日本が誇る美の絶景」 その3 「迎賓館赤坂離宮」

2017年02月18日 15時52分01秒 | 旅行記

「湯島天神」から バスで移動すること 約20分、東京都港区元赤坂に有る 「迎賓館赤坂離宮」に 到着です。

その3 「迎賓館赤坂離宮 本館・主庭・前庭」

迎賓館の有る場所は かって 紀州藩徳川家の江戸中屋敷が有ったところだったそうです。
その広大な敷地の一部に 明治の近代国家成長期、当時の日本の建築家、美術工芸家の総力を挙げて 洋風の東宮御所として 赤坂離宮が 建設されました。
日本における 唯一の ネオ・バロック様式の 西洋風宮殿建築です。

戦後 それまで 外国の賓客を迎えるに相応しい施設が無かった日本は 赤坂離宮を改修して 昭和49年に 迎賓館赤坂離宮を完成させました。

迎賓館赤坂離宮の「本館」は 国民の高い関心に応えて 昭和50年から 公式行事等に支障が無い時期に 館内の4つの公用室等を 一般でも見学出来るようにしています。(但し 事前に申し込みをする必要があります)

「本館」
「本館」入館前には 一人一人 フルネームを告げ 見学者リストと 付け合せチェックが行われます。さらに 空港で行われているような 手荷物検査、金属探知機検査も 受けないと 入館出来ません。
館内では 壁を含めて 触れないよう 注意されます。もちろん 館内での 写真撮影は禁止で カメラ等は バック等に収納するよう 注意されます。
分厚い絨毯を踏んで 一方通行の順路に従って 進みますが 警備員や係官が 要所要所に配置されており 監視されている中での見学です。豪華なシャンデリアや煌びやかな装飾、彩鸞の間、花鳥の間、朝日の間、羽衣の間は 目を奪われますが 配布された「リーフレット」や 「内閣府のホームページ」で 記憶を呼び戻すしかありません。

内閣府のホームページ

彩鸞の間 → こちら
花鳥の間 → こちら
朝日の間 → こちら
羽衣の間 → こちら

「主庭」

「前庭」

鎧、兜・・・和洋折衷

「正門」

 

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日帰りバスツアー 「日本が誇る美の絶景」 その2 「湯島天神」

2017年02月18日 09時23分23秒 | 旅行記

国立西洋美術館の常設展示を 1時間程度 慌しく観賞した後 バスで移動、15分程で 東京都文京区に有る 「湯島天神」に到着です。

その2 「湯島天神(湯島天満宮)」

「湯島天神(湯島天満宮)」は 江戸時代に、徳川家康や歴代の将軍の庇護のもと 隆盛を極め 鳥居前に町が出来て、人々の往来で賑わってきたという神社なんだそうです。祭神は 学問の神様、菅原道真。
天満宮は 全国各地に有りますが 「湯島天神(湯島天満宮)」は 東京を代表する天満宮で 大変 人気があります。
周辺には 東京大学や順天堂大学、東京医科歯科大学、明治大学等の大学も有り 年明けから3月に掛けての受験シーズンには 全国から訪れる合格祈願の学生や父兄で 行列が出来る程だということです。
2月8日から3月8日までは 梅まつりも開催されており 狭い境内は 老若男女で 大賑わいでした。

社殿は 平成7年に 総檜木造りで 造営されたようで まだ 新しい感じがします。

境内で行われていた結婚式?、梅の花の下、なんとも 日本情緒溢れた、雅な風景、

境内の数箇所に これ以上は無理位に 結び付けられた絵馬の風景、

大学、高校、中学、専門学校等々の合格祈願。就職祈願、結婚祈願も。多種多様な絵馬です。

もう 目玉を入れた人も 多いんでしょう。

撫でた部分が 「良くなる?」・・・だいたいが 頭を撫でますね。テカテカ。

「湯島天神(湯島天満宮)」と言えば 
泉鏡花原作 「婦系図」の映画のテーマ曲 「湯島の白梅」を 思い浮かべてしまうのは どうも 私だけでは無さそうですが・・・。

小畑実 歌う 「湯島の白梅」 → こちら

「湯島天神(湯島天満宮)」滞在時間は 約40分、
路上停車のバスに乗り込み 「迎賓館赤坂離宮」に 向かいます。

(つづく)

 

 

 

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日帰りバスツアー 「日本が誇る美の絶景」 その1 「国立西洋美術館」

2017年02月17日 20時42分16秒 | 旅行記

今日は 関東や北陸等 広い範囲で 春一番が 吹き荒れましたが 予め申し込んで有った 旅行会社の日帰りバスツアー「日本が誇る美の絶景コース」に参加し、「国立西洋美術館」、「湯島天神・梅まつり」、「迎賓館赤坂離宮本館」、「目黒雅叙園・百段雛まつり」を 巡ってきました。
いずれも東京都内に有り 日帰りで行ける所ではありますが 職業柄 これまでは なかなか実現せず 1度も訪ねたことの無い所でした。
すでに 「その内 いつか」等と言ってられない歳、今回 思い切って 申し込みしたわけです。

