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たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

I先生と「雪山讃歌」

2017年02月05日 11時59分58秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

昭和30年代、M男は 北陸の山村で 1学年、1クラスの小さな中学校に通っていた。
ほとんどの記憶は 忘却の彼方に消え去ってしまったが 時々 ふっと 断片的に 思い出すことも有る。
ふっと思い出しても 直ぐまた忘れてしまう、何を思い出したのかも 思い出せなくなっている。その内 断片的にですら なーんにも 思い出せなくなること確実であり 完全に忘れてしまわない内に 「あの日あの頃」に 書き留めておこう等と 思っている。

中学1年だったか、2年だったか、3年だったか、まるで 思い出せないが 「学校登山」で 頚城三山のひとつ、「焼山」に 登ったことがあった。
「焼山」は その後 1974年に噴火が有り 入山規制、規制解除、再規制を繰り返して 2016年3月からは 山頂から1km以内 立ち入り禁止になっていると思われる 標高 2,400mの活火山である。
そんな 危険で厳しい山に 登山経験、訓練無しの M男達中学生を 「学校登山」で 連れて行った学校側の判断に 今は 驚くばかりであるが・・・。
当時のこととて 記念になるような写真1枚も無く、ほとんどの記憶も残っていないが かすかな記憶を炙り出してみた。

確か 笹倉温泉の近くの学校(もしかしたら 分教場のような学校)の講堂で 雑魚寝し 早朝 暗い内に出発したような気がする。
まだまだ 貧しかった山村の暮らし、登山靴や雨具、ザック等 おいそれと買ってもらえる時代ではなく 多分、ズックか地下足袋か長靴、農業用のカッパ、懐中電灯等 間に合わせの いでたちだったはずだ。

クラス担任教師は もちろん 教師全員(と言っても 5~6人)が 引率していたと思うが その中に 当時 「職業」という授業科目が有って その担当教師 I先生も 加わっていた。
小太りで 禿げており 髭剃り跡が濃い、子供の目から見て かなりの おっさんだったが ひょうきんなところが有り 主要科目でない気楽さも有り 授業は 遊びのような感覚だったように思う。
その I先生が 山頂だったか 途中だったか 記憶はないが 休憩中に 
「みんな この歌 知ってるか?」と 言い出し 浪花節か ご詠歌かと思うような 超スローテンポで 調子っぱずれに 歌い出した歌が有り その歌声が妙に耳に残り 未だに 脳裏にこびり付いているのである。
当時 M男は その歌を知らず そんな調子の歌なのか位に思っていた分けだが それは 後年 ダークダックス等が歌い 流行した 「雪山讃歌」だったのである。
ただ I先生のそれとは 余りにも リズム、メロディーが違い過ぎていて 納得するまで 時間が掛かった覚えがある。

山に登った 達成感、開放感、爽快感、I先生も つい 気持ちが高揚し へたばっている生徒にも 山の楽しさを教えようと 歌ったのかも知れない。
M男は 当時 風邪や発熱で 学校をしばしば休むような ひ弱な子供だったので その「焼山登山」は ただ 単に 辛いだけで 終わったはずで その登山で 山が好きになったかということは無い。
しかし 後年 次第に いろいろな山に登ることが趣味となっていく分けだが 初めての登山 「焼山」が 原点になっていることに 間違いない。

「雪山讃歌」を聴くたびに I先生の調子っぱずれの歌声と 風貌が 今でも 想い浮かんでくるのである。

雪山讃歌 ダーク・ダックス

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