古い写真から蘇る思い出の山旅・その89(1)
「初めての甲斐駒ヶ岳・仙丈岳・残念登山」(再)
もう34年前にもなる、1991年8月17日~18日に、妻と次男と3人で、(長男は受検勉強中で不参加)、初めて、「甲斐駒ヶ岳・仙丈岳」を訪れたことが有った。
当時はまだ、時間的、経済的、精神的余裕等、さらさら無い自営業をしていた頃で、家族で旅行等、ほとんど出来なかった頃だったが、海派?、山派?、と問われれば、山派ではあったことから、せめて年1回位は、なんとか都合をつけて、家族で思い出になる山に登ろう・・、等と決めて続けていた頃だった。
その年は、無謀にも、思い切って、「甲斐駒ヶ岳・仙丈岳」にしたのだったが、結果は、2座共、登頂出来ずの残念な登山となってしまい、後年になってリベンジし、思いを叶えたという、記憶に残る山歩きの一つになっている。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケット型小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃だったが、プリントした拙劣写真がアルバムに貼ってあり、「OCNブログ人」で、初めてブログを開設したばかりの頃に1度、スキャナーで取り込んで、ブログに書き込んだことが有る。
昔のことを懐かしがるのは老人の最も老人たるところと、自嘲しながらも、コピペ、リメイクして、改めて、「古い写真から蘇る思い出の山旅」に、付け加えることにした。
山行コース(予定)・歩程等
1日目・北沢峠→仙水峠→駒津峰→魔利支天→甲斐駒ヶ岳山頂→駒津峰→双児山→
北沢峠・北沢長兵衛小屋(泊)
(標準歩行所要時間=約7時間30分)、
2日目・北沢峠・北沢長兵衛小屋→大滝ノ頭→小仙丈岳山頂→仙丈岳山頂→
馬ノ背ヒュッテ→北沢峠、
(標準歩行所要時間=約8時間30分)、
(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

1日目
毎度のこと、深夜に自宅を出発、渋滞無しの中央自動車道を走り、
甲府昭和ICからは、芦安村、南アルプス林道、夜叉神トンネル経由で、
広河原の駐車場には、午前8時頃到着したようだ。
当時は、広河原まで、マイカーで乗り入れることが出来た時代で、
無料の広い駐車場は、ほぼ満車状態だった気がする。
広河原発北沢峠行き、リムジンバス(芦安村営バス)の始発は、午前9時、
待機中に、軽い朝食をとり、長蛇の列に並んだような気がする。
増車された数台の超満員の村営バスに揺られ、
南アルプス林道をぐんぐん高度を上げて行き
標高2,032mの北沢峠には、9時30分頃到着したようだ。
北沢峠、9時30分頃出発は、夏山登山としては、遅過ぎ、
甲斐駒ヶ岳ピストンは、登山初級者にとって、体力的、時間的に
ちょっと厳し過ぎること、自明の理だったが、
中途で無理な場合は、引き返すこと覚悟して出発、
仙水峠へ向かったのだった。


猛烈な暑さでバテバテ、


11時頃、仙水峠(標高2,264m)に到着、
眼前にそそり立つ魔利支天、甲斐駒ヶ岳、

仙水峠から駒津峰への急登、
ジリジリ太陽に照り付けられて大汗、体力消耗、

右方に、甲斐駒ヶ岳山頂、摩利支天を眺めながら、
気ははやるものの、頻繁休憩、ペースダウン、

13時30分頃、駒津峰(標高2,752m)に到着。


大休憩後、いったん、甲斐駒ヶ岳山頂目指して出発したが、
途中で、体力的、時間的に、山頂往復は、無理と判断・・、
翌日の仙丈岳のことも考慮し、登頂を断念、
指呼の間の甲斐駒ヶ岳の雄姿を目に焼き付け、
いつかまた、リベンジすることを誓い、
無理をせず・・・、引き返すことにしたのだった。

14時30分頃、駒津峰に戻り、双児山方面へ下山開始、

15時40分頃、双児山(標高2,649m)

南方には、翌日に登る予定の仙丈岳が・・・・、

16時頃、北沢峠に戻り着き、
16時30分頃、宿泊先の北沢長衛小屋に入ったようだ。

北沢長衛小屋前には、キャンプ指定地が有り、
19時消灯・・ではあったが、深夜まで騒がしく、
なかなか寝付かれず・・・、だった気がする。
(つづく)
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(ネットから拝借フリーイラストGIF)