その1 「国立西洋美術館」

「国立西洋美術館」は 東京都台東区の上野公園内に有ります。
19世紀から20世紀前半の絵画、彫刻を中心とした 「松方コレクション」を基にして 1959年に開館した美術館ということです。
その本館は 20世紀建築の巨匠と呼ばれている ル・コルビュジェによって 設計されており ル・コルビュジェの建築作品として 2016年7月に 17ヶ国の資産で構成される 世界文化遺産 「ル・コルビュジェの建築作品・近代建築運動への顕著な貢献」に 登録さました。

世界文化遺産に登録されている本館建物

日帰りバスツアーとて 見学時間は 約1時間、じっくりと観賞という訳にはいきません。今回は 常設展示のみ が 見学対象です。

モネ 「舟遊び」

モネ 「睡蓮」

「国立西洋美術館」の収蔵作品数は 絵画、素描、版画、彫刻、工芸、書籍、その他参考品等 2008年時点でも 4,564点にのぼっているそうです。

常設展示の絵画、彫刻は 概ね 写真撮影撮影OKですが 「スエーケン・デンマークの芸術村」展示場の作品は 撮影禁止になっていました。

「国立西洋美術館」の見学を終え バスは 「湯島天神」に 向かいます。

 (つづく)

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心浮き 春を探しに 爺散歩

2017年02月16日 16時45分42秒 | 散歩・ウオーキング

当地 このところずっと 最低気温=-3℃前後が続いておりますが 日中は だいたい穏やかに晴れ渡り ポカポカ陽気になっています。
山沿いに有り 平地より 平均して 2~3℃低い 我が家の庭の梅も やっと 二分咲き~三分咲きに なってきました。

好天に誘われて 午後から すこし 歩いてきました。

川辺りの鳥、君の名は?

カワウ? 潜水、速い速い、追いつけません。

桑畑の隅っこで 福寿草を見つけました。
数年前までは もっと 群生していた場所ですが 宅地開発等で 今は ほんの僅かしか 咲いていません。

遊歩道で 日向ぼっこする猫、近づいても 逃げません。

歩数計では 1万歩を超していましたが コンデジで カシャ、カシャ、右に、左に・・・、
たいして カロリー消費してなさそうです。

 

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逍遥 東京薬科大学薬用植物園

2017年02月15日 21時47分27秒 | 散歩・ウオーキング

当地の今朝の気温は -3℃前後、相変わらず厳しい冷え込みが続いていますが 日中は 気温も やや上がり 風も無く、穏やかな1日でした。
好天に促されて 我が家から車で1時間程の丘陵住宅地に住んでいる義姉を誘って 3人で 東京薬科大学の「薬用植物園」を 歩いてきました。
義姉は 一昨年秋 伴侶を亡くし 一人暮らしをしていますが 普段は 庭いっぱいに 草花や野菜を育てる等して 楽しんでいます。
ただ 車を手放し、運転免許証も返上してしまってからは 以前のように 頻繁に遠出すること叶わない感じで 時々 誘い出しているという訳です。

東京薬科大学の「薬用植物園」については ブログ友のmimoza様から 情報提供をいただいたりして、行ってみよう行ってみようと思っていながら 機会が無く 訪れるのは 今回が 初めてなんです。
「薬用植物園」は 東京薬科大学構内(敷地内)に有り、薬用植物の研究や実習用の施設ですが 園内の 見本園、展示温室、自然観察路は 休園日を除いて 一般の来訪者にも開放されていて 個人で 10名以内であれば 予め申し込み無しでも 無料で 入園見学出来る植物園になっています。
1年中 次々と花が見られるそうですが 今の時期は まだ 多くは有りません。今回は 足慣らしということで もう少し 温かくなったら また 来よう と 話しながら 帰ってきました。
ゆっくり、のんびり 逍遥し お昼時間となり 薬科大学構内の学生食堂にお邪魔して 学生達に紛れて 昼食をとりました。(一般の来訪者も利用可)

薬科大学から 義姉宅に回り 上がりこんでしまい なんだかんだ雑談、手入れ中、作業中の庭に下りて 写真を撮ったりして 結局 帰宅は 夕方になってしまいました。

「薬用植物園」

展示温室内

「義姉宅の庭の花達」

 

 

 

 

 

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ふっと思い出した故郷の言葉 No.05 「あせくらしい」

2017年02月15日 06時22分39秒 | 懐かしい故郷の方言

故郷を離れて 50年以上、子供の頃 使ったり、聞いたりしていた言葉(方言)も すっかり 忘れてしまっていますが 突然 ふっと 思い出すことがあります。
その内 ふっと思い出すことも出来なくなるはずで 完全に忘れてしまわない内に 出来る限り 書き留めおこう等と 思っているところです。

No.05 「あせくらしい」
「じっとしていない」「落ち着きがない」「忙しい」「慌しい」等という意味で 使っていたように思います。

例えば

「キョウハ イチンチジュウ アセクラシカッタナー」
(今日は 一日中 忙しかったなー)

「アセクラシイコバッカデ ツカレルワネ」
(じっとしてない子供ばっかりで 疲れますよ)

「ショウガツノ ヨウイモ センナランデ マインチ アセクラシイワネ」
(正月の準備をしなければならないので 毎日 慌しいですよ)

昭和40年頃の故郷の冬、かんじきで道踏み

No.04 「しょうしい」 → こちら
No.03 「~くんない」 → こちら
No.02 「またじ」 → こちら
No.01 「おぞい」 → こちら

 

 

 

 

 

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